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「読みたいこと」には2つある、人生でやりたいことなどーつぶやき日記0902

昨夜は深夜ごろ寝ただろうか、午前8時前に起きた。月経2日目の夜だったけれど、ボクサータイプの吸収ショーツでしのげた。今回量はそんなに多くないのだよな。ごみを出しに行く。ミルクティーと、イングリッシュマフィンをトーストとチーズトーストにして朝ごはん。
夫にお腹の調子はどうかと聞かれ、いたいけれど昨日や一昨日よりはだいぶいい、と答えたら返事がなく、デスクに向かったまま。いや聞いてきたんなら何かあるだろうよ、ないなら聞くなよと思う。調子がわるいときに、それがどんな具合か感覚を澄まして「このぐらいの調子のわるさだ」とわざわざ自覚させられ、それを言葉で端的に表現させられるって、どっちもストレスなんだけど!そのコストをかけたのに、「…」という反応ってどういうこと?いやコストとか以前に労りの言葉とかないのかと。単に「今日はどの程度俺がサポートしなきゃいけないのか」確認してしたかったんだな、と察する(←当たってるか分からないけど)。このままスルーするのは腹立たしいので、「なんで?」とあえて聞き、反応がなかったことを自覚させ、とにかく言葉を引き出した。

今日もお腹はいたく、やる気がせず、スマホをいじる。

オンラインコミュニティの人に肌断食について質問され、嬉々として答える。スキンケアをほとんどしなくなって1か月半くらい経つが、大きな困りごとはない。良いときはそれ以前と肌状態も透明感も変わらない。わるいときは細かい皮剥けや粉ふき状態が気になることがある。ほんとはもうすこしプラスしたいケアやステップはある。あとは、これが何年も経て、シミなどにどう影響するか。だけど、すごくシミが増えたとして、肌断食のせいなのかは自分では検証できない。今のうちにクリニックなどでチェックしてもらえたらなーとは思う。

お昼はデリバリーのお弁当。ヤマトの「スマホでお買い物」便利だ(夫はUber Eatsを使いたがらない)。値段の割に普通に美味しかった。

夫は食が進まず、仕事のトラブルが相当ストレスになっているよう。朝も全然余裕がなかったんだな、非常事態中なんだなと気づく。夫がベランダで外を見ているとどきっとする…。状況についてすこし聞いてみたけれど、今は意見は控えるようにする。
トラブルは夫のせいではなく、なのになんでこんなに夫が抱えなくてはいけないのか分からない。外部的な要因が主なのに、上は叱責する人らしい。でも、夫は夫ができる範囲のことを検討してみるとして、あとは直属の上司や同僚に相談するしかないのでは…。それ以上に苦悩する必要がよく分からない。相当労力と時間をかけたのにポシャってしまうのはショックだろうし、エラい人直下の案件でプレッシャーが多大と聞いてはいる。成果主義が徹底している組織なのかもしれないが、本来は営業などとちがって売上ではかれる職種じゃないんだが、経過は評価してもらえないのかな、自分でも大きな経験値になったと思うことはむずかしいのかな。でもそんなこと言っても、今の状態では救いになるどころか追い討ちをかけるようなものだと思う。でも、そうやって見守っているうちに、突発的な行動をとったら?直属の上司に勝手に連絡して訴え(相談し)たい。夫には恨まれるだろう。どちらの方が夫を追い詰める?などと考えてしまう。

食後痛み止めを飲む。月経痛ぽさも感じるんだけど、いつもこんなに下腹部全体がいたかったっけ?しばらくら婦人科に行けていない。。だって(言い訳)婦人科、予約は取れないし待ち時間は長いし。誰か病院決めて、予約取って、タクシー手配して、そこに連れてってくれ。一緒に先生に相談して、待ち時間も帰りも付き添ってくれ。と思う。
そういえば、ある日の婦人科の待合室では、何人もの女性がノートパソコンを開いていた。ああ、みんなほんとは、こんな平日の日中に何時間も、診察の待ち時間に費やしたくないよな、と実感する光景だった。女性でなければ、なんらかの婦人科に通院する事情がなければ、男性と同様に、集中してやるべきことをやっていたいよな、と思った。

日記を書いたりアップしたり。

そうだ、最近の啓発系のnoteに対する違和感が、スイスイさんの記事に言語化されていたのを昨日くらいに見つけたのだった。

「役に立つ」ものを求めている人が多い。誰かのnoteを開くとき、斬新な価値観や、発見や、役立つ情報や、スカッとするカタルシス、自分の気持ちがスパッと言語化されていた!…など「明らかな得」がガソリンスタンドのように供給されると、期待してる人が多い気がする。
そして雑誌をとじる頃には「公開前提のただの日記」を書き残したくて仕方なくなっていた。

この雑誌を読み終えた現時点で私が定義する「日記」とは
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・あえて答えを出さない状態でおわらせるもの
・盛っても盛らなくても、どっちでもいいもの
(みうらじゅん氏はほぼ盛っている)
・自分のためだけに書いてもいいもの
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という感じ。

この記事は2018年のもの。3年前に既にこれを発信されていたんだなあ…!(この思いが今のスイスイさんの生日記にも繋がっているのかな?)

あとわたしの最近の違和感だけど、上記の、主に"発信内容"の話と、どういう構成で書くかなどの"文章術"の話とを混同していたかもしれない。
"キレイな結論のある内容"と"整った構成"って相性が良いと思うし、2つがそろうと"キレイにパッケージされた文章"となって、お金を払う価値を感じやすい。反面、距離を感じる気がする…?(緊張感を覚えるからか、キレイすぎて胡散臭いのか?)
他方、林伸次さんはご自身で"自分の文章、あんまり構成ちゃんとなってないですよね"と謙遜なさっていたと思う(編集の入っていないnoteとかのことだろう)。ご謙遜だとは思うが、たしかに"きっちり構成を組んだ感"を感じさせず、喋ってらっしゃるのを聞くようにリラックスして読めるなあと感じる。それはやっぱり、上級者向け?(内容は、結論や仮説があるときもあれば、投げかけで終わっていることもあると思う。)
内容が堅いものはきっちりな構成が合うと思うし、柔らかい話題だと喋るような文章が合うのかな。まだ整理できてない。

ふと思い立って体温を測ると、37度。ほてりや怠さがある。喉が腫れているように感じるのは気のせいだろうか。思い起こすと3日前の夕方も37度の微熱があったので、だんだん不安になり、内科と婦人科へ電話。婦人科はすぐに受診できないため、結局内科へ行くことに。大変に不謹慎かもしれないが、もし変異株にかかっていたら抗体が得られる…という考えがあり、受けられるならPCR検査を受けて知りたいと思った。そんなことを思えるのは、結果として軽症で済んだらの話だけど。その内科クリニックでは検査をやっていなかったが、その必要も含めて診察を受けることに。やはり今はこういう場合、事前に電話は必要なようだ。夫が付き添ってくれてありがたかった。地元の内科だが、歩くのもちょっとシンドい。普通の診察室とは別室に通される。今の症状としては、微熱、怠さ、喉の腫れ感(喉は見ためキレイとのこと)。症状と感染済みとを勘案したのだろうが、先生の見立てとしてはおそらくコロナではないだろうと。もし検査を受けたいなら明日朝一で連絡をして来るよう言われた。喉や怠さに効く漢方と、こちらの希望で頭痛薬を処方してもらう。夫とわかれて薬局に寄る。ここは薬剤師さんに親切な方が多いのだが、狭くてわりと待つので逆に何かもらわないか心配になる。

待ち時間、noteを開く。昨日一昨日の日記まとめてアップしておいたけど、タイトルが「不調の日々〜」から始まるという、このたのしくなさそうな記事に何書いたっけ?と読み返してみる。そうしたら、面白かった。「はっ?」っていう。だけど面白かった、なぜなら全部わたしの関心あることばかりだからだ。
オンラインセミナーのライティング講義で最も知れて良かった考え方のひとつは、"一番の読者は自分だ"ということ。一番目に読むし、一番何回も読むのも自分だろうと。読んで最もたのしめるのも、おそらく。そう思うと、発信して全然リアクションが付かなかったとしても救われる。
これは、『読みたいことを書けばいい』のスタンスともすこしちがうと感じる。『読みたいことを書けばいい』は、わたしには一読して体系的に理解することがむずかしかった(構成をがっちり整理せず、喋るように書かれている。多分この筆者にはそっちが合っているという判断なんだろう)。公開されている座談会のレポート記事と併せて、主に"自分が一読者として読みたいことを書けばいい"、という意味で言っている部分が大きいとわたしは解釈した(もしくは、"書き手としての自分がよみたいこと"、という意味と区別がされていないのかもしれない?)。

(本を理解するのに役立った記事。)

わたしが受けているオンラインセミナーでも、一読者として読むこともまた推奨されていて、つまり「読みたいこと」と言ったとき、「七海が七海が書いたものとして読みたいこと」と「七海が一読者として読みたいこと」の両方の意味を持ち得るのだと思うんだよな。「たくさん読まれる」ためには後者の視点が大事だし、個人としてはたのしむなら前者が大事だ。今日わたしが感じたのは、前者だという話。


帰宅。お腹のごろごろ感があり、刺激のすくない夕食をとる(そういえば内科で腹痛のこと言わなかったな。まあ月経痛だろうし、それは婦人科で相談できれば)。

ニュースは、自民党役員人事、野党による臨時国会召集の要求、若者の感染が広がってること(報道するなら、若者の重症者数や世代ごとの重症化率もあわせて報道してほしい)、池袋の自動車事故の裁判のことなど。裁判について書くのは躊躇するが…、内容ではなく報道の仕方が気になった。刑事裁判では「疑わしきは被告人の利益に」のとおり、たとえ無罪になったとしても「罪を犯していないことが立証された(=白)」わけではなく、「罪を犯したという証拠が十分集まらなかった(白またはグレー)」ということだ。民事裁判とは異なる結論になることもある。有罪か無罪かによって黒か白かが決められる、と解釈され得る報道の仕方になっていないか?と懸念してしまう。(もちろん自分が遺族だったら、こんな客観的なことは言えない。)
アフガニスタンで"主要閣僚に女性は入れない"とのタリバン側の発言。アフガニスタンの人権問題は深刻。だが、閣僚や国会議員に占める女性の割合とか、色んなジェンダーギャップ指数を比較したとき、日本はアフガニスタンにとやかく言える数字出てくるのか?と別のことも懸念してしまう。


話は変わり、『「繊細さん」の幸せリスト』を昨日くらいに読んでて考えたこと。本音で行動するうちに見えてくる"人生でやりたいこと"は、職業などではなく、「〜したい」という抽象的な動詞なんだという。本にあった人の例だと、芝居をやり、HSP交流会をやり、デザインをやっている人がいる。色んなことをやっているようで、「人の心を動かす」という目的に繋がっていくのだと。私の場合どうだろう?とその場で考えたのが、「日々のインプットから感じ、考え、本質やちがうものとの繋がりを見つけ、アウトプットすること」(長い)。「インプット」はいわゆる情報だけでなく、家族とのふとしたやりとりや景色なんかも含まれる。補足すれば、①ひとつのことを極めるより、興味の向くままやる、②特にアウトプットの段階で心理的安全性が確保されてることが大事、③体を動かしてやることは面倒に感じがち、ということも思いついた。貴方の場合は、どうですか?←ありがちな問いかけ。でも気になります。そういえばコレを色んな人に聞くことが、もうひとつのやりたいことなのだよな。


夕方、夫と「星のリゾート」の話に。宿泊料すごい高いらしいけどそんなにいいのか?と。ただ、トマムの「雲海テラス」は見たいんだ〜と話す。

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これ、行っても見られるとは限らないらしいけど、でも一回は行ってみたい〜雲海に包まれてみたい〜〜


頭痛がして、処方してもらったカロナールを。湯たんぽを首に当たる。また熱を計ると、37.6度。明日検査行ったほうがいいかなあ。。

寝る前は、夫が海老が食べたいという話から、(何故か)なんのお店やりたいか?と聞かれ、そりゃあカフェとか本屋とかブックカフェとか古本屋とかギャラリーとか、、と答え、夜カフェやったらお店立ってくれる?と聞くと「立ーつ」と言っていたのに、ほどなくして寝てしまった夫には期待できなさそう。


Photo by ちーぼーさん
いつもありがとうございます🌟



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七海
読んでくださってありがとうございます!