狙撃
たーん、という大きな破裂音が響き渡ったかと思うと、木の板を撃ちぬいた鈍い音が聞こえた。すかさず、さく杖を抜いて銃口(これを巣口といった)に差し込んで、数度抜き差しを行うとすぐに火縄に火をつけると、銃口に火薬を入れ、さく杖でもって詰めると弾を入れ、すぐに火皿という薬を入れる皿にも火薬を入れて、火蓋を閉じる。そしてすぐに火蓋を落とし、引き金を引くと、またけたたましい破裂音と共に弾が飛び出し、的を射抜いた。
少し唸ると、硝煙の匂いを漂わせた火縄銃を小屋に持ち込んだ。水を汲み、鉄瓶にいれて火をくべた。その間に火縄銃の目釘を外して銃身と台木に分ける。銃身には尾栓という、螺旋状に溝の入った栓がついてあって、これをほんの少し緩めた。鉄瓶の蓋がかたかた、と沸騰の合図を出すや出拭いを取っ手にかぶせると、銃口から勢いよく注ぎ込んだ。いっぱいになったところで、その熱が冷め遣らぬうちに尾栓を抜くと、どす黒い硝煙を絡めた熱湯が音を立てて流れ出るのである。
銃身を乾かせる間に、からくり部分を分解し、手入れを施した後再び組み立てていき、乾いた銃身に再び尾栓をねじ込んで、目釘をうって銃身と台木をくっつけるのである。
ちなみに、この尾栓というのは言うまでもなくねじである。それまで日本にねじ、という画期的な機械要素はなく、これは南蛮の火縄銃によって初めて知らされたものである。種子島の職人達は、このねじというものがどうしても理解できず、これを持ち込んだ南蛮人に尋ねたが、南蛮人フランシスコは、
―― 只で教えるわけにはいかない。
といって、教授するのをためらったという。一説には、横恋慕した娘を自分の妻女にするために足元を見た、といわれていてその娘を差し出したといわれている。
とにかく、このねじ技術の到来によって、日本の技術はまた一段の革新を遂げる事になるのである。
少し外れたので、本筋に戻す。
手入れの終えた火縄銃を、銃口を上にして台座に立てかけて、遠藤又次郎は自らの屋敷に戻って漸く一息ついた。
「兄上。相変わらず、見事なお手前でござる」
といって、二度撃ちぬいた的を見せて、喜三郎がやってきた。
「そうか」
又次郎はそういっただけですぐに黙った。
「無口なのも相変わらずじゃのう」
喜三郎はひとしきり笑ったが、すぐに頬を引き締めた。
「しかし、このままではこの腕は腐ってしまいますぞ。どこかに仕官を致さねば」
「儂は、そういうのは苦手じゃ。それこそおぬしの領分ではないか。それに、『この鉄砲の腕があれば黙っていても仕官の口はいくらでもありましょうぞ』とも言ったぞ」
喜三郎はつむりを掻いて苦笑したが、すぐに
「ええ。言いましたとも。ですが、全く何もせぬというのも無作法ではないかと」
「ならば、おぬしがいいように取りかればよいではないか」
又次郎はそういうと、横になってすぐに寝息を立て始めた。
遠藤又次郎と喜三郎は、元は阿波国の生まれで、父親は遠藤与市左衛門といった。阿波細川家に仕えていたのだが、どういうわけか細川家を辞去している。そして、流浪の身となってからは備前によって、美作にたどり着いた。
又次郎の鉄砲の腕は父から教わったもので、始めは阿波筒という少し長大な鉄砲を使い、ついで備前筒を使っていて、今では備前筒の方が扱う時間が長い。当時、こういった鉄砲に長じた者は珍しく、珍重されてしかるべきなのだが、又次郎は無聊をかこつ存在であった。
というのも、当時、鉄砲はまだ新規というよりも斬新、あるいは先鋭的といったほうがよく、一部の慧眼を持つ武将や国主以外は、
―― 卑怯な飛び道具である。
という認識が一般的であった。自然、それを使いこなす者も、まるで外法使いのような迫害に近い扱いを受けていた。それでも、丹後ではすでに稲富祐秀という人物が佐々木義国という、鉄砲興隆の祖というべき人物から手ほどきを受けて、すでにその砲術を確立しつつあったが、それでも尚、鉄砲に対する偏見は大きいものであった。
故に、いくら先進的特殊技能を持っていても又次郎のようにその技術をいかす場所がないのである。後、その火力に目をつけた織田信長が大量に揃え、長篠において最強といわれた武田騎馬軍団を壊滅させるまで、この鉄砲の存在は、いわば禁忌であったといっていい。
(それならばそれでよい)
又次郎はそう考えているのだが、喜三郎はそうは考えていないようで、
―― 黙っていても仕官はある。
といいつつ、実は士官の口を捜して奔走している事を知っているのである。
だからといって、又次郎はそれをとがめる様子もなく、気が向けば鉄砲を撃ったり、手入れなどをしたりして、単調な日々をどうにかしのいでいるのである。
とはいっても、そこは仕官をしておらぬ浪人の身である。自然、限界が訪れるのは目に見えていた。
(どうにかせねばならんな)
又次郎は漸く目を覚まして、座りなおした。
「さて」
腰を上げた。
又次郎は町にくりだした。
別段行く当てがあるわけでもなかったが、気分転換を図るためにも、外に出ておきたかったからである。
又次郎がいる美作は、現在でいうところの岡山県北部にあたり、苫田郡、真庭郡及び勝田郡に跨ぐ地域で、山間地帯である。その為、安定した勢力の傘下になった事がなく、中国地方の国主や守護大名たちの騒乱の地にしばしばなっている。又次郎が居たこの時期は、播磨の豪族である赤松氏の勢力下にあって、一応の均衡は保っている。
津山の町はそれほど大きいものではないが、幾度となく戦乱の中心地になっていた事もあって、そこかしこで同じような境遇の者を見かける。大抵は疲れ果ててはいるが、一縷の野心を松葉杖のようにしてどうにかして立っているような者が殆どである。無論、又次郎もこの時代にあって、自らの腕を試したく思ってはいる。
(だが、来なければそれでよい)
とも思っていて、又次郎は他の連中ほど野心というものが少々薄いところがあるようで、それを喜三郎が補っているのかもしれない。
―― 地頭様だ。
というので、又次郎が見てみると馬上にある身なりの整った武士が、悠然と闊歩していた。
小袖に袴という軽装ながら、面魂からしていかにも豪傑といった感じの男で、幾度も戦場を潜り抜けている気迫があった。
「あれは、誰だね」
「知らんのかね。あの人は、三村修理亮や」
近くの男は又次郎の問いに、そう答えた。
「三村修理亮」
「ああ。今勢いに乗っている男や。中国の毛利の麾下には入ってるけど、毛利の下に納まるような男ではないわい」
男は半ば興奮しながら、つばを飛ばしている。
「それほどの男か」
「ああ。ここはいうても赤松様の治める土地に、こうも悠然と来られるものやな。さすがやな」
(さすが、というよりも一種の阿呆だろう)
又次郎と男の印象は全く違っている。
傍から見れば豪胆この上ないように見えるのだが、又次郎からみればなんとも隙の多い男のように見えるのである。ましてや、自らの勢力下ではない土地に、看板をぶら下げてくるのが阿呆でなくて何だというのだろうか。
又次郎は、静かにその場を離れた。
喧騒が遠のいていき、閑静が戻った時であった。
―― あれは誰だ。
尋ねてくる者があったので、又次郎は顔をあげた。
なんとも云えぬみすぼらしいいでたちで、腰に差していることで辛うじて武士である事が分かるほどである。体もおよそ武士とは程遠いほどの華奢な体つきのように見え、心なしか大小に体が追いついていないようにさえ受け取れる。
「三村修理亮だそうだ」
「そうか」
といったきり、男は黙っている。
「なんとも阿呆だと思わぬか。敵の土地に、わざわざ看板を背負ってやって来るなど、正気の沙汰とは思えんな」
「確かにな。あれでは狙ってくれ、といわんばかりだな」
といって、男は笑っている。
「あれでよく備中を切り取れたものだ。よほど、備中は敵がおらぬと見える」
「そうではない。三村修理亮は、早くから毛利と通じていたからだ。所詮は後ろ盾をもたぬ国人は、より強いほうに靡くのが常ではないか。それに、尼子はすでに滅んだも同然だ」
「尼子は有力な大名だと聞くぞ。それに、殆どの国人が尼子に靡いているではないか」
「それは他が見る目がないだけだ。現に、中では粛清が次々と起こっているしな」
「詳しいな、おぬし」
「当然だ。儂が三村修理亮家親だからな」
そういうと、男はにやり、とした。
「だとすれば、あれは誰だ」
すでに小さい影になっている馬上の人物を見た。
「あれか。あれは影武者だ」
修理亮はこともなげに言った。
又次郎は眼を見開いた。
影武者は、表立って出さないものだ。敵地で、堂々とだせるものではない。
(豪胆というかなんというか)
又次郎は言葉を失っている。
「しからば、なぜ俺にそれを告げるのだ。おれは敵かもしれんぞ。それに、分かっているならなぜ尋ねたのだ」
「影武者が勤めを果たしているかどうか知りたいのと、ちょっとした趣味のようなものだ」
修理亮は笑っている。
何ともつかみどころのない人間に、又次郎は出くわしたのである。
「それはそうと、些かひもじくしている。どこぞ、いい場所はないか」
二人が屋敷に戻るころには、すでに日はとっぷりと暮れてしまっていた。
「今日はここで厄介になるぞ」
修理亮は半ば自分の配下の屋敷のように振舞うのである。
「それは構わんが、貴殿はあるじであろう。ならば、城に帰るべきではないのか。何が起こるかわからんと言うのに」
「それが為の影武者ではないか」
修理亮は鼻を鳴らした。
遅い夕餉を支度をしていると、喜三郎が戻ってきた。
「どうだった。首尾は」
「兄上、すまぬ」
とだけいって、喜三郎は頭を下げた。
「まあ、いずれ時が来るだろう」
夕餉の支度をしながら、又次郎が答えた。
「喜三郎」
「はい」
「酒だ。忘れていた」
喜三郎はすぐに屋敷を出た。
「流浪の身にしては、なかなか裕福な暮らしだな」
部屋をぐるりと見渡して修理亮が言った。
「兄が宇喜多家に仕えておるゆえ、その仕送りで」
「なるほど。それで、おぬしは宇喜多には仕えぬのか」
「仕えそびれたよ」
修理亮は不思議そうに又次郎を見やった。
「この喜三郎はともかく、宮仕えにそれほど執着はしておらぬでな」
「そうか」
といって、二人は笑った。この様子が喜三郎には経緯共に分からぬようで、
「失礼だが、貴殿は」
と尋ねた。
「ああ。これは失礼した。三村修理亮家親という。以後、お見知りおきを」
「それがし、遠藤喜三郎と申す。……三村。あの」
「そうだ。今、ここで戦をしている三村家親は俺のことだ」
喜三郎は、仰天した。
「このようなところに居るべきではないのでは。いつどこで寝首をかかれるか。……」
といって、喜三郎は途中で止めて暫く考えた後、
「どうでござろうか。この兄遠藤又次郎と、それがし喜三郎を家臣にお加え願いまいか」
喜三郎の言動に、又次郎は苦い顔して、たしなめた。それに構わず、
「実は、我ら鉄砲に関して、一日の長がござる。ついては、役には立っても、損はさせますまい」
「おぬし、鉄砲が出来るのか」
修理亮は身を乗り出した。又次郎は、目で喜三郎をなじったが、
「まあ。ほんの少々」
とだけ答えた。
「そうか。これからは鉄砲の時代だ。巷では「外法」だのと言っているやつが居るが、そのような連中はどの道たおされる。同じ飛び道具でも、弓ならよくて、なぜ鉄砲はいけないのだ。そういう連中は頭が固くていかん。……是非、俺のところにこないか」
「しかし、我らはこのほど知り合ったばかりだ。それに、兄は敵方にいる。やめておいたほうが」
「いや。それは関係ない。兄は兄、おぬしはおぬしではないか。確かに、兄弟相戦うのは心が引けるであろう。だが、それ以上にその腕を俺は欲するのだ。城下に屋敷を構え、加えて鉄砲指南として、迎え入れたい。どうだ」
修理亮の目は、まるで滅多に出会わぬ玩具をみたようであった。
「しかし。……」
「屋敷で不満ならば、五十貫遣わすが、どうだ」
「いや、値を吊り上げているつもりではないのだが。……」
と又次郎がなおも逡巡していた所へ、喜三郎が
―― 是非とも。
と言ってしまったのである。これに修理亮は喜んだ。
「そうか。では、気の変わらぬうちに行くぞ」
「待て。……分かった。貴殿の成羽城には必ず行く。だが、もう今日は遅い。明朝、立とう」
又次郎の言葉を聴いて、修理亮は、そうか、といってそのまま寝てしまった。
二人は屋敷の外に出た。生憎月は、はにかんでいなかった。
「喜三郎。どういうつもりだ」
「だから、言ったではありませんか。『向こうから仕官の口が来る』と。いや、まさしく天の僥倖というべきか」
喜三郎が声を立てて笑っているのを、又次郎は襟首を掴んで、
「仕官はお前だけがしろ。俺は行かん」
というと、喜三郎はこれに仰天した。
「兄上、それでは駄目だ。三村殿は、兄上を気に入っておられるのですぞ。私だけでは意味がないではありませんか」
「それはお前の理屈だ。つまるところ、一旗あげたい野心があって俺を巻き込むつもりなのだろうが、お前が勝手にやればいい」
「ならば、いつまで兄上は秀信兄の世話になるのですか」
という喜三郎の言葉は、又次郎の痛いところをえぐった。
「もし、秀信兄に報いるのであるのならば、宇喜多の家臣になるもよし。ですが、兄上は無為に過ごしているだけではありませんか。それで、よろしいのですか」
「こいつ、小賢しいことを」
「小賢しかろうが、何であろうが、兄上はお考えがあるのですか。今のままでよろしいと」
「そうは言っていない」
「ならば、向こうから誘われた仕官の口は勿怪の幸いというべきです」
「それはお前の気持ちだろう。俺はそこまでは思っていない」
「だとするならば、兄上の鉄砲の腕は何のためにあるのですか。父上から教わったその鉄砲の腕は何に使うのですか」
と言われて、又次郎は黙った。
「兄上に野心の類のものがないことは重々承知しております。ですが、それではその鉄砲の腕が持ち腐れになりますぞ。立身出世という事は言いません。ですが、身につけた腕を使わず、半ば隠遁するような生活が良いとも思えませぬ」
一気にまくし立てた。
つまるところ、喜三郎は技能があるのならばそれを認めてくれるところで働くのも、一つの使命ではないか、というのである。戦国時代は、それこそ百姓に至るまでが槍を取って戦う時代であり、この時期にはすでに木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がすでに織田信長に仕えて、その能力を発揮し始めていた。
無論、又次郎はそんな事を知る由もないが、喜三郎の言う事に理解は出来た。
「……。分かった、修理亮殿と成羽に向かう。だが、一つだけ言っておく」
「何でしょう」
「向こうから来たのではないぞ。お前が先に口火を切ったのだぞ」
明朝、成羽に向かった。
成羽城は、高梁川とその支流成羽川の洲の位置にあって、城というよりは半ば陣屋敷と言ったほうが適切な規模である。修理亮は備中から美作を窺っているため、本城の国吉城よりも美作に近いこの城を使っていた。
三村氏は、常陸の御家人からその軌跡をたどる事が出来る。
元は常陸国筑波郡三村郷にその足を下ろしていた小笠原氏が分かれて三村と名乗った。その後、承久の乱の時には信濃に移りそこから更に分流した一族が、備中星田の地頭となったのである。つまり、備中における三村氏というのは、血縁も所縁もない所謂新参者であった。しかし、時代がへりくだって応仁の乱以降にはすでに国人化していて、縁戚になっていた庄氏と共に、備中を治めていた。さらに毛利氏と手を結んで、その後ろ盾を得ると、その勢いは益々盛んになり、備前を治めていた浦上家を脅かすほどの勢力まで大きくなった。その三村氏の最大の版図を築き上げたのが、この修理亮家親であった。
又次郎はすぐさま宛がわれた屋敷に向かった。
「ほう」
又次郎は暫く目を見開いたままであった。
屋敷は土間を含めて三部屋と質素ではあったが、裏に回ってみると、庭が屋敷に似合わぬほど広いのである。
「御館様は、鉄砲を調練するにふさわしいほどの庭を用意するように仰せられました。これでよろしいか」
随行した、家臣某がいうと、又次郎は満足げに頷いた。
「これだけあれば十分だ。修理亮殿に伝えられよ」
「分かり申した。では、明朝登城されるように」
といって、某は帰っていった。
明朝、又次郎と喜三郎は成羽城に向かった。
三村氏の家臣団は、その殆どが血縁者という、国人によく見られる光景である。どれも屈強な武者ぞろいといった感じで、三村氏の興隆ぶりが窺える。
「又次郎、屋敷はどうであった」
一段高い上座に、修理亮がいる。
「は、新参者でしかも外様の者のそれがしにあれほどの屋敷を賜るとはかたじけのう存じます。つきましては、お家の為、粉骨して働いて御覧に入れましょう」
と、二人が平伏して述べたが、主である修理亮以外は、甚だ心外といった空気が充満している。恐る恐る顔を上げてみると、やはり外様を一段下に見る空気があった。
(故に、仕えるのは疲れるのだ)
戦国時代において、戦力の増強というのはどの大名にも平等に課せられたルールのようなもので、戦力を増やして領土を切り取り、そして勢力を拡大させるという手順でもって、より強大な家臣団を形成しなければならない。そこにある政治的な視線というのは、尾張の織田信長程度であっただろう。言い換えると、他の大名の殆どが、政治哲学を持たぬまま、捕食者のようにして領土への野心を持っていたのである。
それだけならばまだいいほうで、そこに外様、あるいは譜代、一門といった一種の格付けをしようものなら家臣の間への軋轢があるのは明らかで、戦国時代滅亡に追い込まれた大名家のその殆どが、小領主のために家臣団を増強できなかったか、あるいはこの血縁によるこだわりで内部崩壊に至ったかのどちらかであった。
ましてや又次郎は流浪から上がってきた者である。痛い視線に、又次郎は耐えねばならなかった。
成羽城下の屋敷に戻ると、何時にもまして鉄砲の銃撃音が響くようになった。それは、又次郎の咆哮のように、喜三郎は思えるのである。
家臣たちとの軋轢を分からぬ家親ではない。家臣のうち、めぼしい若いものを数人、又次郎のところへやるようになった。
「これからは鉄砲の時代だ。何をさておいても、お前らの腕は刀槍だけではない。弓だけでもいかん。鉄砲を磨いておけ。さすれば、この三村の家はますますもって盛んになるだろう」
といって、励行したのである。
その事に、家臣たちは不満を持った。
ことに、その急先鋒は同族の三村五郎兵衛であった。
「殿。あのような新参者を召抱えるのは合点がまいりませぬな」
五郎兵衛は、皺の多い顔に更に皺を増やして、つばを飛ばしている。
「五郎兵衛殿。いつまでも譜代とか新参とかの時代ではござりませぬぞ。ただでさえ、我らは備中を手にしたとはいえ、それは毛利の助勢があったればこそ。そこから我らがより大きくなる為には、力のあるものを入れ、大きくせねばなりませぬ」
「とは申せ、あまりに力を入れすぎれば、譜代の家臣たちの反発を招きますぞ。それに、あの鉄砲なるものを使うのは外法この上ない。あれは、武士にとって卑怯な飛び道具以外の何物でもない」
「ならばお聞きいたすが、弓はどうなるのですか」
「弓だと」
「そう。弓とて飛び道具の一つではござらぬか。鉄砲と何の代わりがあろう」
「痴れた事。弓は武士にとってたしなみでござる。弓矢を取って戦う事と、鉄砲によって討たれることはおのずから違うのです。ましてや、見えぬところから鉛の弾を浴びせて倒すなど、凡そ武士のすることではない」
すでに、五郎兵衛の論理は支離滅裂なのであるが、それを押し切ろうとするあたりにこの老武将の頑迷さが見て取れるのである。
修理亮にとって、最大の難敵がこの頑迷さであった。すでに慧眼のある武将は鉄砲の魅力に目をつけ、数をそろえたり、あるいは鉄砲鍛冶などを呼んで盛んにしているというのに、この西国の諸勢力は戦の形態が中世で止まってしまっているのである。更に言えば、いくら有能であっても、「外から来る」という嫌悪感は、まるで外来種の生き物を見ているようであり、その視線が蛇蝎の如きものになっていることも、修理亮にはなんとも名状しがたい苦痛に襲われるのである。
外様を嫌う保守的姿勢は、いわば土地柄と言ったほうがいいかもしれない。後年、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が西国攻略に手間取ったのは、毛利という古参の最大勢力と共に、信長という新興勢力に対する異常なまでの警戒感と、都に近いという地理的な優越感が、秀吉の行く末を阻んだように、修理亮の考えは、五郎兵衛にとっては歓迎できないものであっただろう。
「鉄砲の威力は端倪すべからざるものがあります。それを捨ててしまうのはおしいと思いませぬか」
「いうなれば外道の呪術に近いわ。呪い殺すようなものではないか」
(呪術とな)
さすがにこの言葉を聞き捨てておくわけにも行かず、修理亮は五郎兵衛を窘めたが、全く向こうも聞かない。
「とにかく、この三村の当主はそれがしでござれば、五郎兵衛殿のさしはさみはご遠慮願いたい」
と、きつく言ったが、五郎兵衛には効かなかったようである。
そのような事を知らぬ又次郎は、変わらず若い次世代の武将達に、技術を継承させていた。
「さすがに若いだけあって呑み込みが早いな。この分だと、次の世代はより強力な力をもつ事が出来るだろう」
又次郎は満足げに笑っていた。喜三郎も同様に思っていたようで、自然熱を帯びてくる。
そのような中にあって、修理亮は備中松山城の守将である吉田左京亮に狙いを定めた。
これは、修理亮にとって大きな賭けであった。というのも、この吉田左京亮は備中国人ではあるが、尼子氏の支援を受けていて、毛利氏の支援を受けている修理亮にとっては天を頂く事の出来ない相手であった。
無論、毛利と尼子の代理戦争という側面も見れなくはないが、あくまでこれは備中統一の為の大一番であり、その点、修理亮にとって負けられぬ戦であった。
登城の触れが出た。
無論又次郎らも向かったが、譜代の家臣たちが、又次郎らの同席を拒否したのである。この事に喜三郎は激昂し、家臣たちを大いに詰った。
「我らは殿の仰せにしたがって此処まで来たのだ。我らとて同じ三村の家臣ではありませぬか。にもかかわらず、この仕打ちはあまりのなさりよう。殿はこのことをご存知か」
「いや。我ら一同にて決めた事。外様がとやかく口出しをするものではない」
五郎兵衛ににべもなくあしらわれたが、それでも喜三郎が食い下がろうとする。それを又次郎は止めた。
「兄上」
「待て。戦の前だ。要は我々が手柄を立てればいいのだ。ぐうの音も言わさぬほどにな」
又次郎の、喜三郎を抑える腕が震えている。
備中松山城は、堅固な山城で、落とすには相当骨の折れる仕事である。
「それに、これは尼子の応援があると心得ておけ。つまり、日をかけるわけにはいかん、ということだ。それだけではない。この城を落とせば、備中統一をなすことが出来る。これは、最初で最後の好機と思え。皆、力をあわせ、粉骨砕身して勝つのだ」
修理亮の言葉に心なしか神がかったような威厳さがあった。
かくして、備中松山城攻めが始まったのである。永禄四年、桶狭間の戦いの翌年の事であった。
城代である吉田左京亮は、修理亮が攻め寄せてくる事を既に察知していて、城の防備を固めると共に主家である尼子氏に対して書状を送って、援軍を請うた。
ところが、その結果は
―― 援軍送る事能わず。
という寂しいものであった。
左京亮は、その書状を怒りの余り何度も破った。
「尼子は、我に此処で死ねというのか」
半ば絶叫に近かった。ただでさえ、単なる城代でやってきた上、軍勢は心もとなく、さらに尼子の援軍も借りれぬとなれば三村勢に至極有利である事は明白であった。
「左京亮様。かくなる上は、ここを捨てまするか」
「捨てぬ。捨てぬぞ」
家臣の言葉を否定し、左京亮は何度も言った。それは恨みの繰言のようであった。
この時期の尼子氏について少し触れておくと、この修理亮が備中松山城を攻める時にはすでに衰亡の気運になっていて、とても余裕のある状態ではなかったであろう。その最大の事件になったのが、新宮党事件である。
新宮党事件とは、尼子氏の軍事的中枢を担っていた新宮党を、当主である晴久が粛清した事件であるが、この新宮党にはかねてから謀反の噂が絶えることがなかった。故に晴久が家中統一を図るために尼子国久、誠久を始め、悉くを処断したのだが、実はこの謀反の噂を流し続けたのは毛利元就であった。
この稀代の謀将は、尼子の勢いは新宮党にあること、そしてその新宮党が専横を極めていた事を察知していた。単に殺すだけならば疑いがかかるのは必定である。そこで、同族討ちを仕向ける為に、毛利領内で捕まえた罪人に謀反をにおわす書状を持たせ、尼子領内で殺したのである。そうすることで種をまき、疑心暗鬼に駆らせ、同族を殺させようとした。
果たしてそれは成った。尼子は粛清したその瞬間から衰亡に向かっていたのである。そしてそれは、半ば虫食いのように侵食され始め、形こそ一大勢力ではあったが、それは張りぼてのようなものであった。毛利には次々と城を落とされ、最早尼子氏の声望は地に落ちていたのである。
無論、松山城に援軍を送る余裕などあるはずもなく、備中松山城は見捨てられたのである。
備中松山城は天然の要害の山城であり、攻める事は容易ではなかったが、松山城にある兵力は少なく、一月後には陥落した。
又次郎と喜三郎は、持ち前の鉄砲の腕を如何なく発揮し、大いに貢献したのは誰の目にも明らかであった。
「みな、よくやってくれた。これで、備中統一はなったぞ」
修理亮はこれを大いに喜んだ。鬨の声が大きく、臥牛山一帯にこだました。
仕置である。
仕置というのは、戦における論功行賞で、加増されたりあるいは攻め落とした城を持たせたり、または加増と役職に任じたりして家臣達の功労に応じて報いるのである。
「遠藤又次郎」
修理亮の声がかかった。
「その方には百貫の加増と共に、鉄砲方として参画するように。喜三郎は五十貫の加増とする」
賞状を見せながら、修理亮は宣言した。ところが、これに待ったをかけたのはまたしても三村五郎兵衛であった。
「殿。このたびの働きにおいて少々過分ではありませぬか。たかが一度の戦如きでそのようなお取立は、後々禍根を残す事になりまするぞ」
と五郎兵衛が言った。
「仕置は私が行うのです。黙っていただこう」
さすがに修理亮はこの五郎兵衛の言い分に呆れ果て、ぴしゃりとことわった。
又次郎は救われた思いである。喜三郎の喜びようはなく、満面の笑みであった。
備中松山城には、そのまま修理亮が入り、改修を行った。
その矢先である。
又次郎らは、三村五郎兵衛に呼び立てられた。
(何かあるに決まっている)
とすぐに分かったが、ここで断ってはどういう文句を言われるかわかったものではないため、仕方なく応じた。
五郎兵衛の屋敷はさすがに大きく、下男も数人は抱えているようであった。
下男の案内を受けて、二人は五郎兵衛の部屋に向かった。
「遠藤又次郎様、喜三郎様おこしでございます」
「うむ。通しなさい」
二人は客間に通された。
「うむ。よく来た。このたびの働きは見事であった」
「お褒めに預かり、恐悦至極」
又次郎は白々しく言った。
「しかしな、百貫の加増は譲るとして」
(ほうら、きた)
「鉄砲方として参画するのは身分違いも甚だしい。又次郎、断れ」
「な、なんと」
これには又次郎はあいた口がふさがらない。これでは、主君を蔑ろにしているのも同じではないか。
「いや、おぬしの気持ちは良く分かる。だが、おぬしがこのまま引き受けてしまえば、家中が乱れる元と成るのだ。もう少し功労を積み、しかるべき時には儂が推挙するゆえ、今一度辛抱いたせ」
「それでは殿の裁定に対して、言いがかりをつけるおつもりか」
「言いがかりではない。おぬしが諾、といってくれれば後はよいように取りはかるゆえ、どうだ。承知してくれまいか」
明らかに嘘である事は、表情をみればすぐに分かる。
(これほどの狭量の男がいたのか)
と、又次郎らは涙も出なかった。
「それほどまでに、我ら新参をお気に召さぬようですな」
「そうではない。殿の慧眼はかねてより承知しておる。だが、物事には均衡というものも要ることは分かっているであろう。このままでは譜代や一門衆が瓦解せぬとも限らぬのだ。頼む。うん、と言ってくれ」
物腰こそ柔らかであるが、明らかに恫喝であった。
「……。よろしい」
意外な言葉に喜三郎は驚いた。
「兄上」
「ただし、それには条件がある」
「条件とは」
と五郎兵衛がいい終わらぬうちに、又次郎の硬い拳が、五郎兵衛の頬に大きくめり込んだ。
「これで、おさらばだ。我らは本日ただいまをもって、逐電いたす。……喜三郎、いくぞ」
又次郎は五郎兵衛を睨みつけると、今度は足蹴にした。
二人は、屋敷に戻るととりあえずの身の回りの物と、鉄砲関連の道具を全て持ち出すと美作の加茂郡に移った。
五郎兵衛の報告を受けた修理亮は、五郎兵衛を睨みつけると、
「この戯けが!!」
と怒鳴り散らして、蹴り倒した。
「い、家親」
五郎兵衛は年若の血縁者に恐れた。
「差し出がましいまねをしおって。これで、我らの損失は計り知れぬのだぞ」
というと、五郎兵衛を下がらせた。
「これで、流浪の身に戻っただけだ」
悔しさに唇をかみ締めてうなだれる喜三郎に、又次郎はやさしく声をかけた。
「申し訳ありませぬ」
喜三郎が重々しく頭を下げるのへ、又次郎は
「いや、一度でもああして我らの事を取り立ててくだされたのだ。それには恨みはない」
又次郎はどこかほっとしていた。
「だが、ああいうところは二度と御免蒙る」
又次郎が再び牢人となって、事態は刻々と動いている。
備中統一で勢いを増した三村修理亮は、今度は美作を狙いに定めた。
美作は尼子領内である。そこへ毛利に与する三村氏がその手を伸ばすと言う事は、すでに尼子氏の力は無いに等しいものであった。
その中で、修理亮は美作三星城、後藤勝元を攻めてこれを奪取し、三村氏最大の版図を築き上げていた。
その情勢に、備前にいる浦上氏の被官、宇喜多直家はこれを脅威に感じたのである。
当時、宇喜多直家は和泉守といった。父興家は凡庸な人物であったが、直家は祖父である能家の隔世遺伝だったようで、幼少のころから智謀優れていた。祖父の敵である島村豊後守を暗殺すると、今度は自らの舅を殺し、さらに家中の実力者であった[禾最]所元常をも殺害、浦上家の中で頭角と実力を現し始めていた。
「三村めが、今度は美作か」
直家は、忌々しげにつぶやいた。
「どうなされるおつもりで」
傍にはべっていたのは、又次郎の兄、遠藤秀信であった。
「どうもこうもない。勢いは止めねばならんだろう。それも、限りなく力を使わずにな」
と、直家が言う時は必ず、暗殺を用いるという一種の符牒のようなものであった。
「しかし、三村家親といえば噂に聞こえた名うての勇将ですぞ。そう簡単に」
「あるではないか」
といって、直家は構えて、指を引いた。鉄砲ということであろう。
「おらぬか」
「……。一人おりまする」
「連れてまいれ。成った暁には、褒美をとらし、家臣に取り立てる」
「しかし、もとより野心の薄い男ゆえ、靡くかどうか分かりませぬ」
「時間をかけてゆっくりと篭絡すればよい」
無表情にいった直家の言葉に、秀信は見えぬようにいやな顔をした。
美作の加茂郡に移った又次郎らを秀信は変わらず迎えいれた。
「そのような事があったとはな。案外、三村も弱点を抱えているわけか」
秀信はそういうと、相変わらずの又次郎の鉄砲の腕に満足げに頷いている。
「どうだ。宇喜多に来ぬか」
出し抜けの言葉に二人は仰天した。
「わが主君、宇喜多直家は貪欲に人材をほしがっている。三村の時のようにはせぬ。わしがついているからな」
「いや、やはり宮仕えは性に合いませぬ」
又次郎はにべもなく断った。
「殿は、三村の家臣の如き者を持っておらぬ。浦上の主家の家臣だからな。それでもいやか」
又次郎は首を振った。喜三郎が平伏しているという事は、喜三郎も今度の一件で少々懲りたのであろう。
無為の日々を過ごしながら、五年という歳月が流れた。
又次郎の鉄砲の腕は衰えてはいなかったが、それでも時流に乗り遅れた者は、多少時代感覚が狂うものであろう。
一度誘った秀信も、誘いの言葉はかけず、ただ時折見舞って軽い世間話などをして、又次郎の心をほぐしにかかった。
始めは硬かった表情も、次第と柔らかくなっていって、時折
―― これからどう変わっていくのか。
といった談義までするようになっていった。その中で、又次郎は
「やはり、世間に出ねば分からぬ事もあるな」
といった。この言葉に、秀信は一つの確信を得た。
「どうだ。その世間を知りたいのならば、宇喜多にこい」
今度は又次郎も断る事が出来ず、宇喜多直家に拝謁する事にした。
宇喜多直家という男は、巷間聞くところでは非情な男だと言う。その策謀は主に暗殺などを用い、梟雄というような人物だと聞いている。
(どのような男か)
又次郎でなくとも、興味のわくところであった。
吉日を選んで、秀信は又次郎らを伴って、沼城に上った。
「儂が宇喜多和泉守だ。面を上げよ」
大広間で拝謁した二人は、直家を見て驚いた。
(このような男があんな恐ろしい策謀を考えるのか)
見れば、柔和で大人しい印象の男である。少々細面なのは祖父に似ているようで、色んな点で隔世遺伝しているのであろう。
「その方が遠藤又次郎か」
「は」
「仕官せぬか。その鉄砲の腕で」
「はあ」
「兄と共に仕えよ。そちには千貫与えるぞ」
千貫といえば、家老職以上の俸禄である。この豪胆さに、又次郎は目を見張った。
「ただし、条件がある」
「はあ」
「備中の国人、三村家親を殺して参れ。それが条件だ」
言うまでもなく、家親とは修理亮のことである。
(出来ぬ)
頭の中での即答であった。さすがの喜三郎も、これについてけしかけるわけにはいかなかった。
二人は与えられた屋敷で悩んでいた。よりによって大恩ある人物を射殺せ、というのである。
「確かに、三村の家には恨みがましいところもある。だが、修理亮には何の恨みもない」
「ですが兄上、このまま牢人で終わっても」
「お前は、何も同じような事を言ったな」
喜三郎は黙った。
「秀信兄は我らを気にかけてくれました。加増がどうとかもはや言いません。ですが、秀信兄の誠意にも報いては」
「……」
「兄上。これで、放り出せば、遠藤家の恥。それは秀信兄の首を絞めることになりまするぞ」
言われて、又次郎は決断した。苦渋であった事は想像に難くない。
翌日、登城した又次郎は、直家にじかに話をしようと、大広間に向かった。
「何だ、話は」
「実は、喜三郎のことでござります」
「うむ」
「もし、それがしの身に何かあった時は、喜三郎のことをよしなに願いたく」
「分かった。それについては、秀信に任せる」
そういって、直家はすぐに広間を出た。
三村修理亮の居所は、美作興禅寺という。
又次郎は、短筒を仕込んだ。夜陰に紛れ、馬を飛ばした。
寺近くに馬を潜ませ、又次郎は身を屈めたまま寺に侵入した。
(どこだ)
無闇に探し回って、見つかれば元も子もない。又次郎は、静かに潜んだまま、周りの音に耳を傾けた。
少し遠くのほうで耳慣れた声が聞こえてくる。懐かしくもあったが、すぐに顔を引き締めた。
本堂に向かう。警護の兵はそれほど多くないが、何分単身で乗りこんでいるため、無駄撃ちは避けねばならない。
本堂の裏手にまわり、隙間から伺うと、やはり修理亮であった。他に五郎兵衛と数人の家臣がいた。
(此処から狙っても良いが)
とも思ったが、おりしも二月である。北風の吹きすさぶ中を、長時間かけて狙うのは危険が大きい。
一度本堂から離れて、時間を見た。
やがて、夜の静寂が興禅寺一帯を外套のようにしてかけられた。
又次郎は、素早く火薬と弾をこめ、火受皿に火薬を仕込んで、縄に火をつけた刹那、雨がしとしとと降ってきたのである。
(くそっ)
雨覆いをかぶせて、濡れるのを防ぐと、本堂脇の木に隠れた。そこから、足音を忍ばせて近寄って、障子に穴を開ける。
すると、修理亮が舟を漕いでいた。
「南無三。……」
だーん、という火薬の爆発音とともに飛び出した弾丸は、修理亮の体を貫通した。勢いよく圧力のかかった修理亮の鮮血が噴出した。
にわかに起こった襲撃に、寺は混乱していた。
「本堂だ。本堂に向かえ」
誰の声とも分からなかったが、本堂では修理亮が倒れていた。
又次郎はつないであった馬を力の限り走らせた。
そしてそのまま、城に登った。
「直家さま。無事、仕留めました」
又次郎から表情がない。そうでもしなければ、気が狂いそうだったからである。
「そうか。よくやった。下がれ」
又次郎が下がった後、直家は
「……。誰かおる」
忍びであった。
「今一度、確かめて来い」
忍びは気配を消した。
翌朝になって、改めて又次郎は秀信に従って登城、拝謁した。
ところが、直家は
「家親の件、しとめ損ねたな」
といきなり言った。
「いえ。仕留めました」
「しかし、あの周辺は整然としておったというぞ。それに、未だ備前進出の準備を整えているというではないか」
(忍びを入れたのか)
又次郎は、己の信用の度合いの浅さを知った。無論、当然のことなのだが。そこへ、火急の使者がきた。
「何事か」
「は。三村の軍勢が備中に戻りまする。しかし、大将は馬上のまま」
という使者の報告に、又次郎は
「それは影武者だ。修理亮は影武者を置いているからな」
又次郎の言うとおりで、備中に戻った三村勢は当主修理亮家親の死を公表したのである。
又次郎は、喜三郎とともに家臣になり、俸禄を賜った。
又次郎は苦しんでいた。
「修理亮殿」
皮肉というには余りにも残酷な結末であった。それを選ばざるを得なかった己の境涯も、又次郎は恨んだ。
その後、三村氏の家督は子の元親に移ったが、内紛はおさまらず、三村氏は後滅亡する事になる。
「ほんの少しだけ風向きが変わっていれば」
又次郎はつくづくそう思うのである。心に響く雲雀の声が、又次郎に哀しく去来した。