こんな物語をかきます③ (7,886字)

元カレがどうやら結婚するらしい。お相手は私よりも若くて、清楚で、噂によると料理も家事もなんでも上手いらしい。そんな元カレの熱愛報道は全国民から祝福された。なぜなら私の元カレはこの国の王子で、そのお相手はシンデレラだったからだ。


「…… みんなが王子を祝福するのは違くない? 浮気だよ? それをみんな知らんぷりってどうなってんのこの国は。」

酒が飲めない私は紅茶をアルコール飲料みたいな勢いでぐいぐい飲みながら、昼食休憩中の後輩に愚痴をぶつけた。アールグレイとレモンの香りが暴力的に鼻先から抜けていく。

「まあ連日でニュースもワイドショーもシンデレラのことばっかりですから、正直ちょっと飽きてきますねえ。」

後輩は私に返事をしながら、おかかの和えられたブロッコリーを口に運ぶ。可愛らしいピンクのちっちゃなフォークの先に咲く緑色。辺りにやさしいお出汁の香りが漂う。休憩室のテレビモニターでは関西地方の訛りが強めのキャスターが、まだ謎の多いシンデレラの生い立ちを解説していた。

「私が王子と付き合い出したときは『身分が違いすぎる!』とか『王子にはふさわしくない!』とかみんな私を散々叩いたのに、シンデレラだって別に名家の出ってわけじゃないんでしょ?」

後輩は遠い目をすると青い弁当箱の下の段のフタを開けながら、少し懐かしそうにフッと微笑んだ。

「あのときは本当に大変でしたねえ。後輩の私ですら一歩でも外に出れば、次から次へと記者さんたちの質問攻めにあってましたもん。」

フォークでつつかれた鮭のホイル焼きからふんわりと香ばしいバターの香りが放たれた。


私が王子に出逢ったのは3年前。今も当時も私は王子の専属衣装コーディネーター。みんなに言われたように決して結ばれて良い関係性ではない。もちろん私自身にも当初その気は全くなく、それ故に他愛もない冗談を言い合って笑い合う日々をすごしていた。ある日、隣国の姫と別れたという王子にはいつもの明るさがなかった。愚痴を吐いてスッキリできるのなら、とモヤモヤを引き出すためにいくつか問いかけたが、王子は絶対に別れた姫を悪く言うことはなかった。明らかに衰弱しながらも、全てを背負い込もうとする王子をなんとか笑顔にしたくて、私は持っていたありったけのエピソードトークを王子にぶつけた。たまに見せてくれる王子の笑顔に心を躍らされて、着付けが終わった後も私はひたすら喋り続けていた日もあった。またふさいだ気分がまぎれるようにと式典前には王家には斬新すぎる衣装を王子に着せて爺やに2人で並んで怒られたこともある。そのときも王子は、私のせいじゃない、自分が普段と違う格好が良いと望んだためだ、と爺やから私を背中に隠しながら庇ってくれた。柔軟剤がやさしくふんわりと香る王子の背中の大きさと温かさに、いつしか私が甘くとろけてしまったのも無理なかった。


あれから3年。公務が忙しくなる王子と、衣装屋としてそれまでの会社から独立した私とは大きく生活リズムがすれ違っていく。いつしか私が専属だったはずの王子の着付けすらも後輩たちに任せることが多くなった。でもはっきりとフラレたわけではない。言い争いも、今後の2人についての話し合いも1度もない。ただここ3カ月はテレビ画面越し以外で王子に会ったことはなかった。画面越しに見せる表情以外の王子の顔を知っているのは私だけ。そう何度も自分に言い聞かせる日々。仕事終わりに必ず立ち寄るレストランのテレビモニターから王子の声が聞こえ、若い女の子たちが妬み羨ましがる声を聞く度に、飲んでいたぶどうジュースが胸の奥に変に染みて痛かった。そんな生活の中で飛び込んできたシンデレラとの熱愛報道。まさに寝耳にゲリラ豪雨だった。


「…… 油断しすぎてたんだろうなあ、私。ねえアンタならどうしてた? アンタも何回かは着付けで王子に会ったことあるんでしょ?」

遅すぎる後悔を今さら後輩にぶつけてみる。私も後輩みたいにかわいらしくフォークで弁当を食べられる系女子だったら違う結果だっただろうか。

「王子様にお会いさせていただいたこと1回しかないですよ私。それに社長の王子様を着付けさせていただいてるときには、もちろんそういう目では見ていませんでしたし。」

後輩は答えづらそうにしながら、持っていたフォークの先を宙に漂わせる。フォークの先のタコさんウインナーまで一緒にしょんぼり困ってしまっているようだ。

「そりゃ分かってるけど、なんかこう、あるでしょうよ、こうすればこんなことにはならなかったぞーみたいな。」

もはや自分でも何を言っているのかもはや訳がわからなかったが、このごちゃごちゃとした脳内で絡み合う言葉を今は誰かにぶつけていないと精神が保てない気がする。

「そうですねえ、パッと思いつくとしたら、えぇっと、私なら王子様に料理をご用意させていただいていたかもですね。」

「り、料理?」

ふたりの間に少しの間、空白の時間が流れた。その沈黙を埋めるようにテレビから関西地方の訛りがとめどなく流れてくる。

「ほら、王子様はわりかし食にこだわりが強くあられたでしょう。以前に着付けさせていただいているときも、モーニングを用意したシェフに対して、いくつかお小言を仰っていましたし。それに昔から男性は胃袋で掴むと言いますしね。」

たしかに王子の食べることへのこだわりは強かった。料理人に対しての注文はもちろん、食べるときの景色や皿の色までこだわるほどだった。食事の前にはすべての窓を全開にして、室内も体内も外の新しい空気で満たすのがいつものルーティンだ。

「たしかにあいつ、食にはうるさかったもんねえ。でもシェフたちにすら文句言うくらいだから、慣れない私が下手に作ったら何言われるかわかんない。」

王子がシェフに文句を言っていた光景が脳裏に浮かぶ。決して声をあげて怒鳴ったりはしない。でもきっぱりと思っていることをビシッと伝えるその言葉が、ときに私にはナイフのようにキンと冷たく見えるときがあった。

「そういうもんですかねえ、好きな人が作ってくれた料理はどんなものでも美味しく感じられると思いますよ。ほら、今もシンデレラは料理をよくすると聞きますが、元から宮廷料理のレシピを知っていたとは思えませんし。」

ちょうどワイドショーではシンデレラが作っているという料理を特集していた。ぶりの照り焼きや肉じゃがといった、王宮ではあまり見かけない庶民的なラインナップが並んでいた。しかしコメンテーターたちは落ち着く味だなんだと言って高く評価をしていた。私が料理なんて最後にしたのはいつだろう。そんな曇った表情を読み取るように後輩はフォークをウインナーにぶすりと突き刺しながら話し続けた。

「そうですよ社長、社長も料理をしてみませんか?」

「料理? わ、私が?」

思いがけない提案が耳から脳を経由して私ののどに刺さって、思わず声が上ずる。

「ほら、昔はよく着付ける前のランチを王子様とご一緒に召し上がられていたでしょう? あのランチの料理を社長が作ってみるのです。」

たしかに昼食後にイベントがあるときには衣装を汚さないようにするためにランチを先に済ませてしまってから着付ける、ということが度々あった。これまで爺やのはからいでこっそり私も王子と一緒に昼食をとらせてもらえたことが何度かある。でも、

「もう王子は私から離れていった男よ。それを取り返しに行くみたいなのはみっともないわ。」

爺やだってシンデレラがいる今、私が急に王子と一緒にランチをしたいなんて言い出したらひどく困惑するに違いない。それにランチを一緒に、と私が提案して王子自身に断られる可能性が全然あることに胸をぐりぐりと締め付けられた。

「私ですら悔しいんです。いろいろ世間から言われながらもこれまで懸命に関係を保ってきたのに。急に誰とも知らないぽっと出の女に全部すっかり奪われて。」

「そりゃ、それはそうだけど、」

後輩の語気と表情はどんどんエネルギーに満ち溢れていく。フォークに串刺しにされていたタコさんウインナーも気のせいかシャンとし始めたように見えてくる。

「奪い返すまでいかなくても、せめて社長のほうが胃袋を掴んだら、料理を食べて思い出す度に王子様を後悔させられることができたのなら、」

後輩のこの熱量は昔から私の活力でもあった。ときには注文ばかりのクライアントに手をあげてしまうんじゃないかと心配させるほど、全力でエネルギッシュに物事と向き合ってくれる。真っ直ぐで誰が相手だろうとこうと決めたら周囲をなぎ倒しながら突き進む性格。だから私が独立しようと決めたとき、真っ先にこの子に声をかけたのだ。

「あ、ありがとう、でもそんなにうまくいくかしら?」

「それなら大丈夫です、私に任せてください。」

後輩は大きく胸を張る。私が大好きでいつも頼もしかったその威勢が、今日は私の胸をグサリと刺す。胃から鉄分の香りが込み上げてくる。気を落ち着かせようと口をつけた紅茶はいつの間にか冷えきっていた。

「ぐ、具体的にはどう考えてるの?」

「社長、今後から王子様の着付けのシフトを全部私に入れてくれませんか? 王子様の好みとか、あとなかなか言えていない抱えていらっしゃることがあれば着付けながら伺ってきます。それが終わった晩には社長は私と一緒に料理を練習しましょうね。」

「相変わらず脳内で段取りを組み立てるのが早いわね、昔っからアンタは。」

あまりの勢いに私は青い弁当箱の中で残っているタコさんウインナーたちに助けを求めて困惑の目線を投げかけた。胡椒をまとった彼らも油をキラキラさせて輝き出していたから、私は思わず深くため息をつく。

「王子様に社長の料理を食べていただく日はそうですねえ、おふたりがお付き合いを始められた10月13日なんてどうでしょう? 今日から数えて、あとちょうど1ヶ月後ですね。」

「アンタ、その日をよく覚えてたわね。」

「忘れるわけないですよ。社長についてきて会社も人生も変えてるくらいですから。私のことを舐めないでくださいね。」

私はやっぱりこの後輩を自分のそばに置いておいて正解だったと思う。くじけそうなときの私の大切な心のカンフル剤。なかなか踏ん張りきれない私の背中をいつも押してくれる存在。正直、まだ納得も理解もできていない気持ちはたくさんあるけれど、これまでの後輩の育成方針に従って、やれるとこまではやらせてみようか。最悪、当日は体調不良か何かで理由をつけて逃げて、、それはまた今度のときにでも考えよう。いつの間にかタコさんウインナーたちは後輩のお腹の中でカロリーに変わっていた。開けっ放しな窓の外では黄金色のキンモクセイが真っ青な空から吹く秋の風にゆらゆらと香りを振り撒いていた。


ある晩、私はレストランには寄らず、スーパーで食材を買ってハンバーグを作った。着付け終わりの後輩がナツメグを多めに入れると甘みと風味がよく出るのだ、と教えてくれていた。しかし出来上がった味はどこかもの足らず、私は思わず眉間を掻く。気分を変えようとオレンジジュースを勢いよく飲み干した。口いっぱいの酸味の中に隠れていたまろやかな甘みが胃の中に流れ込む。ふと、私のために全力で提案をしてくれる可愛らしい後輩の顔を思い返した。昔も2人でよく声が枯れるほど言いあいながら夜遅くまで新しい衣装を作ったものだ。その時間はどれだけ夜が更けて身体がバッキバキになっても、他にはかえがたい楽しい時間だった。明け方に帰り路で食べる煮詰められた牛丼の出汁の匂いはどんな宮廷料理よりも香り高く、廉価格に見合わず美味しかった。後輩との料理の特訓が始まるのは来週の木曜から。私は夜風になびく窓際のカレンダーを押さえながら、次の木曜日に赤ペンでぐるぐると丸をした。


しかしながらその木曜日に後輩と会ったのは台所でも調理場でもなく、薄灰色のコンクリートに囲まれた格子越しだった。


「…… アンタ、なんで王子のこと刺したのよ。」

白と黒の縞模様の服を着た後輩に問う。後輩はうつむきながら私には目を合わせず、ふんっと鼻で笑った。

「私こそが王子様を守ってさしあげたかったんです。」

灰色の部屋はどこかカビっぽい匂いが漂い、ひんやりとした木製の椅子は私の体温をひたひたと奪っていく。

「何よそれ、意味がわかんない。」

「あの人、私になんて言ったと思います?」

「王子が?」

格子窓から差し込む陽の光は部屋に漂うほこりたちを浮かび上がらせる。後輩は顔をゆっくり上げると、私の目を真っ直ぐ見つめるとはっきり聞こえる声で答えた。

「アナタと僕とは前世でつながっていたんだねって。」

私の目の奥がカッと熱くなったのはその王子の言葉に聞き覚えがあったからだ。しかし私の記憶の中にあるそれは自分に向けられた言葉のはずだった。カッカと内側から体温が上がっていくのを感じる。

「なにそれ。」

「私と王子様、前世ではずっと一緒にいたんですって。ほらお互いに左手の甲にほくろがある。それに2人ともAB型のおひつじ座で。あと王子様は左目だけが二重で、私は右目が、」

「アンタ正気なの?」

次々と語りだす後輩の目からは大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。何の感情なのか分からない涙が次々と垂れて、白黒の服に水玉模様をつけていく。

「私だって最初は駄目だって、王子様は何をおっしゃるんだって思いましたよ。でも公務に勤しむお姿とか、お父上さまを陰ながら支えるお姿とか、それでいて周りにはすごく明るく振る舞われるお姿とか。でも何度か着付けさせていただいているときに王子様の過去の話を聞かせていただいたんです。早くにお母さまを亡くされて、そんな中でもずっと朝早くから晩までひとり、帝王学を教え込まれて。王子様にはお兄様もお姉様もお友達もいらっしゃらなかったから、誰にもいつでも甘える暇を与えられていらっしゃらなかった。王子様のそのようなお話を何度も伺っているうちに同じひとりの人間としてほっておけなくて、」

「だったら、放っとけない存在をなんで刺したのよ。」

「でも夜になったら、そんな王子様はシンデレラのところに帰られるんだなあって。公務で疲れ切っても、帰ってまだあの女に宮廷のこととかいろいろ教えて、また寝不足にもなられて。あの王子様のあたたかい温もりを、ちょっと顔が良いだけの女が感じていることが、いつしか私の感情も脳内も真っ赤に染めちゃうんです。でも王子様は翌日になったらまた疲れなんて何もないかのように私たちに笑いかけたりして、たくさん冗談を言って笑わせてくださって。」

「それは、」

悔しくも後輩の言うことが分からないではない。王子はズルいくらい愚直すぎるのだ。そんな姿を見過ごせなくなってしまう、思わず抱き寄せたくなるあのときの感情は私が1番よく知っていた。寒さで冷えた鼻先にツンとした痛みが走る。

「あの新しい女じゃ、王子様を守れる余裕なんてきっとない。あんなのに守れるのなら、着付けるときに王子様はあんなくたびれたような表情はお見せになったりしない。それでも王子様は夜になる度にいつもあの女のところへ帰られてしまう。ならいっそのこと、私が王子様が最期にお会いになられた、王子様が最期に笑顔にしていただいた女になってやろうかなって。頭でそう思いついちゃったら、もう私の身体が言うこと聞いてくれなくて。」

後輩にかける言葉が見つからず、目を落とすと私の左手首にある痣が目に留まる。小さい頃にヤケドしてできた痣。王子の左手首にも似たような痣があり、付き合っていた当時はよく重ね合わせて、2人は運命だったんだねなんて笑い合っていた。後輩のこと、王子のこと、自分のこと。後輩との日々、王子との思い出、スーパーで食材を選んでいたときの高揚感。なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。もうわけがわからなくて、身体の奥底からせり上がってくる苦々しい匂いを感じる。

「社長、私ね社長が作ったハンバーグが食べたいです。」

後輩は涙をぼとぼと落としながら、真っ赤な目で真っ直ぐ私を見た。大きく泣き崩れてしまわないところがこの子の最後の強さなのだろう。

「ハンバーグ? 何言ってんのよ、まだうまく作れない。アンタが教えてくれてないから。」

「それでも良いんです。私はナツメグたっぷりのハンバーグが食べたい。」

後輩はこれまで1度も涙をぬぐうことをしていない。昔からそうだ。私にきつく怒られたときも、コンテストに選ばれなかったときも、泣くのを自分で認めていないかのように真っ直ぐ相手の目を見てくる子だった。

「まだナツメグが足りないのかしらね? あれって入れるだけおいしいものなの?」

後輩のそらされることのない視線にやや圧倒されながら、この前に作ったハンバーグの味を思い出す。感情と思い出がぐっちゃぐちゃになった私の脳内で、同じ男の虜になってしまった後輩と料理の特訓を、夜な夜なしてみたかったなあ、なんてどこか他人事みたいに思っていた。

「社長、味見しました?」

「したわよ、でも美味しくなかったの。」

後輩が言うような甘みはあった気もするが、味にどこか深みというか、旨みがまるで足りなかった。でもどうして良いかが私には分からない。よく分からないがそれっぽい香ばしいスパイスの香りだけは強めに漂っていた。

「味見してるのなら、まだナツメグが足りないです。」

「どういうこと?」

「ナツメグをいっぱい摂りすぎるとふわふわと幻覚を見られて、眠るように逝けるんですよ。だからナツメグがたっぷり入ったハンバーグを私にも食べさせて欲しいんです。」

後輩は立てた中指を自分のこめかみに突き当て、舌を出しながら私を見下ろした。急に目の前がチカチカして、正しい呼吸の仕方が分からなくなる。歪んでいく視界で捉えた後輩の目線が私の心臓を鷲掴みにし、胸の奥の何か大切だったものをぐっちゃりと握りつぶした。


「…… ねぇ、おばさん、リンゴをひとつちょうだい!」

無邪気な目をした少女が私を見上げる。昨晩から降り積もった雪の中を駆け回っていたのか、真っ赤なほっぺたに挟まれた小さな口から白い息が小気味よく漏れている。私はリンゴが3つ入った木編みのカゴを手で蓋をするように押さえて首を振った。

「これは他の人にあげるための大切なリンゴなの。残念だけどお嬢ちゃんにはあげられないわ。」

「ケチ。リンゴ食べたい。」

女の子は真っ赤な頬を膨らませてぷりぷりと怒った。ため息をついた反動で息を吸うと、雪に冷やされた空気が心地よく私の肺の中をひんやりと撫でる。

「リンゴなんて珍しくないでしょう? お家に帰ったらいくらでもあるでしょうに。」

「だっておばさん、さっきそこでさっきリンゴにお注射してたでしょ? それ見たら、いつもと違うお味のリンゴなんだろうなあって。あたいも食べてみたいなあって。」

「ううん、お嬢ちゃん。私がリンゴに入れてたのはね、美味しくするためじゃなくて、これを食べた人がふわふわ気持ち良くなって、ぐっすりよく眠れるようにするためだよ。お嬢ちゃん、遊んでいる途中でしょ? まだまだお寝んねするには早い時間だからあっちでもっと遊んでおいで。」

少女は納得できないといったようなしかめっ面のまま、素直にまた原っぱに駆け出していく。未来のある子たちのはしゃぎ声が真っ白い雪が積もった丘の向こう側でぽっぽっと咲いた。


私は深く息を吸って冬のひんやりとした空気を内臓に満たしたあと、その丘とは反対側に歩き出す。王子の新しい彼女にこの真っ赤に熟れたおいしいおいしいリンゴを渡しに行くために。

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