大阪万博(1970)の思い出
とは言っても色々ヤバい事になっているアレではない。
雀兄が大阪万博の思い出を書いているので、自分も書いてみようという魂胆である。
1969年生まれの私に「大阪万博の思い出」があるのか? というと、ちゃんとある。まず家には太陽の塔の置物があった。「撮ろう残そう万国博」などと書かれたアルバムがあって、そこにはお祭り広場のスケジュールや、先に完成していたパビリオンの写真が載っていた。
中身はオヤジが生まれたばかりの俺と母を置いて、犬山と神戸にいる悪友と遊んできた写真であった。アポロ打ち上げ時の音声が聴けるヘッドセットとか、天井から人工衛星吊ってあるブレブレの風景とかである。
あと母方のバーさんの家に行くと、万博のシンボルマークの形をした物体が中に入っていて、コインを入れると重さでぐるっと回る貯金箱とか、記念硬貨があった。バーさんは母方の親戚と行ったようだ。
中学の修学旅行では、万博の為に作られた東大寺五重の塔の九輪というのを見ている。
あと当時の図鑑のようなものに、建設中の太陽の塔の周辺とか、スタンプ押すロボットとか、記念写真を撮るロボットとか、デメくんとかが出ていた。
んで、万博10周年とかで雑誌で特集されたのに感化されていた。それからさらに何年かして、日帰りで大阪に行こうと思い立ったのだ。高校3年の時だったかな。
当時は地下鉄で千里中央に行き、そこからバスというルートだった。大阪地下鉄では椅子が固い電車が来たと思う。それからウインウイン音がする電車とすれ違った。
万博公園で最初に気付いたのは、モノレールの軌道だった。当時モノか? んな事はなく、近く開業する大阪モノレールだった。
実際、万博で使われたモノレールと同じ仕組みが、小倉に導入されていて、その次が大阪だったのだ。
何にもない所に突っ立っている羽目になった太陽の塔は、この時は内部は非公開だった。
鐘撞き堂のような建物があり、これも万博関連との事だった。
展示館があって、内部には光の樹の一部やリニアモーターカー(2編成)があった。リニアモーターカー、昔は自走したみたいだった。模型だが。
あとは多角形(?)の展望台のあるエキスポタワーが残っていた。
この時は他に交通科学館に行った。印象に残っているのはおのぼりの修学旅行生のジオラマや、家禽車という鳥を運ぶ貨車のジオラマだ。ちゃんと鳥が籠に入っているのだった。
ここにもリニアモーターカー(大きいやつ)があった。
あと、ナシ20の車内でカレーか何か食べた。
それから阪堺電車に乗って、車庫を見せてもらった。通天閣と大阪城にも行った。これぐらいで時間切れである。
夕飯は天丼専門店みたいな所に、よく分からずに入った。
あと、帰りの新幹線のビュッフェでプリンを食べたのを覚えている。
万博に関しては、オリンピックやって万博やると好景気さまが降臨するという、カーゴ信仰的なモノは正しくないと思う。あれは元から景気が良かったから出来たのである。札幌オリンピックまでセットで考えるべきではない。
さらに言うと、人工知能的なモノも誰でも手のひらに収まる機械で扱える様になった。
世界の料理も大阪市街で食べられるだろうし、仮想現実もUSJで充分楽しめると思う。モノレールも新交通もリニアモーターカー(鉄輪式だが)もあるので、大阪自体が万博みたいなものである。
未来技術は現実となり、世界はずっと近くなった。不景気に対しては、まず国がケチくささを改める事が先だと思う。
あの頃は天皇陛下までもが「シェーッ」をおやりあそばされる余裕があったのである。今と一緒に考えてはいけない。