日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」を見て

 11/30に日本財団が行った「国や社会に対する意識」をテーマとする「18歳意識調査」の結果が公表された。

 この調査は、選挙権年齢が18歳に引き下げられたことや、成人年齢が18歳に変わることを踏まえ、18歳の若者が何を考え、何を思っているか継続して調べるもので、毎回、「新聞」「恋愛・結婚観」「働く」といった幅広いテーマが設定されている。

 今回行われた第20回調査では、インド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツと日本の17~19歳各1,000人を対象に国や社会に対する意識が調査された。

 以下、公表された結果の一部を見ていきたい。

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  見てお分かりの通り、日本はいずれの質問においても9か国中最下位となっている。注意したいのは、これを見て、最下位だから日本の若者は終わっている、と持っていく短絡的な議論である。他の国と比較するのであれば、その結果の違いの要因を探るべきである。どんな質問に対して、どんな値をたたき出しているのか、分析をする方がよっぽど建設的な議論に繋がる。

 さて、この結果を大雑把にまとめてしまうと、「日本人の若者は公共性が低い」といったところだろうか。社会との距離を上手く掴めず、その中での役割意識が芽生えにくい。特に低い値を示した質問は「自分で国や社会を変えられると思う」で18.3%、5人に1人以下である。

 今回はこの「自分で国や社会を変えられると思う」という質問をクローズアップしていきたい。

 まず質問を分析すると、「国や社会を変えたい」という思いがあった場合に、それを「自らの手によって実現できる」と思うか、という質問である。「国や社会を変えたい」ということは基本的に、「現状をbetterな未来に変えたい」ということだろう。

それでは、どれだけの人がbetterな未来を求めているのだろうか。「自分の国に解決したい社会議題がある」という質問に対しては46.4%が「はい」と回答していることから、約2人に1人は少なくとも、betterな未来を求めていると見ていいだろう。

 その約2人に1人が持っている「betterな未来を」という思いとは裏腹にそれを「自分の手によって実現できる」と考えている人は5人に1人以下。そのギャップはどこからくるのだろうか。

 多くの人の考えとして推測できるのは、「どうせ変えようとしたってできっこない」と自己完結してしまうパターンだ。これには「自分にそれを成し遂げるだけの様々なリソースが不足している」というのと「どうあがいても社会は動かない」という2つの「できない」理由が存在していると思う。

 前者の足りていない様々なリソースというのは、「時間がない」「お金がない」「方法が見つからない」「仲間がいない」の類である。18歳の若者といえば、多くが大学受験や就活といった「将来の進路」の呪縛に囚われている時期だ。最も大事なのは「安定」であり、社会問題の解決へのモチベーションを持ち合わせる人や、何をしていいか分からない段階から行動へ移そうと考える人は僅かであろう。

 後者の「社会への無希望」は、社会が抱える問題のあまりの多さ、解決の難しさ、政治の停滞などに起因すると思う。自分が首を突っ込んでどうこうできる問題ではない、と考える若者は多いだろう。

 さらに「自分の国の将来についてどう思っていますか。」という質問に対しては、「良くなる」と答えた人は9.6%、「悪くなる」と答えた人が37.9%、「変わらない」と答えた人が20.5%、「どうなるか分からない」と答えた人が32.0%と、「社会への失望・無期待感」「先行きの不透明感」の意識がはっきりと表れている。

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 このように、漠然と未来がどうなるか分からないという不安感の中で生かされている若者にとって、「その社会を自分たちの手でどうにか良くする」ということより「なんとか安定した生活を」という考えに至るのは仕方ないことなのかもしれない。

 近頃、話題になっている16歳の環境アクティビスト、グレタ・トゥーンベリさん。彼女が「自分の手で温暖化問題を解決できる」と思っていなければあれだけの行動は起こさないだろう。だが、日本に住む多くの若者にとって、彼女の行動はどう考えてもリスクの高い行動でしかない。「学校に行かない」「奇異な目で見られる」等々、考えだしたらとてもあんな行動には踏み出せない。もちろん、日本にも、行動を起こしているたくさんの若者がいるのは事実である。でも、傾向として大きな潮流かと言えばそうではない。

 一方、そうしたリスクが低く、若者の誰もができる、課題解決への行動がある。そう「選挙」だ。統治者と被治者の同一性がある民主主義において、社会を変える最も基本的な行動が投票である。

 だが、「どのようにして国の役に立ちたいか」という質問において「選挙を通じて政治に参加する」と答えたのは20.4%、全体の4番目である。1位は「きちんと働き納税する」31.3%、2位「学業に励み立派な社会人となる」25.3%、3位「ボランティアをする」23.7%と続く。

 しっかりと働き、納税をし、国に貢献する。正しいことだ。しかし、国がこのままで良いと思っている人が少ないなかで、社会の変化を求めているはずである。その最も簡単な方法であるはずの選挙が期待されていない。昨今の政治のイメージの悪さや、政治への距離感、理解の薄さが「選挙の力」がなきものにされている大きな要因であろう。選挙制度自体に問題があるかもしれないが、それさえ気づかない人がいるし、それを変えようとする動きも巻き起こらない。

 また驚くべきことに、前述の「どのようにして国の役に立ちたいか」という質問に対し、「国の役に立ちたいとは思わない」と答えた人が14.2%と9か国最多であった。

「日本の将来に期待していない。」「日本という国からの恩恵を十分に感じていない。」

 この経済大国日本において、傲慢に聞こえるかもしれないが、こうした実情こそ、先ほどの回答を生み出しているのではないか。このまま漠然とした不安感が続けば、自分の安定を最優先に既得権益層はさらに、権益の囲い込みに躍起になる。政治と結びつきやすいのもそうした階層である。

 果たして、その末路に「国」は存在できるのだろうか。社会課題から目を背け、「地球」は存在できるのだろうか。

 この地球は想像以上に厳しい状況にある。気候変動、人口問題、資源問題、挙げだしたらキリがない。(絶望してはいけない)

 そして、その中の我々が住む日本はさらに過酷な状況にある。財政、教育、働き方、防災、どれをとっても頭を抱え悩まされる。

 全員が安定した生活ができることが一番である。しかし、全員が目先の「安定」を求める道を進んだ先に、果たして本当の安定はあるのだろうか。

 不用意に危機感を煽ったり、絶望感を味わさせるつもりはない。もし何かまずいという感覚が働いたら、物事を見る姿勢を改めたり、日ごろのちょっとした行動を見直してみたり、そんなことに繋がれば幸いである。

 リスクは存在する。しかし、リスクをとらずして手に入るものはその程度のものである。

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