見出し画像

役立たずについて

こんにちは。
一ヶ月前に生活保護を卒業して、謎の海外で生息しているポにい〜です。

突然ですが、皆さん「誰かの役に立っていますか?」

テレビのニュースなどで、「生活保護受給者がパチンコに行って遊んでてけしからん!」

Twitterでは、生活保護受給者の僕に「役立たず。働け。」とDMが来ることもありました。

そんな僕は、海外でリモートワークで働いているのですが、諸事情で大人数の中で暮らしています。

同居人の彼らは、だいたい昼から起きてきたり、昨日なんかは夕方の4時までずっと寝ていたりするわけです。

対して、僕はそんな彼らを横目にパソコンを開いて、朝から夕方まで働き、その後スーパーに行って、同居人と家族のために料理を作ります。

そこで、僕は「自分の子供だったらいざ知らず、なぜ働きもしない、病気でもないのにずっと寝ているヤツのために自分が働いてメシまで食わせなくちゃいけないんだろう…???」とイライラしたりするわけです。

そんなモヤモヤを抱えながら一ヶ月が過ぎ、正直同居人を見るのも嫌になって、自分のモチベーションがかなり下がっているのを感じました。

話は変わりますが、今僕はハンナ・アーレントの「人間の条件」という本を読んでいます。

この本は、ざっくり以下のような内容になっています。

・人間とは何か?
・古代、中世、近代における人間の価値観の違いについて
・労働、仕事、活動とは何か?

その中で、私たちが生きている労働社会について、

労働社会は、人間を、彼らが労働過程で果たす機能によって判断する

人間の条件「ハンナ・アーレント」

という箇所があります。

社会やコミュニティにおいて「役立たずは嫌だから、なんらかの役に立ちたい。何かの価値を提供したい」
= function(機能)として有益な人間になりたい!

また、社長や従業員、父親=role(役割)として有用な人間になりたい!

と、考えることが多々あります。

しかし、人間の条件を読んでいくうちに、「果たしてこれは人間として生きていると言えるのか?」という問いが生まれてきました。

本書を読んで、

「そもそも自分が他人のことを労働力や機能としてしか判断していなかったのではないか?」

と反省するキッカケとなりましたし、そもそも自分が他者を「ニンゲンとして」接さなければ、自分が「ニンゲン」として生きることも出来ないのではないか?と気付かされました。



生活保護は役立たず。

働いてない人間は恥ずかしい。

役に立つ人間になろう。


そうやって、機能として人を優れているか劣っているか判断していないか?

これからは、それを問いつつ他者と接していきます。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?