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6.鰻 →

 鰻の蒲焼きは子供の頃からの大好物で、中学時代には、部活があって給食のない土曜日、お弁当にリクエストしていたほどだった。大人になると味覚が変わることがあるが、鰻は今も変わらない。

 蕎麦も大好きで、20代〜30代の頃は蕎麦屋を見つけると、無理なく行ける範囲で片っ端から入ってみる。そこらじゅうの蕎麦屋の味と店のつくりはだいたい把握していて、レビューこそ書かないものの自分なりの評価や特徴を脳みそのシワに刻み込む。そして自宅周辺および職場周辺の蕎麦屋マップを、脳内に作り上げていった。
 それに加え、乾麺もやたらと買ってきては家で茹でて、これはうまいの、失敗したの、と楽しくやっていた。凝り性なのである。

 鰻も然り。ただ、雰囲気的にもお値段的にも蕎麦ほど簡単には食べられない。そのため頻度は少なくなってしまうが、チャンスがあれば鰻を食す。
 店内はもとより、百貨店に出店している弁当や店からの出前、2000年になるとオンシーズンにはコンビニでも並ぶようになっていたので、さまざまな業態で販売される鰻を楽しむことができた。
 結論として出前は、名店といえども味は落ちる。できるなら(絶対)店に行って食べたいところだ。しかし、中には例外もある。味の実力プラス雰囲気かもしれないが。

 一年に一度、秋に行われる氏神様の例大祭で神輿が商店街を練り歩くとき、ずらりと出店(でみせ)が軒を連ねる。境内の屋台はテキヤの縄張りだが、商店街では各々自分の店先に、店主みずから陳列台を出して腕を振るうのだ。
 この日ばかりは、ふだんは敷居が高くて入りづらい店からも料理人がオモテに出てきてくれる。気軽に声を掛けられるうえ、プチプラでその店の味をひとくち楽しむことができ、お祭りの日にしか食べられないものに出会えるのもレアでよろしい。
 私の好きな割烹も毎年うな重弁当を並べ、トウモロコシを香ばしく焼いていた。天高い秋の空にお囃子が響き、威勢のいい掛け声をBGMにいただく、うな重や焼きとうもろこしは格別だ。しかし残念なことに、この店はことしの初夏に閉業した。今秋のお祭りは寂しくなってしまう。

 百貨店のうな重弁当やコンビニ弁当については申し訳ないが、ハナから少しバカにしていた。焼き上げてすぐに出発する出前がイマイチなら、弁当としてまとめて作り、何時間も陳列しているものが旨いわけなかろう、という先入観。
 と・こ・ろ・が! 電子レンジで指定時間温めると身はふっくら、ご飯の塩梅もいいではないか。甘辛いたれもプロの味だ。ヘタな専門店をしのぐ旨さだった。バカにしたままにせず試してみて良かった。
 温めることを前提に調理された鰻とご飯。これは持ち帰り専用として考えられた容器ごと加熱することで、中の水蒸気を循環させて食材を乾燥させずジューシーに仕上げる仕組みなのか。なるほど、スチームレンジ(?)的な役割を果たしているのかもしれない。

 それにしても、鰻はいつの時代も高価な食べ物であるが人気も注目度も高いため、梅雨を迎える頃になると夏の土用の丑の日に向けて、メディアはこぞって鰻特集を組む。
 「国産うなぎが安くなる日が来る!」と書かれていれば、つい期待し、「鰻をめぐる深い闇」「密輸から闇市場へ」と言われて、やっぱりかと落胆。さらには「日本人が鰻を食べ過ぎるせいで絶滅危惧種に!?」の見出しに申し訳なくなり、「うな次郎」や「謎うなぎ」といった代用品に殺到したりする。
 ついこないだも「サバにマグロを産ませる新技術」とやらに目を奪われ、鰻の養殖にも応用できるのかどうか期待しながら読んだが、そういう話ではなかった。
 すでに揺るぎない鰻利権のシンジケート的なものが確立してしまっているのだろうから、おそらくこの先も消費者の期待と不安を揺さぶり続けていくのだろう。
 鰻の話題は一喜一憂するため、心身にはよくないのである。それこそ、鰻を食べて養生せねば。

 再び蕎麦の話になるが、私が40歳をすぎる頃、あれ? と思ったことがある。あれだけ大好きで朝から晩まで三食 蕎麦でもどんと来いと公言し、「あたしゃ、あなたのそばがいい」なんて都々逸まで唸っていたのに、気づくと蕎麦を食べたいと思わなくなっていた。

 おい、どうした?

 ためしにマイ脳内蕎麦屋マップを広げて、ランキング上位の店から一軒選んで行ってみた。
 ひとくち。んー、うまい! いつもの味である。これなら毎日でもいい。なんだ、やっぱり食べたくないのは気のせいだったか。
 蕎麦とつゆのハーモニー、香りと喉越しを楽しみつつ、どんどんたぐってせいろ一枚の8割ほどまで進んだ頃、それはいきなり訪れた。
 「あ、だめだ……?」

 おい、どうした?

 病気というわけではないがちょっと心配になったので、後日、自分よりかなり年上の食いしん坊にその旨 聞いたところ、一言。
 「それはね、トシだね」
 「えっ、まさか」
 「いやオレもね、とんかつだのラーメンだの、あーんなうんまいモン絶対 腹が減ってればナンボでも食えると思ってたんだよね。ところがさ……」
 「へぇぇぇ。さみしいねぇ」
 「蕎麦なんか、おめぇ、チョーシ悪かったらつっかえちゃって、いちばん食えねぇモンだよ。今は都合つけねぇと鰻も無理だ」
 これにはショックを受けた。そうだったのか。

 そうか。満腹で入らないのとは違う感覚が胸のあたりに突如、デンと現れたのは「トシ」だった。そうか。「しばらく食べていない」で済んでいたのも「トシ」のせいだ。納得した。
 犯人はトシ。

 この話を先日、自分よりもだいぶ若いスターオブババアさんにしたところ
 「えぇ、それは嫌だなぁ」
 うんうん。やっぱり同じようなリアクション。その場でしばらく頭を抱えていた。
 「え───、ほんとに───??」
 だいぶショックだったと見えて著書「縁環のキリトリ」にも書いていたほどだ。

 いくつになっても美味しいもの、好きなものを食べたいときに食べられたら、これがいちばんの幸せかもしれない。

じゃ、次!「ぎ」

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