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#002 永遠に会えなくなったリー・コニッツ
By Hans Peter Schaefer,
http://www.reserv-a-rt.de - Self-photographed, CC BY 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3332570
2018年ごろの話だったか、リー・コニッツが来日する情報を得て、チケットを予約した。
自分は若いころから、昔の音楽が好きで(というか、今の音楽に今一つピンとこず)、ファンとなるもすでに故人となっている人が多かった。
しかし、自分のめんどくさがり&頑固な性格がなければ、もしかしたら生で聞けた人もいた。ジェリー・マリガンやバルネ・ウィランと言った人がそういう人たちなのだけれど。
「ライブ」というのがどうも苦手だ。ライブ会場に向かっている人たちが、同じ「その人を聞きたい」という気持ちを持っているのだと考えると、その中に「僕も!」と入っていくのがとても気恥ずかしい。
しかし、歳をとると、だんだんと、そういう「ライブに行く」という気恥ずかしさのようなものが薄らいできて、割とクラシックのコンサートなどはいくつか行けるようになった。
しかし、ジャズは一度もなかった。そんな中でのリー・コニッツの来日、これはゆかねばなるまい。
だがしかし!
コンサート1週間前に、私はマイコプラズマ肺炎を発症し、自宅での療養を指示された。そして、その療養明けが、ちょうどそのコンサートだったのだ。
ぜひ行きたい、行けなくもない、けれど、体力落ちてしんどい、どうするか・・・結局ものぐさな自分が勝利し、「また機会があるさ」とそのコンサートは参加しなかった。
ご存じ、2019年の年末から、新型コロナウィルスが猛威を振るうようになった。海外の行き来は容易にはできなくなり、来日アーティストがぐんと減った。
そして、リーコニッツは、その、新型コロナウィルスによる肺炎で帰らぬ人となってしまった。永遠に生で聞く機会をここでも失ってしまった。
リー・コニッツの作品はそれこそたくさんあるけれど、その中でも有名なのがこれなのではないか。
ピアノもない、テーマ・メロディもほとんど吹かない、聴衆サービスもない、ないないづくしの、なんともストイックでアブストラクトな作品なんだけれど、「完全版」を聞くと、そういった「こわもて」の演奏ばかりでなかったことが分かる。
あえて「難解風」にしようというプロデューサーの思惑があったのかもしれない。リー・コニッツは確かに「こわもて」なパブリックイメージがあるけれど、そういったプロデューサーの思惑にもこたえられる、柔軟さを持ち合わせたおじちゃん(おじいちゃんか)なのかもしれない。
そういったことも実際に目にしたときのオーラで分かったりすることもあるけれど、そういった機会は永遠に逸した僕にとっては、やっぱり、永遠に「こわもて」の人である。