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短編小説『話半分の記憶』
まえがき
記憶とは、不確かなものだ。それは私たちの経験を形作り、現在を支える基盤でありながら、時として嘘をつく。曖昧さと事実が入り交じるその中で、ある男が直面する奇妙な体験を描いた短編をお届けします。
高橋悠は、目を覚ました瞬間、違和感に包まれていた。ここ数日、誰と会ったのか、何を話したのか、思い出せないのだ。それは単なる物忘れとは違う。記憶の断片が、まるで映画のフィルムが焼け焦げたように、ところどころ欠落している。
その日も、彼はいつものように仕事に向かうためスーツを着込み、電車に乗った。車窓から見える風景は変わらない。しかし、見慣れたはずの駅名がぼんやりと霞み、通勤ルートさえ確信が持てない。
"先週もこんな感じだったっけ?"
悠はスマートフォンを取り出し、過去のスケジュールを確認する。だが、メモや履歴も一部が欠けている。メールには「昨日はありがとう」というメッセージがあるが、誰に感謝されたのか、なぜなのか、さっぱり分からない。
昼休み、悠は同僚の佐藤に恐る恐る尋ねた。
「先週、俺って何してたっけ?」
佐藤は驚いた顔で答える。「何って…普通に仕事してただろう?いや、そういえば、金曜日に急に早退してたけど。何かあったのか?」
悠は首を横に振った。その金曜日の記憶がまるごと抜け落ちている。彼は気持ち悪さを振り払うように、別の話題に切り替えた。
だが、その日の夜、異変はさらに深刻になった。自宅に帰ると、リビングのテーブルの上に見慣れない封筒が置かれていた。送り主の名前もなければ、差出人の住所もない。恐る恐る開けると、一枚の手紙が入っていた。
“あなたの記憶は、話半分だけ正しい。”
短い一文だけが記されている。悠は息を呑んだ。誰がこんな手紙を?そして、この意味は何なのか?
翌朝、彼は意を決して、失われた記憶を探るため、手紙の送り主が何かを知っていると仮定し行動を起こすことにした。だが、手がかりは皆無だ。電話番号もないし、住所もない。それでも、奇妙な既視感に導かれるように、悠は金曜日に早退した時間帯に訪れたはずの場所を思い出そうとした。
すると、ぼんやりとした記憶の中に、街外れの喫茶店が浮かび上がった。その店は、「カフェ半月」という名だった。
悠が喫茶店に足を踏み入れると、奥の席に白いシャツを着た女性が座っていた。どこかで見たことがある顔だが、思い出せない。
「高橋さん、来てくれたのね。」
彼女の声は、不思議と耳に馴染むものだった。彼女は悠を見て微笑むと、静かに言った。
「あなたは私と話をしたことを忘れている。でも、それは仕方のないこと。あなたの記憶は、私が——"
その瞬間、彼女の言葉は途切れ、悠の視界が歪んだ。頭に走る鈍い痛みとともに、記憶の断片が激流のように押し寄せた。彼女と過ごした時間、語り合った内容、そして…彼女が告げた真実。それらはすべて夢のように浮かび、また消えていく。
気がつくと、悠は自宅のソファに座っていた。目の前には、またしても一枚の手紙があった。
“真実は、記憶の中に眠っている。”
彼は頭を抱えた。記憶はどこまで本物なのか、何が嘘なのか。それを知るすべは、もう失われているかもしれない。だが、その喫茶店が現実だったのか、それとも幻想だったのかを確かめる術は…
悠は深く息をつき、目を閉じた。自分の記憶にさえ裏切られるこの奇妙な世界で、彼は何を信じれば良いのか、答えを見つけることができる日は来るのだろうか。
あとがき
「話半分の記憶」は、記憶の曖昧さや信憑性について考えさせられる物語です。私たちが信じる過去は、本当に正しいのでしょうか。もしかすると、私たち自身の記憶もまた、話半分の真実に過ぎないのかもしれません。
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![物語の綴り手](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163002132/profile_80d4013789f85d111cfe54d20b2d49d9.png?width=600&crop=1:1,smart)