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夏至の思い出
義務教育時代はもちろんのこと、その後もかなり厳しい門限がある家で過ごさざるを得なかった。というのも、私の毒母親は迷信や職業差別がデフォルトで世間体第一主義。そこにイメージだけの偏見を加えてベースにした強い思い込みから独自のルールをでっち上げ、私のやることなすこと、ありとあらゆることに頭ごなしに反対し、自分の考えを押し付けるようなタイプだからだ。
未だに「テレビでやってたから(正しい)。テレビは見たほうがいいわよ」という。言わせておけ。ウチのテレビは15年前に捨てた。
今にして思うとまるでカルト村のような家庭だったので毒母親のことを陰で「ムラビト」と呼んでいる。
だいぶ経ってから本当に洗脳されていたのに気づかされたが、おかげさまですでに解脱している。
子供の頃、友だちと近所の公園で遊んでいても自分一人だけ「そろそろ時間だから」と切り上げなければならなかった。明朝が早いサラリーマンのようで切ないが是非に及ばず。
そんなことが続けば一緒にいる子たちには「過保護」とバカにされ、その子たちの親からも「一人っ子だから、だいじにされてんのねぇ」といったリアクション。誤解なのか嘲笑なのかわからなくて感じが悪い。
自分では門限など守りたくもないのに、まだ歳は一桁。扶養家族の立場としての非力さよ。ムラビトのパワハラに対抗することができない悔しさと憤りを毎日のように味わっていたのだ。
〽ああ、こんな村(家)いやだ〜
ああ、こんな村(家)いやだ〜
このままでは病んでしまう。早く自分で稼げるようになってこんな村(家)から出ていってやる! と自立の決意を固めたきっかけにもなっているが、とりあえず今、自分ができるのはムラビトに相談というか交渉することだ。
「門限を延ばしてほしい」
「アブナイからダメに決まってるでしょ!」
「だってみんなんちは……」
「よそはよそ、うちはうち!」
言うと思った。
「じゃあ期間限定は? たとえば日没が遅くなる季節、外が明るいうちは外にいてもOKにしてよ。そのくらいはいいでしょ?」
「んー、そうねぇ。夏至の日がいちばん日が長いのよ? そうする?」
「一日だけじゃつまんないから、夏至の日から七夕までは?」
「それならいいわよ。でも19時までには帰ってきなさいよ!」
やったー! この手で自由を勝ち取ったぞー! 解放感で晴れ晴れとした気分だ。アドレナリンとオキシトシンが出まくっているに違いない。足取りも軽い。でもいつも一緒に遊んでいるやつらには、どうせバカにされるから言わないでおこう。学校が終わったら一人(!)自転車を漕いで、どこまででも行ってやる。
北欧の一大行事「夏至祭」になぞらえるなら、厳しい冬の村(ムラビト家)で忍耐力を身につけた私へのご褒美といったところか。白夜だったら、もっといいのに。
あの解放感は記憶の中に深く刻み込まれていて何十年か経った今も、夏至の時期が近づくと晴れやかな気分もやってくる。
あしたは夏至です。おめでとう!
Glad Midsommar(グラード ミッドソンマル)!