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日本のものづくり | monogoto #3 変わりゆく在り方と、変わらない価値〜風鈴のこれまでとこれから

 夏も終わりを迎えているが、湿度の高い日本ではまだまだ気温以上の暑さを感じられる。そんな中、暑さを和らげる様々な工夫がこの国にはある。その一つが風鈴だ。涼しむために”音”を用いる文化は、どのように形成されてきたのだろうか。時代とともに変わりゆく風鈴の在り方にも目を向けながら、江戸風鈴を手掛ける篠原風鈴本舗の篠原惠美(しのはらえみ)さんに、風鈴のこれまでとこれからを語ってもらった。

風鈴の歴史と江戸風鈴の変遷
 風鈴と言えば、窓際に吊るし、風に揺られて鳴る音色を楽しむ、という用い方が一般化している。しかしながら、起源は別の側面にあったという。

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「日本に仏教が入ってきた時代に、風鈴も一緒に入ってきたと言われています。寺院や神社の屋根の四隅に風鐸(ふうたく。金属製の釣鐘)があるのですが、そこに音の出るものを吊るすことで魔除けの効果がある、とさせてきました。風鈴の起源はそこにあります。また、中国では音の風向きや風量などを用いた占いとしての一面があった、とう説もあります。」


やがて、浅草寺をはじめとする寺院では四万六千日の縁日(7月9-10日)にほおづき市が行われるようになり、催しの一つとして扱われるようになった風鈴は夏の風物詩へと定着していった。かつて江戸風鈴はほおづき市を迎えるにあたり、重要な役割を担っていたという。

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「ほおづき市では風鈴が20万個必要ということで、必死に作っていました。」
「ところが、今から30年前ほどでしょうか。ほおづき市の風鈴に輸入品が入ってくるようになってきました。作り方は(江戸風鈴とは)全然違う、大量生産のものが入ってきたことで、我々の市場が小さくなってきました。」

 それでも、品質に目を向けてくれる方々に救われ、百貨店や民芸品店で今もその価値に陰りは見られない。時代の変遷とともに、江戸風鈴を取り巻く環境も過去と現代とで大きく変わっているが、今でも必要とされ続ける秘訣はどこにあるのだろうか。

江戸風鈴ならではの魅力と価値
「江戸風鈴の魅力は2つあると思っています。一つは絵のデザイン。内側から絵をつけるので様々な絵に対応できるのと、色彩の豊かさが魅力です。」

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絵をガラスの内側からつける。外側から描いた方が容易であることは想像し難くないが、なぜ内側から描くのだろうか。
「本当は表から描いてもいいんでしょう。輸入品はまさにそうで、表からシール、プリントをつけていますね。ただ江戸風鈴は内側から描くことで、雨風で絵が落ちづらいようになるのと、ガラスの光沢も残り、より綺麗に見えるようになっています。」

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 また、デザインの多様さに着目して見ると、店内には確かに様々なデザイン -夏を連想させる絵柄から風景画、中にはキャラクターも- が置かれている。風鈴を取り巻く環境と同様に、デザインも以前とは大きく変わってきているという。


「当初はこれほどの種類は展開していませんでした。私が風鈴作りに携わり始めた当初と今、まったく同じ絵を描いていたら続いていないと思います。お客様がどういう絵を好むのか、時代に合わせていってはじめて残るものだと思っているので、絵は変わっていって当然です。紫陽花や向日葵(のデザイン)は昔なかったですし、キャラクターの顔や風景を描くことも、以前はなかったです。今はいろんな可能性がありますね。」


ただ、基本的に風鈴は”耳”で楽しむものである。その中で様々なデザインを手掛け、視覚的なアプローチを試みる理由を尋ねた。

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「やはり目に訴える力というのは大きいです。実際に、売れるか売れないかは絵で決まります。ですから絵も変わってきているし、これからも変わり続けていくでしょう。どんな絵がお客様に喜んでもらえるか、いつも考えています。」
 絵とともに挙げられる江戸風鈴ならではのもう一つの魅力は、風鈴の命でもある「音色」と篠原さんは話す。その確たる根拠として、次のエピソードを紹介してくれた。


「日本音響研究所で江戸風鈴の周波数を調べた実験によると、鈴虫が羽を振るわす音とそっくりだったという結果が出ました。そのため、日本人にはとても気持ちの良い音だと思います。」
夏の終わりから秋の夕暮れに掛けて耳にする鈴虫の音。その音色に近いからこそ、私たちに特別な癒しを提供してくれるのかもしれない。では、その音を生む秘訣はどこにあるのか。


「(ガラスの)縁がギザギザになっていて、そこが触れ合う音が本当に柔らかいんですね。その柔らかい音色が、魅力の一つだと思っています。」
「高い低いでは収まらない、数字では表現できないような音が様々あると思うんですね。なかなか同じ音ができないくらい江戸風鈴は色々な音があるので、そこも楽しんでほしいです。」

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実際にガラスの触れ合う音を聴かせてもらうと、確かに縁に触れて奏でられる音は一つひとつ異なる。ただ、どの音にも共通しているのが篠原さんの言う「柔らかい音色」。最後に、その上質な音を通して、どのような価値を人々にもたらしたいと考えているのか尋ねた。


「昔に比べて人間関係がギスギスしていたり、世知辛いという人もいる中、どこかで”癒し”を求めているというのは今も昔も変わらないと思います。目で見て『かわいいな』とか、耳で聴いて『なんて気持ちのいい音なんだろう』といった癒しの力が、江戸風鈴にはあるのではないでしょうか。」

直面する課題

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 ただ、「風鈴が欲しい」という需要に衰えはない一方で、作り手が以前に比べて格段に減っているという事実もある。実際に、”江戸風鈴”という名前を謳って商品展開しているのは篠原風鈴を含めて全国でわずか2軒。その中で継承していくにあたり、鍵となるのはガラス職人だと、篠原さんは言う。


「一番難しいのは、(ガラスを)膨らませる技術です。10年そこらではできないもので、今年96歳で亡くなった父(篠原儀治さん。1924-2021)も長いこと作ってきた中で、自分の最高傑作と呼べる風鈴は一個もないと言っていました。それだけ奥が深く、究めようと思えばキリがない大変な作業です。これを継承していくのが一番難題だと思っています。」


技術の習得に10年以上を要すると言われるガラス吹き。偉大な職人がこの世を去った今、その意志を継ぎガラス吹きを務める職人は篠原風鈴にとって、そして風鈴作りを継承していくためにも大事な存在だ。ここからは、その重責を担う濱田好拡(はまだよしひろ)さんの声をお届けする。苦労、やりがい...故・儀治さんへの想いも含めて話を伺った。

一人前になるまでの経緯

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 27歳でガラス職人の道を選び、今に至る濱田さん。接客業を経てこの世界に入ってきた理由は、そのやりがいにあるという。
「前職は取引先から送られてきた商品を売る、というものでしたが、今は自分で商品を自分で作ったものがそのまま評価に繋がるわけで。実際にお客様に見てもらって、喜んでもらえる方が手応えがあるかな、と思って移ってきました。」

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「最初から最後まで自分で作るという仕事は今、なかなかないですよね。この仕事はすべてを自分で担うこともありますから、自分の出来栄えが直に反映させます。それは厳しくもありますが、楽しいですね。」
今ではそのやりがいを享受している濱田さんであるが、先述したように、一人前になるには長い年月を要するこの世界。濱田さんはどれだけの時間を掛けてきたのだろうか。


「私は(技術習得までに)13年くらいかかりました。自信を持ってできるようになった、と言えるのはここ最近のことです。スポーツ選手と似ているかもしれませんが、自分の理想像があって、コツまで分かっているのに、身体がついてこないことととかありますよ。そこを修正できるようになったのも、つい最近の話ですね。」
13年という時間がこちらには途方もないものに感じたが、濱田さんはその期間を至ってポジティブに振り返る。
「先代(儀治さん)を一生懸命追いかけていくという感じで、そんなに苦労したと言う感覚はないですね。追いかけるものがある、というのは楽ですよ。」

先代の意志を引き継ぐ

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「むしろ先代を失ってしまった今の方が、苦労がいっぱいありますね...。追っかけるものがなくなると、どうしたら良いか分からなくなってしまいますから。指針がない今、その難しさを感じています。」

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 偉大な先代の背中を追ってここまで辿り着いたという濱田さん。話を聴いていく中で、その意志を引き継いでいる様が垣間見えたのが、職人としての心構えだ。
 篠原さんとの対話から、先代が風鈴作りにおいて満足したことはないとお聞きした事を伝えると、濱田さんも「ないですね」と即答した上で、次のように続けた。


「満足はないんじゃないですかね。例えばお客様にすごく喜ばれたとして、それはすごく嬉しいですが、そこが最高点とは思わないですからね。陶芸家の方とかも、最高のモノと言いながら自分の作品を取っておいて、まだ作り続けますよね。それはもっと最高が作れると思っているからでしょう。職人には(満足は)ないんじゃないかな。」
 加えて、風鈴の在り方が変わり続けている点も、終わりがない点に通ずると言う。

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「今は全体的に高い音色が好まれていますが、昔はもう少し低かったです。住まいも、以前は軒下が合ったのでそこに吊るしていましたが、今はないですからね。家の中だったり、あるいはインテリアとして飾るなど、用途も変わってきています。」


思えば、今や扇風機や冷房で涼むことが可能だ。窓を開けて、入ってくる風によって風鈴の音色を鳴らす、という場面も限られている。そういった時代の変化を受け入れながら、江戸風鈴は今後どのようになっていっていくのだろうか。江戸風鈴の魅力も交えて、今後の展望を尋ねた。


「音にこだわる民族は、日本人くらいだと思います。特にガラスの音を聴く風習があるのは日本人独特なもの。それが今、だんだん住宅の事情などによって廃れてはきていますが、それ自体を今のスタイルに合った形でうまく残していって、さらには海外の方にも喜んでもらえるモノになれたらなと思います。」

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取材後記
 取材を通して感じたのは、風鈴作りがそれだけに留まらない、生き続けるための本質を捉えているということだ。
 まず、時代とともに変わりゆくこと。時代の流れから取り残されれば、需要は減り、存続は難しくなる。何を求められているのかを知り、適応していくことは、モノもヒトも、生き残るために欠かせない要素である。
 そして、そのためにも進化し続けること。決して現状に満足することなく、常により良い状態を目指す。ものづくりも、スポーツも、そして人生そのものも、新たな目標が生まれ続けるからこそ、終わりがない。それを端的に表している偉大な職人の言葉で、今回の取材を締め括る。
「満足したら終わりだと思う。だから続けている。」-故・篠原儀治

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