旧型客車は自由だ!

 旧型客車の編成の組み方が自由と言われても、よく分からないという話があった。基本的には荷物車は編成の一番前か一番後ろ、グリーン車や寝台車は機関車のすぐ後には付かない場合が多いという位だろう。

 例えば、「10系客車だけで編成された列車はほとんど無かった」という話があるけど、模型なのだから編成の美しさを優先して「それもあり」にした編成例が山崎喜陽さんの『鉄道模型』(保育社 カラーブックス)には出ている。編成美優先なので郵便車はあるけど荷物車はない。10系客車にオユ13に似た荷物車がいても良かったんだろうけど、それ以前の世代の荷物車が多かったから作られなかったんだな。

 なぜ10系客車だけの編成はほとんど無かったのか。要因の1つがデビュー当時のナロ10やオシ17は特急に回されてスハ44と組んだからで、10系客車主体の特急だった客車時代の国鉄特急「かもめ」も普通車は最初はスハ44だった。最後になってこれがナハ11、ナハフ11になった訳だけれど、特急用としてはイマイチで「遜色特急」だと思う。

 これに対して台湾には「スハ44みたいな軽量客車」がいて、現在も最後の活躍をしていると聞く。日本に無かったのはディーゼルカーで代替えする方針だったからかもしれない。

 10系客車主体というともう1つ、一時期の急行「日南」があった。食堂車こそ無かったものの冷房化されたオロ11や10系寝台車、10系普通車を組んだ列車で、京都から都城を結んだ。
 さらに長距離、東京から西鹿児島までを走る急行「霧島」、「高千穂」(後に併結され「霧島/高千穂」、「桜島/高千穂」となる)もオロ11や10系寝台車を組み込み、食堂車オシ17を連結し、普通車も10系主体だった(荷物車以外は10系だけという時期もあるようだ)。

 このオロ11、残念ながら軽量客車からの冷房化の為か寿命が短かった。東北急行末期もスロ62ばかりだったように思う。

 10系の時代には寝台車ばかりの編成は少なかったが、急行「さぬき」(後に「瀬戸」に統合)は10系寝台で組まれた編成だった。これまた10系のユニークな存在の1つである「サロンカー」オシ16はビュッフェの一種だが、この編成の中にあって、寝台セット時の退避場所になっていたという。

 東海道線の名門急行「銀河」も食堂車こそ無いが、スハ44を組み込んだ編成だった時期と20系寝台列車になった時期の間に10系寝台ばかりの編成だった時期がある。また時期によっては急行「紀伊」を併結していた。「銀河」は最後は24系寝台列車となり、特急列車並みの急行として一生を終えている。

 後に20系寝台列車となる列車というと、上野から日本海側を目指す急行「天の川」もそれ以前は10系寝台ばかりの編成だった。

 また、ツイッターでご指摘を受けたが急行「安芸」も10系寝台による編成で知られている。これは時期によっては珍車カニ38が連結されていたという。これは日本では珍しいシャッター式の扉を持つ荷物車で、これ自体は軽量客車ではないが、「もしも10系に荷物車があったら」という想像をかきたてるものだった。

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