【短編小説】名無しの礫
あらずじ
本編
高校最初の夏休みが終わり、早くも1か月が過ぎた。2学期に入り、学校のイベントの定番である文化祭が終わると、その2週間後には中間テストが行われる。本学の9月、10月は忙しない。
中間テスト7日前となり、勉強中に生じた不安ごとを解決するべく僕は職員室に足を運び、歴史総合の担当教諭を呼び出した。テスト前及びテスト期間の中は職員室に入れない規則上、職員室の外で質問やテスト範囲の再確認を行い、テスト前の不安ごとは解消された。高校1年生とは言え将来のためにもテストであまり低い点数は取りたくない。考え過ぎなのかも知れないが、僕は物事は抜かりがない程度が丁度良いと思っている。
確認を終えた僕は、自宅ではあまり集中出来ない性分であるため図書室に行って勉強しようと特別教室棟の図書室に足を運んだが、訪れた図書室はテストの7日前であるためか普段の10倍近く人が多く集中出来そうにない混雑状況だった。皆考えることは一緒だったらしい。喋り声はそれほど聞こえないが、シャープペンシルで文字を書き込む音、ページをめくる音、人の溜息等は嫌でも聞こえてくる。これでは集中して勉強する事は出来ないだろう。
踵を返し、図書室よりは集中できると思われる教室へ向かうことにした。テスト前の時期なので数人はいるだろうが、それでも図書室よりは集中出来る状況の筈だ。ある程度は仕方がない。
教室棟へ向かう渡り廊下で「でもさぁ、あいつ彩香先輩の彼氏奪ったらしいよ?酷い目に遭っても自業自得でしょ」「それって江坂先輩でしょ?ヤバくない?」「でも流石にやり過ぎだと思うけど...」「沙織は気にし過ぎだって~」等と話し込むクラスメイトの女子数名の横を通り抜ける。女子高生はテスト前だろうが関係なく色恋沙汰に夢中になるのだろうか、僕は自分のクラスである1-Eの教室へ向かった。
普段は放課後になると吹奏楽部が1-E教室をパート練習に使っているため、教室に残る人間は少なく大多数が部活動に勤しむか帰宅することが多い。テスト前になると部活動が休止となる影響もあるだろうか、教室に戻るとテスト勉強のために帰宅せず自席で勉強に励む生徒が6名程いた。数名いるものの、教室内は静寂に包まれている。これは集中出来そうだ。
さてやるか。と歩き出し、自席に着こうとしたタイミングで、背後から女子生徒に声をかけられた。
「あ、いた。あのさ、高嶺。ちょっといい?」
「え?ま、まぁいいけど」
声をかけてきた彼女は同じクラスの人間で名前は白井さんと言う。その白井さんとは普段あまり会話をしない。俗に言うスクールカーストが違うのだ。
彼女はクラスの中でもトップの位置にいると言っても良い人物で、僕はと言うと底辺に近いと自負している。学校での彼女は優等生ではないにしろ、授業には真摯に向き合い、休み時間や放課後には友人と楽しく談笑する姿が見受けられる。そんなよくいる女子高校生の見本のような存在だ。
友人も少なく積極的にイベントごとに参加する趣向ではない僕とは、お互い嫌い合う仲ではないにしろ会話する必要性を感じない。
夏休み明けの席替えで席が前後になったが、それでも会話をしたことはない。そのため探される心当たりがないのだが。用とは何だろうか。
僕の意思そっちのけで白井さんはきょろきょろと周囲を見渡した。
「高嶺って自転車通学?」
「そうだけど」
「オッケー。あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、あんまり他の人がいる前だと話し辛いから駅前の喫茶店行っても良い?」
「え、すぐ終わる話じゃないの?」
「うん。ちょっと別の話。テスト前にごめんね。それじゃ行こっか」
人前で話したくない話とは何だろうか。家庭の事情や人間関係の問題もある。ただ、何れにせよ誰が見ても親しいとは言えない間柄の僕に対し相談する内容ではない筈だ。増してや僕でなければならない理由があるときた。何らかの事情があるのだろう。事態を飲み込み、僕らが教室を出て自転車置き場へ向かおうした所で見知った男性が声をかけてきた。
「おぉ、白井と高嶺か。珍しい組み合わせだな。お前ら、今から一緒に勉強でもするのか?」
僕らのクラス担任の井原先生だ。科目は化学基礎を担当している。
「マサミンじゃん、どうしたの?」
井原先生の下の名前はマサミと言う。漢字はどう書くんだったか。マサミンは井原先生のあだ名だ。井原先生はいつもと変わらない朗らかな表情をしている。
「いやそれがさぁ、どうやら忘れ物しちゃったみたいで。それを探してるんだ。大事な物なんだけどどこにやったのか俺覚えてなくてさ。多分捨てちゃったんだけど、万が一があると怖いからさ。取り敢えず心当たりがある所をしらみ潰しに当たっている所なんだ。いや、探してるものはお前らには詳しくは言えないんだけどさ、教卓の上にA4サイズのプリント置いてなかったか?」
「相変わらずおっちょこちょいだなぁ。私はさっき教室戻ってきたばっかりだから分かんないかな。高嶺知ってる?」
教室に入った時のことを思い出す。が、そもそも教卓の上など見ていなかった気がする。
「僕もさっき教室に戻ってきたばかりなんで分からないですが、多分無かったと思います」
「そっかーそうだよな。了解。ありがとさん。ちょっと他の生徒にも聞いてみるよ。じゃあ気を付けて帰れよ」
「うん、またねー」
僕らは自転車置き場へ向かい、自転車を走らせて駅前へ向かった。
目的地である駅前の百貨店に到着し、7Fの喫茶店に入る。席に案内され、席に着くやいなやウェイトレスがメニュー表とお冷を持ってきた。
「そう言えばさー、最近帰ろうとしたら買ったばかりの自転車がパンクしててねー」と彼女は無関係な事をぼやきながらメニュー表を眺め、数秒見つめた後、メニュー表を僕の方に差し出してきた。早々にメニューを決めたらしい。僕もメニューを決め、ウェイトレスを呼ぶ。僕はホットのアールグレイを、白井さんはスフレパンケーキとセットでブレンドコーヒーを頼んだ。
「あ、そう言えば高嶺は何で学校残ってたの?委員会に入ってるとか?」
「図書委員に入ってるよ」
「あー、如何にもって感じだね。解釈一致ってやつだ。今日は図書委員は良かったの?ほら、いつも受付やってる子って多分図書委員の人だよね。テスト前は部活は休みになるけど委員会は休みにならないんだよね」
「そうだね。当番は曜日毎に担当が決まってて、僕の担当は月曜日だから今日は大丈夫だよ」
彼女は「そうなんだ~じゃあ良かった」と言いつつ口元では如何にもな愛想笑いを浮かべた。いつもの彼女とは違い表情が硬く緊張している様子だ。あまりすぐには本題に入りたがろうとはしていないが、お互いテスト前なので手早く終わらせてしまう方が確実に良いだろう。頼んだ商品も手元に届いていないが本題を話してもらう。
「早速で悪いんだけど、僕に話したいことって何なの?」
「意外とストレートに来るんだね高嶺って。ちょっとビックリしちゃった。うん、ごめんね。急に付き合って貰って。テスト前だし手短に終わらせよっか。えっと、単刀直入に言うと、高嶺に聞きたいことがあるの」
本題に入ろうかと言うタイミングでウェイトレスが頼んだ商品をトレイの上に乗せ運んで来た。僕の手元にアールグレイが、白井さんの手元にブレンドコーヒーとスフレパンケーキが置かれる。感謝の言葉をかけ、ウェイトレスが去ったのを確認した後に彼女は鞄から1枚の紙片を取り出し、テーブルの上に置いた。
「高嶺はこれに見覚えはある?」
白井さんがテーブルの上に置いた紙片にはこう書かれていた。
紙片には差出人の記載はなく、この一文しか書かれていない。文字は綺麗とは言い難いが大きさのバランスが良く、ハライがハッキリと書かれている。内容自体は愛の告白をするための呼び出しだろうと感じた。
この紙片には不可解な点も多い。日時の指定ではなく『明日』と書かれている以上、差出人は今日挟み入れたのだろう。それも恐らく誰でも挟まれている事に気が付くような目立つ挟み方か、白井さんなら気が付くであろうやり方で。白井さんが気が付かない可能性を考慮するなら『明日』と言った書き方にはしない筈だ。あとは『17時に1人でこの教室』と言う箇所に違和感を感じた。
「初めて見た」
「そっか。これね、私の国語総合の教科書の中に挟まってたんだ。呼び出した時のリアクションで書いた張本人じゃないってのは気付いたんだけど、高嶺が誰かが教科書に挟む所を見てたなら話は早かったんだけどなぁ」
白井さんの席は窓側の後ろから2番目の席で、僕は窓側の一番後ろの席だ。席が後ろの人間ならば誰かが紙片を教科書に挟んだ瞬間を目撃している可能性がある。僕の隣の席の古賀さんが今日はお休みだったのもあり、目撃している可能性が一番高いのは僕だ。そのためにわざわざ呼び出したのか。
上に乗っかっているバターを溶かし、スフレパンケーキを一口サイズに切り分けながら彼女は話を続けた。
「これを貰ったのは嬉しいの。多分書いたのは男の子なんじゃないかな。だけど私、明日は用事があってこの呼び出しには行けそうにないんだ。
だから明日はダメって言うのをこれを書いた人に伝えたいんだけど、名前が書かれていないから誰かは分からなくて」
「それで僕を探していたんだね」
「うん。だからホントにごめん!テスト前なのにわざわざ付いて来てもらったのに。万が一、高嶺がこれを書いた張本人なら出来るだけ人目のない所で2人で話す方が良いのかなって。あんまり内容も話さずに連れてきちゃったんだけど、無駄足になっちゃってごめんね」
「別に大丈夫だよ」
チラッと腕時計を見る。一瞬時計の秒針が止まっているように感じたが、秒針は正常に動いており時針と分針は16時34分を指している。今から帰るとなると17時半前に家に着くだろうか。学校に戻って勉強してから帰るのでも良いかも知れない。今日のこれからの予定をどうするか思考を巡らせ、すっかり冷めたアールグレイに口をつけようとした所で白井さんが口を開けた。
「あ、そう言えば高嶺ってミステリー小説好きだよね?」
「まぁそうだけど。なんで知ってるの?」
「高嶺がいないタイミングで机の上に置いてる本をチラッと見ちゃってね。
あのさ、良かったらでいいんだけど、差出人探しちょっと手伝ってくれないかな。これが教科書に挟まれたタイミングとかは何となく分かるから、手伝ってくれる人がいればもしかしたら特定できるかも知れないかなーって。
この件は、その…デリケートな問題だと思うからあんまり他の人に言いふらしたりしたくないの。だから、出来れば高嶺が手伝ってくれたら有難いんだけど...どう?」
うーむ断りづらい。彼女の言うようにこの件はデリケートな問題かもしれない。人に頼りたい気持ちも分かるし、人に言いふらすことが出来ないのも理解出来る。それに、彼女が悪人であれば容赦なく切れたのだが、彼女は善人だと思う。匿名の人物に都合の悪い時間にアポイント無しで呼び出されたのにも関わらずそれを受け入れ、謝罪を行おうとしている。更にその上その匿名の相手の気持ちを無下にしないよう配慮している。
その気になれば「テスト勉強があるから」と断りを入れる事は容易だし、何より僕が手伝う通りなどないのだが、僕自身断る理由も特にない。このようなデリケートな内容であれば尚更だ。彼女が大事にした相手の気持ちを僕が無下にするのも如何なものかと感じてしまう。仕方がない乗り掛かった舟だ。引き受けよう。
「そうだね…分かったよ。手伝う」
「ホント!?ありがとう!高嶺って良いヤツだったんだね!」
「いや、別に…。ただ、一応テスト前だし、そんなに長時間は付き合えないからね」
「うん。それは分かってる。そんなに長くはさせないつもりだから。私もテスト勉強したいしね」
他人に話せる内容ではないし、彼女自身もこの紙片をどうするべきかと1人で知恵を働かせていたためか、協力者が加わったことで白井さんの表情が目に見えて晴れていき、憑き物が落ちたかのような表情になった。
「そう言えば一応聞いておくんだけど、メッセージに気づかなかったフリをするって言うのはどう?そうすれば明日待ち合わせ場所に行かなくても『気が付かなかった』と言えば道理は通るし、相手もそれなら納得はすると思うけど」
「それは絶対に嫌。私あんまり人に嫌われたくないし、相手を傷つけさせたくないし。それに、想いにちゃんと答えたい」
うん、やはり彼女は善人だ。
一息ついてからアールグレイを飲み干し、顔を上げると白井さんと目が合った。いつの間にかスフレパンケーキを食べ終わっていたらしい。鞄からメモとボールペンを取り出していた彼女は意を決した僕の姿を見て微笑み、卓上の紙片を摘んでひらひらを手を振りながら口を開いた。
「よし、じゃあ誰がこれを書いたか考える会を始めよっか。まず、これに気付いたのは国語総合の授業の時。教科書とノートを机の中から取り出そうとした時に何か挟まれてることに気付いたの。
それで、これが教科書に挟まれたタイミングなんだけど、お昼休みか体育の前、体育の後の3つのどれかだと思う」
僕らのクラス、1-Eの今日の時間割はこうだ。
正確に言うと、1限が始まる前には朝のホームルーム、6限の終了後には夕方のホームルームがある。そして、各授業の合間には10分の休憩時間が設けられており、4限と5限の授業の合間には60分のお昼休みが設けられている。
お昼休みは本来であれば60分だが、5限が体育で着替えを行う必要がある場合は50分間の休憩となり、残りの10分で着替えを行うよう体育の教諭から指示を受けている。
白井さんは昼休みの50分間、体育前の10分間、体育後の10分間のどれかだと推測しているそうだ。
「どうしてその3つのどれかだと思うの?」
「私、毎日教科書を持って帰ってるから、これを入れられたのは今日で確定。もちろん家では挟まってなかった。で、4限の歴史総合の時には挟まってなかったと思う。だから、昼休みから6限の国語総合の授業までの間かなって」
「なるほど。でも、歴史総合の授業の時には国語総合の教科書は開いてないからそれ以前に挟まれてた可能性はない?」
「あーえっと、これは実際に見た方が良いかな」
白井さんは鞄の中から国語総合の教科書を取り出し、数ページめくった後に紙片を挟み入れた。
「こう。こんな感じで、紙片が本の栞みたいな感じで挟まってたの。それも机の手前側に挟んだ紙片が見える感じで。これで気付かない人は流石にいないでしょ?私もうっかりしてる所あるけど、流石にこれは気が付くと思うんだよね」
「確かに。それなら国語総合の教科書を使ってない授業でも挟まってないのは分かるね」
「でしょ?それに私、机の中は左側に授業で使い終わった教科書とノート、右側にこれから使う教科書とノートって感じで分けて置いてて、歴史総合の授業が始まった時には右側には国語総合の教科書とノートしか置いてなかったから流石にこのタイミングで確定だと思うんだよね」
「なら見落としもなさそうだね」
うんうんと頷きながら白井さんはメモに『昼休み 体育前 体育後』と記入した。
体育は保健の座学授業もあるが、天気予報では降水確率0%の快晴だったため、恐らく教科書を持ってきていなかったのだろう。僕も持ってくることはしなかった。実際に今日は晴天で体育の授業では男子はハンドボール、女子はソフトテニスをやった。
保健の教科書とノートを持ってきていないのであれば、歴史総合の授業前は歴史総合の教科書とノート、国語総合の教科書とノートだけが右側の未使用のスペースに置かれており、それ以外の物は左側の使用済みスペースに陳列されている状況になる。それだけ物が減っているのであれば歴史総合の教科書とノートを取り出す際の見落としもないと言い切ってしまっても良いだろう。歴史総合の授業が終了し、使用した教科書とノートを左側の使用済みスペースに陳列する際も同様だ。であれば、白井さんの言う様にお昼休みの50分間か体育前の10分間、体育後終了後の10分間のどれかのタイミングで挟み入れられたのだろう。
「そういやさ、高嶺ってお昼休みは何してたの?私は食堂行ってたから教室がどうなってるかは分かんないんだけど」
「お弁当を食べて、食べ終わってからは本を読んでた...と思う」
「自分の席で?」
「そう」
「誰かと食べればいいのに。友達くらいいるでしょ?寂しくならないの?」
「いつもは古賀さんと一緒に食べてるよ。今日は古賀さんが休みだったから1人だったけど」
「そっか。古賀っちと仲良かったね高嶺って。それより自分の席にいたならさ、私の席の近くに誰か近づいて来たりしてなかった?」
「なかったかな。横を通りがかることはあったと思うけど、紙片を教科書に挟むには不審な動きをする必要があるし、それなりに時間もかかると思うから、小説を読んでいても流石に気が付いていたと思う」
「うーん、じゃあ昼休みじゃなくて、体育前後の着替えのタイミングかな?でもウチの教室は女子が着替えてたしなぁ。男子は入れないか」
白井さんは呟きながら手元のメモの『昼休み』と書かれている部分にバツ印を付けた。
体育の授業は2クラス合同で行われる。着替えの際は、片方のクラスで男子が着替え、もう片方のクラスで女子が着替えるようになっている。僕らのクラス1-Eでは女子が着替え、1-Fで男子が着替えていた。男女それぞれ着替えが終わると、最後に教室に残っていた人が施錠をする。つまり男子には窓から侵入でもしない限り不可能だろう。無論、窓から侵入する場合は他の生徒や近隣住民に見られる可能性もあるし、あまり現実的な案ではないだろう。窓の施錠については聞かないままとして話を前に進めることにする。
「じゃあ紙片を挟み入れたのは着替えのタイミングで、それをやったのは女子生徒ってことになるね」
「そう...だね。そうなるね」
白井さんは頭を抱えながら手に持ったボールペンでメモ用紙をトントンと叩きながら僕の言葉に相槌を打った。
僕も情報の整理を行おう。鞄からメモ用紙とシャープペンシルを取り出し、メモ用紙に『いつ』、『どこで』、『誰が』、『何を』、『なぜ』、『どのように』と縦に書き並べた。
まず、この件は”いつ”行われたのか。”体育の着替えのタイミング”だ。鍵が施錠されている都合上、教室には早く入る事は出来ないし、授業が終わってから人が一斉に帰ってくる体育後に紙片を挟み入れるのは人目に付き困難だろう。従って、”体育前の着替えのタイミング”が適切だ。
次がこの件が”どこで”行われたのかだが、これは最初から分かっている。”教室で”だ。”何を”も分かり切っている。”教科書に紙片を挟んだ”。”どのように”も恐らく深く考える必要はないだろう。”白井さんがいないタイミングで白井さんの席に近づき”教科書に紙片を挟み入れた。
あとは、”誰が”と”なぜ”だ。この2つを考えるにはまだ材料が足りない。この2点を明らかにするために、彼女から情報を訊き出していこう。
”誰が”を特定するためにはまず、教科書に紙片を挟み入れた”実行犯”とメッセージの”差出人”について考える必要がある。考え得るパターンとしては2パターンで、”実行犯=差出人”であるパターンと”実行犯≠差出人”であるパターンだ。
まず、1パターン目であれば、紙片を挟み入れるタイミングの都合上、実行犯もとい差出人は僕らのクラス1-Eの女子生徒か隣のクラス1-Fの女子生徒でなければならない。女子生徒がメッセージを書き、自らが教科書に紙片を挟み入れた可能性だ。
2パターン目であれば、実行犯は前者同様1-E若しくは1-Fの女子生徒になるが、差出人は女子生徒でも男子生徒でも良い。この1-Eと1-Fの2クラスに拘る必要も無く、学年も拘る必要がない。ただ、1学年320人程度、学校全体の生徒数だけでも960人程度いる。
それ以外にも実行犯と差出人とは別に首謀者がいて実行犯と差出人は首謀者のために場をセッティングしたと言うパターンもあるが、何れにせよ今回の目的は呼び出しに対し断りを入れるだけなのだから、特定するのは実行犯か差出人のどちらかで良い筈だ。
実行犯と差出人を絞り込むためにもまずは僕の所感を伝えることにした。
「これは推測だけど差出人は同じクラスの人間だと思う」
「ん?なんで分かるの?」
「メッセージの待ち合わせ場所として『この教室』と書かれているけど、僕らの学校では普段であれば放課後の教室に人がいないことが多いのは知ってる?」
「うん、みんな大体17時前にはいなくなっちゃうよね」
「そう。これは、みんな部活動に行ったり、帰宅しているからだね。ただ、テスト前は違う。部活動はテスト前で休みになっていて、17時以降になっても教室で残って勉強している人は多いと思う。今日も何人か教室に残ってたよね。彼らが17時以降にも残る確証はないけど、必ず残っていない状況になるとも言い切れない。つまり、17時以降に教室内に残っている人間がいる可能性がある。
メッセージを見るに『1人できてください』って書いている以上、2人で話がしたいって受け取れたけど、教室内に人が残っているならその人たちに出て行って貰う必要がある。他のクラスの人間が、例えば1-Fの人が1-Eの教室に残っている人に対して部活で使うわけでもないのに『用事があるから出て行ってくれ』なんて言い辛いよね」
「うーん、まぁ...そうだけど。同じクラスの人なら大体の人は連絡先知ってるから、わざわざこんなやり方で伝えなくてもアプリで伝えた方が良いと思う。クラスの女子全員の連絡先は知ってるし、あとは仲の良い男子の連絡先も知ってるから、それだと連絡先交換してない人が差出人になるのかな。連絡先知らない人は、えっと...ちょっと待ってね」
白井さんは鞄の中からスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動した。
彼女の言い分はごもっともだと思う。メッセージアプリで繋がっているのであれば、わざわざ紙片を使って匿名で呼び出す必要性も感じないだろうし、それこそ通話で話すか「ちょっと話あるんだけど」とでも言って呼び出してしまえば良い。2人きりになる事に重点を置いているなら確かにメッセージアプリで呼び出す方が明確だろう。
「出席番号順にいくか。えーっと、上島でしょ、それから川口...高嶺、三原、武藤。この5人かな。あんまり話す機会なかったからこの5人は連絡先交換せず残っちゃった。そうだ、高嶺あとで連絡先交換しよ?」
「うん、分かった。それで、僕を除いた4人の中で呼び出される心当たりがある人はいる?」
「それが分かれば苦労しないってば。高嶺と同じくらいかそれよりも喋ったことないんだから。それこそ...そうだなぁ、一目惚れでもされたくらいじゃないとこの4人は呼び出してこないんじゃないかな。席が近くになったことはあるけど、同じ班になったり絡んだことは無いに等しいし」
「うん、それくらいじゃないとわざわざ呼び出そうとはしないだろうね。現にこんな出来ことがあって初めて僕らは2人で話し合ってる訳だしね」
「因みに...私は一目惚れされたことはないんだけど、高嶺から見て私ってどう映ってる?その、クラスの中で浮いてるとか、化粧が濃いって評判だーとか。男子にどう思われてるのかなって。変に思われてるんだったら告白なんてされないと思うんだけど」
「うーん、僕もあんまり他の人とそう言った話はしないけど、そんな噂は聞いたこともないよ。寧ろ人当たりが良いとかそう言うポジティブな噂を聞いたことがあるくらいじゃないかな」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ良かった。仮に一目惚れされたとしても普通じゃない...のかな?」
愛の告白であれば多少強引でも道理は通る。テスト勉強をしているクラスの人を退かしてでも場をセッティングする必要性は十二分に感じるし、クラスメイトの女子に頼み匿名でメッセージが書かれた紙片を教科書に挟み入れさせるような回りくどい方法を取る理由となる。本人を直接連れ出してしまえば話は早いが、白井さんは友人に囲まれている時間の方が多い人だ。伝えたい気持ちがあるのであれば、そういった手段を取るのも現実的だろう。ただ、テスト前だという点が気がかりだ。
「高嶺ってさ、その4人と仲良かったりする?あんまりイメージないけど」
「上島君と川口君とは芸術の授業の時に一緒の班だから偶に喋るけど、遊んだりするような関係じゃないかな。三原君と武藤君は席も近くになったことないし話した回数も少ないと思う」
「じゃあ、上島と川口の好きな子のタイプとか聞いたことある?」
「ごめん、それはない」
「そうだよねぇ。うん、それは仕方ないよ」
「そうだ、仮にその4人の内誰かが差出人でも、女子に頼んで紙片を教科書に挟んでもらう必要はあるよね。隣のクラス含め女子生徒でその4人と仲の良い子がいるか知ってる?」
「分かんないなぁ。それに、ほら。ラブレターを机の中に入れるくらいはその男の子と仲の良い女の子じゃなくてもすると思うよ」
「あぁ、そう言うものなのかぁ」
「そう言うものなんだよ。自分の好きな相手が取られちゃう!とかだったら話は別だけど、人の恋路は応援したくなっちゃうものなんだよ?高嶺くん」 乙女の恋心は一旦置いておいて、議論は手詰まりだろうか。好みのタイプが把握できていれば特定までこじつけた可能性はあるが、2人とも候補の4人との友好関係を築けていない以上、これ以上は蛇足だろう。
結露ができているお冷のグラスを掴み、口をつけ、一息つく。
ふと目をやると、白井さんは手元のメモに『上島 川口 三原 武藤』と書き加えていた。果たしてこの4人の中に差出人がいるだろうか。仮にこの4人が差出人だったとして、白井さんを呼び出して愛の告白をするのだろうか。僕の手元のメモの『誰が』と『なぜ』の横には何も記入されていないままになっている。
「うん、この4人なのかな。この4人の人柄を知らないからここから絞り込むのは難しそうだけど、この4人にまで絞れたなら上出来じゃない?やるじゃん高嶺。見直したよ」
「うーん、確証はないけどね。可能性が高いってだけで」
「それでもだよ。十分。ホントありがとね。助かった。言葉は選ぶだろうけど、明日その4人にそれとなく探ってみて断りを入れてみるね」
会計を済ませて喫茶店を出て外に出ると、すっかり日が落ちていた。駅前広場の時計台を見ると、時刻は17時57分を指している。流石に今から学校で勉強して帰るのは時間的にも厳しいし、大人しく自宅でテスト勉強しよう。白井さんと連絡先を交換して別れ、僕は自宅を目指し自転車で走り出した。
冬が近づいてきている事を体感させるような冷たい夜風が僕の体温を攫い、頭に上っていた血が下がっていくのを感じた。
議論は確かに4人との接点が2人とも存在していない以上は、4人に絞った先の結論を出す事は出来なかっただろう。ただ、脳が冴てきた僕の中である別の可能性が浮び、前提条件の整理を行う必要が出てきた。
─────── 仮にメッセージが匿名でなくてはいけない必要があれば?
連絡先を知っている人間でも教科書に紙片を挟む行動を取る可能性がある。目論見に勘付かれたくないのであれば尚更可能性は高い。
─────── 目的が愛の告白でないのであれば?
呼び出された教室では白井さんと差出人の2人きりでない可能性もある。あくまでメッセージでは白井さん側が一人で来る指定のみ書かれており、差出人側の人数についての記載はない。
─────── 呼び出しがテスト前でなければいけない必要があれば?
それはテスト前若しくはテストに関係のある内容になる。テスト前では部活動が休止となり、職員室への出入りが禁止される。テストは明後日から5日間行われ、テスト期間中は午前のみテストを実施し、午後は帰宅しなければいけない義務がある。これは教師がテスト期間中に採点を行うためだ。
生じる可能性の断片を繋ぎ合わせ最も最悪のケースを考えながら、同じクラスの友人である古賀さんへ連絡を取る。彼女は体調不良で今日は学校を休んでいたが、体調はすっかり良くなったようで元気な声色で通話に応じた。確認内容は『江坂先輩について』と『放課後の1-Eの教室』の2点とクラスメイトの連絡先を送って貰うのみだったので、5分ほどで通話は終了した。
点と点は繋がり線となった。
辿り着いた結論を伝えるべく、白井さんに通話をかける。白井さんは6コールほどで通話に応じた。『あの件について分かったことがある。出来れば対面で話がしたい』と伝え、まだ帰宅せず駅前でショッピングをしている白井さんと再度落ち合うことになった。
通話を切り、自転車を必死に走らせ目的地へ向かう。待ち合わせ場所は放課後に行った喫茶店とは違うお店で、B1Fにあるお店だった。
白井さんと合流した後、レジカウンターでドリンクの注文を済ませ、アイスコーヒーと共に席に着いた。目の前の席の彼女は放課後に行った喫茶店に入ったばかりの表情と同じ、緊張でやや硬い表情をしていた。
「それで、分かったって、結局誰だったの?差出人は」
「その前に何点か質問しても良い?」
「別に良いけど、何?」
「明日は用事があるって言ってたよね。それって何の用事なのかな」
「えっと、知り合いと遊びに行くだけだよ。やることも買い物行ってご飯食べて帰るくらいだと思う」
「それって江坂先輩?」
「...。なんでそれを高嶺が知ってるの?」
こればかりは勘で聞いてみたが図星だったようだ。
「ごめん、古賀さんから白井さんと江坂先輩が最近仲が良いって言うのを聞いてたんだ。明日の用事もそれ関係かなって思っただけだよ」
「まぁ...別に隠してはないから謝らなくても良いよ。ビックリしちゃったから愛想ない返事になっちゃってたかも。ごめんね。先月知り合ったんだけど、最近よく先輩に『遊びに行かないかー』って誘われるんだ。週1くらいの頻度かな。それが今週は明日になったの。用事はそれ。質問は終わり?」
「もう1つだけ。江坂先輩だけど、恋人がいたのは知ってる?」
溜息をつき、意を決する。あのメッセージの真実を伝えるためにもこれは白井さんに伝えなければいけない。恐る恐る彼女の顔色を窺うと、随分と全てを悟ったような表情をしていた。
「あぁ。そうなんだ。何て言うか、そう言う人だとは思ってたんだけど、やっぱりって言うか。
私ね、その、江坂先輩に何回か告白されてて。タイプじゃないし断ってたんだけど、面白い人だから仲良くしたいかなーって思って、告白を断っても友たちのまま関係を続けて遊びに行ったりもしてたんだけど。そうなんだね」
「うん。今もどうかは分からないけど、最近彩香先輩って人と付き合っていたらしい」
「へぇ、そうなんだ。あ、吹奏楽部の同じパートの先輩って沙織から聞いた事あるかも。同じクラスの輪湖沙織ね。でも名前を聞いた事あるぐらいでどんな人かは知らない」
「僕も知らない。同じ学校の人なんだろうけど。話の端を折ってしまって申し訳ないけど、僕からの質問は終わり」
「その質問は今回の件に関係があるの?」
「うん、動機に関係があると思う」
首を傾げた彼女はストローでアイスコーヒーを飲みながら数秒黙り込んで考えていたが、ズズッと音がすると共にストローから口を放した。
「どうしてそれが今回の件と関係があるの?どう言うこと?」
鞄からメモとシャープペンシルを取り出し、放課後に書いたメモ同様、白紙のメモに5W1Hを書きながら説明をする。
「理解して貰うためにも頭から順を追って説明していくね。くどいようだけど我慢して聞いて欲しい。僕らは教科書に紙片を挟み入れたことばかり気にしていたけど、もっと紙片のメッセージについて深く考えるべきだったんだ。
まず、呼び出し時刻は明日つまりテスト6日前の17時。いくら愛の告白をしようとしても、わざわざテスト前日にするだろうか。突発的な衝動に駆られたのであれば可能性は全くないとは言い切れないものの、告白する側もされる側も結果がどうであれテスト勉強に集中出来ないのだからメリットは少ないだろう。であれば、偶然呼び出しがテスト前になったのではなく、必然的にテスト前に呼び出した可能性があった。僕らはそれを見落としていたんだ。偶然テスト前になったのだろうと考えていた。
仮に、必然的にテスト前にしたのであれば、当然テスト前でなければならない条件が関係してくる。僕らの学校で普段とテスト前とで大きく違っているのは、部活動が休止になる点と職員室への立ち入りが禁止となる点の2点だ。それ以外は、テスト前になると授業の一部がテスト勉強に充てられる様になったり、いつもより早い時間に登校する生徒が増えたりと些細な事だと思う。部活動が休止になる点は、テスト勉強のために休止となるだけだから至って不思議じゃない。
職員室への立ち入りが禁止となる点は、テスト前なので職員室の机の上にはテスト用紙が置かれている可能性があり、それを生徒に見られでもすれば大問題になる。それを考慮しての立ち入り禁止だ。僕は”とある理由”でこれが関係していると思った。
それが、井原先生の失くし物だ。放課後に井原先生が探していた”A4サイズの紙”は十中八九テスト用紙だと思う。テスト用紙を失くすなんて大惨事だ。仮にそれを井原先生が化学基礎を担当しているクラスの1年生が拾ってしまうと、カンニングをした生徒がいるのだからテストが本来の体を成さなくなる。テスト勉強に精を出した生徒の努力も虚しく水の泡となる。それを失くした事実を僕ら生徒に知られる訳にはいかないから、井原先生はそれを探す際は”A4サイズの紙”って言い方でぼやかして教卓に置いていなかったか僕らに聞いてきたんだと思う。
そして井原先生の落ち着きっぷりを見るにテスト用紙は今日失くしたものじゃないと思う。これは推測だけど、昨日の6限の化学基礎の授業の際にテスト範囲を板書していたよね。その際にテスト範囲を書き写すために教室に持ってきていて、授業終了後も職員室には戻らずそのまま自クラスに残りシームレスにホームルームに入ったから教卓の中に置き忘れていていたんじゃないかな。
そしてその井原先生が置き忘れたテスト用紙だけど、偶然吹奏楽部のパート練習で1-Eを使用していた彩香先輩が見つけてしまう」
「...。それで?」
彼女は納得がいかない表情で相槌をする。そりゃあ愛の告白だろうと思っていた矢先に突拍子もなくこんなことを言われればそうなるだろう。そんな彼女を納得させるために僕は話を続けた。
「今日、同じクラスの吹奏楽部の3人、輪湖さんと中山さんと中谷さんが話している内容をちらりと聞いたんだけど、彩香先輩は江坂先輩が白井さんに好意を寄せている事を知っていたらしい。それも会話の中では『あいつが奪った』って言い方をしていた。恐らく江坂先輩と白井さんが付き合っていると誤解しているのだろう。
そしてその誤解をした彩香先輩は白井さんに強い恨みを持っているようだった。それこそ何かを起こして思い知らせてやろうって気持ちになっている程に。
輪湖さんたちは『酷い目に遭っても自業自得でしょ』とも言っていた。それは裏返すと彩香先輩がやっている事は”酷い目に遭わせる事”だと認めているって事だ。何か酷い目に遭わせる計画を企てているのだろう。
あと、これは推測だけど、放課後に喫茶店に来た時、買ったばかりの自転車が学校でパンクしてたって話をしていたよね?それも彩香先輩の仕業だと思う」
「なんで...私は江坂先輩を奪ってないし、そもそも付き合ってもないのに」
「うん、分かってる。でもどこかでそう言った噂が広がったんだろうね。
自転車をパンクさせた事実は分からないけど、彩香先輩は不満を解消出来ず白井さんへの恨みを持ち続けていたんだと思う。そんな彩香先輩の前にとある1枚の用紙が転がり込んできた。それが1年生の化学基礎のテスト用紙だ。これを使って恨みを晴らそうと思い立った」
「...」
何故この件に対しテスト用紙に関係があるかどうかを彼女は察したようだ。生唾を飲み込み、決して口を開こうとはしない。そう。この件は愛情によって衝動に駆り立てられた話でも、善意が溢れた話でもない。これは悪意によって生み出された事件だ。
手元のメモ用紙に次のように付け加える。
「ここから先は推測になるけど、僕が考えるに彩香先輩の計画はこうだ。昨日、放課後の部活動中に化学基礎のテスト用紙を偶然見つけた彩香先輩は白井さんを陥れる策を思いついた。
そして、彩香先輩はその計画のために、輪湖さんたち吹奏楽部の後輩にメッセージを書いた紙片を白井さんの机に忍ばせるよう指示をした。もちろん白井さんに自分たちが書いたものだと悟られない様にするため、文字の書き方等配慮していたと思う。
その指示を受けた輪湖さんたちは白井さんがいない、かつ誰にも見られていないタイミングである体育の授業前の着替えのタイミングに紙片を挟み入れた。
その後は、呼び出した白井さんへ化学基礎のテスト用紙を使って『江坂先輩と別れろ。さもなくば』とでも脅迫するつもりなのだろう。応じなければテスト用紙を盗んた容疑を擦り付ける。
高校1年生とは言えテスト用紙を盗んだ容疑が浮上したのであれば、今回の中間テストはカンニングの疑いでテストは全科目0点となる。そうなると今後の高校生活はもちろん、進学就職にも影響は起きる。何れにせよ、彩香先輩の白井さんへの恨みを晴らすことが出来る。これが彩香先輩が考えた計画だと思う」
息を大きく吸い込み、彼女は口を開けた。
「高嶺の推理は分かった。筋も多分通ってると思う。でも...確証はないんでしょ?マサミンの失くし物がテスト用紙である確証もないし、彩香先輩がそれを見つけたのも推測。メッセージの差出人が彩香先輩だろうってのも推測。彩香先輩がテスト用紙を使って何かしようってのも推測。こんな推測だらけの話されて私がすんなり納得する訳ないでしょ!それに...!」
想定していた事だがすんなり納得はされなかった。もちろんだろう。何もやっていない自分に濡れ衣を着せる計画が出てきているんだと突き出したのだから。僕が探偵で彼女が容疑者であれば『面白い推理だ。小説家にでもなると良い』とでも言われていたところだろうか。彼女の感情のボルテージが高まっていくのが感じられた。
「私がこんな目に遭う道理はないじゃない!どうして?私は何も悪い事してない。江坂先輩とだって付き合ってもないし、なんなら一方的に好意を持たれて言い寄られてるだけ。沙織たちとだって仲良くしてるし嫌われるような事は何一つしてない。それなのにどうして顔も知らない先輩に恨みを持たれて濡れ衣を着せられそうになってて、酷い目に遭わされなきゃいけないの!おかしいよ。私は何も間違った事してないし、誰かの恨みを買うような事もしてないのに!」
激昂した彼女の声は喫茶店内に響き渡った。周囲の視線を感じてか我に返ると、頭を冷やすためか自らのアイスコーヒーを飲み干した。彼女が息をついたのを見計らい、彼女の言葉に反論した。
「いいや、井原先生がテスト用紙を失くしたのも、彩香先輩がそれを見つけたのも、メッセージの差出人が彩香先輩だって言うのも、実は既に確認を取ってあるんだ。推測なのはその後の部分だけだよ」
「でも…。え...?」
唇が僅かに動いた刹那に、僕の背後つまりお店の入り口側を見つめ、彼女が固まった。そこには僕らのクラスメイトで、吹奏楽部に所属している輪湖沙織さんが立っている。
「沙織...?なんで沙織がいるの...」
「高嶺君に呼ばれたの。紗弥もいたんだね」
数秒見つめった2人の視線がやがて僕に向けられた。
「古賀さんに連絡先を聞いたんだ。同じクラスの吹奏楽部の3人の中でも輪湖さんは計画に思う所があるようだったから、彼女なら事実確認が出来そうだと思って。電話で『化学基礎のテスト用紙を見たことがあるか』を聞いた。反応を窺うだけのつもりだったけど、輪湖さんはすんなり認めてくれた。
その後何点か確認して、『白井さんの話をしたい』って言ったら来てくれたよ。急に呼び出してごめんね。来てくれてありがとう」
隣の空席に掌を向け、立ったままの輪湖沙織に座るように促した。白井さんと顔を合わせたときは笑顔だったが、輪湖さんは後ろめたさを感じているように強張った表情をしていた。
「あのさ、2人はどこまで知ってるの?」
隣の席に座る輪湖沙織の問いに答えるべく、僕はメモを見せながら輪湖さんへ推理をぶつけた。部活動中に化学基礎のテスト用紙を偶然見つけた彩香先輩、呼び出した白井さんに対しテスト用紙を盗んだ容疑を擦り付ける計画、呼び出しのメッセージを書いた紙片を体育授業前の着替えのタイミングで白井さんの机に忍ばせたこと、呼び出した後はテスト用紙をちらつかせ脅迫するのだろうと言う結末。
これを適宜頷きながら聞いた彼女は目を見開き数回瞬きをした。
「そこまで分かってるんだね。凄い!」
表情を明るくした彼女は拍手を数回し、こう続けた。
「うん。大体合ってるよ。2年生の人が紗弥と江坂先輩が一緒に歩いてるのを見かけたらしくて、その話を聞いた彩香先輩は2人が付き合ってるって誤解して。それ以降は江坂先輩を奪われたって紗弥の事を目の敵にしてた。『むしゃくしゃして自転車パンクさせてやった』って言ってた。ホントかどうかは分からないけど。
それで、部活中に教卓の中にテスト用紙があったのを先輩が見つけて。紗弥を呼び出したいから『本人に気付かれないようにメッセージを入れろ』って言われた。
愛生と佳穂は先輩が言うならそうだろうって先輩を信じちゃって、言われるがまま紙片を紗弥の机に入れたの。私は、紗弥が江坂先輩を奪ったりする筈ないって言ったんだけど、聞く耳を持たれなくて。紙片を入れたのも私は話し合いから外されてたから今日の放課後に愛生と佳穂と話している時に初めて知ったの。
だから、ごめんなさい。止める事は出来なかった。手遅れだった」
輪湖さんは謝罪の意を伝えると共に深々と頭を下げた。
「沙織は悪くないでしょ?悪いのは彩香先輩であって」「でも、私はやろうと思えば多分強引にでも止められたから。こんな計画だと知らなかったとは言え、止められなかった後にでも紗弥に連絡していれば2人の手を煩わせる必要も無かったと思うから。たまたま紗弥が高嶺君を頼ってくれて、計画に気付くことが出来たから良かったけど」
「それはそうかも知れないけど、沙織は何もしてないんでしょ?だったら気にする事はないよ」
「でも...」
「良いよ。沙織は悪くないんだもん」
輪湖さんはその言葉には返答せず口を噤んだ。
白井紗弥が輪湖沙織を庇っている理由はもっともだと思う。実際輪湖さんは計画を知り、反発し、仲間内から外されて状況下で計画は行われた。輪湖さんが責められる通りは無い。
であれば、謝罪しても尚彼女が気にしなければいけない事、白井さんへ負い目を感じている理由は何だろうか。輪湖さんはさっき僕らが辿り着いた推理に対し、『大体合ってる』と発言した。どこかの推理が間違っているか、何かが足りないか。或いは”何か情報が足りない故に間違った推理をしてしまっていた”か。
彼女が負い目を感じていて話し辛い事は一つしかないではないか。我ながら気が付くのが遅れてしまったことを悔やんでしまった。負い目を感じる理由は推理の過程にはない。そう、”結果が違う”のだ。僕は、化学基礎のテスト用紙を用いてカンニング容疑を白井さんに被せるまでが彩香先輩が考えた計画だと考えていた。それが違うのであれば、何か別の結果を想定していた事になる。それも恐らく残酷な結果だ。テストが全科目0点となり学業に支障が出ること以上の結果、それは恐らく...。
「白井さん、1つ聞きたいんだけど、輪湖さんと今後も仲良くしたいと思う?」
「もちろん。友達だもん」
「うん、そうだよね。輪湖さん、白井さんを信用して話して欲しい。彩香先輩が考えた計画には続きがあるんだよね?そして、それは僕らの推測とは結末が違ってるんだよね?」
「うん。そうだね...」
悪い事をしている自覚はある。白井さんが気が付いていなく、輪湖さんが話そうと試みない以上これは追及しなくとも良い内容だっただろう。だが、僕は彼女たちがコミュニケーションを取るべきだと強く感じた。理由は今回の事の始まりが関係していたからだろう。
ある雑誌に掲載されていた日本人宇宙飛行士のインタビュー記事にこんな言葉があった。
その言葉に僕は至極腑に落ちた。これまでの短い人生に於いて生じた人間関係のトラブルはコミュニケーション不足によるものが多いからだ。分かるだろうと言わんばかりにコミュニケーションを取ろうとしない人、自我を押し殺し妥協する事で他人との折衝を避け続ける人、自我を押し通し相手に理解させる事しか考えていない人等、心当たりがあった。
日本人だからどうこうは考慮しておらず人間はそう言うものなのだろうと高を括っていたが、多国籍の人間と会話及び対話をする宇宙飛行士が言うのであればそうなのだろう。日本人はコミュニケーションを怠る傾向にあると。
この事件の始まりは江坂先輩と彩香先輩がコミュニケーションを怠った所からだ。きっかけは江坂先輩が彩香先輩から離れて行ったのだろう。それでも、お互いの気持ちをきちんと伝えることが出来ていれば彩香先輩は計画を企てる事も無かった。彩香先輩自身も、噂を信じて事実を確認せず白井さんへの恨みを募らせた。事実確認が出来ていたのであれば、怒りの矛先は江坂先輩へ向いたのだろう。
そうだ。僕は彼女たちに、先輩たちと同じ轍を踏んでほしくないのだ。これはどうしようもないエゴだ。そう感じたのは白井さんと輪湖さんが善人だからだと思う。ここで2人が腹を割って会話しなければ、輪湖さんはずっと後ろめたい気持ちを引きずらなければいけない。そうなると、二人の間にはずっとある一定以上の隙間が生まれ、仲良くしたいと言う意志はどこかで志半ば折れてしまうだろう。
僕個人としてはこの事件は乗り掛かった舟ではあるのだが、気が付くと輪湖さんへ事の結末を話すように促していた。善人と善人の2人の関係が、ある1人の人間の悪意によって引き裂かれてしまうのは見過ごせない。テスト勉強に充てる筈だった時間を奪われた恨みも多少あったかも知れないが、物事を綺麗に終らせるためにはこの行動は最善だと感じた。
「じゃあ、話すね...。化学基礎のテスト用紙を見つけた経緯と、計画のために紗弥の机の中にメッセージの書いた紙片を忍ばせた方法は2人の推測通り。パート練習中に見つけて、紗弥を呼び出すために愛生と佳穂を使った。ちょっと違うのは呼び出した後に起こること。
高嶺君の話では彩香先輩の目的は脅迫だったよね。でもそうじゃない。紗弥をテスト用紙窃盗の犯人に仕立て上げることなの。
彩香先輩は紗弥だけじゃなく他にも2人を呼び出してる。1人目がマサミンで、多分紗弥と同じ様に愛生と佳穂に指示して呼び出すんだと思う。2人目が生活指導の宮本。校門でよく怒鳴ってる生活指導の先生ね。紗弥を呼び出して、紗弥が化学基礎のテスト用紙を盗んだって話をしている所にこの2人が来たら...あとは分かるでしょ?彩香先輩は江坂先輩のことが好きだった。でも流石にやり過ぎだよね...。私が謝ってた理由も分かったでしょ」
彩香先輩のことは接点がないためどんな人間かを理解していなかったのもあるが、想定していたより残酷な人間だったようだ。
白井さんに対し『テスト用紙を盗んだ』と主張する数名に、『テスト用紙が数日前から無くなった』と発言する井原先生に、生活指導の宮本先生はどんな判決を下すか、予想するのは容易だった。
仮に白井さんが『私はやっていない』と言い張ったとしても、シチュエーション次第では聞き入れてもらえないだろう。いや、輪湖さんの発言を聞くに彩香先輩はその辺りも抜かりなくやる人間なのだろう。
実際、白井さんの自転車をパンクさせた際も大事にはなっていない。事が進むとどうなるだろうか。休学、下手すれば退学になるだろう。
輪湖さんの話を聞いた僕らは、閉じた口を開こうとはしなかった。静寂に包まれた空気では店内のBGMが際立って感じる。ピアノとベースとドラムのトリオのジャズバンドの曲だ。誰も何を発するでもなく1分程経過し、口を開いたのは輪湖さんだった。
「私が謝りたかったのは、この結末を知っていたのに止めることをしなかったから。怖くて出来なかったから。本当は紗弥を護りたかった。信用できないかも知れないけれど、これは本当の気持ち。だから信じて欲しい。
でも、彩香先輩の矛先がこっちに向くのが怖くて、上手く行っている部活の雰囲気を壊すのが怖くて動けなかった。結局は自分の身が可愛かったの...。本当にごめんなさい」
彼女は下げた頭を上げると、消えるような声で再び「ごめん!」と言い放って席を立ち喫茶店を出た。白井さんが呼び止めようと試みるも輪湖さんは足を止めなかった。「私、追いかけるね」と言う発言と共に、白井さんも輪湖さんに続いて店を出た。席には引かれた2つの椅子と、注文した2つのアイスコーヒーが取り残された。椅子を元に戻し、アイスコーヒーを返却口に返して目を店の外へやると、飲食店が数店舗存在するこのフロアに背広姿の男性が多く見えた。日が落ちたようだ。
店を出て駅の駐輪場へ向かう。精算機に番号を打ち込むとディスプレイには『100円』と表示されている。財布から100円硬貨を取り出し精算機にコインを入れ、ロックを解除する。
白井さんは輪湖さんに追いついただろうか。と、つい心配してしまうが、あとは彼女たちの問題だ。当初の白井さんからの依頼である差出人の特定には貢献することが出来た。僕の役割は終わったのだ。
自転車に跨りながら帰路につく。赤信号に引っ掛かり、ふと空を見上げるとうっすらと星が見えた。その星を眺めていると、日本人宇宙飛行士のインタビュー記事の言葉に続きがあったことを思い出した。
彼女たちは乗り越えられるだろうか。もう乗り越えただろうか。
信号が青に変わり、僕は自転車を走らせた。
翌日、学校に行くと隣の席の古賀さんが出席していた。
「おはよう古賀さん。体調はもう大丈夫なの?」
「おはよう。うん、昨日の夕方には熱は下がってたから」
「じゃあ良かった」
「そうだ、昨日の授業のノート見せてくれない?」
「了解。ちょっと待ってね」
自席に着き、鞄の中から今日の授業で使う教科書とノートと、勉強用に持ってきていた教科書とノートを取り出す。
「はい。これ。数学Aと物理基礎と英語コミュニケーションIと歴史総合と国語総合の5冊だね」
「ありがと。うーん、多いなぁ」
ぶつぶつとボヤく古賀さんを余所目に、授業で使う教科書とノートをしまおうとすると机の中に紙片が置かれていることに気が付いた。二つに折られた紙片を開くと、こう書かれていた。
このメッセージに差出人の記載はない。
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