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12.トンボ →

 おりしも、話題となっている悠仁さまの研究にのっかるようなカタチになってしまったトンボについて。
 昆虫の種類も数々あれど、印刷物の制作に欠かせない「トンボ」もある。私は10代から印刷畑で育ったので、秋になると飛び交うトンボより先に印刷業界が思い浮かんでしまうのだ。
 最近では同人誌を作ってコミケや文学フリマに参加される方が増えて、印刷所とのやり取りも身近になってきたのではないかと思う。紙のトンボがわかるやつ、だいたいトモダチ。

 印刷で使うトンボは全部で4種類ある。まず1つ目は、基本4色を1回ずつ刷るときに見当を合わせるための「センタートンボ」。西洋式ではトリムマークと言われる十字のカタチをしている。ヘッダー画像がこれなのだが、昆虫のトンボに似ていることから「トンボ」と呼ばれることになったらしい。
 次に「角(かど)トンボ」または「コーナートンボ」の「内トンボ」と「外トンボ」のコンビ。前者は仕上がりサイズの確認と断裁時の目印になり、後者は余白のない、いわゆるフチ無し印刷にするための塗り足し部分となる。4つ目が、後の加工で折り目を付けるための目印「折りトンボ」である。つまり、何かしらの目印になるものがトンボなのだ。
 これらは日本式のトンボで、完成品になると断裁で落とされて見えない。もし出来上がった印刷物にトンボが残っていたら仕上がりサイズが間違っていたか断裁ズレによるミスなので、あやまり侍の登場となってしまう。考えただけで背筋が寒くなってきた。
 
 私が初めて就職したのは印刷会社だった。中途採用だ。某音響系の専門学校を中退していながら、まったく違う業界へ行ってしまった。
 なにゆえ印刷会社なのか。和文タイプの経験が少しあるのと、電話の応対や人との会話が苦手なので、そうした接触が少なそうな写植オペレーターになりたかったということ。あとは偏ったいろいろな情報の影響で、写植屋さんってカッコイイと思っていたからである。
 当時はバブル経済期の売り手市場で求人誌は5〜6種類ある中、フ□ムエーから探して面接希望の電話をかけた。

 写植のアルバイト希望と告げて、専務か常務かよくわからない、にこやかなおじさんに履歴書を渡すと、非常にゆるくカジュアルな面接が始まった。
 「どうしてウチを選んでくれたの?」
 「夏樹さん、お酒飲める?」
 「家は近いんだっけ」
 この程度の質疑応答の末、「じゃ、12日(月)の朝9時にもう一度、来てくれるかな」とその場で採用が決定した。一発オッケーだ。そんなんでいいのか。こちらが心配してしまうほど軽く、あっけないものだった。「いいとも!」と返答しても「だっはっは」と笑われるだけだっただろう。

 指定された日時に写植を打つ気まんまんで初出社すると、配属されたのは制作部門の進行管理だった。
 (え、聞いてないよ)
 内心そう思ったが、なにやら事務手続きが進んでしまっている。タイミングを見計らって訊ねてみると
 「うん。ダイジョブだから、こっちね」
 な、何を根拠に……。
 「いやいやいやいや、人としゃべれないんですって。電話も無理!」
 「いいんだよ、それで。ま、やってみてよ。あ、それから正社員のほうで登録しといたからヨロシク〜」

 ちょ待(ま)ー! 人事のおじさん、見る目なさすぎぃ。ああ、すでにもう辞めたい。でもせっかく採ってくれたうえ、バイトじゃなくて正社員は魅力だ。それに、もしかしたら仮配属期間が終われば写植が打てるかもしれないぞ。そう自分に言い聞かせながら通勤する毎日。

 まず覚えることは業界用語だった。海外で暮らすにはその国の言葉を知って話せなければ死活問題だ。それと同様。
 制作して印刷物になるまでの流れの中に登場する数多の作業それぞれの名称、色の名前、紙のサイズ、書体の級数、校正記号、デザイン用語、機械の名前、何に使うものか、使うとどうなるのか、どういうケースがそれに該当するのか、なんでこうしちゃダメなのか、カメラとフィルムのこと、どんなことがだいたい何日あればできるのか……など印刷に関係する物事すべてを現場で叩き込んでいく。
 そのうち応用問題が多発してくるし、作業量も日々増えてくる。担当している仕事を全部いっぺんにやろうとしてテンパっていると「やることリストを作って、優先順位をつけてこなせ」とのアドバイスをもらう。そらそうだ。
 疑問があれば専門部署へ走り、ベテランの職人をつかまえて聞きまくる。初めてのことがどんどんわかっていって楽しいのだが、ただわかるだけではなく「どうしてそうなるのか」といった原理や、用語の由来まで知らないと納得して仕事ができない性格はめんどくさがられながらも面白がられた。
 2年目の終わりか3年目、自分では一丁前になったつもりでいたが、仕事に慣れて来た頃に誰もが犯してきただろう、ごく簡単で致命的なミスをした。
 上司や先輩方はそれをわかっていながら、ギリギリ間に合う工程まで黙って見守っていたようだ。二度と同じ失敗を繰り返さないために痛い思いをさせて人を育てる、豊かな包容力だった。
 後のフォローをしてもらった上司に恐縮し、小学生のように「もっとがんばります!」と頭を下げると、上司は笑顔でキツい一言を放った。「頑張んなくていいから、結果で見せろ」。
  シオカラいトンボの思い出である。

 じゃ、次!「ぼ」


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