感覚で生きる
2025年が始まってあっという間に1週間。
年末年始というだけでいつもほとんど見ないテレビをだらだら見たりする。
でも、昔も今もわたしはニュースが苦手だ。
さっきまで苦い表情で残酷なニュースを読んでいたアナウンサーが今は「かわいい動物の赤ちゃんが〜」などとニコニコ笑っている。
誰かが笑っている裏では誰かが泣いていて
誰かが愛されている裏では誰かが傷つけられている
いつも、ずっと、そう思って生きている。
昨年の地震然り、今年の火事然り、どうにもできないしんどさが肩に降り積もる。
時が止まることはなく、夜眠れば当たり前に朝が来る。
誰かの胸の内を読み解くことはできないし、他人と同じ人生を歩むこともできない。
良し悪しではなく無力ゆえ、電車の窓から見る景色くらいの温度で世の中を眺める。
本当に大切なものは傍をゆっくり歩かないと見えない。そして、歩いていてもなお見落としてしまうのが人間という生き物なのである。救えない。
そうして無力なわたしは新年早々怖い顔した不動明王に柄にもなく平和を願い、他力本願で肩の荷を下ろした後おみくじを引いて手の届く範囲の生活に戻っていく。
余談なのだけれど、今年は年女の厄年だと思って厄払いに行ったのだけれど「高幡不動尊では厄年にあたらないのですが厄払いで良いでしょうか?」と確認された。どうやら神社とお寺では厄年が異なっていたりするらしい。知らなかった。
思わぬ形で厄年が吹っ飛び、2025年出だしからラッキーと浮かれる単純な自分に呆れ笑った。
人生そのくらいの温度でいい。
さて、新年1本めにPERFECT DAYSを観た。
わたしの伝えたい想いや目指すところってこういうことだなと思った。
わたしの理想というよりはmonoclearの理想に近かった。
繰り返しのような気がしてしまう日々を、ちゃんとリセットして新しい1日として生きる。
人それぞれの幸せがあって、細い糸がプツンと切れてしまわないようにささやかな光を両手で包むような過ごし方。
嵐や台風のように生きがちなので、こんな木漏れ日のような暮らしにいつかたどり着けるといいなと思った。
映画内唯一の「怒」のシーンがとても印象的だった。完璧じゃないという人間らしさと安心がそこにあった。
そういえばおみくじに「自分をもっと信じなさい」と書いていた。
変わるものと変わらないもの、両方大切にして今年も1年直感を信じていきたいと思います。
せめて傍にいてくれる人たちくらいはささやかにでも幸せにしたい。
ようやく息子の冬休みが終わったので、明日から仕事や諸々再開していきます。
今年もよろしくお願いします。
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映画やドラマに疎いので、おすすめがあったら教えてください。