カーゴ信仰とUFO
南太平洋の島に奇妙な儀式があるという。
地面に「滑走路」を整え、作り物の「飛行機」を着陸させ、「軍隊」に扮して行進する。
その昔この島にはそうやってアメリカ軍が来ていた。祭りは再び「彼ら」が来る事を願って行われているのだと解釈された。
カーゴ信仰(カーゴカルト)は妙な魅力を持っている。それは残酷ヤコペッティーズ的であり、「金曜スペシャル」的であり、カメラが捕らえる決定的瞬間であり、モンドな雰囲気が漂い、コンビニで売っているタイプの放送禁止都市伝説の世界である。
それは多分に差別的な香りがする。
そしてそれは、以前から存在していた、「かつてこの地球に宇宙人が来ていた」という話との親和性が、何となく高かった。
コロンビアの黄金ジェットだの、エゼキエル書の宇宙人だのと。
この地球上に存在している祭が、かつての地球外生命との接触から生まれたものではないか、「神の道」を整え、「ヨリシロ」を目印に、「マレビト」を降ろす行事が今も行われているのではないか。
ただ、こういうネタはもう先人達がやってしまっていて、なかなか「ムー」に送っても採用されないのではあるが。
それこそ南山宏さんや並木伸一郎さんの方が何倍も詳しいのだから、「古墳にアンテナ付けた宇宙人の絵があった」とか今さら書いてもダメである。
グラハム・ハンコックが流行った頃に、「これと同じようなネタなら、うちなんかずっと前からやっている」と書いたのが「ムー」なのだ。
古代に宇宙人が来ていたというと、SFの世界では「2001年宇宙の旅」や「星を継ぐもの」といった作品が有名である。
藤子・F・不二雄の「ニューイヤー星調査行」は、ある星に残っている物事や証言から、大昔に起こった事を解き明かそうとする。
ハイエルダールの「コンチキ号漂流記」の影響もあるのかもしれないが、「かつてここに降り立った」ではなく、「かつてここから飛び立った」という視点が新鮮だった。
藤子・F・不二雄では他に「宇宙人」という作品もある。登場人物の名前でミスリードさせるやり方が面白かったし、「古代に残る宇宙人の痕跡」としてはややマイナーな部類の話を持ち出してくるのも上手いと思ったものだ。
この話の中での、まだ歴史の浅い知的生命は、果たして、再来を願って絵を描いたのかは分からないのだが。
ただ、北海道には宇宙人の飛来に願いをこめて作られた「ピラミッド」が存在するという。
私はそれは、「宇宙人」とか「UFO」とかいう事象を含めた現代社会に、どう対応して良いか分からなかった人達の行動の現れではないかと思っている。