メルセデスベンツ190E
いわゆる「日本車キラー」のアメリカ車は、結局日本市場ではうまくいかなかった話は前に書いた。
言い方は悪いかもしれないが、「そこに仕掛けを投げても魚はいない」という印象があった。
では、他の国のクルマはどうだろうか。日本車キラーたりえるクルマはあったのだろうか。
昭和の頃、主体性のない小金持ちは「定番」が好きだった。時計ならオメガ、ロレックスである。
そして、クルマはベンツだ。
♪純白のメルセデス♪プール付きのマンション
という歌が流行った事もあった。
昭和天皇の赤ベンツは有名だし、昭和のスターである力道山も石原裕次郎もベンツ。そしてもちろんヤクザもベンツ。
ベンツの名前はパカでもガキでもカッべでも知っていた。
もう少し安くてコンパクトなベンツがあれば、市場が生み出せるはずである。
ならば、という事ではないだろうが、5ナンバーに収まるベンツが日本でも発売された。1985年である。190Eという名称で呼ばれたが、型式はW201と言うらしい。
これがムチャクチャ売れたようで、一気にベンツ(子ベンツなどとも呼ばれた)は「よく見かけるクルマ」になった。果ては教習所でもマツダカペラの代わりに使い始める始末だった。
190Eは間違いなく「成功した日本車キラー」と言えるだろう。
1980年代中頃からバブル崩壊頃までの日本なら、広く東京から地方都市まで似合うと思う。
いや、説明はそれでいいのか?
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