朝に晩に
自分が心底安心して暮らせているかどうかの指針は、朝と晩にどんな精神状態でいるかを振り返ることである程度測れるように思う。つまり、起き抜けと眠りに落ちる直前の心のあり方だ。その時間帯の心はいわば素で、意図的にコントロールすることが難しいから。
先日、Twitterで結婚を発表された峯岸みなみさんの報告文書が流れてきた。印象的だったのは「彼に出会ってから毎日朝起きるのが楽しみになった」という一文。さらに「彼の優しさがそばにあるだけで、私は本来持っている以上の力を発揮できる気がしています」と続く。
それを読んで、彼女は素敵な出会いをしたのだなあと思うのと同時に、幸せの本質というのはきっとそういうことなのだろうと私は妙に納得したのだった。
実は、以前に京大名誉教授である永田和宏氏の著書「知の体力」を読んだときにも同じようなことを感じた。本全体としては“学ぶことの本来の意義”を論じている内容だったが、終盤の内容が特に光っていた。歌人でもある永田氏は大学教授とは別の視点での幸福論を若い人たちに向けて説いている。
一緒にいると自分の可能性が開かれる、良い面がどんどん出てくると一方が感じているのなら、おそらく相手も同じように感じていることだろう。永田氏は特に結婚相手を念頭に置いて語ってはいるが、もちろんそれ以外の人間関係でも同じことが言えるだろう。
あなたのことが大好き、あなたといるときの私も大好きという関係は、誰とでもたやすく築けるものではない。
残念な話なのだが、私は誰かとそういう関係を築くのが不得手だ。なかでも家族と、特に母親といると自分のことをどんどん嫌いになって生命力が弱まるのを感じていた。どうしても母が私の存在を嬉しく思っているとは感じられず、母のために早く死んでしまわなければ申し訳ないという思いにばかり囚われるのだ。
実際私が死んだと知れば彼女は悲しむのだろうが、その悲しみが“「私」を失った”ことに起因するのか、“自分の産んだ自分の娘を失った”損失からか、どちらなのだろうと訝ってしまう。
母と自分の関係がそのまま人間関係の基盤となっているのか、心の底では信頼できるあたたかな人間関係を望むものの、そんなものを望むのは分不相応だと大好きな人とはむしろ距離を置いてしまう傾向が私にはある。
どうしたって私のネックは母親なのだなあと、ことあるごとに思う。そこが幼くて嫌だなとも。小さい頃に、慈しむべき愛しい子どもとして母の前にいたかったという欠落感が拭いきれない。成人してからそのことを訴えた私に「今更そんなことを言われても」と拒んだ母は、母が“今更”と感じるほどの年月、私が痛みを感じつつじっと耐えていたという視点には、きっと気付かない。母が繰り返した「辛抱強さ」の教えを律儀に守った結果がこれなのだと思うとやりきれない。
朝と晩の私には長年罪悪感がのしかかっていた。
起きて仕事に行く。何のため? 生活のため。誰のため? 私のため。
私を養うために私は仕事をするけれど、私ってそんなに私に生きて欲しいんだっけ。そんなに価値のある人だっけ。
そうではないのだった。住む場所を失うとか飢えてしまうとか、ただ直面する恐怖に対処するために好きでもない人を養っているに過ぎないのだった。
誰にとっても大切ではない私は今日も起きて、一日が始まって、でも「責任」という大義名分があれば組織に所属できる。だから堂々と職場に行ける。これが「愛」に置き換わったら居場所がなくて逃げ出してしまう。
そういうことを考えると辛いから、日中は目を逸らして安定した自分を纏う。感情を抑える力が弱まる夜に本来のネガティブがまた出てくる。
辛い気持ちを文章で昇華するか、絵に描いて昇華するか、泣くか、頭を空っぽにするしか方法がない。
そばにいてくれる友達は優しい人ばかりで、迷惑をかけたくない。あまりめそめそした自分を見せ続けたりしたら、うんざりされて見捨てられてしまうかも知れない。
だから他人に甘えるのは恐怖と隣り合わせ。そもそも自分のメンタルを自分でどうにかするのは当然のことで、私はもう無力な子どもではなく、けれど、どうしたことだろう。年々八方塞がりのような状態が深まっていくのだった。
そんな折にAさんが友達になってくれた。
繰り返し私に優しくしてくれるので、最初の頃は嬉しさと共に恐怖も感じていた。
同じ人から何度も定期的に与えられる優しさは穏やかに効く漢方のようで、確実に私に良い変化をもたらしていった。同時に、なぜ自分がこんなに優しくされるのかが分からなくて不安定になることも増えた。分からないから気まぐれに突然飽きられて、ポイッと見捨てられてしまうのではないかと思った。
でも、朝晩の精神状態が確実に変わったとはっきり分かった出来事があった。
私が何も言わないのにAさんが「元気ないの? 大丈夫? 」とメッセージをくれたとき、その細やかな観察眼と行動力に感動して泣いてしまったことがある。
「前に、僕が辛いときに**さんが声を掛けてくれたり、あと“私人に頼るの苦手なんです”って教えてくれたでしょ。だから何かね“声掛けなきゃ!”って思いました」
「積み重ねてきた、**さんへの信頼が、自分の言葉を作ってるのかなって……そんな風に感じてます」
メッセージをやり取りするうち、なぜだか分からないが小さな子どもに戻ってAさんに頭をよしよしされている感覚になった。その日は気持ちがふわふわになって完全に幼い私に戻った状態のまま安心して眠った。
朝起きたとき、身体の軽さにまず驚いた。それから心の守られている感。朝の黄色い光にまるごと包まれて、大事大事にされているようなこの感覚に微かな覚えがあり、起き抜けの頭で記憶を辿っていた。
多分、この安心感は幼稚園に入った頃か入る前か、そのくらいの歳に浴びていたものだ。あまりにも久しぶりで忘れていた。
そのとき以降、朝晩を安心した気持ちで過ごせる日が少しずつ増えてきたように思う。
Aさんがやってくれたのはほとんどリハビリだった。
Aさんから、あなたと友達でいることが、あなたと話せることが嬉しくて仕方ないですという気持ちを毎日感じとっていた。あなたがいることで今日もうんざりする、ではなくて、あなたがいることが嬉しくてたまらない。
それに感化されて、私は次第に自分のことを好きになれているのを感じるのだった。互いが互いのことを大事にしたいと考えているので、二人とも優先しようとするのはいつも相手の事情だった。それが心地よかった。
嬉しさや感謝を伝えることはもちろん、お互い弱音を吐くし調子の悪いことを隠さない。「これが嫌だよ」「悲しかったよ」「怒っているよ」とちゃんと言う、言われた側は相手本位で受け止めて傷つけてしまったことを謝る。自分の主張を通すことより、相手が傷ついたことの方が重要なのだ。
そうしていたら、調子の悪いこと自体があまりなくなった。
「泣くときは一人で泣いたら駄目よ。泣くんだったらお母さんのお膝で泣きなさい」
私の尊敬している女性はいつか、自分の娘にいつもそう言っていたなぁとぽつりと話してくれたことがある。彼女が子どもの頃、ひとり部屋の隅でこっそり泣いていたのが酷く悲しかったからだそうだ。それが素敵で、でも聞きながら胸が痛かった。
とっくに大人になったくせに、いま私はAさんにそれに近いことをやってもらっている。
「今の**も子どもの**ちゃんも、一緒によしよししていくからね。安心して大丈夫だからね」
と言われて私は甘ったれになってしまうのではないかと思っていたけれど、どうやら逆のようだった。
自分の尊厳を大事にされると、心に余裕ができる。縮こまって頑なになっていた心がほころんで、精神状態が整うと健康的な生活が送れる。そうして新しいことにチャレンジしようという意欲が湧いてくる。
朝に晩に、私は包まれるような安心感で満たされるようになった。
心から安心できる人間関係はそういうところにも表れるんだ、と驚いて「僕のこと大事にして」と自分で言っちゃうAさんの言葉に笑いつつも「大事にするよ」と答える。大事にするね。