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【短編小説】パガニーニの囚人たち

あらすじ

流川ながれかわ高等学校吹奏楽顧問の山崎やまさき伸夫のぶおが死亡した。この報せは、吹奏楽コンクールを直前に控えている吹奏楽部員たちに影響を与え、様々な思惑を抱いている彼女たちを動かしていく。







1.《檀崎だんざき花那はなの叙事》

 一学期の終業式が行われた七月三十日金曜日。その日は早朝から雷が鳴り、強い雨が地面を打っていた。午後十二時になったばかりだというのに、校内は少し薄暗く、教室も廊下も電灯が点けられている。校舎の窓から外を見ると、街灯が点いており、さながら夜の学校にいるように感じた。
 朝にニュース番組で観た天気予報では、晴れ時々雨の予報だった筈だが、これから晴れる様子も感じられない。そんな天気の日に起こった出来事だった。

 その日、流川ながれかわ高等学校吹奏楽部副部長の私は、自主練のため、午前で終業式が終わると真っ先に音楽室へと向かった。
 明日から夏合宿が行われる影響で本来今日は休養日となっているが、三年生の私にとって最後の大会である夏のコンクールを前にして休む気にはなれなかったのだ。
 コンクールが近づいてきた実感が湧いていたからなのか、夏の暑さで頭に熱が籠っていたせいか、その日の私はいつになくやる気に満ち溢れていたと思う。

 ホームルームを終え、教室から音楽室への道すがらにある職員室で、音楽室の鍵が既に借りられていることを確認し、足取り軽やかに部室へ向かう。
 そして階段を上がり、意気揚々と音楽室で横開きのスライドドアを開けると、一人の男性が倒れているのを発見した。
 斯くして、私は死体の第一発見者となってしまったのだった。



 音楽室の窓際で倒れていた男性は、我が流川高等学校の外部講師であり、吹奏楽部顧問の山崎やまさき伸夫のぶお先生だった。
 彼は、無名だった流川高等学校吹奏楽を飛躍させ、去年には二年連続の全日本吹奏楽コンクールの出場へと導いた。言わば部の象徴ともいうべき人物だ。

 倒れている山崎先生に気付いた私は、『疲れて眠ってしまっているだけなのだろう』と軽い気持ちを持っており、彼を配慮して声を掛けずにそっとしておくことにした。
 その後、私が昼食を取り終えるまでの間もピクリとも動かないため、不審に思い彼の元に駆け寄った。そして、身体を起こそうとしたところまでは覚えている。だが、死に直面した自分は、そのショックからか事件前後の記憶が欠落しており、その後どういう行動を取ったのか分からない。吹奏楽部副顧問の菅野すげの先生は、午後一時頃に青ざめた顔をして職員室へと駆け込んできたと話していた。

 その後、搬送された彼は、法医解剖により死因は熱中症だと診断された。山崎先生は午前七時頃には学校に来ており、その後は音楽室に籠りっきりとなっていたらしい。音楽室内はエアコンが効いていたものの、室温が必要以上に低い温度設定であったため、『汗が出にくい状況で、熱が籠ってしまったのではないか』と医師は推察した。首筋に一か所の打撲痕が確認されたが、これについては、死体の位置や体の向きから、『倒れた際に机等にぶつけ発生した痕なのだろう』と見解を述べている。



 山崎先生が亡くなって以降、部活は数日の間休部となった。
 菅野先生曰く「皆が状況を受け入れられずに戸惑い、練習にも身が乗らないだろうから」だそうだ。他でもない私も同じ意見だ。
 これまで部活が休みの日にも精を出してきたクラリネットを、あの日以降は触りさえもしなかった。いや、触れなかったが表現としては正しいかも知れない。クラリネットを持つと、あの日のことを……山崎先生のことを思い出してしまうと思うからだ。長らく目標としてきた夏のコンクールの、それも直前であるのにも関わらず、私はそれどころではなくなってしまっていた。

 部はどうなるか分からないけど、こんな状態の私が吹く訳にはいかないので私は辞退しようと思う。舞台上で上手く吹けるイメージが持てない。こんな状態の私がいたところで、きっと足でまといにしかならない。部のためにはこれが一番の選択だと思う。私はソリスタではないから抜けたところでそう大きな影響はないだろうし。

 吹きたかった気持ちはある。今年は雰囲気の悪い部になっていて、それを改善するために皆の関係を取り持つように努力していたのもあって色んな人と仲良くなれた。部員皆のことが好きになっていた。結果はどうであれ、このメンバーで最後にコンクールで吹くことが本望だった。それが叶わないのは正直とても寂しい。
 でも、きっとこれが最善だから。



 ここ数日間、ショックのせいか眠れない日々が続き、眠れない日に愛飲しているベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤に頼りっぱなしになっている。今までは眠れない日にしか服用していなかったが、ここ四日ほどそれが続き、連日服用してしまっている。単なるプラシーボ効果かも知れないが、心なしか効き目も薄くなってきている様に感じている。とは言え、今の私はこれを手放すことは出来なかった。

 卓上に置いている睡眠導入剤の包装シートを見つめると、残り二日分しか残っていなかった。あぁ、願うならどうか安らかな日々を送りたい。心の中で呟き、今日も一日分の包装シートから取り出して水と一緒に口の中へ飲み入れる。今日は……眠れると良いな。

 







2.《鳥海とりうみ遥香はるかの論述》

 今年の吹部は例年以上に酷く、重苦しい空気が立ち込めていた。ホルンパートのパートリーダーを任されていた私ですら、思わず辞めてしまおうかと何度も思ってしまう程に。俗に言うブラック企業ってこんな感じなのかなあと思った。あの場にいて幸せな気持ちになれる人なんて誰一人としていない、そんな息苦しい空気。

 今年の吹部の最悪な雰囲気を作り出していた首謀者は、山崎先生と酒井部長、間違いなくこの二人だ。
 山崎先生はずっと『全国金賞』を部の目標として掲げていたけど、ここ数年は全国には行くもののあと一歩及ばず銅賞や銀賞と言った結果が続いていたためか、目的の為に手段を選ばなくなっていった。パワハラ、モラハラが該当するような行動は日に日に増えていき、自分の満足のいかない演奏をした日には声だけでなく手が出る場合もあった。例えミス無く吹けていたとしても必ず何かしらの文句を言うし、かなりフラストレーションを溜めていたんだと思う。
 酒井部長はその山崎先生の信者で、山崎先生への不満や文句が浮上した際も彼がそれを揉み消して無かったことにし、機嫌を取っていた。また、彼も不満を持った際には暴言や暴力を振るうこともあった。周りの意見を聞き入れようともせず、ただ山崎先生の顔色だけをうかがっていたのは正直気味が悪かった。



 そんな『全国金賞』にしか目がない彼らが主軸の吹奏楽部は、あらゆるものを容赦なく切り捨てていった。

 まず、これまで学年が重要視されていた部のコンクールメンバー選出条件を見直し、実力を重要視するようになった。本気で全国金賞を目指しているのであれば当たり前かも知れないけど、これまで必死に頑張ってきた部員をあっさりと切り捨てたのだから反感を買った。それでも、山崎先生や酒井部長がそれに対し「本気で全国金賞を目指すためだ」とでも言えば大事にはならなかったのだが、彼らはそれをせず、不満を募った部員を放置した。

 次に、朝練・休日練習の(ほぼ)強制化。これまでは個人の自由だったが、『止むを得ない場合を除き必ず参加すること』と謳うようになり、どれだけ良い演奏をしようと、朝練や休日練習に出席しなければ彼らは評価しないスタンスを取った。コンクールメンバーを目指すのであれば私生活の時間を削り、部活動に捧げなければいけなくなった結果、プライベートの時間が失われ精神を病む部員も何人か出た。もちろん、彼らはそのケアもせず、『軟弱者だっただけだ』と一蹴していた。

 最後に新入部員たち。四月になって新しく入ってきた新入部員たちにも彼は容赦なく冷や水を浴びせた。経験者のみを優遇し、初心者は放置プレイ。にも拘わらず、公の場で私たち上級生が初心者の一年生に教えようとすると、「自分の練習に集中しろ」と怒りを露わにしていた。結果、経験者たちについてこれず彼の罵声を浴びせられるだけの初心者新入部員は、全員退部していった。

 みるみる内に変わっていく吹部を見て、なんだか宗教じみたものを感じた。山崎先生の言うことは絶対、その他の意見はすべて排除みたいな雰囲気。それは私だけでなく他のまともな感性を持っている人たちも思っていたようだった。その結果、吹部内は『全国金賞に身を捧げる派閥』と『楽しく演奏したい派閥』の二つ分かれた。当然私は後者側についた。私は音楽が好きだから、ホルンが好きだからこの吹部に入ったのに、最近は楽しめなくなりつつあったからだ。
 副部長の檀崎先輩を中心とした『楽しく演奏したい派閥』は、定期的に部活動とは別で自由に意見を交換し合う場が設けられたり、部活で分からないところをマンツーマンで指導してくれる場を設けてくれたりした。それから私は徐々に音楽を楽しめつつあったけど、部の中心は前者の派閥だったので少し肩身が狭かったのが難点だった。

 だから、いなくなってしまえば良いのにと何度願ったことか。酒井部長が引退すれば部は少しは変わる可能性はあったけど、山崎先生は健在だったし、必ずしも状況が変わるとは限らない。だからそう祈っていた。

 何度目の祈りが通じたのか分からないけど、私の願いは通じた。
 訃報を受けた時、自分でも恐ろしいほどに落ち着いていて「あぁ、そうなんだ」としか感じなかった。私の心境としては残念や悲しいと言うネガティブな気持ちより、やっと報いを受けたのかと言うポジティブな気持ちの方が強かった。これで楽しい吹奏楽部が帰ってくるんだと思わず笑みが浮かんでしまうほど嬉しい気持ちでいっぱいだった。神様ありがとう。私のことを見ていてくれて。あの人に天罰を与えてくれて。



 そして、コンクールに出るか否かの話し合いが行われ、そこで今年のコンクール出場は辞退することに決定した。
 酒井部長をはじめとする三年生は引退し、新部長に私が任命された。なんだか話が上手く行きすぎている気がするが、晴れて私の望みが叶った。不謹慎だと思うのでなるべく顔には出さないようにはしたけど、嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 教祖を失った信者たちであれば私だけでも何とか出来ると思う。あとは自分の考えを真摯に訴えるだけ。私たちの話を聞き入れない頑固者の爺はもういないのだから。それに、彼らは今ショックで意気消沈しているんだからチャンスだと思う。今まで自分たちがこれまでにしてきた行いをしっかりと理解させて、反省させて『誰でも音楽を楽しめる部』にしていきたい。

 酒井部長曰く私を部長に推薦した一人が檀崎先輩だったとのことなので、檀崎先輩へ感謝の気持ちを伝えようとしたけど、先輩はどこか心ここにあらずと言った様子だった。何かあったのかと聞くと、「やっぱりそう見える?」と言われた。何か思い詰めているのだろうか。
 檀崎先輩も山崎先生の非道は見てきた筈だし、愚痴も零していたのにどうしてだろう。コンクール辞退を引きずっているのかな。でも本人もコンクールに強いこだわりは無いって言っていたし、楽しく演奏出来ればそれで良いって言っていたから、それも無い気がしている。何はともあれ先輩の様子は何だか不自然だった。

 叶うなら最後にもう一度先輩と吹きたかったけど、「吹きたくないから」と断られてしまった。あの時の先輩の顔は何だか音楽から離れたいと訴えているような、そんな表情だった。何がそうさせたんだろうと気になったけど、先輩は「心配して欲しくない」とのことだった。
 あの時の先輩は何を思っていたんだろう。その疑問を残し、檀崎先輩は私の前から去っていった。








3.《酒井《さかい》真琴まことの記述》

──『吹奏楽部員に贈る言葉』より以下抜粋──

 八月三日をもって、俺たち三年生は引退となった。自分の実力を出し切った達成感や、遺憾もなく。コンクールに出ることなく、ただ静かに俺たち三年生の最後の一年が終わった。この文章を書いている時、あぁ、俺たちの最後の夏は終わったんだと強く実感した。あの事件が嘘であれば良かったのにと心から思う。
 あの事件は皆にとって残念な出来事だった。だが、あれは決して誰を責めることも出来ない。強いて言うなら神様を責める他ない出来事だ。辛い気持ちはあるだろうが、時間をかけてでもいい、事実を受け止め、前に進んで欲しい。
 直接言えれば良かったんだが、頭の整理が追いついていないのと、昨日の集会でも欠席者がいたため、手紙に書いて伝えることにした。こんな形に頼ってしまい本当に申し訳ない。



 あの事件の後、一度吹奏楽部員の皆を集めて議論をし、今夏のコンクールへの出場を辞退することに決定した。本来、パートリーダーだけで話し合って決めるつもりだったが、パートリーダー内でも意見が割れた。『今こそ山崎先生の遺志を継ぐべきだろう』と言う者もいれば、『練習不足で山崎先生や卒業していった先輩達の顔に泥を塗りたくない』と言う者もいた。俺は前者の意見を持っていたが、後者の言い分も理解出来た。吹奏楽部は音楽を楽しむ部活であって、コンクールだけに捧げるための部活ではない。
 そんな純粋なことを忘れていた俺は、吹奏楽を始めたばかりの頃に音楽をやっている時の、ただ純粋で楽しい感覚を思い出した。目標に囚われて、がむしゃらに吹くものでは決して無いのだと、全国に行くことに執着していた自分のやり方が間違っていたのかも知れないのだと思い知らされた。

 そう理解し、コンクールの出場については、パートリーダーだけでなく部員全員で話し合って決める方針にした。
 正直、皆の顔色を見れば結果は分かり切っていたことではあったが、仮に出場するとなれば、部長として皆のサポートに全力を尽くそうと密かに高揚していただけに、やはり辞退という結果は物悲しい。

 それに、今年の部は全国でも金賞を取れたのではないかと思う程の実力者が集っていた。二年連続で全国大会出場を経験している三年生に、着々と実力をつけてきていた二年生、全国から集まった有望な新入生。
 中でも、安定感のある演奏でアドリブソロを任せられたクラリネット奏者の上夷うええびす絵里香えりかさん、コンクールメンバーでホルンパート唯一の一年生である柄島えじま明奈あきなさん、中学で全国金賞受賞経験のあるトロンボーン奏者の家泉いえいずみ早紀さきさんの入部による影響は大きく、コンクールメンバーの座を争って切磋琢磨していた印象がある。これにより、演奏のクオリティは大きく上がっており、大会に出ていれば間違いなく全国へは行けただろうと感じるレベルだった。いや、全国金賞も夢では無かったかも知れない。

 今年は辞退という結果に終わってしまったが、来年再来年を楽しみにしたい。皆であれば、きっと目標として掲げてきた『全国金賞』を達成できると思っている。




 最後に、俺は一年近く部長の役割に就いていたが、部の雰囲気は決して良い状態とは言えなかった。今年はいつも以上に罵詈雑言が飛び交っていた印象がある。山崎先生もだし、俺も汚い言葉で罵ってしまうことがあった。どうか、この場を借りて謝罪させて欲しい。本当に申し訳なかった。

 また、そんな雰囲気を作ってしまったことにより、今年の新入部員のおよそ二割ほどにあたる計七名が夏を迎えずに退部させてしまった事実も耳が痛い。部長としてもっとサポートしていればと思う頃にはもう遅く、引き留めることは出来なかった。全国金賞を目標としている部のためなのだと割り切って厳しい態度で接していたが、彼らはただ純粋に音楽を楽しみに来ただけだったのだと今になって思う。今更ながら自分でも本当に愚かなことをしていた。今度彼らにも謝罪の意を伝えようと思う。

 山崎先生が居なくなり、罵詈雑言が飛び交う雰囲気ではなくなるとは思っているが、どうか、皆で手を取り合って、困っている人がいればサポートし合える雰囲気の良い部を作って欲しい。


───以上、吹奏楽元部長・酒井真琴








4.《柄島明奈の載録》

 ───柄島明奈の手記より抜粋───

■四月八日(月曜日)
 今日は流川高等学校の入学式だった。初めて袖を通したサイズが大きめの紺色のブレザーは少し着心地が悪く落ち着かなかった。お母さんに言われるがままに一つ上のサイズを選んだけど、やっぱりぴったり目のサイズを買った方が良かったんじゃないのかな。
 高校には同じ中学から来た生徒は残念ながらいない。名門の吹奏楽部がある高校ってだけで地元からちょっと離れたこの高校を選んだけど、流石に顔見知りゼロスタートは心細かった。でも、新しいクラスの一年七組には見知った顔がいた。上夷さんだ。

 上夷さんとは友達でも、増してや知り合いですらないけど、中学の吹奏楽コンクール県大会で彼女を見たことがある。立ち姿も仕草も、まるで精密機械のような安心感のある音色も、楽器を演奏する姿も同性ながら思わず見惚れるほどに美しく、煌びやかな印象があった。

 そんなこんなで彼女を一方的に知っていただけなのだけど、席が前後なのもあって勇気を出して話しかけてみたら、大人しめの子だけど意外と気さくで友達になれた。彼女も吹奏楽部に入るみたいだし、これで私の高校生活も安泰かも知れない。あとは恋愛面を何とかすれば念願の薔薇色の高校生活に……。頑張ろう。



■四月十二日(金曜日)
 今日は初めて上夷さんと下校した。(途中の駅までだけど)
 彼女は高校から片道二時間もする場所に住んでいるらしく、通学が大変と話してた。もし家が近ければ、尾行してどんな家に住んでいるか見てみたいなあと思ってたけど、流石に片道二時間はきつい。私の家とは逆方向に住んでるんだから実際にはもうちょっと時間がかかってしまう。ちょっと残念。上夷さんは「是非とも遊びに来てください」と言っていたが、正直恐れ多くもある。けどいつかは行きたいなあ。

 お家のことをもう少し聞いてみたところ、上夷家は古くから伝わる(百年くらい前?)由緒正しい家柄とのこと。近年は衰退していきつつあってここ最近までは多額の借金を抱えていたけど、それを上夷さんのお祖父さんが完済して立て直したらしい。遊び人の父を持っていたお祖父さんが厳しい人みたいで、学校でも部活でも習い事でも常に優秀な成績を残さないといけないらしい。一度中学の頃に期末テストで学年二位になった時もこっぴどく怒られてしまったとかなんとか……。
 この高校に入るのも、「吹奏楽を続けたいから」と言い張って入ったみたいだけど、お祖父さんはあまり満足していなかったみたい。
 「じゃあお祖父さんのためにも全国金賞取りたいね」と言うと、彼女は「その際は柄島さんも一緒に吹きましょうね」と笑って答えてくれた。上夷さんと一緒に吹けるよう、私も頑張らないと。



■四月十五日(月曜日)
 今週からいよいよ仮入部期間が始まった。もちろん、吹奏楽部に行った。楽器はホルンを希望したところ、経験者は大歓迎とのことですんなり希望を通してくれた。テレビで何度か見たことがある山崎先生の顔を見ることも出来た。優しい近所のお爺ちゃんって感じだったけど、合奏になると人が変わったかのように指揮台に立つんだもんなあ。ちょっとギャップを感じた。
 仮入部に行く時は上夷さんも一緒だったけど、上夷さんはクラリネットを希望したみたい。また明日どうだったか感想聞いてみようかなあ。



■四月二十九日(月曜日)
 仮入部期間はそうでもなかったけど、実際に吹奏楽部に入部してみると、なんだか空気が重たいように感じる。合奏でも暴言が飛び交ってるし、これが憧れの流川校吹奏楽かと思うと悲しい気持ちになる。でも、全国に行くためにやってることなら仕方がない……のかな。それに、暴言を受けている側もそれで上達出来ていて満足しているのなら、外野が何かを言う通りはないと思うし。


■五月十七日(金曜日)
 放課後に忘れ物を取りに教室に戻ると、同じクラスの稲垣いながきくん、神嶋かみじまさんたちが佐野さのさんをいじめていた。稲垣くんたちは佐野さんを囲むように立っていて、スマートフォンで動画を撮りながら彼女に何かを言ってからかっていたところだった。止めに入っていじめを止めるように促したけど、素直に聞いてもらえたとは思えないので担任の網代あじろ先生に報告した。

 なんでいじめは起きるんだろう。佐野さんに色々聞いたけど、「目障りだ」とか「体育祭はどうせ足を引っ張るんだから休め」だとか言われていたらしい。「何もしていないのに」と怯えていたけど、私も小学生の頃いじめられていたので佐野さんの気持ちはよく分かった。孤独で誰も助けてくれないし、誰にも相談出来なくて辛い。周りも悪事だと認識していてそれを見て見ぬ振りはしたくないけど、自分がその反感を買いたくない気持ちで止めに入ることが出来ない。
 その気持ちが分かっているから私はいじめを止める一人目になった。米国ではこう言った人間をファーストペンギンと呼ぶらしい。なんだか可愛い言葉で気に入った。これでいじめを止めやすい雰囲気になると良いんだけど。
 とりあえず網代先生は親御さんたちに報告すると言っていたので、この件については前に進むと思う。体育祭前だし一致団結して欲しいんだけどなあ。
 


■五月二十二日(水曜日)
 今年吹部に入った同学年の子たちが一斉に辞めていった。皆で一斉に辞めていったのでちょっとビックリしてしまった。あんまり喋ったことがない人もいたけど、同じクラスの上門うえじょうさんもいた。みんなあの空気が耐えられなかったんだなと思う。
 私も、自分に暴言が吐かれている訳ではないけど、周りにそんな暴言を吐く人がいるとモチベーションは下がっちゃう。時折、檀崎先輩や鳥海先輩が優しくフォローしてくれるけど、それでも重苦しい空気は耐え難い。私も一歩違っていれば辞めちゃってたのかもなあ。



■六月七日(金曜日)
 夏のコンクール出場メンバーを決めるオーディションの結果発表が行われた。私はメンバーに選ばれることが出来たけど、同じパートの彩夏あやなちゃんは選ばれなかったみたい。一緒に吹きたかったのは山々だけど、実力を考えると納得せざるを得ない。先輩たちの方がやっぱり上手いもの。彩夏ちゃんとは「来年一緒に吹こうね」と約束した。そのためには私も頑張らないとね。
 結局、一年生でコンクールメンバーに選ばれたのは、私と上夷さんと家泉さんの三人だけだった。実力主義な世界だとは言え、やっぱり同学年の子が少ないのは心細いなぁ。

 ただ、コンクールメンバーの発表がされてから、先輩たちの間で少し揉めていた。どうやらクラリネットのソロパートについてのことらしく、会話の中で檀崎先輩の名前と並んで上夷さんの名前が挙げられていた。
 話の始まりは、コンクールメンバー発表後にダブルリードパートの二年生が山崎先生の元に駆け寄って何かを言ったことだった。「上夷さんじゃなくて檀崎先輩がソリスタをやるべきだ」「檀崎先輩の方が実力は上だ」とか何とか言っていたと思う。それに対して山崎先生は「これは決定事項だ」の一点張りで反論していた。
 チラっと上夷さんの方に目をやると、彼女はいつもと同じように凛とした表情をしてた。こんな時でも表情が変わらないのは、大和撫子っぽいと言うか何と言うか。
 それからしばらくすると、『別の場所で話そうか』って展開になって、上夷さんも一緒について来るように呼ばれて、山崎先生と部長と檀崎先輩と上夷さんの四人は音楽室から出て行った。私たち場に残された人間は解散して各自自由練習となったけど、その後、上夷さん達の姿を見ることは出来なかった。

 なんだか厄介なことになってそうだけど、大事にならなければ良いなと思う。気にはなるけれど、正直なところ上夷さんに直接聞いてみるのも少し怖い。彼女は多分酷いことは言わないだろうけど、仮に自分が逆の立場で話しかけられるとあまり良い気はしないと思う。今は身の程をわきまえ、そっとしておこう。後々分かることだろうし。それが彼女のためになり、私のためにもなる筈……だと思う。



■六月十三日(木曜日)
 放課後に、いじめについての話し合いが行われた。参加者は、担任の網代先生と私と佐野さん、加害者の稲垣くんや神嶋さんたち。
 あの後、網代先生や親御さんたちの言葉で稲垣くんたち加害者グループは反省したらしく、謝罪の言葉が伝えられた。それに誠意があったのかは分からないけど。
 佐野さんは涙しながら謝ってきた彼らを許していたけど、私は許せなかった。所詮は加害者のその場凌ぎの言い訳だからだ。私がそれに反発していると、彼らは「二度としない」と約束し、「クラスメイトとしてこれからどうか仲良くして欲しい」と言って来た。佐野さんからも網代先生からも「許してあげよう」と言われたので引き下がったけど、多分数年後……いや数か月後には彼らはこの約束を忘れると思う。だから許せなかった。

 今も納得はいってないけど、今週末には体育祭もあるし信じることにしよう。彼らには今後も目を光らせるようにするけど、仲良くできるように祈ってる。



■六月十四日(金曜日)
 みんなの前で、クラリネットのソリスタが上夷さんになったことが発表された。檀崎先輩はこれで良かったのかな?

 気になって檀崎先輩に話を聞いてみると、「先生は元から上夷さんをソリスタに選んでたからね」と返された。こうもすんなりソリスタを譲れるのはそれほど全国金賞への熱意があるんだなと思った。私は……すんなりは譲れる気はしないかも。……多分。

 私は上夷さんの演奏は好きだけど、檀崎先輩のクラリネットの音色の方が好きなのでちょっと複雑だった。



■七月三十日(火曜日)
 山崎先生が熱中症で搬送され、亡くなったそうだ。一度家に帰って昼ご飯を済ましてから、学校に戻って課題曲の練習をしようかなと思っていたところで、学校の前に救急車が止まっていて、山崎先生が搬送されていく様子を見た。あの時はあれで最後になるなんて思わなかったなあ。
 明日から予定されてた合宿は当然中止になって、部活自体も活動休止になった。コンクールはどうなるのか部長に聞いてみたけど、『もう少しだけ待って欲しい』とだけ言われた。やっぱりコンクールに出れるかどうかも雲行きが怪しそう。出れないってなると残念だなあ。

 山崎先生が搬送された後、近くにいた菅野先生から「檀崎は第一発見者だから気が動転している」、「檀崎に付き添ってやって欲しい」と言われ、それから檀崎先輩をお家まで送った。その後、私が「何かやって欲しいことがあるなら言ってくださいね」と言うと、「薬局で睡眠導入剤を買ってきて欲しい」と言われ、おつかいに行った。買ってきた睡眠導入剤を見せると、暗い表情を続けていた先輩が少し笑顔を見せた。「今日は多分これがないと眠れないと思うから……」と言っていた。今日の一番の被害者は間違いなく檀崎先輩なんだろうなあ。そりゃあ死体の第一発見者になったら気が動転しちゃうよね……。早く元気になって欲しいと心から思う。



■七月三十一日(水曜日)
 予定されていた合宿が中止になったけど、夏休みの宿題をする気にもなれずにいたので気晴らしにホルンを吹こうと思って学校に行った。そこで昨日の件で気になることが二つ出てきた。どっちも檀崎先輩のことだ。

 一つが、鍵貸出台帳の貸出履歴。職員室で音楽室の鍵を借りる際に鍵貸出台帳には今日の日付、貸出または返却時刻と貸出者名を書く必要がある。今日のを書く際に昨日の分の貸出履歴がチラッと見えたけど、昨日の貸出者名が『檀崎』、貸出時刻が『6:53』と書かれていた。返却者は菅野先生だったけど、昨日は先生の指示で「残っていた部員みんな帰るように」と言われていたし、それは自然なことだと思う。朝練をやる人間は普段は少なくないけど、昨日は合宿前日で部活が休みの日だったのもあってやる人間はほぼいなかった筈。だけどどうやら檀崎先輩は昨日も朝早くから朝練をしていたらしい。
 この件に疑問を持ったのは、檀崎先輩はあの日の朝に山崎先生と会っていたんじゃないかということ。昨日菅野先生から聞いた話だけど、山崎先生はあの日午前七時頃には学校に来ていて、それから音楽室に籠りっきりになっていた(らしい)。であれば、午前七時前に音楽室の鍵を借りた檀崎先輩は山崎先生に会っていてもおかしくはない。この件一つだけであれば練習熱心な先輩がいたんだねーってくらいのものだったけど、もしその後に二つ目の件が繋がるのなら……?と考えてしまった。

 二つ目が、音楽室に何かの包装紙が落ちていたこと。学習机のぬきの部分で見えづらい場所に落ちていたけど、この中身が入っていない包装紙に書かれている名前に見覚えがあった。昨日の今日で忘れる筈がない。増してや印象に強く残っていたのだからはっきりと覚えていた。檀崎先輩に駆ってきて欲しいとおつかいを頼まれた睡眠導入剤の名前と一致していた。調べてみるとこの包装紙は”PTP包装シート”というらしい。

 落ちていた包装シートには六錠分の薬が取り出された跡があった。音楽室は定期的に掃除されている筈なので、見えづらい場所にあったとは言え長期間放置されている物だと正直思えない。どうしてここに捨てられてあったのかも分からない。でも、音楽室に、ひいては学校に睡眠導入剤の包装シートが落ちていることは明らかにおかしいと思う。仮に、それが学校以外の場所で飲んだ時に出たゴミでなくても、睡眠導入剤を持ち歩くなんてことしないと思う。私が世間知らずな可能性もあるけど、胃腸薬や生理痛の薬ならともかく、睡眠導入剤は持ち歩くものじゃないと思う。睡眠前に服用するものなんだから。合宿のようなお泊りが発生する場合なら分かるけど、合宿前なんだから今ここにあるのは違和感を感じた。昔のゴミがたまたま落ちていただけなら理解出来るけど、そうじゃない気がしている。

 というのも、山崎先生は熱中症で倒れていたらしい。そしてそこに朝に山崎先生と会っていた人物と睡眠導入剤が出てきたのなら、少しは関連性を疑いたくなってしまう。睡眠導入剤で眠らせて部屋を完全に閉め切り熱中症に見せかけて殺害した。その推測が私の頭から離れなかった。私の気のせいならそれで良い。たまたまあの場に睡眠導入剤の包装紙が落ちていて、たまたま山崎先生が水分補給を怠って熱中症になったのならそれで良い。でも、仮にそうでないのなら。私の推測が当たっているのなら、座右の銘『勧善かんぜん懲悪ちょうあく』としている私に、見て見ぬ振りは出来ない。この件についてもう少しだけ調べていこうと思う。



■八月一日(木曜日)
 昨日の件が気になって菅野先生に色々聞いたところ、檀崎先輩が朝早く来ていたのは恐らく間違いないということ、山崎先生は朝練のために朝早く音楽室に来ると言っていたということが分かった。
 菅野先生はこれまでも何度か朝練のために朝早くに登校していることがあって、昨日もそうだったと聞いていたらしく、朝練に来ていた(誰かの朝練に付き添っていた?)のは間違いないらしい。また、登校した午前七時半ごろにクラリネットの音色が聞こえたらしく、檀崎先輩だろうとも推察していた。

 段々と真実を知るのが怖くなってきた。でも、目を背けられなかった。『勧善懲悪』が頭の中から離れなかった。悪を見過ごすことは出来ない。ここまで来たら、疑いを晴らすためにも最後まで突き止めよう。



■八月三日(土曜日)
 休部になっていた部活動が再開されて、コンクールを出場するかどうかの話し合いが行われた。辞退することになったけど、「皆の意見だから仕方がない」と部長は言っていた。吹部に入ってから四か月くらいずっとコンクールのために頑張ってきたけど、こんな形で諦めることになるとは思ってなかったなあ。叶うなら出たかった。
 コンクールを辞退したことによって三年生は引退となり、残された部員たちで今後活動しなければいけなくなった。部長は鳥海さん、副部長は足達あだちさんに決まったけど、誰が指揮者をやるかとか誰がパートリーダーになるかとか、その辺りから始めなきゃいけないし、そもそもあの事件から立ち直れていない人がまだまだいるように思えた。まだまだ前途多難というか何というか。
 どうなるんだろう。やっていけるのかな。と不安な気持ちになった。 

 不安な気持ちになったのはそれもあるけど、檀崎先輩のこともあったと思う。いや、寧ろそのせいだと断言しても良いかも。
 檀崎先輩が山崎先生を殺したんじゃないかという推測を持ってから、自然と先輩を目で追ってしまってた。なんだか体調が悪そうで、心ここにあらずと言った表情をしているように見えた。そんな先輩の姿を見ていると、なんだかあの推測が当たっているように感じてきた。死体の第一発見者ではなく容疑者なのであれば、引退だと言うのに悲しい表情ではなく、あんな何とも言えない表情をしていたのも理解出来るのかも。

 この推測をぶつけるべきか私は悩んだ。いじめの加害者のように明確な悪じゃない。先輩はあの人たちと違ってきっと良い人だから、そうだと信じたくない。もし、本当だったら怖い。音楽室を去っていく先輩の背中を見て、呼び止めようかと思ったけど。言えなかった。相手が殺人者なのなら、その殺人者に真実を突き付けると私が殺されてしまう可能性がある。『勧善懲悪』を掲げてはいるけど、流石に死は怖い。

 私は死に臆して、この事件の真相を突き止めるのは諦めることにした。自分の弱さにちょっとだけ失望したけど、家族や友達に会えなくなってしまうと思うと、怖くて何も出来なかった。








5.《檀崎花那の陳述》

 今日もまた嫌な夢を見ていた。冷房の効いた部屋にも関わらず、シーツは寝汗でぐっしょりと濡れている。すこぶる気分が悪い目覚めだ。

 不快な気分で体を起こすと、ベット横に置かれたデジタル時計は午前六時三十九分を表示している。部活を引退したのにも関わらず、早起きの日々は続いている。
 今日は三時間半ほど睡眠がとれたので上々だ。だが、睡眠に関する知識はあまり無い自分でも自覚できるほど、睡眠の質は決して良くはないと思う。最近ではスマートフォンで睡眠の質を簡易的に計測できるそうなので試してみようかとふと思ったが、どうせ出てしまう悪い結果を見るのも癪だし辞めておく。


 私はここ五日ほど連続して悪夢に襲われてしまっている。また、夢の内容は忘れてしまいたいものだけど、印象が強いせいか覚えてしまっている。
 一日目は、いつも乗っている電車に寝坊して乗り遅れてしまう夢。慌てて家を飛び出して駅に向かうけど、目当ての電車は去ってしまう夢。
 三日目は、私がどこかの高いビルから飛び降りようとしている夢。ビルの屋上の金網の向こうに立っている私が、高さに恐怖を怯え、飛ぶか飛ばないかの判断に躊躇する夢。
 四日目は、誰かに追いかけられる夢。誰かに追われ、昔遊んだことのある公園や近くのマンションに逃げ込むも、相手からはまるでこちらの位置が捕捉出来ているかのように追いかけ続けてくる夢。次第に、私は足が思う様に動かなくなり、その感覚に苦しんでいるところで目が覚めた。
 そして、二日目と五日目に見た夢は、どちらも人を殺めてしまう夢だった。二日目に見た夢の内容は刃物で誰かを背後から刺し殺す夢。その夢を見て以降、私は山崎先生を殺してしまったのではないかと言う不安に苛まれていった。

 動機には心当たりがある。これまで受けてきた幾度となく受けてきた罵詈雑言、お世辞にも親切だとは言えない不祥な態度がそれだ。「辞めてしまえ」、「この下手くそ」と何度罵られたか、もう覚えていない。私は寛容人物ではないので、その都度……いや、今も恨みは持っている。上手くなったの私、努力したのは私であって彼ではない。上手くなった功績は彼ではなく私の物なのだ。彼には恩を感じていなければ、憎悪の念を抱いている。彼に対し、危害を加える気持ちは持っていないが、何かを目の当たりにすれば一時の感情に動かされ、殺害に及ぶ可能性もほんの少しあるかも知れない。
 これは動機としては十分過ぎるものだと思う。

 それに、最近ではコンクールのソリスタから外されてしまっている。上夷さんがソロをやると発表された際に萬代ばんだいさんが山崎先生に突っかかった際は、余計な争いごとを避けるために何も言わなかったけど、一奏者としてソロを吹くのは楽しみにしていたし、叶うなら吹きたいと所望していたので、正直納得はしていなかった。
 私ではなく上夷さんがソリスタというのも正直なところ納得出来なかった。それは先輩後輩だからではなく、彼女は楽譜を楽譜通りに演奏するので、退屈な演奏をする印象があったからだ。それもあってより一層私が吹きたかったという気持ちが強く持っていたのかも知れない。

 けれど、それだけだった。私が山崎先生を殺めてしまったという線は、動機としては十分、可能性としては有り得る程度のもので、実際には山崎先生の死体から刃物による切創は残っていない。それが、私が二日目に見た夢は正夢ではないと物語っていた。その事実が、私は不安を抱えつつも安心することが出来ていたのだ。

 だが、五日目、つまり今日見ていた夢はそうさせなかった。夢で見た光景は覚えている。どこかの場所で、私は背を向けた山崎先生に対し、細長くも重みのある鈍器を首筋へ振り下ろした。感触としてはどこか現実味のあるもので、目が覚めた時には吐き気や頭痛に襲われるほどだった。
 気持ちの悪い夢だったので忘れたい一心だったが、切り離せない部分もあった。医師曰く、山崎先生の死体の首筋には一か所の軽い打撲痕が残っていたようだった。私が鈍器を振り下ろしたのも首筋だ。それに、細長く重みのある鈍器、それはクラリネットと同じ長さ、同じ重みだったように思える。その衝撃は、直接死に至らすほどではないだろうが、打ちどころが悪ければ人を気絶させる程度のことなら出来るかも知れない。そして、気絶した人間を密室に閉じ込めれば、熱中症にすることも出来得る。

 夢は記憶の整理であり、自分が見聞きしたこと・体験したことが断片的に表れ、それらを繋ぎ合わせて脳の中でストーリーが作られるというが、私の記憶のどこかに、山崎先生の後頭部を殴打する光景があったのが気がかりだった。昔何かのドラマで見たのかも知れない、アニメでそういうシーンがあったのかも知れない。でも、万が一、あの日実際に見た光景だったのかも知れない。そう、可能性は薄いかも知れないが、決して無いとは言えないのだ。それ故に私は夢の内容を忘れることが出来なかった。



 不安に思った私は、真偽を確かめるべく、制服に着替え電車へ乗り込んだ。いつもの癖でクラリネットも持ってきてしまった。でも、日常が返ってきたようで少し安心感があった。

 職員室へ行き音楽室の鍵を借りようとしたが、もう貸出台帳には記入がされていた。柄島さんが来ているらしい。正直なところ、あまり人には会いたくない気分だけど、日曜日の早朝だとは言え部活動は再開されているのだから致し方ない。それに、あの日に家まで送って貰ったお礼をちゃんと言えてない。なら尚更彼女に会わなくては。
 私は職員室を出て真っすぐに音楽室へと向かった。

 音楽室のスライドドアを開け中に入ると、窓際にいた柄島さんはこちらに気付いた。そして驚いた。それも、怯えているようにも見えるくらいに。引退したばかりなのだからそういうリアクションになってもおかしくない。軽く挨拶を交わした後、あの日のお礼を伝え、『気にしないで』と練習を続けるよう促した。そうだ、私の目的はあの日のことを少しでも思い出すことだ。
 職員室から音楽室への道中の光景、音楽室のスライドドアを開け中に入った時の光景、そして私が死体を発見したピアノ付近の場所。どれを見ても何も思い出せなかった。それどころか、あの日見た忘れたい嫌な記憶がフラッシュバックしてくる。
 でも、それは私が山崎先生を殺害したのではないという裏返しなんだと思う。そうだ、これで良いんだ。私はやってない。きっと。
 吐き気や頭痛に襲われながらも、私はようやく安堵することが出来た。

 だけど、そこに柄島さんが話しかけてきた。
 引退したのにも関わらず唐突に音楽室に入ってきて、ボーっと周囲を眺めていたのだから不審に思ったのだろう。そう思っていた。
 でも、彼女が発した言葉はこうだった。
「あ、あの……今度は私を殺すんですか……?」



 何故彼女がそう言ったのか、何故彼女が怯えた表情で私を見つめてくるのか、私には理解出来なかった。私が「どうして?」と聞くと、彼女は「だって、先輩が山崎先生を殺したんですよね?」と返してきた。その言葉を聞き、少しの間安堵を得ていた私の心は再度乱れ、頭の中は真っ白になっていった。

 その後も、「山崎先生に睡眠導入剤を飲ませた」とか「音楽室に閉じ込めた」と彼女は言っていたと思う。所々はきちんと聞き取れなかった。私は頭の整理をするのに必死だった。頑張って聞き取って、理解しようとするけれど、彼女の話は理解出来なかった。それでも、私に対して「お前が山崎先生を殺したんだ」、「だから私も殺そうとしているんだ」と伝えようとしていることは理解出来た。

 私はそれに対し、必死に弁明した。『私は何もしていないから落ち着いて欲しい』と。必死に訴えた。だけど、私の訴えは彼女には届いていないようで、彼女は自我を失ったかのように、同じことをずっと繰り返し発言していた。
 次第に、彼女は「近づかないで」と大声を上げ、音楽室から逃げようと動いた。逃げようとした彼女を見て、私は焦ってしまった。彼女に、私が山崎先生を殺したのだと言い振らされるのではないかと思った。
 私は怖くなった。怖くなって、怖くなって、怖くなって、手に持った細長い鈍器を彼女の後頭部めがけて振り抜いてしまった。

 彼女は意識があった。泣き喚きながら必死に逃げようとしていた。でも、ちっとも私の話を聞き入れようとはしなかった。だから、彼女が逃げないように、私が殺したんだと言い振らしたりしないように、何度も何度も細長い鈍器で叩き続けた。

 次第に、彼女の泣き声は止んで動かなくなった。逃げるのを諦めてようやく大人しくしてくれたんだと安心した。私は自分の心を落ち着かせるよう意識ながら、あの日起きた出来事をすべて話した。
 彼女は大人しく私の話を聞いてくれた。私は嬉しかった。ようやく事情を飲み込んで貰えたんだと思った。でも、分かって貰えたかを聞いても彼女は返事をしなかった。なんで分かってくれないんだろう。そう思った。何度も彼女の名前を呼びかけて何度も聞いたけど、返答が返ってくることは無かった。やがて様子がおかしいことに気が付いて、彼女の鼓動が止まっていることにも気が付いた。でも、気が付いた頃にはもう、何もかも手遅れだった。








6.《萬代ばんだい莉奈りなの思惑》

 私がこの高校に入ったのは単に吹奏楽部が強豪だと聞いたからだった。強豪に入ることが出来れば自分でも上手くなれると思った。
 隣県とは言え親元を離れ一人暮らしになったが、吹奏楽さえあれば良いと思ってた。でも、部活は予想以上に厳しくて、入って二か月もしない内に辞めてしまいたくなった。それでも、隣県に出てまでやりたいと親に出願したのだから辞める訳にはいかなかった。ずっと苦しかった。

 それを救ってくれたのが檀崎先輩だった。先輩は私に寄り添ってくれて、適切なアドバイスをしてくれたり、居残って練習に付き合ってくれた。私にとって先輩は恩人で、先輩がいなければ私は吹奏楽を嫌いになっていたと思う。今の私が楽しく部で演奏出来ているのも先輩のお陰だ。

 だから、そんな先輩からソリスタの座を奪った一年生・上夷絵里香に良いイメージを持っていない。彼女がこの部に入ったことによって、檀崎先輩はソリスタから外された。彼女が入部してから楽しかった空間が壊されつつあった。部の方針は山崎先生が握っているからある程度は仕方がないし、彼女自体は悪い性格の子ではないけど、そんなことがあって私はどうしても彼女を好きにはなれなかった。

 彼女に対し嫌に思った私は、わざと口を利かなかったり、同じパートのコンクールメンバー同士で練習することがあった際に彼女だけをよそ者にした。思い返してみると、我ながら酷いとは思うが、その時は恨みを持っていたからそんな行動を取っていたんだと思う。

 でも、決して彼女のことは嫌いでなかったと思う。あの噂を聞いたのはそんな時だった。



 一学期の終わり頃、私が上夷さんに良いイメージを持っていないことを知っている友達から、『今年のコンクールで彼女がソリスタになったのは、彼女の実力ではなく上夷家からの圧力によるものだ』と言う噂が流れていることを知らされた。

 私は上夷さんがソリスタを担当するのが不服だった。
 彼女よりも檀崎先輩の方が実力は明らかに上だからだ。それは先輩贔屓の私の他にも同じパートの人達や、他のパートも人も感じてることだからきっと間違いはない。上夷さんの『感情が伝わってこない安定感しか取り柄のない機械のような演奏』より、檀崎先輩の『優しい音色で他の楽器をより引き立たせる演奏』の方が良いに決まっている。
 将来性を鑑みて上夷さんにソロをやらせたと言う見方も出来るけど、そこまで上夷さんだけを贔屓する理由も恐らくない。

 だから山崎先生から上夷さんがソロを吹くと発表された時は納得がいなかった。多分皆納得がいってなかったと思う。その時は思わず「檀崎先輩がソリスタをやるべきだ」と食いかかった。結局私の意見は聞き入れて貰えず上夷さんがソロを吹くことになったけど、外からの圧力がかかっているのなら、そうなってもおかしくないなと思った。
 その噂を聞いて私は至極腑に落ちた。

 そうだ。あの件は絶対何かがあったんだ。彼女には何かがある。そう確信し、私は上夷絵里香を疑い始めた。



 事態が動いたのはその数日後だった。

 七月一週目の月曜日、いつも通り部活に行くと山崎先生が体調を悪そうにしていた。彼に駆け寄って何があったのかと聞くと、「最近頭痛や目眩が酷い」と返ってきた。記憶の欠落も酷く、認知症の初期症状ではないかと疑っていると言う。

 ずっとこの症状が付き纏っているのであれば疑いはしなかったが、「休日または休日明けにたまにこの症状が出る」と言われ、それはおかしいと疑問に思った。症状に波が生じる『まだら認知症』かとも思ったが、それにしては波の周期がおかしい。不定期に、それも休日限定でその症状が出るのは明らかにおかしいのだ。

 不審に思った私は、山崎先生に前日のスケジュールおよびその日の食事メニューを聞いた。そうすると、彼は手帳を取り出し見せてくれた。認知症の疑いが出てから手帳に書くようになったらしい。
 土曜日、日曜日に特におかしな食事や行動をとっていることは無かったが、日曜日の午前中に『上夷さんの個人練習の付き添い』と言うのがあった。私は「これではないか」と思った。

 その後、もう一度同じような場面に遭遇した際に、また手帳を見せてもらったが、その前日も上夷さんの個人練習の付き添いをしていた。何のためかは分からないけど、きっと彼女が何かをやっているんだ。そう確信した。



 そして、七月下旬に山崎先生が亡くなった。熱中症で死亡したことになっているけど、これは正しいようで正しくない。どうやら、その日も上夷さんの個人練習に付き添っていたらしいからだ。

 これは偶然なんかじゃない。きっと、彼女はこれまで同様に何かをしたんだと思う。何かをされた山崎先生は気を失い、表向きは熱中症で亡くなった。恐らくこれが真相だ。
 それに、首筋の打撲痕。倒れたとして偶然首筋に当たるだろうか。これは彼女が当初の計画が思い通りにいかず何かで殴打し付いた痕である可能性がある。

 あとは、彼女が山崎先生に何をしたのか……。頭痛や目眩に記憶障害、それも記憶力の低下に関する症状を与えることが出来るもの。それは……薬?分からない。でも、そう考えると辻褄は合った。名家の出であれば、さぞ薬を手に入れるなんて容易いことだろうし。

 一刻も早く警察に通報したかったけど、確証がなかった。今の状態で、上夷さんの個人練習の後にこの症状が出ていると話したところできっと相手にされないと思う。確証を得るために。そう思い、現場検証に行くことにした。



 部活は休部状態だったので誰もいないだろうと思って職員室に行くと、一年生の子が既に鍵を借りていた。

 他に人がいるなら部屋の中を調べづらいなあと思いながら階段を昇り、音楽室のスライドドアを開けると、戸惑う檀崎先輩と血を流して倒れている女子生徒が目に飛び込んできた。
 檀崎先輩は私に対し必死に弁明していたけれど、私は頭の整理が追いつかなかった。

 血を流して倒れている女の子は?これも上夷さんの仕業……?分からない。でも、きっと先輩は何もやってない。だって先輩は私の恩人だから。あんなに優しい先輩がこんなことをする筈がない。どうせまた上夷さんの仕業なんだ。そう思った。
 でも、先輩は自分がやったと言い張った。「上夷さんじゃない、私がやったんだ」と。先輩のことだから誰かを庇ってるんだろうと思ったけど、「そうじゃない」と何度も言われた。

 何故女子生徒が血を流して倒れていて、何故先輩の側に血の付着したクラリネットが落ちていて、何故先輩は泣きながら自供しているのだろうか。 

 分からなくなった。
 目に映った光景が受け入れられず、私はその場を逃げ出すことしか出来なかった。だって、先輩はこんなことしない。きっとそう。あれは先輩じゃないんだ。別の誰かだったかも知れない。血を流して倒れている女の子も実はドッキリか何かで私を驚かすためだけにあんな細工をしたんだ。だっておかしいもん。ああきっと変な夢を見ているんだ。夏の暑さで頭がおかしくなってしまって幻でも見ているのかも知れない。ああ、おかしくなっているのは私なんだ。きっとそうなんだ。

 私は必死に逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて、そして辿り着いた校舎裏で、私は上夷さんと出会った。








7.《上夷絵里香の述懐》

 あの日、持ち帰った荷物の中に睡眠導入剤の包装シートが見当たらず、それを隠蔽するため音楽室へと足を運びましたが、私は運が良かったようです。檀崎先輩が柄島明奈を始末してくれていたのですから。檀崎先輩には本当に感謝しなければいけません。
 それに、柄島明奈を殺して頂いただけでなく、山崎先生殺しの罪を自ら被って下さったの幸運でした。お陰で私は萬代先輩の口を塞ぐだけで済みました。まったく良い先輩を持ったものです。


 亡くなった友人・柄島明奈の手記を読み終えましたが、ずっと探していた睡眠導入剤の包装シートを彼女が持っていたのを知った時は驚きました。
 『灯台下暗し』とはよく言ったものです。包装シートを落としてしまったのは迂闊でした。二度とこんな失態はしないよう心掛けねばいけません。

 当初の計画からは少し違った展開となり、少々冷や汗をかく羽目になってしまいましたが、結果的には私の目的は無事完遂することが出来たので一安心しています。けれど、誰一人死人を出すつもりはありませんでした。これについては見方次第では失敗と言えるかも知れません。



 私が山崎先生を殺害してしまったのは偶然のことでした。そこに明確な殺意は無く、ただ、この件については、そう、運が悪かっただけなのです。

 私は、この日も早朝に個人練習に付き合って欲しいという名目で彼を呼び出しました。いつも通り、多量の睡眠導入剤を溶かし入れた水を飲むように促しました。その日は四度目でしたので、私の手際も良くなっていたと思います。
 彼はいつもの通り、それに気付かずにそれに口をつけると、十数分後に指導中だと言うのにも関わらず倒れてしまいました。ここまでは私の手筈通りに進んでおりました。

 ただ、彼には倒れて頂くだけで良かった。
 無自覚に摂取したベンゾジアゼピン系睡眠導入剤の副作用として発症する、頭痛やめまい等の精神神経系症状や、一時的に記憶の欠落が発生する一過性全健忘により、自分の体に何らかの異常が生じていることを自覚して頂き、その上で倒れて搬送されることで、彼には指揮台に立てない様になって頂く想定でした。
 頑固者な耄碌でしたが、そんな症状が出てきた中で指揮台に立つ等と言えば周りの人間に間違いなく止められていたでしょう。ただ、それだけで良かったのです。

 けれど、運悪く彼は熱中症により亡くなってしまいました。流石の私も少し心が痛みましたが、心の奥底からは自業自得だという感情が沸々と湧き上がってきます。そう、このような結果になったのも、私が睡眠導入剤を飲ませる羽目になったのも、原因は彼にあったのです。

 私がこのような行動を取ろうと思い立った最初の出来事は、全国吹奏楽コンクール出場のためのオーディションが開催された際にまで遡ります。
 オーディションの際、彼と音楽室で二人きりになり、指定された課題曲および自由曲の一部パートを吹き終えると、彼は『お前にソリスタをやって欲しい』と言いました。

 それに対し、私は考える余地もなく断りを入れました。
 私は過去にピアノを習っていましたが、お父様とそのご友人を招いた発表会で失敗してしまいました。いつもより失敗しないようにと気負いすぎていたのかも知れません。緊張していたというのもあったでしょう。タッチミスは一つもありませんでしたが、楽譜通りにしか弾けず、表現豊かな演奏をすることが出来ませんでした。その後、「つまらん演奏だった」、「恥をかいた」とお父様に失望される結果となってしまいました。
 その出来事が忘れられず、私は自分を表現するのが怖くなりました。お父様の前であれば尚更です。
 何らかの正解があるものであれば何ら問題はありません。マナーであれば状況に応じた正しい作法を、ルールがあるのであればそのルールに則った行動を取れば良い。けれど、表現は違います。仮に自分らしい表現が出来ていたとしても、聞き手の感性によって評価が変わってしまいます。
 そう、自己表現に最良の選択や正解などは存在しないのです。

 従って、私はソリスタをやって欲しいという山崎先生の頼みを断ったのです。ただのソロであれば、楽譜通りにしか吹けない味気ないソロになりますし、それが自由にアドリブを加えるアレンジソロであれば尚更私には出来ません。それに、全国大会ともなれば恐らくお父様がいらっしゃることでしょう。お父様の前でアレンジソロを吹くともなれば、私にとっては火に油を注がれるようなものです。

 けれど、「上夷家からの要望だ」「お前にソロを吹いてもらわないとこちらが困る」などと言い始めました。私が拒絶したのもあり、その際は保留とされた筈でしたが、コンクールメンバーの発表後に彼は私がソリスタを担当すると忽然と発表しました。
 それは反感を買いました。実力では檀崎先輩の方に分があるのは明白だったからです。同じパートの萬代先輩から「檀崎先輩が吹くべき」と訴えかけられましたが、彼は「これは決定事項だ」の一点張りで反論の余地も与えませんでした。
 結局、別室へ移動し、私が折れるまでその説得は続きました。陽が落ち、夜になっても尚、状況は変わらず、私は承諾せざるを得ませんでした。

 それから一ヵ月間ほど、私は表現力を鍛える努力をしましたが、抱いている嫌悪感や恐怖感が変わることはありませんでした。どうしてもあの日のことが脳裏によぎってしまい、演奏に集中出来なくなってしまうのです。
 少なくとも、八月のコンクールまでに克服することは確実に不可能でした。山崎先生へも相談しましたが、「お前なら何とかなる」としか返答頂けませんでした。そのため、止む無くこのような行動を取る必要があったのです。

 柄島明奈も座右の銘として掲げていた『勧善懲悪』という言葉がありますが、彼は懲らしめられるべく悪であったため、このように懲らしめられたのです。

 


 彼女の座右の銘『勧善懲悪』や、因果応報、自業自得、身から出た錆。予てからこれらの言葉がある様に、悪は決まって懲らしめられるものだとこの国では受け継がれてきているのです。

 私が流川高等学校吹奏楽部に入ってから、何人かの悪に出会いました。

 その一人、山崎伸夫は死んだ。結果的に死に追いやってしまったけど、彼のこれまでの非道を考えれば妥当だと言えるでしょう。迷う余地も無く彼は悪人です。このような劣悪な環境を作り、その上で今回のような行動を取ったのですから、このような結果となったとしても、悲しむ余地もありません。
 部をより良いものにするためには彼は存在してはならない。彼は罰せられるべくして罰せられたのです。

 二人目、柄島明奈も死んだ。彼女は悪人ではなかったけれど、あの件について知ろうとしました。善人である檀崎先輩に対し確信に近い疑いを持っていたことからも悪だと断定しても良いかもしません。
 それに、彼女は『勧善懲悪』を掲げておきながら、あの罵詈雑言が飛び交う部に対して見て見ぬふりをしました。彼女も最初は嫌悪感を持っていましたが、次第に当たり前のことだと受け入れ、何も言わなくなりました。彼女も悪に染まっていたのです。
 友人であった彼女がそうなってしまったのは残念でなりませんが、結果的には妥当だと言える死です。

 三人目、萬代莉奈も死んだ。彼女は檀崎先輩のことだけを考えていました。私のせいではないにも関わらず、事情を知らない彼女は私が檀崎先輩をソリスタから外した張本人だと断定し、私に嫌がらせ行為を働きました。そして、真実を暴こうとしました。噂を信じ嗅ぎまわっていたことは既に知っていたため、都合の良いタイミングで何らかの制裁を加えようと画策していましたが、我ながら最良のタイミングだったと思います。
 私がソリスタになったのは私の実力ではなく、お父様からの圧力によるものだと気づきつつあったやも知れませんが、それで過去に行った私への行為が消えることはありません。彼女も悪であったため、罰せられたのです。

 あと残っている悪は酒井部長でしょうか。彼はこれまでの非道に対し反省の色を見せていましたが、私はずっと覚えています。彼が山崎先生と共に『お前がソリスタをやれ』と恐喝してきたことを、周りの下級生に罵声を浴びせたり暴力を振るっていたことを。直接そのことを謝って頂ければ彼を善に成り得る悪だと断定していたでしょうが、残念ながら直接謝罪の意が伝えられたことはありません。『吹奏楽部員に贈る言葉』で謝罪の意を表しているだけです。これでは彼の誠意を感じることは出来ません。
 さて、どうやって彼を懲らしめましょうか。毒で苦しめましょうか。それとも、社会的地位を失わせた方がより長い期間苦しんで頂けるでしょうか。悩みます。

 何れにせよ、演奏の邪魔だった初心者の新入部員を退部に追い込んだ際や、部をより良いものにするためお父様を利用して鳥海先輩を部長に推薦して頂いた際のように、決して足がつかないよう意識し工夫していかねばなりません。

 すべてはそう、『上夷家に失敗は許されない』ためです。






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