物忌

アイドルマスターシャイニーカラーズが好きです。 大学で哲学をかじったあと、会計大学院に進学しました。 現在大学院1年生。

物忌

アイドルマスターシャイニーカラーズが好きです。 大学で哲学をかじったあと、会計大学院に進学しました。 現在大学院1年生。

最近の記事

歯医者

 私の実家はドがつくほどではないにしろ、そこそこの田舎にあった。周りは田んぼに囲まれていたし、無人精米所もあった。  しかしそれも私が大学進学で家を離れてから数年で様変わりした。  かつて家の裏にあった田んぼは歯科医院になったのだ。それから何年かして、気づけばその歯科医院の隣りに3階建ての立派な家が建った。  田舎とはいえ子供はそれなりに住んでいたから客には困らなかったのだろう、歯科医院は大いに繁盛し、ついには仕事場の真横に一軒家を建てたようであった。  私が生活していた部屋

    • キリンジがわかる

       本当に好きなものほど軽率には語りたくない。私の表現能力が足りないからだ。  アナログ情報をデジタル化するときの精度が完全でないように、フワフワとした気持ちを言語化するときに必ず抜け落ちてしまう何かがある。  私が考えるに言語化とは思考の編集作業だ。しかも対象について自分が言えることだけ、あるいは言いたいことだけしか切り貼りできない。言語化の陰で自分さえ取りこぼしてしまっている気持ちというのもあると私は思う。  だから、本当に思っていることを100%伝えることはコミュニケーシ

      • 丸ごと食べる

         レモンは皮と種ごと食べる。ブドウもだ。エビフライは尻尾まで食べる。アユくらいの魚であれば尻尾はおろか骨まで食べる。  アユは塩焼きとして旅館などでよく出されるが、それを丸ごと食べてしまうわけだから、何度か旅館の人に驚かれたことがある。通常ならばいくら丁寧に食べる人でも骨くらいは残ってるものだが、私の場合は皿に何も残っていないのだから、むべなるかなといったところだ。  なぜこんなことをするのか、自分でもよくわからない。食えるものは食っておきたいという好奇心からくるものなのか

        • 論理的であることについて

           人生そのものに意味はないと過去の記事で書いたが、それについて少し。該当記事は下記。  記事においては、人生そのものに意味はないとした理由に「私たちは誰一人として、生まれたくて生まれたわけじゃない。したがって人生そのものにに何らかの意味はないし、別に責任感を感じる必要はない」といった内容を挙げていた。  こうして振り返ると、私は大した論拠があって主張しているわけではないようだ。  まあここはnoteであって、哲学論文を書くところではないから、別に良いっちゃ良いんだが、うまい

          反骨、逆張り

           私はどうでもいい反骨精神が昔から強い。  たとえば、エスカレーターに乗るときはだいたい右側に立つ。エスカレーターの片側を空けておくのは一定の合理性があることはわかっているが、どう考えても両側に2人で立った方が全体幸福の増大には繋がるからだ。  実は数年前に東京に遊びに来た際に、いつものように右側に立っていたら後ろにいた男に「おい!」と文句を言われたことがあるが、私は功利主義のシンパなのでこれしきの叱責であれば、やはり右側に立って全体幸福に貢献したい。その男にとっては不幸な

          反骨、逆張り

          理屈に合わない!

           「理屈に合わない」はたぶん私の口癖だ。たぶん、というのは自分のことがよくわからないので実際に多用するフレーズは全然違うものかもしれないから、一応確定させないでおきたいのだ。私生活は人並み以上にだらしない私だが、文章に関してはせめて人並み程度には几帳面でありたいと願っている。できれば私の口癖ランキングを外部の人に作って貰いたいものだ。  さて前置きもほどほどに、私が何に対して理屈に合わないと常々思っているのかについてひとつだけ。 スーパーとかコンビニとかのビニール袋、安す

          理屈に合わない!

          雑感(生まれてくることについて)

           私が『倫敦塔』を初めて読んだのはたぶん高校1年か2年のころだったが、それ以来上に引用した箇所が頭の隅から引っ付いて離れず、ある種の諦念を伴った実感として折に触れてじわじわとしみ出していた。  的を射た美文だと思う。あまりに月並みな感想だとわかっているが、そう思ったのだから仕方ない。つまり、核心をついているのだ。  私たちは決して生まれてくることを同意して生まれてきたわけではない。  芥川龍之介の『河童』には、生まれてくる子供に対して(父親が電話をかけるように母親の生殖器に

          雑感(生まれてくることについて)

          ベネター反出生主義と人工妊娠中絶の倫理問題

          卒論の口頭試問が終わり成績が出されたので、ここ半年間の総決算として私が書いた卒論を公開します。 ベネターの反出生主義と現代哲学における人工妊娠中絶論に対するいくつかの検討を踏まえたうえで、今まで検討されてなかった視点で反出生主義を見直す試みをしています。 いま読むと反省点はかなりありますが、また書き直すのも手間なので提出したままの状態(名前のみ修正)で貼っておきます。とはいえ、割と野心的な卒論に挑戦できたので書いてて楽しかったです。 コメント等あれば私の精神状態と相談して

          ベネター反出生主義と人工妊娠中絶の倫理問題

          シャニマスに真剣な人たちの言説

          そのうち「アイドルと消費」をテーマに長めの文章を書きたいと常々思っているが、テーマの重さと忙しさでまだ覚悟が決まらずにいる。というわけでリハビリがてら短めのものをと筆をとった。このnoteは別に読む価値ないです。 最近私はシャニマス関連のdiscordサーバーに多く入るようになり、Twitterで関わる人もシャニマス関連の人たちが増えてきた。そういうコミュニティにいるとよく聞く言葉がある。それは「コミュを読め」である。これはそれなりにシャニマスというコンテンツにのめりこんで

          シャニマスに真剣な人たちの言説

          治療としてのアイドルマスターシャイニーカラーズ

           なんだか実感の持てないうちにあっという間に3月になってしまった。コロナによって丸1年間が空白になってすべてが靄がかかったみたいに有耶無耶になってしまったように感じる。外はまだ寒い日が続きとても桜が咲くような様子ではないが、心と体を春へと無理にでも引っ張り出すためにも春らしい画像を使わせてもらった。  この画像の引用元はアイドルマスターシャイニーカラーズというゲームである。まとまった文章を書くのが苦手な私がわざわざnoteなどに他人に見せるための文章を投稿しようと思った動機

          治療としてのアイドルマスターシャイニーカラーズ