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たったひとりのスピーカー製造メーカー 理想の音を追い求めて マール・サウンドシステムズ 斉藤マールさん

コンサートや舞台で欠かせない機材のひとつ「スピーカー」。そのスピーカーをなんとたった1人で製造している方がいると聞きつけ、福井県越前市を訪れました。マール・サウンドシステムズの斉藤マールさんは、コンサートやイベントのPAエンジニア*として活動しながら、スピーカーの製造を行なっています。

マール・サウンドシステムズ製スピーカー

*PA:Public Addressを略したもので、マイクやアンプ、ミキサー、スピーカーなどの音響設備のことを指します。PAを用いて音の調節や増幅を行う技術者を「PAエンジニア」といいますが、コンサートなどの現場ではエンジニアのことを「PA」と呼ぶこともあります。本記事では、全て「PA」と統一して記載いたします。(参考資料

斉藤マール 本名:齊藤裕樹
福井県越前市生まれ。学生時代にバンド活動に熱中したことがきっかけで、「音響」の仕事に興味を持つ。10代の頃からプロのもとでPAや舞台の裏方の仕事を学び、一度音響の世界から離れるものの、33歳の時に再び音響の世界に戻る。その後、自分の理想とするスピーカーを求め、自身でもスピーカーを製造するようになる。現在、有限会社マール・サウンドシステムズとして、スピーカー製造とPA業務、二足のわらじで活動中。

一般的に、PAが使うスピーカーは、スピーカー製造会社が製造しており、スピーカーを「作る人」と「使う人」が異なります。しかし、斉藤さんはどちらもご自身で行っており、“自分で製造したスピーカーを、PAとしてコンサートやイベントで使っている”という珍しい存在です。今回はスピーカーを製造している斉藤さんのご自宅のガレージでお話を伺いました。

バンド活動を通して知った「音楽を支える側」の存在

ーー「マール」という名前はどこから取っているのでしょうか?

妻がエステティックサロンを開業する時に「マール」という名前を付けていて、僕もそこから名前をもらいました。会社を「マール・サウンドシステムズ」という名前にしたら、仕事現場で会う方々から「マールちゃん」と呼んでもらえるようになってきたので、仕事上の名前も「斉藤マール」にしています。

ーーそうだったのですね。では、マールさんと呼ばせていただきます。音楽・音にまつわるお仕事をされているマールさんですが、昔から音楽はお好きだったのですか?

そうですね。中学生の時に、4、5歳年上のお兄さんたちと仲良くなり、ギターを教わりました。当時はフォークソングブームで、フォークデュオ「風」の『22才の別れ』がヒットしていた頃で、フォークソングを聴きながらギターの練習をしていました。

ーー最初のきっかけはギターだったのですね。バンドを組んだり、人前で演奏したりはしましたか?

高校生になってから友達とバンドを組みました。高校生になると世間はロックブームで、僕もフォークギターをエレキギターに持ち替えてバンドの練習をしていたんですが、なかなか上手くならなかったんです。やっているとある程度は上手くなりますが、その先に行けないというか。「音楽は大好きだけど、演奏する側じゃなくて、支える側なのかな。」と思い始めたのはこの頃です。

ーー高校生で、「音楽を支える側の仕事」を知っているというのは、結構珍しいのではないかと思うのですが、知るきっかけがあったのですか?

バンド活動を通じて音楽関係の大人たちとのツテができ、裏方の仕事があることを知りました。PAをしている人の仕事場に遊びに行くところから始まり、徐々に教えてもらいながら手伝うようになりました。仕事を覚えてからは、土日だけバイトさせてもらっていました。

ーー高校生のうちから音響の仕事に馴染みがあったのですね。当時、マールさんの友達や仲間の中で、同じくPAに興味を持った人はいましたか?

他の人はあまり興味を持っていなかったように感じます。そんな中でも、僕は徐々にバンド活動するよりも、PAの仕事に夢中になっていきましたね。高校3年生になる頃には、「将来はこの道しかないな」と思っていたくらいです。

一度は離れた音響の世界に、再び戻る

ーー高校卒業後はどのような道を進まれましたか?

東京にある専門学校の音響芸術学科に進学しました。専門学校に入学してすぐにPAのバイトを始め、“演奏側も音響側もプロ”という現場で鍛えられました。

ーー専門学校卒業後は、東京で就職されたのですか?

そういう考えもあったんですが、卒業後は福井に戻りました。地元の文化会館で技術スタッフとして、舞台やイベント、コンサートなどのステージや演出にまつわることをあれこれしていました。

ーー文化会館というと、結構色々なジャンルのステージがあるのではないかと思います。具体的にはどんなお仕事をされていたのでしょうか?

歌手やバンドのコンサートツアーはもちろんのこと、日本舞踊や歌舞伎などのステージもお手伝いしました。おかげで音響屋としてだけではなく、舞台全般のことを学ぶことができました。でも当時はものすごく忙しくて、休みが取れなかったんです。2年くらいは頑張ったんですが、ここで一度音響の世界から離れる決断をしました。

ーー音響の世界から離れ、どんなことをされていたのですか?

広告代理店に転職しました。営業として働いていて、「音響の世界には戻るまい」と思っていたんですが、営業の仕事の中で、音響や舞台の経験が活きることが度々ありました。そんな時、越前市に「いまだて芸術館」というホールができたんです。そこが、ボランティアスタッフを募集していて・・・。どうしてもやってみたくなり応募して、手伝うことになったんですよね。絶対戻らないと思っていたのに、結局音響や舞台の世界に戻ってきてしまったんです。

ーー音響の仕事への気持ちは、心のどこかにずっとあったのですね。

運命のようなものを感じましたね。本業かどうかは別として、やっぱり音響の仕事が好きだし、この道に触れずに生きていくことはできないんだろうなと。ボランティアや手伝いから音響の仕事を再開し、徐々に仕事依頼が増えてきて、33歳頃に音響の仕事一本でやっていくことを決めました。

音響・PAの世界 

ーーPAの仕事やスピーカーというと、ホールやライブハウスなどに設置されている大きくて黒いスピーカーが思い浮かぶのですが、基本的にはその施設の設備として設置されているものなのですか?

施設によります。全体から見ると少ない数ですが、大きなライブハウスやホールには、一台数千万円もする世界的にトップクラスのスピーカーが設置されています。それ以外の施設だと、バレエや日本舞踊などそこまで大音量が必要ないステージの場合は、会館に設置されているスピーカーを使うこともありますし、大音量が必要な場合は持ち込むこともあります。ステージや演者によって、スピーカーの使い分けやサイズを考えています。

ーープロのみなさんが使うスピーカーはどんなものなのでしょうか?

基本的にプロのPAが使うスピーカーは海外製で、アメリカ、フランス、ドイツのメーカーが多いです。少し前までは、各メーカーで、音の大きさや音質などにおいて得意不得意があったのですが、今はどのメーカーも何でもできるオールマイティなスピーカーが主流です。日本でもスピーカーを作っている会社は数社ありますが、どちらかというと、安価で手の届きやすいスピーカーを作っている会社が多いです。日本製、海外製、それぞれ製品の方向性が違うので、競合になるという感じではないですね。

ーースピーカーの違いは、音でわかるものですか?

これが、実はあまりわからないんです。聴き比べたり、横で私が説明したりすればわかるかもしれないのですが、ほとんど一緒に聴こえると思います。

PAさんが使うミキサー

ーーイベントなどでは、いくつかスピーカーが設置されていることが多いと思うのですが、それぞれに役目があるのでしょうか?

オールマイティに対応するスピーカーもあれば、低音・高音などで“得意な音”があるスピーカーもあります。PAの仕事は、ボーカル、ギター、ベース、ドラムなど、鳴っている様々な音を一度合わせて、ミキサーという機械を使って出力しています。ただ、そのまま出力するのではなく、響き方や聴こえ方を考えて、それぞれ適切にスピーカーから出力しています。やっていることはミキサーの操作ですが、人にどう聴こえるか、どう音を届けるかという話になるので、音声認識や音の知識が必要です。

PAと製造が一緒だからこそできる 繊細なものづくり

ーーマールさんがPAだけでなく、スピーカー製造もやってみようと思った理由が知りたいです。

PAとしてやっていくと腹を括って本気でやっていくうちに、「そんなに良いスピーカーってないんだよなぁ」と思い始めました。安いスピーカーを大量生産するという大手の方向性や、すごく高価な海外の大手メーカーのスピーカーなど色々な状況や製品を見た結果、自分で作ることはできないだろうかという思いに至り、作り始めました。

ーースピーカーの素材について教えてください。内部は木製ですよね?

内部だけではなく、スピーカーそのものが木製ですよ。

ーーえ!この表面も木なのですか?

そうです。主に弊社では、ロシア、フィンランド、ラトビア産の「バーチ」という木の合板を使っています。日本の白樺に近いですが、全く同じ種類ではないです。バーチ材は寒い地域で育てる北方材なので、成長が遅い分、木目の密度が高く、硬くて丈夫なんです。

バーチ材
このように木材を組み合わせてスピーカーの形を作っています

ーー木材にもこだわっているのですね。

バーチ材は、ベニヤ板と比べると高価ですが、傷が付きにくく丈夫なので使っています。でも、バーチだけだと、響きは良いんだけどもうひとひねりほしくなるんですよね。ですので、弊社では特殊なMDF材も組み合わせて使っています。MDF材とは木材チップに合成樹脂を加えて成形した板で、これも強度が高い素材です。

ーー「もうひとひねり」とは具体的にどんなことでしょうか?

上手く説明できませんが、音色を変えるということに近いです。楽器って、その楽器の素材の音がするんですよ。何種類かの木材を組み合わせることで、楽器の理想の音に近付くように工夫しています。

ーーその工夫はマールさんご自身で試行錯誤されたのですか?

そうです。組み立てて音を流して聞いて・・・を何度も繰り返した結果、バーチとMDFのハイブリッドが現時点では最も良いと考えています。

小さくて良質なスピーカーの需要はきっとある

マール・サウンドシステムズのエンブレム

ーーマールさんの作るスピーカーの特徴や、こだわりを教えてください。

特徴は、良質で小型のスピーカーを作っていることです。海外の大手メーカーはサイズの大きなスピーカー製造に力を入れていますが、小さいスピーカーが必要な場面ってきっとあるはずなんです。例えば、広場の一角で演奏をする時に、近くにいる人たちにはちゃんと音を届けたいけど、遠くまで音を届ける必要はないという場面です。

更に、大手メーカーほど価格が高くないという点もポイントです。材料や部品に大きな違いはなくても、海外製と私が作るものとではコストが全く違います。材料の価格高騰は問題ではありますが、現時点では海外製の半額以下でご提供できています。その分時間はかかるので、お客様は納期に余裕がある方に限られちゃいますけどね。

黒い塗料で塗装をしています

ーースピーカー製造とPAを両立されている方は、かなり珍しいですよね。

そうですね。両方をしている人はほとんどいないと思います。スピーカー製造とPAの仕事は、同じスピーカー・音響にまつわる仕事ですが、接点はなく、お互いの思いや考えを伝え合う場面がありません。その点弊社は、作るのも使うのも私なので、細かい部分の微調整ができます。

ーー「細かい部分の微調整」とは、具体的にはどんな調整をされているのですか?

以前、新しくスピーカーを作って実際に現場で使った時に、屋内の会場だと良いけど、屋外では音が若干こもって聴こえたことがありました。普通はPAがそう感じたとしても、スピーカーを改造するわけにはいきませんが、私はスピーカーそのものをいじることができます。その時は、空気抜きの穴をちょっと広げてみたら理想的な音になりました。このような微調整を繰り返して、「これなら大丈夫」と確信が持てるようになってから、製品として世に出しています。

ーースピーカーの細かい調整はどのくらいの時間がかかりますか?

基本的には1ヶ月くらいでしょうか。今作っている製品はもう3回くらい手直しをしているんですが、手直しするたびに気になるところが変わっていき、この先どう手を加えようか考えているところです。

ーー現場での使用感や課題が、そのまま製造に活かされるというのは、マールさんだからこそできるスタイルですね。

そうですね。でも、その分コストはかかります。図面通りに作って終わりではなく、時にはご提案をさせていただくこともあるので、時間がかかります。でも、リピートしてもらうために、少し苦しくても踏ん張りどころかなと思っています。

ーー仕事をしていて、嬉しいと感じる瞬間を教えてください。

スピーカー製造の仕事、PAとしてステージを支える仕事、どちらの立場でも、演奏者やお客様から「今日の音、なんかすごく気持ちよかったわ!」と言われるのが一番嬉しいです。そのために、音作りだけではなく、気持ちの良い環境や空間を作ることにこだわっています。

ーー気持ちの良い環境や空間にするために工夫していることはありますか?

極論、音が良いだけでもダメなんですよね。PAも、一緒にステージを作っているという気持ちでやっているので、演奏側が気持ちよく演奏できるようなコミュニケーション、雰囲気作りを大事にしています。はじめましてのバンドさんでも、“「演奏してて気持ちよかった!」と言わせてやるぜっ”て、ずっと思っています。

ーー最後に、今後の目標や夢を教えてください。

製品ラインナップからの注文だけではなく、細かいオーダーを受けてスピーカーを作ることも増えてきました。1人でやっているので、時間がかかってしまうこともありますが、とにかく自分の理想とする良いものを作り続けていきたいと思っています。

マール・サウンドシステムズ
所在地 福井県越前市帆山町5-8-5
代表 齊藤裕樹
会社HP  マール・サウンドシステムズ

あとがき

スピーカーに限らず、ものづくりの世界では機器や製品を作る側と使う側が異なるケースが多いと思います。ついつい「ここがこうならもっと使いやすかったのになぁ」と言ってしまいそうになることもありますが、マールさんは「だったら自分で作ってしまおう」と、ものづくりの世界に入った方です。PAとスピーカー製造、どちらもご自身で行うからこそできる音作りの世界があるのだと感じました。

取材の後、「福井に来たら食べておかなくちゃ!」と越前市内にある吉田食堂さんをご紹介いただき、編集部、マールさん、帰省中だったマールさんの娘さんと昼食を食べに行きました。昔ながらの中華そばがいただける吉田食堂さんの名物は、なんとソフトクリーム!

ソフトクリームは左の状態で提供され、箸を使って割って食べるのです。周りを見ると食後のデザートとしてソフトクリームを食べていらっしゃる方が多く、編集部もいただきました。濃厚で美味しかったです。

(ものづくり新聞 中野涼奈)