走馬灯(第4話)
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私は見知らぬ場所に立っていた。
(ここはどこなのだろう……)
当たりを見回してみる。ひどく古ぼけた街だった。何もかもがくすんでいる。一見どこにでもあるような住宅街なのだけど、まるで茶色の色眼鏡をかけているかのように全体が茶がかって見える。だけど、その光景は遠い昔に見たことがあるような既視感を感じた。
(私は過去に、この光景を見たことがある……)
思い出そうとした。急に頭痛が襲ってくる。それはいつものような頭痛だった。何かが私にそのことを思い出させないようにしているかのように体が拒絶反応を起こすのだ。私は思い出すのを諦めた。
(突っ立っていても仕方が無い……)
私はゆっくりと歩き出す。
(そう言えば、私は屋上でバランスを崩して下に落ちてしまったのではないのか。それなのにどうしてこんな場所にいるのだろう……)
屋上での出来事が遠い昔の出来事のように感じる。まるで夢の中の出来事のようだ。だけど、今のここにいる私のほうこそが夢の中なのかもしれない。どっちの方が現実なのだろうか。分からなかった。考えるだけ無駄なのかもしれないと思ったから、私はそれ以上考えるのを止めてしまった。
その時、私が歩いている街路の向こう側から二人の人間がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。一人は50歳くらいの男性で、もう一人は小さな女の子だった。男性に手を引かれながらてくてくと歩いてくる。私は立ち止まった。
(私は……)
突然、胸を強く引き締められるような感覚を覚えた。
(この二人を知っている?)
少女は顔を上に向けて男性にしゃべりかけた。
「これから、どこに行くの?」
男性は立ち止まった。そして少女の前にかがみ込んで、視線の位置を少女に合わせる。
「それは、さっきも言ったでしょう。これから、君のお父さんとお母さんになってくれる人のところに行くんだよ」
その声はとても優しげで、その表情はおだやかな笑みに支配されていた。その表情を顔に作り出すのが職業的に必要とされているように、一見完璧な笑みだったのだけど、その笑みがひどく能面のようにのっぺりとして感じられる。だけど少女はそんなことに気づきもせずに、その笑みに対して同じような笑みを浮かべた。
「そうなんだ……」
「そうだよ。だから、行儀良くしていないと駄目だよ」
二人は再び前に歩き出した。ゆっくりと私に近づいていく。私の姿は全く見えないようだった。
そのとき、私の中に一つの強い思いが沸き起こった。
(この少女は……私だ……)
そうだ。そうなんだ。これは私だ。
私の中に閉ざしていた昔の記憶が流れ出す。
私はいつも、本当の自分を表に出してはいけないと思い込んでいる子供だった。
いつだって演技をしていた。嬉しくもないのに周りが笑っているという理由だけでにっこりと微笑むことができたし、悲しくもないのに涙を流すことができた。そうすることがこの世界を生きていくための唯一の方法なのだと固く信じていた。そうしないと誰も私を受け入れてはくれないんだと思っていた。
(でも、なぜ、そう信じるようになったのだろう)
手を引かれていく少女を見つめながら、私は自分自身の中に答えを探す。
(いつから私はそのようになってしまったのだろう?)
良く分からない。
男と少女が私のすぐ目の前に歩いてきた。
私は少女の顔を凝視する。そこには現在の私の顔の面影が確かに現れていた。
男と少女は歩を止めなかった。呆然とする私は二人を避けるために脇に寄ろうともしなかった。二人には私の姿が見えないようだった。そのまま気にもせずに前に進んでくる。そしてそのまま二人の体が私に重なり、後に通り過ぎていく。
私は、実際の自分はあの時、屋上でバランスを崩して下に落ちてしまったことを思い出す。
(そうか、これは夢なんだ。走馬灯ってやつなんだ)
私は後を振り返った。
二人はそのまま歩き続けている。
でも、二人はどこに向かっているんだろう。その一人は過去の私であるはずなのに、そのことがどうしても思い出せない。
(別に、どうでもいいか……。もうすぐ私は死ぬんだから……)
私はポツリと思った。
そして、私の周りの景色が次第に色と輪郭を失っていき、再び暗闇の世界に落ち込んでいった。