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短編小説『堅気になる』

まえがき

堅気になる——それは、極道の世界から足を洗い、普通の人間として新たな人生を歩むことを意味します。しかし、その道は平坦ではありません。過去の因縁、裏社会の掟、そして社会の偏見。これらを乗り越え、堅気としての人生を選んだ男の葛藤と決意を描きます。


堅気になる

「もう、これ以上血を流すのは嫌なんだ。」

氷室正樹は、そう心に誓ったのが半年前のことだった。横浜の港町で生まれ育ち、極道の世界に足を踏み入れたのは17のときだった。父親は酒に溺れ、母親は早くに亡くなった。行き場を失った少年は、組の先輩に拾われ、そのまま裏社会の道を歩み始めた。

30年——。その間、何人もの仲間が消えた。敵対する組織との抗争で、命を落とした者もいれば、刑務所から出られなくなった者もいる。氷室は運よく生き延びたが、その代償として背中には消えない傷跡が刻まれていた。

しかし、ある出来事が彼を変えた。それは、10歳になる息子・悠人との再会だった。


再会

悠人は、氷室が若い頃に関係を持った女性との間に生まれた子だった。彼はその存在をずっと知らず、女性が病死したことで初めて彼の元に連絡が入った。

「俺に息子がいる……?」

手元に届いた一通の手紙と、添えられた幼い少年の写真。そこには、どこか自分に似た少年の顔があった。その瞬間、氷室は今まで感じたことのない感情に襲われた。それは、責任感と父親としての愛情だった。

悠人を引き取る決意をした氷室は、組長に辞表を出した。

「正樹、お前、本気か?」
「はい。本気です。」
「……裏切り者にはならないでくれよ。」

その言葉の裏に隠された脅威を氷室は感じた。それでも、彼は後戻りしなかった。


堅気への道

氷室は横浜を離れ、千葉の片田舎に小さな家を借りた。最初は、普通の仕事を探すことに苦労した。前科がある男を雇ってくれる場所は少なかった。それでも、工事現場で汗を流し、息子と過ごす時間を大切にした。

「お父さん、今日のカレー、おいしいね!」
「そうか、たくさん食べろよ。」

悠人の笑顔を見るたびに、氷室は堅気になってよかったと思った。だが、平穏な生活は長くは続かなかった。


過去との対峙

ある日、家の前に黒塗りの車が止まった。降りてきたのは、かつての兄貴分だった辰巳だった。

「正樹、戻ってこい。」
「もう堅気になるって決めたんだ。」
「お前の意思はわかるが、組はそうはいかねぇよ。ケジメが必要だ。」

辰巳は、氷室に最後の抗争で裏切り者として殺された仲間の遺族に詫びるよう要求した。それが「ケジメ」だというのだ。

「わかったよ。」

氷室は悠人を近所の友人に預け、指定された場所へ向かった。


決意の果て

廃ビルの一室で、氷室は遺族たちの前に頭を下げた。静寂の中、重苦しい空気が流れる。

「お前が頭を下げても、俺たちの兄貴は戻らねぇ!」

男が怒鳴り声を上げると同時に、ナイフが振り下ろされた。だが、氷室は動じなかった。

「俺が死んでも、悠人には手を出すな。それだけが条件だ。」

男たちは、氷室の覚悟に圧倒され、結局ナイフは振り下ろされなかった。辰巳は静かに言った。

「これで本当に最後だ。……二度と俺たちの前に現れるな。」


平穏

その後、氷室は悠人と静かな生活を続けた。過去の傷は消えないが、息子とともに歩む未来には希望があった。

「お父さん、いつか俺もお父さんみたいに強くなる!」
「強くなるのはいいが、正しい強さを忘れるなよ。」

堅気としての生活は厳しいが、確かに幸せだった。


終わりに

氷室の物語は、過去に縛られながらも未来を切り開こうとする一人の男の葛藤を描いています。「堅気になる」とは単なる選択ではなく、命を懸けた覚悟なのです。彼が選んだ道は、悠人との時間を取り戻し、自分を赦す旅路でした。あなたなら、どんな未来を選びますか?

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