なにを発信すればいいのかの答え
当たり前のことだけどこの世の発信ってすべて相手は人じゃないですか?
人に見てもらう知ってもらう買ってもらう信じてもらうってことは対人が基本。
そこを避けてのクリエイト(想像と商売)ってものは成り立たないと思う。
ぼくも人だから自分が物事にハマって行くときの感情っていうのはぼくの発信に活かせる部分っていうのは大いにあると思うんです。
冷静に分析をしてみると取っ掛かりはそれぞれで雑誌だったりSNSだったりいろいろする、これが第一期「出会い」。その後に調べるって行為を必ずする、これが第二期「検索」
ユーチューブとかだと続けて見ちゃうし、ウィキペディアも調べる。本だったり映画だったりしたらレビューも見る。
知ることの深さがあることって大事なような気がする。知りたい欲に応えられる状態。作品数、動画数、発信数などの深さがあるとぼくは誰に言われたわけでもなく調べはまっていく。
一昔前はわからないけど現代においては好きになることと調べることってセットなんだと思う。
なので今読まれようがなかろうが作品をネットに残すということは間違っていないし、それがいつか誰かの楽しめる深さになると信じている。
書きながら思い出したが、ぼくの愛聴していたラジオ番組「松本人志の放送室」の中で野球に全く興味がないと言う松本さんが野球好きな人の気持ちを理解出来ないなりに答えるとするなら「ヒストリー」なのではないかと言っていた(正確ではないがニュアンス的に)
その贔屓チーム、選手の歴史を知っているからあれだけ応援できるのではないか?確かにそれはあると当時野球好きだった自分は思った。そしてそのラジオを収録していた松本さんと近い年になった今改めて深く共感する。その通りだ。
未来は一緒に見れば良い、大事なのは現在と過去、ストーリーとヒストリーが大事なんだな。
jon covet