ぜんぶ"個性のちがい"になればいいーつぶやき日記0914-0915
0914
寝たのは午前1〜2時とかだったろうか、8〜9時ごろ起きた。今日はお昼にMRI検査があるので朝ごはんなし。それまでにすこしでもと、仕事を進める、。
病院で検査着のガウンに着替えた。素肌に着るのは心許ない。。金具のついてないインナーを着てくればよかった。靴下を履いてきたのはよかった。もうさむいし、病院のスリッパに履き替えるし。
今回やったことのないMRI検査の方法で不安だったけど、苦痛はすくなかった。トンネルの中に入ってガーガー鳴ってるときも、さほどうるさくなかった。(はじめてMRIやった時はたしか頭部の撮影で、頭の周りですごい音がして。その時のニガテ意識を引きずっていた。)
夫がMRIをやったとき、どうしても眠ってしまって動いてしまい、技師の人に怒られたそうでずっと根に持って(ネタになって)る。それを思い出してしまい、笑いをこらえる。動いてはいけないと思うと尚さら笑いの衝動が湧いてくる。あの中で眠るってどういうことかと思ってたけど、今回はわたしもうとうとしていた。検査自体はあまりたいへんでもなかったけれど、緊張するだけでもつかれた。
遅いお昼を食べ、午後は仕事をしていた。ニュースも新聞も見る気にならなかった。
夜、仕事の進捗は今日までの目標地点まで至っていなかったけれど、眠かったので寝た方が賢い選択と思い、夜中の12時過ぎに寝た。
0915
目が覚めると7時半。睡眠は1時間半単位だと言うけれど、ほんとに6時間とか7時間半前後で起きるもんだなと思う。真っ当な時間に寝るとそうなるのか。睡眠すごく改善してるな〜と思う。エラいエラい。
歯磨き中、外の空気が吸いたくなってベランダに出てみる。良い気候。雑誌でもベランダでのたのしみ方を特集してるのを見かけるが、「ベランピング」という言葉は知らなかった。広いベランダやテラス付きの物件に商機を見出す動きについての記事↓。
ここまでお商売の文脈で語られると興ざめしてしまうけど(苦笑)。でも広いテラスの物件が増えるのは歓迎だ。さしあたっては今のベランダで素朴にたのしみたい。テーブルセットたのしみだな〜。
オートミール・ヨーグルトにブルーベリージャムを添えて、紅茶をおともに朝ごはん。
↓「うわあ〜!」となった、モヤモヤを言語化してくれた記事。
"障害者・健常者"という言葉への違和感は度々語られていると思うけれど、
2人はふだん自分が障害者であることを忘れているからショックを受けた
ああ、そうなんだと気づく。わたしの中に「障害のある人は皆んな、自らを"障害者"と意識しながら日々生きているはず」という無意識の思い込みがあったことにも。
障害者やのに頑張っている――という、「やのに感」が漂うからだ。
確かに「健常者アート」とは言わない。「外国人人材」「女性研究者」には「やのに感」が漂う一方で、「日本人人材」「男性研究者」とはあまり言わない。
たしかに「自分だったら」と考えると、"障害者なのに"と特別視されること自体やいやだろうなと思う。「やのに感」への違和感・嫌悪感。たしかにジェンダーギャップなどの話にも通じる。
この記事から透けて見えるのは、障害者の価値を上げたい、障害者も役に立つ、という思考なんですよね。でも、なぜ価値を上げなあかんのか。障害者であろうがなかろうが、記憶だけでやっているんだからそれで十分、記事になりますよね。
「障害者の価値を上げたい、障害者も役に立つ」と宣伝することも傲慢なことなのかもしれない。
"ハンディキャップ"が"背が高い"とか"声が低い"のと同じように、その人の個性として扱われる世界になるといいと個人的には思う。武田友紀さんが「繊細さん」についてそんな風に表現していたように。そう思うと、"障害者"も"ハンディキャップ"も、その言葉が必要なくなるのが理想なのかもしれない。(当事者からしたら強引な、あるいはお気楽な意見に映るだろうか。。)
とはいえ色んな問題と同様、理想の状態に近づくための経過期間として、(まずハンディキャップにも様々ある、という前提をきちんと共有したうえで)"こういうハンディキャップがある人は、こういう形態の活動はできる"、"ここさえ解消できれば、いろんな活動ができる"ということは報道や発信なとで周知していく意義はあるんだろうと、やはり個人的には思う。
とはいえ、報道・発信に傲慢さや歪んだ思考があると、それが滲み出でしまい、当時者を傷つけることになってしまうんだなと思った。
仕事を進める。朝の時間は、前日までの遅れを取り戻すチャンスですよね。でもそこそこで、ちょっと休憩。。
お昼は夫が蕎麦食べたいということで、久々にお蕎麦屋さんへ。テーブル席は空いていて良かった。天ぷらも久々だったなあ。
眠くなりつつ仕事。。こんなはっきりと眠いのに昼寝をせずに仕事をするとか、わたしにしては画期的だなあと感慨が湧く。明日が納期だから、今日のうちに概ねカタをつけないとならない。。
読めて良かった、蘭さんの記事。
レズビアンのカップルなど、病院で精子提供を受けられない人たちがSNSを通じて提供者を探すことなどついてクロ現で放送されていたよう。そういう問題があることを知らなかった。「SNSで?!」って思うけれど、切実な願いで、他に方法がなくて、苦渋の選択だったりするのだろうなと想像した。今は従来型の家族観を想定して制度がつくられているから、困難な目に遭う人たちがいる。
遺伝子的な両親と育ての親は必ずしも同じである必要はないし、育ての親が男女ふたりである必要もない。みんなで子育てしてもいいし、ひとりで子育てしてもいい。親と子だけが家族じゃない。
ほんとそうなったらいいなと賛同する。制度を変えないといけない。そのために、発信したり支援したりする方法もあるし、政治家や政党を選んでいかないといけない。
(蘭さんいつも興味深い記事をありがとうございます✨)
休憩してたらピンポンの音でハッとする、眠りかけていたよう。そして待っていたテーブルセットが届いた!夫が速攻開封して設置するといい、仕方なく手伝う。販売サイトの写真より色褪せているようだけど(笑)、それはそれでいい感じ。早速パソコンとカップを持ち出して、ベランダで仕事してみる。カフェに来たようだ〜。
夕食は、夫が洋惣菜を買ってきてくれ、早速テーブルセットでの食事が実現。半月がすこしぼやけている、良い夕方。今一番良い季節では〜と言い合う。お惣菜も美味しかった。
ベランダに新しい居場所と風景ができた。
しばし占いの話になるのですが、とある占いに今日火星がわたしの場合4室の「家のハウス」に移って、"居場所がバタバタする、引越しや模様替えなどしたくなるタイミング"とあって、これもそうなのかな?と思う。わりとささやかな変化だけど(笑)
あとこの占星術家さんの文章で先進的だなと思ったのが、8室の「ギフトのハウス」が「性」も扱うハウスということで、女性向けの性的サービスやコンテンツに触れていること。占いの有料サイトという密やかではあるものの公な場所にあって、かっけえ!と思った。近ごろはデパートでもプレジャーグッズの売り場が人気などと聞いたりするけれど、時代が進んでいるなあと感じる。
占いについて、ほんとそう!と思った記事。
占いの世界では「仕事ができること」と「優しいこと」、「仕事ができること」と「感性が豊かなこと」がおんなじ温度感で扱われている気がして、居心地が良いのです。
ああ、そうかもしれないな。
そのドアを知った人は、いつでもそこから逃げられるし、いつでも現実世界に戻れるようなイメージ。
ほんと、占いはわたしにとって隠れ家みたいな存在のひとつ。
こちらの記事もそうそう!ってなった。
柴崎七さん素敵な記事をありがとうございます✨
illustration by 500mlさん
いつも素敵なイラストありがとうございます✨