「地鉄電車」以後の地方電化私鉄
富山地鉄の日車ロマンスカー(後述の例外を除く)と琴電の旧型車両が無くなる事で、「中越地鉄」的な車両が無くなってしまうという話題があった。
では「中越地鉄的な車両」の後、地方電化私鉄にはどんな車両が生まれ、どんな流れで進化して行ったのだろう?
・固定編成の新車
地方私鉄の列車の特徴の1つが「生まれの異なる車両が手を取り合って走っていた」という光景だった。もちろん、そのままで路線自体が無くなってしまった場合もある(蒲原鉄道など)。
一方、生き残った地方私鉄では日車ロマンスカー以外でも固定編成の新車が生まれている。これらは単発で終わったものもあるし、遠州鉄道30形のように車種統一に至った場合もある。
福井鉄道200形や福島交通5000形は連接車で、これと近い考えの車両は1979年にも江ノ島鎌倉観光1000形が生まれている。江ノ電はその後も車体はそれぞれ異なるが、連接車を増備している。
・本格的通勤電車の時代へ
富山地鉄クハ90形は1962年に登場している。両開き3扉ロングシート戸袋窓無しという、その後の通勤車両にはよく見られる姿であるが、量産はされなかった。
地方私鉄における通勤車両というと、長野電鉄の0系、OSカーを忘れる訳にはいかない。両開き4扉ロングシートという、大都市の電車そのものであったが、「中越地鉄」的な鉄道には似合わない感じがする。
現在では静岡鉄道や遠州鉄道のように自社発注の通勤車両で統一された例もあるが、大都市の通勤電車そのものが使用されている例が多い。
小田急2100系の車体が三岐鉄道に譲渡されているが、このあたり、大手私鉄の新たな世代の通勤電車の譲渡の初期の例だろうか。
・新性能化
三岐鉄道モハ120形は地方私鉄には意欲的なカルダン駆動車であったが、吊り掛け駆動車と共通運用だった。
実際には地方私鉄の新性能化は東急5000系などの譲渡によって進められたと見た方がいいように思える。
・優等、観光用車両の進化
いわゆる「日車ロマンスカー」の系譜は富山地鉄ではその後も続き、1979年には14760形が登場している。
観光用・通勤用の両立という事で言えば、富士急行の5000形は両開き2扉セミクロスシート、伊豆箱根鉄道3000系は両開き3扉セミクロスシートであり、国鉄の近郊形車両とも通じる思想がある。
伊豆箱根鉄道7000系はJRの213系、311系に影響を受けたと思われる車体構造であり、観光要素の強い地方私鉄がもう少し生き残っていたら、他にも似たような例があったのかもしれない。
叡山電鉄の「きらら」も観光用車両として興味深い存在である。
・新たなる試み
上信電鉄は積極的に新車を導入したが、特に1000形は直線的なデザインと斜めストライプの塗装で、他には無い存在感を示し、250形、6000形がそれに続く形となった。
今まで地方私鉄に縁のなかった武庫川車両は京福電鉄(福井・京都)や叡山電鉄に特徴あるデザインの車両をデビューさせた。
・変わり種
上田交通クハ290形は「アオガエル」の地方私鉄進出の一環のように見えるが、既存の車両に連結して使用された所が異なる。「超軽量の大型トレーラー」であった。
近江鉄道モハ220形は「自社製の新型車両」という、以前は多く見られた例(静岡鉄道100形など)の1つだが、類似の例が見られなくなってからの登場であった。
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