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【短編小説】鏡

#ショートストーリー #哲学 #ファンタジー #フィクション


毎月1日は小説の日
今回はショートストーリーですが、
9,000字オーバーの小説です。
よろしければ気長に読んでいただけると
幸いです。(スマホサイズで改行してます)

トマト

「あった、やっと見つけた!
未来を映す道具屋さん」
ユミコはパソコンの前で叫んでいた。

彼女は大学の建築学部の4年生で
就活の最中だった。
今日も声をかけてもらっている建築会社で、
図面トレースのアルバイトをしていた。
「ユミちゃん、
あまり気合い入れなくていいからね、
納期はまだ先だし、ゆっくりでいいよ」
建築会社の社長が優しく声をかけてくれた。
「もうすぐ仕上がりますから、
ちょっとだけ残業させてください」
ユミコの言葉に建築会社の社長は
優しく微笑んだ。
その時、ユミコのスマホが震えた。
電話ではなくLINEだった。
ユミコはスマホを見た。
悦子からのメッセージだった。

〈ユミブー、
今月号のトマトの編集早く仕上げてねー〉
〈よろしく〉
そんなメッセージがLINEに入った。
ユミコは一応OKのスタンプを送った。
そして、ふぅーとため息をついた。
ユミコは「トマト」という
フリーペーパーを作る
サークル活動もしていた。
この「トマト」というサークルは
地元のコミュニティーや
ボランティア活動をする人達を
記事にしている。
社会貢献の役に立てばと
5年前に大学の先輩が始めたものだった。
今アルバイトをさせてもらっている建築会社も
スポンサーとして広告記事を
掲載してもらっていた。

ユミコはこのサークルで
編集の担当をしていた。
時には取材に出ることもあったが、
建築の図面トレースをするアルバイトが
楽しくなり、今はあまり取材には出ていない。
かわりにさっきLINEを送ってきた悦子が
取材に出て記事を集めてきていた。

今月号のトマトも
あと数日で入稿しなければならず、
ちょっと焦っているところだった。
ユミコは図面トレースの仕事を仕上げると、
社長さんに挨拶をして事務所を後にした。

「ユミブーか・・・」
ユミコはつぶやきながら、
建築事務所から歩いて
自分のアパートまで向かっていた。
15分はかかるが、
電車にのるまでもなかった。
帰る途中には小さな商店街がある。
あたりはもう夜になっていた。
ユミコはショーウインドウに映る自分を見て
「ユミブーか・・・」と、つぶやいた。
そこには鏡に映る自分とは
少し違った自分が映っているようだった。

彼女は、
フリーペーパー「トマト」を作る
サークル仲間から
ユミブーと言ってからかわれていた。
確かに丸顔で、体もややポッチャリしていた。
最初にユミブーと言い出したのは悦子だ。
「ねーみんなLINEでは、
ニックネームで呼ばない」

そんな問いかけに
サークル仲間の7名が同意した。
結局ユミコと同じ4年生の悦子が
全員のニックネームを決めた。
逆らえないほどではないが、
みな悦子に同意する形になった。

陰湿ないじめとは違うが、
ユミブーという言葉がユミコはいやだった。
けれど、悦子に強く反発もできなかった。
ユミブーという言葉が、
ボクシングのジャブのようにじわじわと、
ユミコにダメージをあたえていた。

〈私がいけないのかな・・・〉
さっきまでは楽しい気分で、
図面トレースをしていた。
しかししだいにそんな気持ちは、
どこかに飛んでいた。

そんな繰り返しがもう何日も続いていた。
いつしか彼女は自分の存在が
嫌でしかたなくなっていた。

トマト入稿の締め切りが迫っていた。
同時に人生をなんとかしたいという
気持ちも大きくなっていった。
選択肢はいくつもあった。
トマトをやめる。
学校をやめる。
人生をやめる。

楽しい図面トレースの仕事とは裏腹に、
ユミコの気持ちはだんだんと、
深い闇におちていくようだった。

探求

その日も、いつものようにインターネットで
検索をはじめた。
編集の参考にネットでいろいろ検索するのが
日課になっていた。
ユミコがいつもたどり着く掲示板に、
未来を映す道具があるという店の話題が
書き込まれていた。
またたく間に、
掲示板上は書き込みで一杯になった。

〈未来を見てきました。菱屋おすすめ〉
〈菱屋探し当てました、未来って素敵〉
〈それって嘘っぽくねー〉
〈デマに惑わされないように〉
〈未来なんて見えるはずないじゃん〉

など、様々な書き込みで、
ほとんど炎上状態だった。
ユミコも嘘っぽいという気持ちで
掲示板を眺めていた。

「でも、この話が本当だったら、
一度だけ私の未来がみてみたい・・・」
ひとり言をつぶやいていた。
ユミコは掲示板の中をくまなくチェックした。
けれど、
その場所まで記載されている
書き込みは無かった。

半分あきらめていた彼女は、
一つのリンクをクリックした。
最近は詐欺サイトへの誘導があるため、
あまりリンクをクリックしない。
けれど、この日はなんとなく
目に留まったひとつの書き込みがあった。
ユミコは勇気をもってリンクをクリックした。

そこには、菱屋への道順が記されていた。
ユミコは思わず。
「あった、やっと見つけた!
未来を映す道具屋さん」

ユミコはパソコンの前で叫んでいたのだった。
彼女は心の闇に光をあてる最後の希望となる。
そんな淡い期待が沸き上がってきていた。

ユミコは勇気を振り絞り、
サークルリーダーの悦子にLINEで連絡をした。
〈しばらく休みます〉

エツコ
〈えー、ユミブーどうしたの?〉
ユミコ
〈体調不良で・・〉
〈実家へ戻ってきます〉

エツコ
〈今月号のトマト入稿までもう時間ないのよ〉
〈ちゃんと編集データ送ってよね〉

悦子の苛立ちが、LINEから伝わってきた。
ユミコはOKのスタンプだけを送信した。
悦子の心配は
今月号の「トマト」の入稿だけだった。
悦子がユミブーと発言すると、
ユミコの気持ちはさらに落ち込み、
また自己嫌悪のスパイラルへ
落そうになっていた。

だた今日の彼女には少しの希望がある。
ユミコは未来を映す道具屋の事で
頭がいっぱいになっていた。
彼女は出来上がっていた「トマト」の原稿を、
大学のメールアドレスへ送信した。

坂道の迷路

「ここね・・・・・」
ユミコは在来線を2回乗り換えて、
ネットで話題になっていた店がある
駅までたどりついた。
一度深呼吸して、駅前の景色を眺めていた。
彼女の住んでいる街よりも少し田舎で、
人の通りもまばらだった。
アパートを出てから2時間半がたっていた。

駅前の坂道を上り最初の路地を右に曲がる。
その店はあるはずだった。
古い蔵を改装した店であると
ネットには書き込みがあった。
しかし、なかなかたどりつけない。
ユミコがふと上を見上げると
白い蔵のような建物が目に入ってきた。

彼女はその白い蔵にたどりつけるよう
時々坂の上を見上げながら
道を選んで歩いていった。
20分くらい、
蔵の周りをぐるぐる回っていた。
彼女の額にはうっすらと汗がにじんで、
息も少し上がっていた。
「この坂きつ・・・」

思わず口に出していた。
坂を上りきると、そこには石段があった。
その石段を登りきると
その白い蔵が見えてきた。
近くには厚い板に彫られた看板があった。
そこには《菱屋》とだけ書かれていた。
「あった、やっと見つけた!
未来を映す道具屋さん」
パソコンの前で見つけた時と同じくらい
ユミコは叫んでいた。

菱屋

菱屋の周りは少し広い広場のように
なっていた。
入り口の端に木製のベンチが置いてあった。
かなり使い古したベンチだった。
今は誰も座ってはいなかった。
蔵の裏側は石垣でできたガケで、
下の道までは5mくらいはあった。
下に見えた道を、
ユミコは迷いながら登ってきたのだと思った。
ガケと蔵の間には、
人が一人通れるくらいの道があり、
裏口へとつながっているようだった。
「落ちたらやばいわね・・・」

ユミコは広場のある正面へ戻った。
蔵の扉は古い格子状の扉に
変えてあるようだった。
店に改装する時、
蔵の重い扉は取り外したのかもしれない。
建築学部の彼女は
蔵のつくりにも興味がわいてきていた。
やっぱり建築って面白い。
彼女は心の中で思った。

彼女は、
恐る恐る古びた格子の扉を開ける事にした。
「こんにちは」
小さな声で言った。

中から返事はない。
扉が開いているという事は、
営業中であるという事だろう。
ユミコは店の中に入り、
注意深く観察する事にした。
店の中は意外に広かった。
通りに面した入口から裏口までは
土間になっていた。
天井が高く、途中に明り取りの窓が見えた。
太い柱と漆喰の壁、
いかにも蔵を改造して造ったという
雰囲気が出ている店だった。
明り取りの窓はあるが、
中は薄暗く少し肌寒かった。

ユミコは未来を映す道具を探しはじめた。
店の中は、右側には古い甲冑や戦国時代の
お姫様が使うような、
茶器やお皿が飾られていた。

一方左側には現代風のツボや鳥のはく製、
仏像の類などが飾られていた。
中央にある柱の左右には
木製の古ぼけた振り子時計がかかっていた。
昭和初期、
あるいは大正時代の
古い振り子時計のように見えた。
右の振り子時計は
普通に動いているようだった。
だが、左側の振り子時計には違和感があった。
左側の振り子時計の違和感が何かわからず、
じっと見ている時だった。
「いらっしゃい」

いつ出てきたのか、
店主らしき老人が声をかけてきた。
小柄でやせ型、
髪は白髪だが短く刈り込んでいた。
和服姿で近づいてくる。
店主の低いしわがれた声が店の中にひびいた。
「お嬢さん何かお探しで?」

一瞬の沈黙があった。
「まぁどうぞ」

店主がそういうと
奥のソファーをすすめてくれた。
彼女は促されるまま、
ソファーに座ってから切り出した。
「未来の・・・
未来が見える道具があると聞いてきました。
あるなら見せてください」

ユミコは一気に、
そして思い切ってしゃべった。
店主は一呼吸おいて話し出した。
「最近よくそういうお客さんが
訪ねてきますがね、
未来をのぞける道具なんてありゃしませんよ、
ほらそこのお兄さんもあんたと同じ目的で
ここへ通ってきているのですがね・・・」

彼女が振り返ると、
そこには背の高い男性が立っていた。
ユミコの後に続いて入ってきたのだろう。
彼女は気がつかなかった。
同じ年か、ユミコより若く見えた。
若い男性が
店主のほうへ向かって歩みよってきた。
「ご主人、いいかげん見せてくださいよ」

若者はいきなり切り出した。
店主はだまったまま首を横にふり、
「そんなものありゃはしませんよ」

おだやかな口調でそう言った。
「そんなことを言ってもだまされませんよ、
現にここで未来を見たっていう人が
いるんですからね」
店主は、何も答えず、
ただ首を横にふるだけだった。

同盟者

30分後。若者とユミコは店の外を歩いていた。
石畳の階段を、
一歩一歩降りているときだった。
「ユミコさんですよね」
若者はそう言った。

ユミコは階段の途中で立ち止まり
若者をじっと見つめた。
「どこかで会ったような気もするけど。
えっとー・・・」
「先月号のトマトですよ」
ユミコが考えていると、
若者はヒントをくれた。
「先月号のトマト?」
ユミコは頭の中で
トマトのページをめくっていた。

自分が編集したフリーペーパーなので、
全てのページが頭に入っていた。
そういえば、彼を取材していたような・・・。
「あ、障害者施設の
ボランティア記事に載っていた。
えっと・・・」
「哲夫です。よろしく」
ユミコが哲夫の名前を思い出すまえに、
哲夫から自己紹介した。
彼は優しく笑っていた。

二人は、
ネットの書き込みで菱屋にたどりついたこと。
あの店はかなり怪しさを
醸し出していることなどを話した。
駅からあんなに必死で探した道のりが、
哲夫と話していると、
あっというまに駅まで戻ってこれた。

哲夫は一週間、あの店に通っていると話した。

「ねぇ作戦会議しない」
ユミコは哲夫を誘った。
意外と大胆な行動に
彼女自身もビックリしていた。

駅前の居酒屋で二人はビールで乾杯した。
哲夫は一週間滞在しているだけあって、
店のメニューに詳しかった。
「ユミコさん、これウマイですよ」
そういって焼き鳥にタレをかけてくれた。
この地域の特別なタレのようだった。
「これ〈美味だれ〉っていうらしいです。
店のポップの受け売りですけど」
そう言って哲夫が笑いながら
店のポップを指さした。
笑うとちょっと愛らしい顔になると
ユミコは思った。

「哲夫君はなぜ菱屋へ?なぜ未来が見たいの」
ユミコは思い切って尋ねた。

ビールで酔っているのかもしれないと
自分でも感じた。
けれど聞かずにはいられなかった。
今日で会うのが2度目となる彼の事が
少し気になりだしていた。

「障害者施設に
沙織ちゃんって子がいるんですよ。
この子や、施設の子供達の未来が見えれば、
僕のサポートもそれに合わせて
変える事ができるのにと思って」
と哲夫。
話を続ける。

「彼女たちは、必死で自分と向き合って、
必死で生きていこうとしているんですよ。
そういう姿にすごく心打たれて、
なんとかしなくちゃって・・・」
哲夫はしゃべりだしたら止まらなかった。

それだけ、障害者施設の子供たちを
大切に思っているんだろう。
ユミコは
先月号のトマトの記事を思い出していた。
将来に不安を抱える沙織ちゃんの事も
書かれていた。
いつまで生きられるかわからない、
けれど命ある限り必死で生きている姿が
記事になっていた。
記事と一緒に、哲夫と沙織ちゃんが
笑っている写真が掲載されていた。
「私が編集したのに・・・」
ユミコはどこか後ろめたさみたいな
感情を抱いていた。
それは軽々しくも人生をリセットしたいと
考えていた自分にブレーキをかける音が
聞こえたような気がしていた。

秘密の会話

「ユミコさんは、
なんで未来が見たいんですか」
哲夫もユミコにきいてきた。

ユミコは一瞬ためらいながら、
哲夫にすべてを話した。
ユミブーがジャブのように効いていること。
自分の存在意義を感じる事ができないこと。
自分の生き方をリセットする前に、
歩むはずだった未来を一目見たくなったこと。
酔いにまかせて吐き出すように
哲夫へぶつけていた。
彼はそんなユミコの話を
だまって聞いてくれていた。
「ずいぶんちっぽけな理由ね・・・。
哲夫君の理由を聞いてすごくそう感じたわ」

「そんな事ないですよ、
生きるには目標が必要です。
そしてサポートも」
哲夫は優しくユミコを慰めた。

「ねえ、今夜あの店に忍びこまない」
ユミコの意外な言葉に哲夫は目を丸くした。
「ユミコさん酔っぱらっているでしょ」
哲夫がユミコに言った。
「そんなことないわ、酔ってない、
本気で忍び込もうと言っているの」
「忍び込むって、どうやって」
哲夫が少し震えた小声で返した。

「見た所、
大したセキュリティーは入ってなかったわ。
防犯カメラもなかったし、
裏口はこじ開けられそうなくらい
昔の木の扉のままだった。
大丈夫よ・・・ね。一緒にやりましょうよ。
私は建築家の卵よ、私を信じなさい」

ユミコは哲夫の目をじっと見つめた。
「ユミコさん、大胆すぎますよ。
ほんとうに悩んでいるんですか?」
哲夫がそういうと
「そう、私には後がないの、
がけっぷち。だから今夜決行よ」
ユミコはちょっと
ロレツのまわらない口調で言った。
「それ、答えになっていませんよ」
「でも、哲夫君と話していると、
なぜか元気になれた気がしたの。
この元気の素が消えないうちに
やり遂げたいのよ」
そういって彼女は笑った。
哲夫もそんなユミコを、
少しまぶしそうに見ていた。

ミッション

夜中の2時、二人は菱屋の前にいた。
ユミコはまだ少し酔っていた。
彼女はペットボトルの水を一気に飲むと
「さぁいくわよ」
哲夫に小声で声をかけた。
菱屋の裏は石垣を積み上げた
ガケになっている。
昼間確認したとおりだ。
裏口まで、
人ひとり通れるくらいのスペースある。
今は月明かりがその細い道を照らしていた。
ユミコは懐中電灯握りしめた。
哲夫に<さぁ行くわよ>と
もう一度目で合図した。

裏口の扉は意外と簡単に開いた。
二人はゆっくりと、菱屋の中に入っていった。
懐中電灯で右側の展示スペース、
左側の展示スペースを交互に照らし出した。
「特に変わったところはないわよね」
ユミコは哲夫に話しかけた。

哲夫は無言のまま
左の柱にかけられた振り子時計を見ていた。
ユミコも右側の振り子時計を見ていた。
二人は、
ちょうど背中合わせになる形になった。
「あれ・・これって鏡時計」
小声で哲夫が言った。
「そうみたいよ」
ユミコも背中を向けたまま言った。

「昼間見た時、おかしいと思ったの、
でもこっちの時計は普通なのよね」
彼女は居酒屋にも
振り子時計があった事を思い出していた。
「飲みながらずっと考えていたの、
やっぱり振り子時計が怪しいって」 
彼女は振り子時計をじっと見つめたまま、
「この時計に何かあるような気がするの」
そう言うと、ゆっくり振り返りかえった。

ユミコのほうを見ていた哲夫と
一瞬抱き合う形となった。
彼女は一瞬顔が火照るのを感じた。
「哲夫ちょっとどいて」
恥ずかしさを隠すように言った。

鏡時計

ユミコは哲夫を退かせると
右と左の振り子時計の真ん中に立って、
左右を見比べていた。
「やっぱり鏡時計になっているわ」
少し興奮気味に言った。
「哲夫、ちょっと針を動かしてみて」
彼女は哲夫に指示をだした。

哲夫はユミコの言うまま
左側の振り子時計の針を30分進めた。
一瞬の沈黙、何も起こらない。
哲夫は針をもとに戻した。

ユミコはもう一度
左右の振り子時計を交互に見比べていた。
10秒、20秒、
振り子時計のカチカチと言う音が
蔵の中に響いていた。

彼女は何かひらめいたような表情になり、
また指示をだした。
「哲夫もう一度、今度は一緒に回すわよ」
そういうと、
ユミコは右側の時計の針に手かけた。
「せいの」
二人は同時に針を60分、
時計の針一周分進めた。
すると・・・突然鐘がなりだし、
振り子時計の振り子が
2倍の速さで動き出した。

ボーン、ボーン、ボーン、
1回、2回、3回ユミコは心の中で数えていた。
3回目で振り子は停止した。
一瞬の沈黙のあと右の振り子が光りだした。
少しずつ青みがかった霧も出てきた。
その光と霧の渦が
ユミコと哲夫に向かって伸びてきた。
二人は振り子時計から一歩、
二歩と下がって、光の渦を見ていた。
やがて左右の時計の中央に
光の玉みたいなものが現れた。
やがて、左側の振り子も金色に光だした。
今度はその玉へ向かって
左の振り子から光の渦が注ぎ込まれた。
土間の中央で光の玉が
どんどん大きくなって行った。
青白い霧も濃くなっていく。
二人は光の渦に巻き込まれそうになり、
更に三歩下がった。

ユミコと哲夫は顔を見合わせた。
光の球が2メートルくらいの大きさに
なった所で、さらに輝きをましていった。
二人はそのまぶしさに目をふさぐほどだった。
やがて光の玉の中心から
青龍が姿をあわらわした。

鋭い眼光に長いひげ
大きな口には牙が金色に光っていた。
二人は固まってしまった。
次の瞬間青龍が大きな口を開けて
二人に迫てきた。
「飲み込まれる」
ユミコは哲夫にしがみつき、
思わず叫んで目を閉じてしまった。

現実社会

二人はしばらく気を失っていたようだ。
青龍に飲み込まれた後の記憶がなかった。
気が付くと二人は菱屋のソファーに居た。

「そこまでじゃ、お二人さん」
目の前に店主が座っていた。

光の球も青龍も消え、
振り子時計は60分進める前から
5分しか経っていなかった。
「悪い子たちだな」
店主は怒っている風ではなく、
赤ちゃんをあやすような目で二人に言った。

「未来は見えたかな?」
店主の質問に、二人は固まっていた。

「まったく困ったものだ」
そういうと店主がしゃべりはじめた。
「おまえさん達は、
なぜ未来が見たいのかな?」
5秒の沈黙、
やがてうなずきながら話を続けた。

「不安な毎日を、
未来を見ることで安心に変えようとしている。
それはわかる。
じゃがな、未来は決まっておらんのだ。
わかるかな?」
ユミコと哲夫は
金縛りにでもあったかのように動けないまま、
店主を見ていた。

「お前さんたちが生まれる時、
青写真という未来、
いや運命を背負って生まれてきた。
けれど、その青写真は変える事ができる
運命なのだよ、未来は変わる、
いや変える事が出来るのだよ」
店主は二人にさとすように続けた。

「だから、
今この瞬間の積み重ねによって
未来は刻々と変わっていく。
それは、ああなりたい、
こうしたいと思うことで、
行動し続ける事で、
未来は少しずつ変わっていく
という事なんだよ」
と店主。

「自分自身がああなりたいと思う事、
願う事も大事だが、ああしてあげたい、
こうしてあげたらどうだろうという、
相手を、他人を思いやる気持ち、
与える気持ちこそ、未来の扉をさらに開き、
変わっていけるという事だよ」
店主は続ける。

「何度も言うが、
未来は決まっているようで
決まっていないのだよ。
おまえさん達しだいで、
幸せも、また不幸も呼び込める
ということだよ。
仮にここで見えた未来があったとしても、
それは本当の未来ではない」
店主は強い口調でそう言い終わると、
裏口から出て行った。

二人は、まだ何が起こったかわからないまま、
固まっていた。
気が付くとユミコは哲夫の手を強く
握りしめていた。

明日に向かって

15分後、
哲夫とユミコは菱屋から駅へ続く
石畳の階段を下りていた。
見上げると月明かりに照らされた
菱屋の蔵が見えた。
ユミコは階段の途中で立ち止まると。
「ねぇ哲夫・・
気を失っている間に何か見えたものはある?」
哲夫は、しばらく目を閉じて考えていた。
やがて、
「何も見えなかった」
そう言って首をふった。

ユミコはうなずくように哲夫を見ていた。
「じゃ・・未来をつくりましょ」
そう言って哲夫に顔を近づけた。
彼女が目を閉じると
哲夫がユミコの唇に短いキスをした。

二人は抱き合ったまま、
時間が止っているかのようだった。

やがてユミコは
「私ね、もう一度がんばってみるは」
彼女は力強い口調で哲夫言うと、
駅のほうへ走りだした。
一度だけ振り返り
「ありがとう。哲夫」
そう言うとまた走りだした。

ユミコは自分の中に
不思議な力が沸き上がるのを感じていた。
ショーウインドーに映った自分を
思い出していた。
目の前の鏡は表面だけで中身までは映せない。
本当の自分は鏡の向こう側

内側にある自分を探さなければ
答えは出ない。
青龍に飲み込まれたとき、
一瞬そう感じていた。
ユミコは前を向いて歩き出そうとしていた。

哲夫は黙ってユミコの姿が見えなくなるまで
立ち止まって見ていた。
哲夫君が哲夫になっていることに、
哲夫は気がついていた。
「まったく、とんだおてんば娘だな」
哲夫は、苦笑いしながらつぶやいた。

石畳の階段を一瞬
青龍が走り抜けたような風が
通りすぎていった。
もうすぐ始発の電車が走りだそうとしていた。

終わり

最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
今回は少しだけ長めの小説を
投稿いたしました。
読んでいただいた皆様に感謝・感謝です。
そして皆様の未来にも
希望が生まれますように、
心からお祈り申し上げます。

サポートいただいた方へ、いつもありがとうございます。あなたが幸せになるよう最大限の応援をさせていただきます。