仇討剣法
笹の葉が濡れていたのは、雨が降っていたからなのかどうか分からない。
だが、藪の中に隠れている少年の双眸には、堪えられぬほどの涙を拭うことなく、ただ一点を凝視していた。
稲光が時折、二人の男の姿を浮き出させている。
一人は、自分の父である事は分かっているが、もう一人の男は誰かは分からない。だが、顔の右半分に、大きな火傷のような痕があった事だけは、稲光のおかげで見えた。
その傷の男に父は組み伏せられていた。
「……!!」
男が、何やら叫びながら太刀を父の首筋に当てている。父の手足が必死に抵抗しているが、次第にそれは小さくなっていく。
同時に、男は圧し切った。血潮が大きな間欠泉のように吹き上げ、男の鎧といわず顔といわず塗らしていく。
大きな稲妻が、耳をつんざく。稲妻によって引き裂かれた大木が、炎の柱に変わった。
男は父の首級を掲げると、最初は微動だにしなかったが、やがて狂ったように大きく笑った。発している言葉は分からなかったが、
「相馬忠重が首、討ち取った」
という音声だけは聞き取ることができた。
「父上」
少年はその生々しい骸に、怖気づかず縋った。声は聞こえなかったが、明らかに咆哮であった。
「小僧の来るところではない。さっさと帰れ」
火傷の男は、四郎に対して、腹の奥にまで響くほどの大音声で叫んだ。
だが、四郎は父の体から抜き出した、脇差を構えた。切っ先が震え、雨の飛沫が飛び散る。
「小僧」
男は身から、本能をえぐり取られるような恐怖を発した。四郎の小さな体が彫像のように固まった。
「やめておけ」
男の声が全く別物になっていた時、すでに四郎から脇差を取り上げ、鞘に納めていた。
男は、背を向けたまま、繋いでいた馬に跨ると、ゆっくりと闊歩していった。
生気を取り戻した四郎は崩れ落ち、何度も何度も大地を叩いた。叩く度に、少年の双眸に、何かが光った。
「四郎様」
乳母の常盤に名前を呼ばれても、少年は父親の骸を見続けた。その姿は、とても五歳の少年とは思えぬほど、鬼気が全身から迸っていた。
(狐にでも憑かれたのか)
常盤は、変わっていく四郎の姿を見て、そう感じざるを得なかった。
「四郎様。ここは危のうござります。とにかく、離れましょう」
我に返った常盤は、乳飲み子を抱え、四郎の手を取った。
有無を言わさぬほど握りしめた握力に四郎は屈したが、振り返り振り返り、躯になった父、相馬忠重の果てを目に焼き付けた。
暫くすると、鴉がその躯を無残に啄み始め、わずかに残ったのは甲冑のみであった。
四郎こと相馬四郎義元、後の念阿弥慈音の剣術、つまり念流という日本の剣法の源流とも云える流派の原点はここであった。
元来、四郎少年は、花草を愛でる、内気で優しい、典型的な優等生の少年であり、その点、父の相馬忠重には似ていない。
相馬忠重は、下総相馬氏の出身で、鎌倉幕府を打倒するために立ち上がった地下の御家人、新田義貞の配下とも、盟友とも云われた人物であり、また強弓の名手としてもその名を轟かせていた。
そんな父、忠重の子供でありながら、四郎は弓をはじめとした武士としてのたしなみともいえる武芸において、全く食指を動かさなかった。
そもそも、血を見るのが大の苦手の平和主義者で、自らの、しかもごく少量の血を見ても、卒倒しかねないほど、繊細であった。
「まあ、四郎は血煙とは無縁の生活を送るだろう」
気落ちしなかった、といえば嘘になるが、忠重は、
(それでも、あたら無駄に命を散らすよりは、ましか)
武勇の誉れ高い相馬氏の出身でありながら、こういった思考をもつあたり、やはり武士の典型ではないらしい。
そんな内気な少年は、あの日を境にまったく変わった。
温和ですこし垂れ気味であった目尻がぴん、と吊り上り、丸顔がどことなく洗練され、父の忠重のように面長になっていく五歳の子供らしからぬ風貌になるにつれ、常盤は空恐ろしさを感じていた。
常盤は、忠重の身の回りの世話をしている下女であったが、忠重の妻、つまり四郎の母の頼みによって乳母になっていた。
その母も、弟を産んで間もなく亡くなっており、この常盤が母親の代わりを務めることになった。
四郎は金ヶ崎での父の死を目の当たりにした事で、仇討を仄めかす様になった。
「四郎様、これは戦なのです。命のやり取りは、さだめなのです」
この若い姉のような乳母がいくら諭しても、五歳の少年には理解できなかった。
「常盤。親の仇を討つのはいけないことなのか」
「いえ。曾我兄弟のように、親の仇を討つのは、子として道理でございます」
「では、なぜ曾我兄弟はよく、私はいけないのだ」
「戦でのやり取りは武士のさだめです。忠重様は、そのさだめに殉じたのです」
「そんな道理はあるのか。どうあっても殺されたのは同じだろう。戦かそうでないかだけの事ではないか」
「では四郎様、もしお父上が病で亡くなられたとして、四郎様は病を仇とできますか」
言われて、四郎は言い返すことができない。
「忠重様は戦という病で亡くなられたのです。そう思いなされませ」
「では、あの時、父上の首を上げたあの男は、病と申すのか」
四郎は、その幼い眼で父上の最期の瞬間を焼き付けている。さしもの常盤も言い返せなかった。
頑固なところだけは似ている。相馬武士というものは頑固者揃いなのであろうか。
「とにかく、このままでは四郎様も、この子も殺されます」
「いやだ」
「お聞きなさい」
常盤のいつにない厳しい声で、さすがの四郎も驚いた。
「忠重様の仇をお討ちになりたいのであれば、まずは生き延びましょう。生きるのです。そして、仇を討ちましょう」
「……。わかった」
母親代わりにそう言われてしまって、さすがに返す言葉が出るわけもなく、四郎は常盤に連れられ、故郷である越前金ヶ崎を後にした。
常盤のいった言葉は、言えばその場しのぎであった事は容易に想像がつくが、四郎はその言葉を疑うことなく、手を取られて、武州今宿に向かった。
今宿には、常盤の親戚がいたためである。
今宿に着いたのは、忠重が殺されてから二十日あまりが経っていた。
武州今宿は、現代でいえば埼玉県比企郡鳩山町になる。
秩父山地一帯の麓にあって、また秩父党と呼ばれる武士集団の領地であり、また木曽義仲が生まれた場所ともされている。今では、その秩父党は離散し、それぞれが別姓を名乗って、それぞれ集団を形成している。
常盤は、その中の河越一族の出であった。
この時期は、八重山吹が満開で、一面に金色の海が広がっている。
「さあ、ここが四郎様の家です」
四郎が連れられたのは、常盤の実家であった。元武士とはいえ、今では帰農している事もあって、さして広い家ではない。だが、どことなく落ち着きがあって、心休める事ができそうなところであった。
「常盤か」
振り返ると、兄夫婦が帰ってきていた。
「どうしたのだ。……その子は」
「実は、匿ってほしいのです」
「匿う。……まあ、ここではなんだから、とにかく入りなさい」
常盤と四郎、そして乳飲み子の弟の三人は、兄夫婦を頼った。
「まあ、無事でなによりだ。風の噂で聞いていたのだが、相馬忠重様が討死をなされたと聞いてな。お前の事を案じていたのだ」
「ええ。実は、忠重様が討たれた時、金ヶ崎から逃げてきたのです」
「そうだったか。……という事は、その子と抱えている乳飲み子は」
「忠重様の忘れ形見です」
「そうか。……坊主、名前は」
「四郎だ」
「四郎か。……まあ、ここへ来た以上は、安心なさい。落ち着くまでここでゆっくりすればいい」
「そうはいかない」
四郎は、毅然と撥ね退けた。
「何故だ。お父上が朝敵として討たれた以上、狙われるのは必定だぞ」
「父上の仇をとるのだ」
四郎の言葉に、兄夫婦は呆然とした。
「何、仇討ちだと」
常盤の兄は、思わず噴き出した。
「何がおかしい」
「やめておけ。返り討ちにされるのが関の山だぞ」
「父の仇を子が討たねばどうするのだ」
「それは、道理だが、しかし、お父上は戦で亡くなられたのだ。という事は、いわば武士の定めに則ったのだ。それで仇討ちをするのは違うのではないかね」
常盤の兄は、同じように四郎に諭すように話したが、四郎は頑として聞き入れない。それどころか、
「武士たるものが、親の仇を討たずしてどうするのだ。道理が引っ込む」
そう言い返されると、さすがに癪に障ったようで、
「小僧に出来るほど簡単なものではない。いい加減にせんか」
つい、声を荒立ててしまった。さすがに、兄はばつが悪そうにしていたが、四郎は全く耳を貸さず、その場を飛び出した。
「強情な子だな」
苦笑している兄に、恥ずかしそうに、常盤は、
「ああいう子ではなかったのです。少々内気なところはありましたが、優しい子だったのです」
「それが、お父上の死によって変わったという事か。……いや、心がけは立派だと思うぞ。武士たるものはああでなくてはいかん。だが、小さすぎる。大きくなっても同じように考えておれば、その時は送り出してやればいい」
「ですが、それでは。……」
「まあ、強情という事は、信念を貫き通す事でもある。あれほどであれば、決して挫けぬよ」
そういって兄夫婦は笑った。
つかの間の平穏は、常盤にとって、また四郎にとっても必要であった。
この間、四郎の弟は机に寄りかかりながらも立ち上がるほどにまで成長し、常盤にとって、また子供のいない兄夫婦にとっても、安らぎを覚えるものであった。
だが、四郎だけは、一人黙然と自ら作った木刀でもって我流の稽古をしていた。最初は誰もが、
―― すぐに音を上げるだろう。
と、踏んでいたのだが、四郎の意思の頑強さは周りの想像以上のものだったようで、常盤をはじめとした大人たちが、先に音を上げた。
この頃、四郎は七歳になっていた。
秩父の山で走り回ってつけたしなやかな筋肉は、同じ年頃のそれとは明らかに一線を画し、体格も年齢を聞けば皆驚くほどにしっかりとしたものになっていた。
「あやつは、天狗の子ではないか」
「兄上、四郎様はれっきとした武士の子です」
といいつつも、常盤は金ヶ崎でのあの違和感を思い出していた。
「それは分かっている。だが、あの大きさは何だ。いくら山で遊んでいるとはいえ、あれほどの体格になるものか」
「忠重様は、それは体の大きい方でござりましたよ」
自分の違和感に、必死に言い聞かせた。
「そういうところも父親似、というわけか。……常盤。あの子は、もしかするととんでもない男になるかもしれんぞ」
「まさか」
「いや、あり得るな。首尾よく仇を討てるかもしれん」
四郎は、懸命に木刀を振るっていた。
一つの事件が起こった。
四郎が居なくなったのである。
「山で迷ったか」
「連れ去られたのか」
常盤をはじめ、兄夫婦はもとより今宿の知り合いすべてに手伝ってもらって探し回ったが、四郎は見つからなかった。
常盤が気づいたのが、朝早いことから、夜に起こったようだ。
「ここらあたりは余所者はそれほどいるものではない。だから、すぐに目につくはずだが」
「まさか、野盗が」
常盤の推測に、兄は頭をふった。
「もし野盗ならば、四郎だけではすむまい」
「しかし、夜の稽古の折に、連れ去られたかも。……そうなれば、旦那様に合わせる顔が」
「ここで話をしてもなにもならん。常盤はここで待っていろ。……もう一度探してくる」
兄夫婦が秩父の山をもう一度探し始めた頃には、日が傾いていた。探索の終了を促していた。
「なんだ。浮浪児か」
藤沢の町辻に座り込んでいる、四郎の汚れた姿を見た時宗の坊主はそう言った。
矍鑠とした老人で、骨の上に皮を被ったように痩せこけていたが、その体格に似合わぬ大きな声だった。
「ふろうじ?」
「迷い子か、と聞いておるのだ。坊主、名前は」
「先ずは、そちらから名乗るのが筋でしょう」
「これは、手厳しいのう」
老人は大きく笑った。ところどころ歯が抜けているのがわかる。
「儂に名前はない」
「名のない人がいるものか」
「それがおるのだよ。で、坊主、名前は」
「相馬四郎だ」
「相馬。……武士の子か。こんなところで何をしておる」
「仇を探している」
「探してどうする」
「討つ」
「討ってどうするね」
問われて、四郎は詰まった。
「まあ、子供なりに考えなさい。……とはいえ、子供が一人では襲われるだろう」
「襲われぬ」
「何故だ」
「これがある」
四郎は、手作りの木刀を見せた。
「子供のおもちゃではないか」
「おもちゃではない」
「ほれ、貸してみせい」
坊主はそれを膝で折ってみせた。四郎は呆然と見つめていた。
「これでも、襲われないと言えるのか」
坊主は笑って路傍に捨てた。坊主は立ち去ろうとして、
「四郎とか言ったな。ついてこんのか」
坊主の言葉に、四郎は否応の返事はしなかったが、とぼとぼと坊主の後をついていった。
坊主の三歩後ろに、四郎がくっついている。
「四郎。お前、何処から来たのだ」
「知らん」
「知らぬ、ということはあるまい。生まれはどこだ」
四郎は、黙ってついてきている。
「親は。居らぬということはあるまい」
「親は、死んだ」
「ほう。……それは気の毒な。病か」
「母は病だが、父は殺された」
「仇とは、そういう事か。……幼いながらも、立派である事よ。だがな、四郎」
坊主は振り返り、
「仇を討って何とする」
再び、坊主が尋ねる。
「父上の恨みを晴らすのだ」
「晴らして何とする。その後は、どうするのだ」
再び尋ねられても、四郎はうなだれたまま、答えられない。
「いくら強がっても、まだ子供だ。その先まで考えられんだろう。……どうだ、お前の家とまではいかんが、一緒に帰ってやろう。
どこだ、田舎は」
「……。今宿というところだ」
「今宿。……武州の、今宿か」
「知っているのか、爺」
「儂は、この日ノ本を旅しているのだ。中には行った事がない所もあるが、今宿ならば知っておる。しかし、今宿からここまでよく出られたものだ。さしづめ、無我夢中に出てきたのであろう」
四郎は、力なく頷いた。
「まあ、怒られるのは覚悟の上だな」
坊主はまた大きく笑った。
藤沢から今宿までの旅程は大人一人ならば三日ほどであるが、子供を連れ立っていたため、思ったよりも時間がかかった。
「久方ぶりだな」
坊主は、感慨深そうにつぶやいた。
「で、四郎の家はどこだ」
四郎は、西を指差した。指した方向に小さく家が見えた。
「御免」
坊主は、四郎を前に出して、指差した家の前に立った。
ほどなくして、一人の女性が出てきた。常盤であった。
「四郎様」
坊主が何やら言っていたが、常盤は全く構わず、四郎の前に立った。仁王立ちの姿には全身から心配と怒りの空気が出ていた。
徐に、右手を上げると、目いっぱいに四郎の頬を叩いた。乾いた綺麗な音があたりに響いた。
「どこに行っておられたのです。こんなに心配させて」
「常盤」
「……。疲れたでしょう、中にお入りなさい。それと着替えなさい。用意してありますから。……上人様もわざわざ、ありがとうござりました」
「いや、偶さかこうなったのも縁だ。まあ、相当心配なさったようだな。目が赤いぞ」
常盤が顔を伏せると、坊主は笑った。
「と、とにかく中にお入りください。お疲れでしょうから」
「これは、ありがたい。では、遠慮なくさせてもらうぞ」
坊主はそのまま上がり口で足を洗うと、丁寧にふき取って上がった。
晴れていたはずの空に、重いくすんだ色が差し掛かっている。
「雨かしらね」
常盤の兄嫁がそういうと、干してあった洗濯ものを取り込んでいる。遠くに雷鳴が聞こえる。
「夏になるのかね」
雷鳴の方向に向いて、坊主はそういった。
「ええ。山吹も散りましたし、もうすぐ夏かと」
「まあ、巡るものだ。何もかも」
坊主は静かに言うと、茶を少しすすった。
「この度はとんだご迷惑をおかけしてしまって」
常盤が深々と頭を下げると、坊主は、
「それよりも、あの四郎という坊主は、なんで仇を持ったのだ。よければ、聞かせてくれないか」
そう尋ねられて、常盤は今までのあらましを語り始めた。
「なるほど、そういう事だったか。不憫ではあるが、戦で親を失う子というものは、あやつ一人ではないからな」
「はい。ですが、目の前で首を討たれる姿を見て、さらに住んでいた土地を追われ、ここにやむなく逃げてきた四郎様にとって、頭では理解出来ても、心では中々」
「その辺が、子供なのだ。いくら体が大きくなろうとも、心の成長には時間という糧がいるのだからな」
「そのことで、上人様にお願いがございます」
「なんだ」
「四郎様を預かっていただきたいのです。もちろん、無理にとはいいません」
「儂は、旅の坊主だ。それでもいいのか」
「四郎様には、色々あの目で見て、感じてほしいのです。そうすることで、四郎様の心に何かが留まってくれれば」
「くれれば、考えも変わるかもしれない、という事か」
頷く常盤に、坊主は小さく頷いた。
「わかった。四郎は預かろう。だが、好きにさせる。それでよいか」
「はい」
四郎が、再びこの今宿を出たのは翌朝であった。この時の四郎は小さな雲水になっていた。
「儂の弟子になったのだから、名前を考えねばいかんな」
「四郎では、いかんのか」
「当たり前だ。お前は儂の弟子だ。という事は、僧になったのだ。名前を変えるのは当たり前の事だ」
といって、坊主は考え込んだ。
「……下は、阿弥だから、上だな。……四郎は、強情だ。強情という事は、思う心が強いという事だ。つまり、心の念が強いという事になるな。……よし。お前は念阿弥だ。これから念阿弥と名乗れ」
念阿弥となった四郎は、上人に連れられて、藤沢に戻った。
藤沢には、時宗の本山である、清浄光寺があるからである。
藤沢に戻った二人は、まず清浄光寺に赴いた。
清浄光寺というよりも、遊行寺というのが親しまれている。
開山して、まだ三十年ほどで非常に新しい寺院である。開祖は呑海上人で、この時、呑海はすでに遊行を終えて、ここで新たな修行をしていた。
「呑海様」
「おお、安国ではないか。……その子は」
「行きがかり上、弟子でござります。名は、念阿弥とつけました」
念阿弥を一目見て、呑海は、
「坊主で終わるような子供ではあるまい」
といって、笑った。
「まあ、よかろう。得度させるのだな」
用意しなさい、といって、安国は水の張った桶と、刃物を用意した。
「大人しくするんだぞ」
念阿弥は、言われるがまま、静かに手を合わせた。すると、水で濡らした刃物で髪を切っていき、綺麗な坊主頭にしてしまった。
「これで、少しは気持ちも変わるだろう」
安国は、念阿弥の頭を撫でまわした。
「安国、どうするのだ」
「これから、京に上ろうかと思っておりまする」
「ふむ。そうか。……気を付けてな。それから、これだ」
呑海は、安国に札の束を渡した。
「賦算だ。持っていきなさい」
安国と念阿弥は、清浄光寺を後に、東海道を西に向かった。
「上人様。これは、なんですか」
「これは、賦算といって、これを家々に貼るのだ。そうする事で、仏様のご加護を得られるわけだ」
安国と念阿弥は京に上りながら、この賦算を貼っていった。
京に近い頃には、賦算はすべて使い切ってしまっていた。
この頃の京は、後に『花の御所』とよばれるような豪壮な様子はまだなく、花の御所といわれる今出川の室町邸宅が出来上がるのが、後年の永和四(一三七八)年で、念阿弥が二八の頃であるから、この時はまだ陰も形もない。それでもこの頃からすでにその空気は濃密にあった。
京に着いた時、念阿弥は十歳になっていた。安国とは三年の間、寝食を共にした事になる。
「念阿弥よ」
「はい」
「お前とは三年一緒に居たな」
「居ました」
「最初に出会ったときの答えは、出たか」
藤沢でのやり取りの事である。
「出ません。ですが、親の仇を討ちたい気持ちに変わりはありません」
あくまで、念阿弥は、親の仇を討つことが頭から離れておらず、それは念阿弥の意志の強さであり、また強情さでもあった。
「そうか。……三年居たとはいえ、まだ十歳だ。変わらぬのは当たり前か」
そういうものの、安国は落胆した様子ではない。むしろ、安心した様子であった。
「ならば、ついてこい」
安国が、念阿弥を連れてきたのは鞍馬山であった。源義経が幼少の頃を過ごしながら、剣術を初めとする武術を会得した場所でもあり、それは「天狗伝説」となって残っている場所である。
「お前は、ここに居ろ。儂は、ここでお前と別れる」
突然の離別に、念阿弥は戸惑った。
「私を見捨てるのですか」
「見捨てるのではない。お前が、仇討ちをやめて仏道に入るのならば、そのまま旅を続けるつもりであったが、あくまで仇を討つというのならば、討たせるのもよいか、と思ってな。ここは、寺でありながら山もあるし、稽古をつけるにはいいところだ。……首尾よく、本懐を遂げろよ」
安国は山を降りた。念阿弥は離別の寂寥と感謝を、涙を拭う事で振り切った。
念阿弥は鞍馬寺の住職に施しを受けながら、幼少のみぎり以来の修行に入った。山々を駆け、大木相手に打ち込み、飛び上がってはぶら下げた薪を縦横無尽にうつなど、その姿は牛若丸さながらであった。
一年ほど経った頃である。
いつもの通りに、鞍馬山に向かった念阿弥であったが、妙な視線を感じた。
(はて)
と思いながらも、そのままいつもの修行場所に向かった。
視線は、まだ外れない。
(山賊か)
と、少し頭がよぎったが、それにしては襲い掛かる気配もなければ、殺気めいたものもない、不思議な視線である。
「誰ですか」
そこにいるのは、と念阿弥は振り返った。僅かに、木の枝が揺れていた。
暫く凝視していると、ばつの悪そうに、男が現れた。
ひどく背が高く、鼻梁はまるで天狗のように高い。最も特徴があったのが、目と髪の色であった。
蒼い瞳に、真鍮を薄めたような髪色で、しかも紙のように肌が白い。明らかに京の人間ではない。むしろ、この世の者かと思うほどの異端人であった。
「……。…」
異端人は身振り手振りで何かを伝えようとするのだが、全く聞いた事のない言葉の為、理解ができない。
「スオド、スオド」
異端人は、念阿弥の木刀を見て、何度も言った。
「これは、すおどとやらではない。木刀だ」
「ノー。スオド」
どうやら、その異端人は、木刀の事をスオドと言っているようだ。
「……。貴殿は、言葉が分かるのか」
尋ねると、異端人は、親指を立てて答えた。
「分かるようだが、何者だ。ここの者ではあるまい」
言葉は通じるようで、身振り手振りで答えようとした。それを解釈すると、どうやらこの異端人は、元々は商人で、明で商売を行っていたらしい。そして、日本にその足先を向けようと、船に乗り込んだのは良かったが、その船が難破したらしい。さらに、助けを求めようと、彷徨った結果、ここにたどり着いたようだ。
「それで、いいのか」
異端人は再び親指を立てた。どうやら、正解のようである。その証左が、異端人の底抜けの笑顔であった。
この、少年の異端人の奇妙な交流の始まりは、突然であった。
鞍馬寺の住職が驚いたのも無理からぬ話で、はじめは随分と戸惑っていたが、ほどなくして打ち解けていった。言葉は中々通じにくいが、それでも存外に明るい人物である事は容易に察知でき、その事が異端人と念阿弥らを近づけることができた。それと、意外なことに、この異端人は剣術の心得があったようで、念阿弥に、教えていた。
「ノー」
「違うと申すのか」
「イエス」
身振り手振りで教える異端人の剣術は、およそ念阿弥の剣術とかけ離れたものであった。
先ず、構え方が全く違うのである。念阿弥は、両手でもって握り、真っ直ぐに切っ先を向けるのに対し、異端人は、それを肩に担いで構え、振ることなく、刺突による攻撃を見せていた。
現代でいう所の西洋剣術であるが、念阿弥は知るはずも無い。しかし、この不思議な剣術は、念阿弥の剣術に大きな影響を与えた。それまで我流の為、構えすらも無かったものが、その構えや足捌きなどといった、剣術における土台を作り上げていった。この二年は、いわば剣術の為の基礎訓練であった。そのことによって、体のつくりも大きく変わった。
膂力はもとより、足の踏み込み、腰の重心など、およそ剣客にとって必要な基礎体力はこの時期につけた。その成長ぶりに異端人は、実に満足げな笑みを浮かべた。異端人は、突如
「グラジュエション」
短く言ったが、念阿弥は何の事かさっぱり分からない。
「何なのだそれは」
異端人は、誘うように、鞍馬山を降りるように、手を差し出した。
「出て行けと申すのか」
「イエス」
この頃になると、異端人は日本語が理解できていたようだが、まだ話すまでは至っていない。
「何故だ。まだ、沢山あるのに」
「ノー。ユー」
異端人は、念阿弥を指差し、
「ベリーベリー、ストロング。アイ、キャンノット、コーチ」
教える事が何も無い、と言いたいのであろう。念阿弥はそれを察した。
「わかった。……長らく、世話になった。かたじけない」
深々と念阿弥は頭を下げると、異端人もゆっくりと頭を下げたが、まだ慣れない体であった。
鞍馬山を出た念阿弥は、まだ十三歳である。
念阿弥は、東に向かった。
別段、当てのない旅である。だが、見聞を広める意味では、当てのないほうが都合がいい。無論、稽古は怠らず、鞍馬山に入った時よりも、また体は大きくなった。
とても十三歳とは思えないほどで、上の着物を脱いで諸肌になって、汗を拭くときは、胸板は厚すぎず薄すぎず、腹には六つの均等な島が縦に三つずつ並んでいて、背中は肩甲骨と筋肉の境目がくっきり浮かんでいた。
京から南に抜け、東海道に入ると、そのまま東海道沿いに北上した。剣客でありながら、また僧侶でもある念阿弥は、剣と同時に托鉢も行っていた。
そうして、安国と出会った藤沢を過ぎ、江ノ島を越えて、鎌倉にたどり着いた。
鎌倉は、言わずと知れた源氏の本拠地であったが、この頃になると、戦での疲弊もあって、往時の姿は想像だに出来ない程であった。
念阿弥は、教恩寺に向かった。鎌倉にある時宗の寺である。運慶が彫ったとされる阿弥陀如来像は、源平合戦の折、平清盛の五男である重衡が深く信仰した事で知られる、小さいながらも名刹である。
その教恩寺に向かう途中であった。
奇妙ないでたちの男が、何やら妙な得物を振り回しているのである。
刀にしては、異様に身幅が広く、また鎬が薄い。刃の部分は鋭く、湾曲の仕方も独特で、見た事が無いものであった。
「気になるか」
少したどたどしく話しかけてきた男は、得物を鞘に収めながら近づいてきた。顔の左半分が赤くなっているが、酒のせいではないのは明らかであった。現代でいえば、赤面疱瘡であろうか。
「これは、大陸から来たものだ。そして、俺もだ」
男は自らを指差して高らかに笑った。念阿弥もつられた。
「おぬし、名前は」
「念阿弥という」
「何処に行こうとしていた」
「教恩寺だ」
栄祐は、念阿弥の体を見つめ、、さらに体の所々を触りながら、看破した。
「……。お前、剣術をやっているだろう。なに、見れば分かるさ。どうだ。やってみないか」
男は、得物をかざした。念阿弥は、恐る恐る持ってみると、案外軽い事が分かった。抜いてて、手首を基点として振り回していると、面白いように弧を描いていくのが分かる。
「筋はいいな。……よし、教えてやるから暫くここにいろ。……宗旨が違うのは些細な事だ。元は同じなのだからな。俺は栄祐という。この寿福寺で居候をしている身だ」
念阿弥は、ここでさらに三年の修行を積んだ。鞍馬での修行をあわせると、本格的な修行は都合六年と、短いものではあったが、その濃密さは、他の剣士の修行の比するところではない。
この間、念阿弥の心境に変化が出てきた。仇討ちの意思は揺るがないが、鞍馬山での異端人、そして、今の栄祐との稽古を通じて、己の剣に対する適性が見え始めたのである。
鞍馬寺での異端人との鍛錬は、いわば土台作りである。ゆえに、実際に相手と構えることは無かったが、しかし、栄祐を相手にする事で、それでは通用しない事を知った。故に、念阿弥は、先ず、相手の小さな動き、足の動き方、筋肉の動きを敏感に察知することからはじめた。そうする事で、どう立ち会うかを頭の中で組み立てて、それを実行に移す方法をとった。所謂「待ちの剣法」である。
栄祐もこれに気づいたようで、ならば、と微動だにせぬところから剣を繰り出すように工夫をした。すると、念阿弥は今度はさらに気配、という空気の微かな動き、あるいは流体の流れの少しの揺らぎを察知できるように、鋭敏な感覚を磨き上げた。
まだ十六歳の少年が達せるような領域ではない。だが、念阿弥はすでにそこに達しようとしており、それはこの六年間がいかに濃密であったかを、雄弁に語っている。
「念阿弥。もう、お前はここを離れろ」
栄祐は、突き放すように念阿弥に話した。
「何故ですか。もう少し稽古を」
「いや。これ以上は俺もついていけん。お前は、すでに俺を越したよ。これ以上やりたい、というのならば、俺がかつて修行した、筑紫に行け。そこの太宰府安楽寺というところが、俺の原点だ」
鎌倉から筑紫までは健脚な大人でも、一月半は軽くかかる。
念阿弥は、それをおよそ一月ほどで筑紫太宰府に着いた。
太宰府安楽寺天満宮は、菅原道真公を祀っている場所で、この頃になると、道真は怨霊としてではなく、学問の神として信仰を得ており、また博多から近いこともあって、隆盛していた。
念阿弥は、この安楽寺天満宮近くにある山に篭った。
異端人と栄祐からそれぞれ教わった型を体に思い出させながら、黙然と振るう。それ以外は、食事を睡眠を除いて、瞑想に入るという極めて抑制的といえる生活に入った。
とはいえ、念阿弥の場合は、人生の大半がすでに抑制的である。故にそれほどの苦痛はなく、むしろ集中できる環境は、念阿弥にとっては都合がよかった。丁度気候も秋になり、過ごしやすくなっていた。
すでに坊主頭が総髪になり、紐で無造作に結わえ、敝衣蓬髪になっていた。容貌も、少年のあどけなさはすでに消えており、その為か、近所からは、
―― 鬼がすみついている。
と噂されるようになっていた。
邂逅は突如現れた。
雷に打たれたよう、とは些か陳腐といえるが、真理は案外そのようなものかもしれない。
念阿弥は、なかば必然のように、じっくりと腰を落とした。虚空の相手を見立てて間合いを計り、割らんばかりの突きを繰り出した。刹那、力みが、木刀の切っ先から抜けていくのが分かった。
この時、念阿弥は、齢十八になっていた。太宰府に来てから二年ほど経っていた。
「むう。……」
念阿弥は唸った。切っ先を大きく伸ばしたまま、しばらくぴくり、とも動かない。
(疲れかな)
そう思ったが、どうも様子が違う。かといって疲れが無いわけではないが、どうやらそれとは違う心地よさが勝っている。
もう一度、同じように腰を落とし、虚空を相手に繰り出した。同じ感覚である。
「これかな」
捜し求めていた剣法の姿が漸く見えた事を悟るのに、さほどの時間は要しなかった。
同じように、何度もやってみる。感覚を染み込ませ、忘れさせないようにするためにである。
総髪の青年が、確信を得た。
太宰府を後にした。
七歳で藤沢を出てから、十一年の月日が流れていた。
念阿弥の体格は、僧侶のそれではなく、剣客のそれになっていた。背は六尺近くにまで大きく伸び、しかし横幅、特に腰回りは、しっかりと締まっていて、いわゆる巨漢、という部類ではおさまらない均衡の取れた体格であった。
すれ違う人が漏れなく見返した。女性は惚れ惚れと、男性は羨望の眼差しでもって。
念阿弥は、迷った。
このまま僧侶として旅を続けてもよい気持ちが芽生える一方で、やはり親を敵は討ちたい。
剣術の修行よりも、むしろこの、あくなき哲学の対立が深刻であった。
この心の対立は、太宰府を抜け、さらに堺、京に到着しても、解消できないでいる。
気づけば、鞍馬山に居た。ほんの五年前であるが、ひどく懐かしい。
あの時にいた異端人は、念阿弥が山を出た後、すぐに山を降りたようで、その後の消息はわからないらしい。
「それにしても、不思議な人ですな、貴方は」
寺の住職は変わっては居なかったが、少々皺が増えていた。
「不思議ですか」
「親の仇討ちといって、ここに来た時は、迷いがあった。だが、今は不思議と迷いが無い」
「逆ではないのですか」
「いや。あの時は、迷っていた、というよりも答えが見つからなかった、というべきかな。今は、答えが出ているのではないかね」
言われて、念阿弥は首をかしげた。
「まあ、討つならば仇を討った時に、その答えが見えるであろうよ。出てはいるが、まだ見えておらぬだけだ。さて」
といって、住職は立ち上がった。
「どこへ、行かれるのです」
「仇を討つのであるならば、たとえどういう経緯があるにせよ、不殺生戒を犯すことになる。還俗なさい」
五戒と呼ばれるものの中に「不殺生戒」というものがある。みだりに生き物を殺してはいけない、という意味である。還俗は仏教の刑罰の中でも最も重いものであるが、この時代になると、さほどの意味は持っておらず、いわば方便に近いものであった。
「しかし、それは貴方が決めなさい」
住職は短くそう言った。念阿弥は頭を下げた。
念阿弥は、金ヶ崎に戻った。
十三年の時間は、同地を著しく変貌させるのに十分であった。
無論、父の躯はそこになく、一面鬱蒼としげった竹藪だけがあった。
躯のあった場所の近くに小さい塚が盛られていて、石が積みあがっていた。
念阿弥は静かに手を合わせた。
近くに集落があるのを、念阿弥は知らなかった。小さかった為に覚えていないのか、あるいは後で出来たところなのかは分からない。
集落は小さいもので、十戸ほどの家がある他は田畑があるだけである。
「御免」
思ったよりも声が響いた。そこかしこから住民が出てきた。
「何用ですかな、御坊」
そのうちの、長老らしき老人が答えた。念阿弥の姿を見て、辛うじて分かったようだ。
「実は、伺いたいことがありまして」
「分かる事ならば、教えましょう」
「十三年ほど前の話になります。ここで、ある武将が殺されました。私は、その仇を追っているのですが、何かわかりませんか」
「十三年前。……ここはその時に逃れた者が作った集落での、詳しいことは分からんが、あの塚は、首なしの躯を弔ったものだ。御坊は、その躯の者の知り合いかね」
「その躯は、私の父上です」
「そうでしたか。……その仇はどういう人かね」
「その男は、顔に火傷を負っています」
「そのような男は見ておらぬな。……力になれず申し訳ない」
「いえ、こちらこそ父を回向してくださり、かたじけない」
念阿弥は、礼もそこそこに集落を出た。
手掛かりはもとより期待してはいなかったが、忠重を参る事が出来たのはせめてもの幸いであった。
念阿弥は、金ヶ崎を出てそのまま南に向かい、東海道に出た。
(相馬に行ってみるか)
ほんの軽い気持ちであった。
念阿弥は生まれが金ヶ崎の為、自らの故郷である相馬に行ったことがなかった。その為、相馬という土地に軽い興味が湧いたのであろう、足はすでに北に向いていた。
相馬氏の本拠である相馬郡の冬は、例年ならば暖かいはずなのだが、この年に限ってはすこぶる冷えた。
それも、まだ秋口に入って間もない頃で、この時から時折吹く風が吹雪になったのは、例がない。
念阿弥が相馬郡に着いたのは丁度その頃である。
「ここが相馬か」
念阿弥は、呟いたものの、やはり特段の感情は出てこなかった。それもそのはずで、今に至るまで、一度もこの地を踏んだことがない。
相馬郡は、馬の一大産地であり、そこかしこで馬が悠然と草を食べていたり、牧歌的な風景であった。
戦乱は一旦の落ち着きを取り戻してはいるが、やはり緊張が蜘蛛の巣のように無尽に張っているようで、京や戦乱の終わった鎌倉とは違う空気が漂っている。
その中にあって、托鉢を続けていた念阿弥であったが、野盗と思しき集団が近寄ってきた。
「坊主。なんだ、そのなりは」
一人が下卑た笑い声をあげると、数人の男がつられて笑った。
「おい。余所者がここに来るな。出ていけ」
ほかの一人が、念阿弥を足蹴にしようとした時、念阿弥は体をかわした。その男は尻もちをついた。
「なんだ、お前。やろうってのか」
凄んでみせたが、念阿弥は動じずにただ念仏を唱えている。
「おい、やろうぜ」
最初の男が声をかけ、全員が応、と声を上げた時である。
「やめねえか」
少し遠くから風を押すように聞こえてきた声に振り向いた。声の主との
距離を見れば、いかなる大音声だったかよくわかる。
「おい、ここらで好き勝手させるほど、相馬は安くねえんだ。死にたくなかったら、さっさと行け」
念阿弥は、笠越しにその声の主を見た。刹那、眉間に皺が寄った。
男の顔の右半分に、大きな火傷の痕があったのである。
(間違いない、こいつだ)
直感と確信であった。十三年前の記憶が、奔流となって甦ってきた。
「誰だ、手前は」
「小次郎さんを知らねえのか。ここらへんの者じゃねえな」
数人いた取り巻きの一人が言い放った。野盗が色めき立つ。
野盗は各々の得物を抜き放ち、小次郎の集団もそれぞれ構えた。
念阿弥は、素早くその場を離れ、近くに隠れた。
(相馬といったか)
ならば、父と同族であり、それは自らと同じ一族と同じである。父は同族に殺されたことになる。
しばらくすると、騒ぎ声が聞こえなくなった。どうやら、終わったようだ。
恐る恐る戻ってみると、野盗の姿はすでになく、相馬小次郎の集団が片づけを始めていた。
「おう。坊さん。大丈夫だったようだな」
「助けていただき、かたじけない。拙僧は」
といいかけて、念阿弥は迷った。相馬四郎の名前を名乗るべきかどうか。
「拙僧は、何だ」
「……。念阿弥と申す」
「見たところ、旅の坊主のようだが、よかったらどうだ。俺のところへ来ないか」
願ってもない事である。念阿弥はすぐに応じた。
相馬小次郎の本拠は相馬の南にあった。
勇猛で鳴る相馬氏の中でも、この小次郎の一団は殊に武勇に優れていて、村上城を本拠とし、南北朝の争乱の時には、北朝方に味方し、南朝方としばしば戦となり、戦功を挙げた。
小次郎の一団は、品性は武士のそれとは程遠いが、家族のような密着性と、小次郎を頭とする統率された集団として、他の一族の武士団
とは一線を画している。相馬一族の中には、その品性から眉を顰める者も居るが、その武勇と、村上城下での人気とで、半ば放任されている。その為か、村上城の空気は、牛越や他の城は異なっている。
村上城では、宴会が始まっていた。念阿弥を迎えた、というのは口実で、酒が好きな連中である。
「で、坊主はどこから来たんだ」
一団の一人が、頬を赤らめながら酒を持って念阿弥に近づいた。
「え、越前金ヶ崎だ」
念阿弥は、初めての酒の香にやや閉口しながら、堪えている。
「なんだ、坊主のくせにやらねえのか」
しゃっくりをおこしながら、男はにやついて念阿弥にふっかけた。
「坊主だから、やらんのだ」
「かてぇなぁ。……その様子だと、酒を知らんみたいだな。ほれ」
といって、男は念阿弥に湯呑みを持たせると、そのまま並々に注がれた。
「これは、さすがに」
「まあ、いいじゃねえか。ほれ、いけ」
男が顎でしゃくってみせる。観念して、念阿弥は一気に飲み干した。
「なんだ、いけるじゃねえか。……ほらよ」
続けて注がれるのを、念阿弥はまた飲み干した。この十八の若者が、酒の味をしめるのに、時間はかからなかった。
そうなれば、元を糺せば相馬一族でもある念阿弥は、酒も手伝ってすぐに打ち解けた、というよりも一員になっていった。
とはいえ、念阿弥は、念願の父の仇である相馬小次郎という男を忘れたわけではない。
だが、村上城になし崩しに世話になっていくにつれ、一つ気がついたことがあった。
小次郎が村上城に限らず、親父と呼ばれ、慕われていることであった。
「慕われているのだな」
念阿弥は、村上の地を眺められる丘に座っていた小次郎に話しかけた。小次郎は、照れくさそうな顔をしながらも、
「どいつもこいつも半端者だからな。俺以外に纏められるやつはいないだろう」
半ば自負であった。
「しかし、悪いものではないだろう」
「まあな。だから、ちっとやそっとじゃ死ねねえのさ。ましてや、仇なんぞ取られるわけにゃあいかねえ」
小次郎の言葉に、念阿弥は敏感に反応した。
「こんな世の中だ。そりゃ、仇の一つや二つは抱えているだろうよ。ましてや、同族まで殺したんだ。その一族が恨んでも不思議じゃねえやな」
「仮にだ」
「なんだ」
「その仇が、現れたとしたら、どうするんだ」
念阿弥の声は、いくら落ち着けても、震えが消えない。
「どうするか、か」
「どうするのだ」
「考えちゃいねえが、出てきたら四の五のは言わねえ。好きなようにやらせるさ」
「もう一つ聞きたい」
「なんだ。聞きたがる奴だな」
「そういうな。……同族を殺したのは、本当か」
「そうだ。……今でも、滅入っているよ。何かにつけて思い出している」
「何故、そうなったのだ」
「……。ま、坊主に聞かせるのも、何かの縁だ。教えてやるよ」
「仏縁だ」
「けっ。……もう何年も昔の話だ。南北朝の争乱の時、俺たち相馬一族は足利方、つまり北朝に味方していた。ところが、忠重兄だけは、新田義貞側、つまり南朝方についたのだ」
「何故、忠重とやらは南朝方についたのだ」
「もし、万が一南朝が北朝を倒すことがあった時に、忠重兄が入っていれば、相馬一族は助けられる。だが、結果は北朝だ。新田義貞が死んでからは、忠重兄も南朝方の武将として、俺たちと戦う羽目になった」
「同族であれば、助ければよいではないか」
「できなかったんだよ。一族の決は、南朝方の忠重兄を殺すことで、北朝に忠義を見せる為だった。だが、忠重兄は弓の名手だ。普通の連中ならば太刀打ちできねえ」
「そこで、小次郎が殺したのか」
「そうだ。一族を止められなかった情けなさと、忠重兄のふがいなさとで、笑うしかなかった。なくこともできなかった」
小次郎は、石ころを掴んで、投げた。
小次郎は気づかなかったが、念阿弥は驚愕していた。
「ま、それからすぐにそこを離れてこっちに来たってわけだ。……しゃべっちまったな。さて、戻るか」
小次郎は徐に立ち上がると、ゆっくりと城に戻っていった。
念阿弥の気持ちは、初めて揺らいだ。
父忠重は、まさに「戦」という病に殺されたのだ。とはいえ、小次郎にたいするわだかまりがないわけではない。
念阿弥は意を決した。小次郎のところに向かう。
「小次郎」
小次郎は、その時一人であった。ふさふさと後ろに束ねた黒い髪が動く。
「なんだ」
「仇が出たら、好きにやらせるといったな」
「ああ。……ようやくその気になったか、小僧」
小次郎は、火傷の顔を歪ませて笑った。
「分かっていたか」
「声が震えていたからな。ぴん、と来たよ。で、どうする。仇を討つか」
太刀を二振り持つと、一振りを念阿弥に渡した。
「こっちだ」
小次郎の指先は庭を指している。
小次郎が念阿弥と対決をするというと、村上城の連中がこぞって輪を作った。
「いいか。こいつは、俺が仇だそうだ。手を出すな。例え俺が負けても、手を出すんじゃねえぞ」
連中は口々に何かを言っていたが、小次郎は一喝して抑え込んだ。
「坊主。お前の名前は」
「……。相馬四郎だ」
「四郎、かかってこい」
小次郎は仁王立ちになって太刀を抜き放ち、鞘を捨てた。一方の念阿弥こと相馬四郎も、ゆっくりと抜き放ち、鞘を腰にさすと、どっしりと腰を落とし、突き出すように構えた。刹那、周りから笑い声が聞こえる。
小次郎は、じりじりと寄ると、四郎は距離を保つように下がる。
「どうした。仇だぞ。来ねえのなら、こっちから行くぞ」
小次郎は、速度を上げて、一気に突く。
四郎、それを受け流すように太刀の鎬を合わせた。甲高い擦れきれる金属音が耳をつんざいた。
小次郎、一旦引くと、今度は上段からかち割るような勢いで振り下ろした。四郎、またも鎬で合わせた。
横一閃に小次郎が薙ぎ払うや、四郎はその隙でもって首筋を狙うが、かわされた。逆に小次郎が首を狙い、一気に突きを繰り出した刹那、四郎の切っ先が小次郎の頸動脈を捉えた。小次郎の切っ先は、四郎の頬をかすめただけである。
小次郎は、鮮血を噴き出しながら、仰向けに斃れた。
四郎は、大きく何度も肩で息をした。やがて、落ち着くほどに、大きな虚無感が四郎の全身を襲った。
「これで、満足か」
誰かが言ったその言葉に、四郎は反応できない。太刀を落とした。がらり、と大きな音を立てた後、いきおいよく跳ね返った。
―― 討ってどうするね。
かつて、安国に訪ねられた質問を思い出した。
村上城は、ほどなくして取り壊され、村上城に居た連中も、散り散りになったらしい。
その事を聞いたのは、再び禅門に入り、慈恩と名前を改めてから、しばらく経った頃である。
慈恩は、その後も各地を流転した。父と仇であり同族である男を弔いながら。
その間に身に着けた剣法を、流転しながら広めた。だが、それは人を殺すためではなく、己を守るための手段として教えた。
その精神は多くの門弟に引き継がれ、様々な形で後世に残っていった。
そして、門弟たちは多くの流派を立ち上げたが、一つ共通したことがある。
流派の名前に「念」の一字を設けたことである。
慈恩はその後、さらに名前を念大和尚と改め、長福寺を建立し、剣法を広めた。だが、その後は分かっておらず、いずこへかと旅立っていった。