雷 第二十八話
根来上総が正義派に難なく寝返った事で、俗論派が軍事的行動を起こしたのか。
と言われると、実は目立った動きをしていない。恐らく、
―― 小勢が何をやっても無駄だ。
という風潮が支配していた。恐らく、その後ろ盾になっている幕府の威光、というものも視野に入れての事だったであろう。さらに言えば、その幕府と繋がっている、という事はこの討伐軍は実は敵ではなく、味方であると考えていたのかもしれない。
それと、もう一つは下関の制海権を握っていたのも、動きを鈍らせた要因であったことは否めないであろう。
「逆に言えば、軍艦を盗れば逆転できるぞ」
高杉は目線をすでに三田尻に変えている。
三田尻は長州藩の御舟倉として栄え、また海上における要衝として重要視されてきた。
現在では、三田尻は完全にその当時の面影はなく、当時三田尻の港であった場所は埋め立てられて、その姿は見るべくもない。辛うじて地名が残っている程度である。
当時、三田尻には三隻の軍艦が入っていて、それが長州の制海権を握っていた。
高杉は、その制海権を奪う事で、優位に進め、もう一度諸隊の奮起を促すつもりであった。
だが、三田尻には御舟倉から海軍局という長州藩の直属の外郭組織に代わり、軍艦も管轄はそこになっている。そしてその海軍局は先の馬関戦争でいやというほど外国の軍制の強さを味わって再編成された、いうなれば軍人たちが海軍局を檻にしているようなところである。さらに、三田尻にある軍艦はどれも大砲を積んでいて、それをもし動かせば餌食になるのは明らかである。
その軍艦を奪取する、と高杉は意気込んでいるのである。
「決死隊だ。二十人ほどでいい」
これに、伊藤は反発した。
「高杉さん、我々は万もの軍勢を持っているわけじゃない。たかが八十人程度ですよ。そのうちの二十人でどこまで出来るんですか」
「出来るか否かではない。やらねばなんのだ。君もわかるだろう」
「ですが、これでは」
「無論、私も行く。楠君、君はどうするね」
十兵衛はちょん、と金打した。高杉は満足そうにうなずき、
「これで駄目ならば、喩え先延ばしにしても駄目さ。ここが勝負どころだよ」
「しかし、もしこれで高杉さんが死んでしまう事になれば、後はどうなるんですか」
「その時は桂もいるし、佐世もいるじゃないか。長州の人材は豊富だよ」
といいつつ、高杉には全く悲壮さというものが感じられない。
恐らく、高杉の天性の勝負師としての勘働きであろう。確固たる論拠がなくても、軍艦を奪える、という名状しがたい勝負勘を、この男は天性備えている節がある。これは生まれ持った言うなれば天賦であろう。その天賦が、
(軍艦を奪える)
と鳴らし続けているのである。
しかし、個人の勘という当てにならぬものに頼らればならぬほど、この正義のクーデタは貧弱である。伊藤は、
「ならば、私も行きます」
と覚悟を決めたが、高杉は
「君に万が一のことがあればどうするのだ。君は残っていてくれ」
「しかし、それならば高杉さんのほうが重要でしょう。むしろ、私が指揮を執りたいくらいですよ」
「いや、君はいかん。僕に万が一のことがあれば、石川と共に山縣を頼れ。そして、佐世や桂を頭に置くのだ、いいな」
高杉は突っぱねた。
決死隊の人数は十八名。
これで急襲しようというのだから、高杉の豪胆さは同時代の人物の中では群を抜いている。高杉は生まれた時代を違えていれば、全く世間から隠棲してしまってどうにもならない、隠遁者で終わってしまっていたであろう。幸い、時代が味方して、長州の英雄になるが、高杉の才は動乱の時代でこそ光るものであることは間違いない。
功山寺での挙兵、あるいはその前の奇兵隊の創設という点から考えても、高杉の才はこの時代でなければ埋もれていたであろう。
その高杉が恃む決死隊の急襲は元治二年の正月である。
ここまで長々と書いてきたが、実はこの一連の出来事はたった一年で起こっている出来事である。さらに言えば、この時期のほとんどを、長州征伐によって兵糧攻めのような状況の中で行われている出来事であった。
高杉は夜半に決死隊を率いて海軍局に押し入り、すぐに軍艦三隻(丙辰丸、庚申丸、癸亥丸)を奪取し、さらに海軍局の中にいる顔見知りを見つけては片っ端から千言万語を尽くして説得していった。伊藤の言う「雷電風雨」面目躍如である。
この電撃作戦の成功は、すぐに長州内に豪雨のように全土にいきわたった。
「これで目途が立った」
と立ち上がったのは奇兵隊を率いている山縣で、他の所謂諸隊は、皆馬関に向かった。その人数はおよそ二百程度である。それでも
「勝った」
と高杉は呟いた。伊藤は生来の精神のこまやかさを顔に出しながら、
「勝てますか、この人数で」
「勝てる。勝つのさ」
伊藤の不安を、鉈で落とすように高杉は言った。
だが、俗論派が駆逐されたわけではなく、正義派は俗論派と雌雄を決せねばならない。