自分を探す旅
自分探し、より正確に言えば「自分探し批判」がまた話題になっていた。
私の解釈だが、「自分探し」とは「しばらく面倒くさい連中と会わない時間が欲しい」の言い換えなので、「自分探し批判」は自ら「面倒くさい連中」であると宣言しているにすぎない。
だいたいの場合、「自分」はとっくに見つかっているのだ。
しかし、何かの労働に没頭する事で「自分」が見つかる人もいるので、よく分からない。
私は、よく知らない鉄道を見に行ったりするのが、自分にとっての「自分探し」だと思っている。
それは福山とか高知とか、台湾とかである。
まだ小学生だった頃に「コロタン文庫」や「ケイブンシャの大百科」を読んであこがれ、もう少し成長すると広田尚敬さんの写真集見たり、「鉄道ファン」の記事を読んだりし、そして実際に若い頃に、地方私鉄を見たりした思い出の積み重なりが、「普段はできない自分」だと思っているから、よく知らない鉄道を見に行く旅は「既に見つかっている自分」と向き合う事になるのである。
ケイブンシャの大百科には台湾の鉄道も載っていたものだ。
だからまあ、「鉄道が好き」とは言っても、山手線などは目的にはならない。便利だとは思うが。
コロタン文庫に出ていたような思い出の車輌が、「まだ走っている」という事には、すごく勇気をもらったりする。
ただ、自分の若い頃はSLに対してはものすごい人数が来ていても、それ以外は大して人が来ていなかったから、たかがディーゼルを撮るのに大勢来ていると、「廃止か?」と思ってしまってへこむ。実際に廃止の場合も多い。
さらにへこむ事もある。
茨城に「古い鉄道車輌」が保存されている所があるのだが、その保存車輌の1つが「北斗星」(の機関車と客車)なのである。
これがDF50辺りならいい。DF50ならばもう「過去」だと覚悟はできている。
しかし、もはや「北斗星」が保存車輌なのだという「現実」には、あまり引き戻されたくはない。
そのうち台湾からも、「馴染みの鉄道風景」は無くなるのだろう。現実だから仕方ない。
その時にはまた別のかたちで自分探しをするのだろう。
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