マイナー武将 朽木元網
織田信長の49年の生涯の中でもっとも危機であったことが、いわゆる「金ヶ崎の撤退」です。
信長が越前の浅倉義景を討つべく北陸方面に出陣したことによって、妹である市の旦那の浅井長政が裏切り、それによって挟撃されそうになった、というやつですね。元亀元(一五七〇)年の四月のことです。
これによってしんがりを務めたのが秀吉で、彼はここから飛躍します。
ですが、題名の通り、今回は秀吉ではなく、朽木元網という人物です。
言っておきますが、この人の歴史上の出番はここだけです。
元は近江国高島郡朽木谷という小さな領主の家に生まれた元網ですが、この朽木谷というところは京と若狭小浜を結ぶ鯖街道の要衝で、その地理的な要因もあって、色々と重要人物をかくまっています。
例えば、三好長慶に追われた足利義輝や細川晴元とかですね。これは朽木谷が隠れやすい、というより一時的避難所としての京との距離感が絶妙にいいのでしょう。長慶自身も将軍殺しまでやりたくなかったから、とにかく追い出せばいいや、くらいのレベルなら、朽木谷はいいポジションなんでしょう。
で、元網は織田家臣であった松永久秀の説得で、金ヶ崎から逃げてくる信長を助け、浅井勢より逃がしています。これが、信長の朽木越えというやつです。
後は歴史通り、信長はみごとリベンジを果たすわけですが、では元網は厚遇されたのでしょうか。
実はそうではなく、ある意味厚遇されたのは秀吉の時で、小田原攻めなどは参加してました。
関ヶ原の時には東軍に内応していた為に西軍を裏切って大谷吉継を攻めています。
元網が亡くなるのは寛永九年(一六三一)年で、徳川秀忠と同じ頃になります。
歴史上、元網が何か大きな手柄をたてた、とかあるいは誰かを討ち取って戦を勝利に導いた、とかそんなものはありません。ただ、逃がした相手が大きかった、というだけのことで、元網は「取り立てて」功績はありません。ですが、歴史にはこういう形で名前が残ることもあるのです。