マイナー武将 内ケ島氏理
久しぶりの更新になります。
飛騨地方、合掌造り(世界遺産)の所の領主に、内ケ島氏がありました。
戦国時代、皆が他国の領地を狙い、あるいは天下をとるためにせっせと他国を攻めている時、唯一といっていいほど戦争をしなかったのが内ケ島氏でした。
内ケ島氏は領国経営に勤しんでいたのです。
その最後の当主である内ケ島氏理も同じです。彼が戦をしたのは二回だけです。
一度目は、上杉謙信と姉小路頼綱です。普通なら負けている戦だと思いますが、実は勝っているんです。あの上杉謙信と戦って勝っているんですねぇ、すごいですね。
二度目は、富山の役、という佐々成政と豊臣秀吉の戦いで、氏理は佐々方について戦う予定でした。ところが、肝心の成政がソッコーで降伏したために秀吉配下の金森長近によって、本城である帰雲山城を取られてしまいます。
実は、帰雲山周辺は金が大変よく取れていたようで、内ケ島氏の領国経営の源泉は金だったのです。
氏理は降伏し、結果、長近の家臣になることになりました。
その和睦の祝宴前夜。
突如襲った天正大地震によって、内ケ島氏は一晩で滅亡します。当主以下全員。
そして、埋蔵金伝説がいまでも残っています。