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帰れなくなって思ったこと

こんにちは、浅葱です。関西のとある大学の2回生です。

大学進学に伴って実家を出るとき、周囲やライバルの思いを背負い、家族の援助で勉強させてもらえるのだから精一杯頑張らねばと、それなりに覚悟を固めていました。「ふるさと」の歌詞の3番みたいな感じです。志を果たさなければ帰れない、とまで思い詰めていたわけではありませんが、それくらいの気持ちであろうとはしていました。勉強する意欲も才能もあったのにいろいろな事情で十分に出来なかった親戚や友人のことが頭をよぎり、少なくとも恵まれている自分が簡単に帰りたいとか思ってはいけないんだ、と生まれて初めて買った片道航空券を握りしめながら新千歳空港の出発ロビーでひとり静かに決意したことを覚えています。

まあ故郷自体が嫌いだったわけではなく、そんな決意など周囲は知ったことではないこともわかっていたので、家族から促されるままに8月に一度帰省して高校の後輩に会いに行ったりしていました。

そして、それ以来1度も帰省していません。

といって家族がこちらに遊びに来たことはあるので全く会っていないわけではないのですが。年末年始に帰る代わりに、3月に予定されていた出身高校の合唱部の定期演奏会にOGとして出演するのを楽しみにしながら、2月中旬に人生初海外となるインドネシアに旅立ちました。当時はまだ中国・韓国以外への海外渡航も制限されておらず、インドネシアでもまだ患者は出ていなかったので今考えるととても暢気な気持ちで出発しました。

その後の2週間、転がり落ちるように悪化する情勢を報じるニュースを、異国の街で不穏な気持ちで追っていました。3月頭の帰国後に家族と連絡を取り、定期演奏会の中止と北海道の患者数急増を聞かされ、帰省中止を決めました。

航空券キャンセルの手続きをしながら、これまでずっと気づかないふりをしていた気持ちがあふれてきました。

あの街が恋しい。錆びた鉄骨がむき出しな無人駅も、雪かきも、6月の日中でも20度あるかないかわからない気候も、会うたびについ長話をしてしまうお隣のおばあさんも、幼なじみとその愛犬も、どこまでも続く海沿いの道も、信じられないくらい甘い野菜も、回転寿司を嫌う人の気持ちが理解できないくらい新鮮な魚も、アブラコとヒトデばかり釣れてしまう釣り場も。

家族に会いたい。家事くらい肩代わりするから、必要ならきょうだいの勉強くらい見るから、家族の作ったご飯を家族そろって食べたい。実家に山と積まれている本を読みたい。ピアノを弾きたい。一緒にテレビ見て画面に突っ込んだりしたい。トランプで負けて悔しがる顔を見てニヤニヤしたい。友達にも会いたい。近況でも話しながらネパールカレー屋のチーズナンをつまみたい。あの子の愛犬の散歩にまた付き合いたい。ろくなアドバイスもできないけど、合唱部の後輩や同期や先輩と一緒に歌いたい。

一方で、実家で大学生活を送るのは私には難しいのです。

ときには夜遅くまで続くミーティングやオンライン飲み会。音声もビデオもオンにし続けて発言しなければならない、休み時間が短い上に動かせない授業。何より、一人の時間をある程度取れないとすぐに心の安定を失ってしまう性分なのにどうしても一人になれない家の構造。高校時代までなら自分や他の家族が外出しているときに一人になれたけど、今は大体いつも誰かが在宅している。一人になれるとしたらトイレとお風呂くらいだけど、そのために占拠するのはさすがに気が引ける。

18年間家族とともに過ごしていたけれど、家族との仲は良好だけれど、地元は大好きだけれど、今の私は生活拠点をここに置くことは出来ない。

もちろん実家から大学生活を送っている友人はたくさんいるし、下宿暮らしでももっと実家と近い大学に通っている人もたくさんいるのですが、彼らの生活の様子を聞くたび、私には無理だと思ってしまうのです。実家では大学生活を送らないという前提ですべての活動設計をしてしまっているから。

もう昔には帰れない。前に進むしかない。

改めて思い知ったところから、私の大学2年生は始まりました。




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