長野主膳 2
その足掛かりは、向こうからやって来た。
紀州新宮城主の水野土佐守忠央という人物で、慶福の附家老を務めつつ、一方で姉を徳川家定に側室として送ったり、妹を大奥に入れるなどして、陪臣ながら中央政界に顔のきく存在である。
忠央は、一見すると貧乏公家のような、品は多少備えていそうではあるが、同時に少し粗野の様にも見える。
二人はとある寺で会った。密会である。情勢を考えての隠密の行動である。
「掃部頭様よりお噂の方は聞いておりました」
忠央は、存外に丁寧な口ぶりである。忠央は所謂支藩とはいえその禄高は三万五千石と、十分に大名格であるが、主膳は一家臣で、禄高は百五十石すぎない事を考えると、忠央が直弼を通じて主膳を買っていたのであろう。
「次期将軍のことでござるが、主膳殿はどうお考えか」
「一橋宰相殿は、まことに英明闊達な御仁と承っておりまする。また、それは主君掃部頭も認めておりまする」
「しかし、それでは貴殿の御主君は日の目を見ることはありますまいな」
主膳は改めて忠央に向き直った。
「されど、わが主君である常陸介様であれば、あるいは」
「紀州様も若年ながら利発な方とは聞いておりまするが、しかし、紀州様はまだ御年十三歳ほど、と聞いておりまする。一方で一橋様はすでに青年として確固たるものにしておりますれば。……」
「一橋様がよろしい、と」
忠央の言い方に少し棘があったように思えるが、主膳は黙っている。
「掃部頭様は、世に出るべき御方である、と心得ておりまする。掃部頭様の非常の才を活かせるのは、我が殿をおいてほかにござらぬ。今、御公儀の大勢は一橋様の擁立に動いているが、今、一橋様が将軍におなりあそばしても、情勢は混乱は避け得ぬかと存ずる」
「何故、土佐守様はそう思われまする」
「一橋様は確かに英邁な御方であることは疑う余地はない。だが、一橋様を推す方々は開国、攘夷の双方におられる。これはいがみ合って綱を引っ張り合うだけの関係になるであろう」
「恐れながら、それは紀州様が将軍におなりあそばしても同じ事ではござりませぬか。譜代の中でも攘夷を考えておられる方はおりましょう。そもそも、それがしは国学を修める身、攘夷に反対の念自体はありませぬ」
「その事を踏まえてもなお、我が殿が次の将軍になるべきであると考える」
忠央はその根拠を、
―― 血筋である。
といった。
血統から言うと、慶福の父である徳川斉順は、十一代将軍家斉の七男で、十二代家慶は、家斉の次男になるので兄弟となる。さらに現将軍である十三代家定は家慶の四男であるので、慶福と家定は従兄弟になる。
一方の慶喜は一橋には養子となって入っているので元は水戸徳川家の人間である。水戸家は代々将軍を輩出することを許された家ではないので、慶喜と家定は先祖が徳川家康、というだけの事の、肉感的には他人といえる。そして、八代将軍徳川吉宗以降、徳川宗家の血筋は紀州によって継がれている事を考えても、慶福にその資格が十分にある、と忠央はいう。
(血統で難局が乗りきれるものか)
主膳は腹立たしい思いであった。血統で万事解決するなら、これほど容易い事はない。難局を乗り切るのはあくまで、その有事の才であって、血統という非科学的な集団の帰属ではない。だが、忠央のいう事も一理あって、血統ほど旗頭に最適な要素も他にない。個人の才を前面に押しだせば、それに反目する者たちが出てくるであろうが、血統はその個人の才を凌駕する心理的な安堵がある。王家の血筋という属性は、どれだけ有能な個人であっても決して得られる事が出来ない、ある意味では不合理の壁といえる。
「その血統を後ろ盾にすれば、掃部頭様が世に出て、存分に振る舞われることは出来る」
その為には血統を利用すればいい、と、忠央はいう。
「その為にも、一橋様ではなく、紀州様を推せ、という事でござりましょうか」
「左様。そしてその事は、決して貴殿の役に立ちこそすれ、無駄にはならぬであろう」
忠央を様子を見るに、相応の自信があるようである。
「殿にお伝えしましょう」
「よしなに」
忠央は機嫌がよいようである。
主膳は、直弼にこの事を進言した。無論、血統を利用する、というような野暮なことは一切伏せている。
「その為には、上様を説き伏せることが必要になるな」
直弼が聞いたところでは、家定は幼少の頃から自らの顔に劣等を抱いているらしく、他の男と対等に会う事を極端に恐れ、歌橋、という乳母のみを話し相手にしている、という。それは見方を変えれば、歌橋を味方につけることで、家定の意思決定を牛耳ることが可能になる、という事でもある。
「ならば、先ずはその歌橋様に書状などを送られてはいかがでござりましょう」
「しかし、大奥に表の難題を相談して良いものか」
「将を得んと欲すればすなわちまずその馬を射よ、という喩えの通り、馬である歌橋様をお味方につけ申せば、それは成りましょう」
直弼は書状をしたため、歌橋に届けるよう手配をすると、暫くして歌橋から、
「上様がお顔を見たい、という仰せであるので、登城するように」
という返事が返ってきた。
直弼が江戸城から戻って来たのはその日の正午を少し回った頃である。
「いかがでござりましたか、上様は」
直弼は何とも言えない表情で、
「何ともおいたわしい御方であることよ」
そういったきり、そのまま口を閉ざした。それが複雑なものを差している事は主膳には分かっている。
「上様は、歌橋殿を置いて他に胸襟を開いている御方はないご様子であるのは間違いない。ただ、問題なのは、薩摩の姫だ」
薩摩の姫、とは島津斉彬が家定の正室として送りこんだ篤姫の事で、当然ながら篤姫の意志はそのまま島津の意志となり、ひいては攘夷の意見、という事になる。つまり、慶喜を次の将軍に据える、という事になる。とはいえ、篤姫を排除するわけにもいかない。
「篤姫様と上様の仲は」
「そこまでは分からん。だが、次の将軍を誰にするかでは、意見を異にしている、という事も聞く」
「殿は、まこと、一橋様をお立てになるおつもりでござりましょうか」
「あの御方なれば、御政道の立て直しは叶うやもしれぬ」
直弼は同じ事を、またも主膳に伝えた。
「だが、ご本人にその気があるかどうか、とんと分からぬ。どうにもはかりがたき御方である」
「ならば、そのような方を無理に立てて混乱を引き起こすくらいならば、素直に引き受けて下さる方に頼むほうが整理がつきましょう」
無論、主膳は慶福のことを念頭に置いている。直弼は答える。
「紀州様が、引き受ける、という請け合いはどうする」
「それがしが請け負いまする。すでに、土佐守様とつなぎはできておりまする」
直弼は別段何も言わない。恐らく、主膳のやった事をよく思っていないかもしれない。
「それがしは、京に向かいまする」
「向かってどうする」
「紀州様を次の将軍に据えるには、朝廷の言質が必要にござる」
「朝廷まで巻きこもうというつもりか」
「御意」
直弼は明らかに嫌悪を見せている。主膳はそれを見ても、
「お許し願いたい」
と、頭を下げた。
「わかった」
直弼はそういわず、ただ、
「九条を頼ればよいであろう」
とだけ言った。
主膳は京に仮寓を設けるや、瀧を呼び寄せて京での活動を始めた。その端緒として、先ず島田左近と面会した。
島田左近は、名を正辰といい、九条家の青侍、つまり九条家の財産管理行員、といった程度の地位で、どちらかというと執事や用人のようなものである。左近は、体躯ががっしりとしてえらの張った顔、と、世が世なら一廉の足軽の大将を思わせるような風貌である。
「紀州様を次の将軍に考えておられるのか」
主膳の考えを聞いた左近は、何やら一戦の差配を任されたような興奮した目つきで言った。
「左様でござる。ついては、朝廷の方にも御助力願えまいか、とこのように江戸から参りましてござる」
「その事であれば、大船に乗ったつもりでおられよ。我が主は幕府の路線について旨を同じくしておりまする」
九条家の主は、名を尚忠といい、この時点で関白である。元々は二条家の生まれであったが、兄で、九条家に養子に出ている九条輔嗣の養育を受けて、九条家を継いだ。
攘夷派が多い中で、この尚忠は公家でありながらどういうわけか国際感覚に優れていたようで、幕府が開国路線、つまり日米和親条約を結ぶ際には並み居る公家たちが反対を唱える中、唯一賛同した人物であった。ちなみに、娘の凪子は孝明帝の妃で、大正天皇の妻である節子は孫に当たる。つまり、現皇室の母系では直系の祖先という事になる。昭和天皇が曽孫である事を考えると、昭和天皇の国際感覚は、この九条尚忠の遺伝によるものかもしれない。
それはさておき。
要するに、主膳の京における後ろ盾がこれで出来上がった。左近の案内で、主膳は九条尚忠に拝謁した。尚忠は、長く伸びた顎髭が角ばった顔によく映えていて、並の公家よりも精力が強いように見えた。
主膳は尚忠より一間ほど隔てて畏まっている。尚忠は挨拶を省いて、
「井伊殿が、頼れといったのか」
だしぬけに尋ねた。
「左様でござりまする。この度の次期将軍に、紀州様を立てるために、朝廷の後ろ盾が欲しく、その為に、主君掃部頭の名代として参りましてござりまする」
「よかろう」
というようなことは言わず、尚忠は
「井伊殿の考えている事と、私の考えている事は同じである」
というような事をいった。
「では、掃部頭に御助力願えるという事で」
などと主膳はいわず、ただ深く伏した。
「だが、江戸の考えている事を分かっているのは私一人しかおらん。そして、数においてこれ以上の味方は増えぬものと心得ておくが良い」
情勢は尚忠の言う通りで、幕府の開国路線に対して賛同しているのは九条尚忠の他におらず、公家公卿の九割九分は攘夷を求めていて、何より孝明帝ご自身が外国を殊更に嫌って攘夷を望んでおられる、という。いうなれば、主膳は敵陣中に単身乗り込んで切結ぶが如き働きをしなければ、形勢を変えることは難しい、という事になる。
であったとしても、主膳はこの朝廷に対する工作を何としても成功せねばならない。主膳の奔走はこの時から坂を転がるようにして加速していく。その最大の功績が、慶喜を次期将軍に据えようと働いている一橋派が朝廷に工作を仕掛けていた、
―― 英明、年長、人望のあるが望ましい。
という、言うなれば任用資格のような一文を、尚忠が独断で削り、幕府に勅書として渡したのである。
「驚いたであろうな、掃部頭様もな」
のみならず、主膳も大いに驚いた。同じ削るにしても、尚忠が関白の権限で働きかけ、という事実上の圧力で大勢を決めるであろう、と踏んでいたからで、いうなればこの権力に恃んだ暴力を使うとは思っていなかったからである。
ともあれ、件の一文が消えてしまった事は、一橋派にとって大きな痛手になった。これによって、将軍継嗣については従来通り家定自身が決めることになった。
そんな中、直弼が大老についた。安政五(一八五八)年四月二十三日である。
「これで、成った」
主膳の密謀が成功したのである。主膳は直弼を世に出し、操舵を取らせてこの国難を切り抜けることであり、その為には一橋派はどうしても共に天を戴くことができない存在である以上、慶福を推さねばならない。その慶福が次期将軍になる事がほぼ確定した、と考えてよい。無論、何処でどうひっくり返るかは分からない。が、これをひっくり返す熱量は、一橋派には残っていない、と考えるべきであろう。
主膳は京から江戸に戻るため、島田左近に礼を述べ、尚忠にも礼を述べるため面会した。
「あれでよかろう」
尚忠はまるで修繕箇所を確認させるような軽さで言った。
「これで、大願が成りまする」
「井伊殿によしなにな」
江戸に下る主膳の足取りは飛びそうなほどに軽い。
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