ほぐした唐辛四季と低賃金労働ロマンスマンモス
広々とした薄暗く肌寒い灰鼠色の工場内。
ベルトコンベアから流れてくる煙草。
L・A・R・K表記の銘柄は赤ラーク。
右から流れて来るその赤ラークのセロハンを剥がし、蓋を開け、20本の煙草を作業台に広げる。
カッターを使い煙草を一本一本切り裂き、乾燥加工された粉粉の葉を丁寧に取り除く。
粉粉が飛び散らないように番重の中へとひたひたになるまで敷き詰める。
不要物のゴミは右下に設置してあるゴミ箱へ棄てる。この作業は延々と続く。
きーんこーんかーんこーん、と、お昼のチャイムが室内に鳴り響く。その作業は午前中のみで一旦昼休みとなり、真冬の屋上でひとり寂しくお弁当を食べる。
午後からは違う作業に取り掛かる。
積み上げられた番重に、敷き詰められた赤ラークを、ふわふわと丁寧にほぐす。
ベルトコンベアの右から流れて来る小瓶に、ほぐした粉粉の葉を、専用の道具を使い50gづつ計りにかけ、満タンに詰めていき赤い蓋で締め密封する。
真心を込めて手作業。
真心を込めてをする製造理念。
緋色の作業着、有限会社『法子戻ってこい』
この一味唐辛子製造工場に正社員雇用して貰い半年の月日が流れた。
でもなんだか様子が変だぞ、これは唐辛子なのか、自分は今なぜ煙草の葉をほぐしているのだ、との自問を繰り返しながら、番重が一日の作業ノルマを達成した時点で、ようやく、はっっ!!!として、何を真面目に労働しとるのだ、これは夢じゃないか、と気付き、慌ててあたり周辺をきょろきょろと訝しげに見渡す。
だだっ広い灰鼠色のコンクリート空間には、自分以外、誰〜もいない。誰〜も働いていない。
…働く訳がない。
いま自分を雇っている工場長はきっと。と気付き、作業を放棄し工事内を走り回る。
きっと。あの方がどこかにいる。
すると「工場長室」と表記された室名札があった。
ガラガラガラガラっと引き戸を勢いよく開けると、ほら居た。
さらさらな長髪の工場長は後ろ手を組み窓から外の景色を眺めていた。
「工場長!!」
「やあ、よく来たね。この従業員不足。生産量低下。長年先祖代々やってきた、我がほぐした一味唐辛子工場『法子戻ってこい』は、いよいよ潰れちまうよ、さあどうするのかい?… 工場リーダーよ」
工場長は仁王立ちの堂々とした姿勢のまま、後ろ手を組んだまま、見えない透明な手で頭を抱えている。
…そうだった。
自分は工場リーダーに出世していたのだった。
時給は300円設定。国が定めた最低賃金を大幅に下回る、お給金が低過ぎる、という『ご尤もな理由』で、パートにバイトで勤めてくれていた、おばちゃんや海外の留学生たちは直近で大量に辞めて行き、現在残された従業員は工場リーダーである自分ただひとりだけであった。
その現状を受け止めると急に手が震え出した。
「困りましたね…さすがに…ほぐし過ぎて、私の手はこの通り。腱鞘炎です工場長」
「おおビューティフル。立派な働き者の手じゃないか」
「褒めて欲しい訳ではありません工場長。この両の手が、ほぐし疲れ、ほぐし嫌がり、を起こし腱鞘炎になっているのです。現状打破をしないといけません。人員確保が優先です」
「せ。……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………や………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………な求人出そか」
時給320円の求人広告を出し数日が経過した。
働いてくれる従業員がようやく見つかった。
新人さんは、頼もしい背中の太い足、茶色い癖毛の長い鼻、大きな雄々しな、マンモスだった。
図体が工場に入りきらない為、寒い冬の碧空の下、工場の横に隣接されてある専用駐車場で、協力し共同作業を行うことにした。
マンモスは一生懸命に働いてくれた。
工場のコンクリート壁を破り突き出たベルトコンベアから流れて来る煙草の箱を、右前足で どんっ、と踏んで、長い鼻で ふーん がっ、とほぐす。
ぴゅらぴゅらぴゅら と舞う粉粉の葉。
急いで横にいる自分が、箒とちりとりで拾い集め、丁重に小瓶に詰めていく。
マンモスの自分の阿吽の呼吸。
彼の立派な働きぶりのお陰でほぐした一味唐辛子、商品名『星の金辛子』の生産量は右肩上がりに伸びた。
あうんあうん、と呼吸しているうちに、あいんあいん、と恋が芽生え気付けば、あはんあはん、とマンモスとの関係はロマンスとなり、工場長には内緒で秘密な社内恋愛へと発展していた。
春の桜が葉に変り、夏のとろけそうな炎天下の陽射しで香るマンモスの体臭が鼻腔の奥を刺激し、秋の枯れ葉とマンモスの毛は同じ色だねうふふふーんと適当に笑い合い、冬の日の屋外作業は寒いね手が冷たいねと話しかければ、俺は毛が生えまくっとるから平気やねんでと答えられ、何よ共感が欲しいのよアタシンパシーはあなたに対して命の半分くらい捧げてもいいと想っているのにそのお返事はこの高額の対価に見合っていないと思うわ、何言うとんねん馬鹿ちんが俺の時給は320円やねん低いねんでしゃーないやろがいなあしゃあないなあ手温めたろか、と両手に鼻マフラーを巻かれる。駐車場でマンモスと、春夏秋冬の四季と低賃金労働ロマンスを満喫していた。
完全寒波到来のある日の昼休み、昼食を終え食後の一服、マンモスはいつもの如く、マルボロを一箱取り出して20本まるまると鼻の穴に詰め火をつけた。冬の気温に溶ける煙を見ながら背中に乗っかっている私は彼に向かって言った。
「そこはLARKを吸えばいいじゃな〜い?」
「マルボロがええのや俺は!ぶおんっぷしゅうー げほけふぉげふほ 鼻で煙草吸うたらあかんのう」
自分の過ちに気付いたマンモスは煙草を吸う姿勢を修正、口に咥え直し勢いよく鼻から煙を吐いた。
「煙草辞めちゃえば?時給のおよそ2時間分を、お金と時間を、燃やしてるようなものじゃ〜ん」
「Man Always Remember Love Because Of Romance Only」
「へ?」
「Man Always Remember Love Because Of Romance Over」
「突然なにを言っているの?」
「マルボロには、人は本当の愛を見つけるために恋をする、男はロマンスを失ったために愛を思い出す、って意味の略があるんだ」
「…愛だの恋だのロマンスだの。中年が、老いらくが、いいトシこいて、そんな主張するの恥ずかしくない?そういうのはさ、いいトシをこかないうちに早めに済ませておくべきものよ」
「冷たいな。マンモス恥ずかピー」
「こんな夢を見ている私もマンモス恥ずかピーわ、そんなことより世界にはもっと楽しいことがたくさん溢れているわ」
「見てみいなっ!電線にてんとう虫が3匹止まっとるでえ!あれはロマンスだぜ!!」
近視の目を半眼に細めて電線に焦点を合わせた。
「…小さくてよく見えないんだけど。てんとう虫?」
「そうだ!止まってるんだぜ!ええねん夢やねんから、振り回されときーーやっ!てんとう虫がサンバで、ガンバルンバだぜっ!!」
「分かった!テクノロジーお掃除宣言ねっ!ガンバのルンバで微細な心のお部屋中のゴミをしっかり吸引すみずみまでぴっかぴかねっ!ルンバ大阪ねっ!」
「ガンバのサンバのルンバの千葉ば〜!てんとう虫のお嫁サンバのクルバのバババ〜!」
「うれ石川〜お引き受け島根〜バババになってもずっと愛知〜てね岐阜〜」
「単身赴任で福岡お隣りは滋賀〜」
「単身パック佐賀お引っこ滋賀〜」
風変わりなプロポーズを受けるも、人とマンモスの婚姻は困難で、事実婚を決め工場長に報告した。
付き合ってたんなら隠さないで言ってくれれば良かったのに〜、そんなん気遣わんでええのに、んも〜と、工場長からお祝いに500円も頂いた。
旦那の体臭が鼻腔を刺激する季節になる炎天下の夏の頃。
工場長は警察に捕まった。
絶滅危惧種マンモスを雇用した容疑と、いんちき煙草ほぐし一味唐辛子出荷販売の容疑。
事実婚の旦那も捕まった。
1万年と二千年前に絶滅していなかった容疑。
そのニュースを工場長室のテレビで視聴していた。最初から気付いてはいたが、ニュースを通して初めて知る事実があった。
ほぐした一味唐辛子『星の金辛子』一本19800円。
売値高ぁ。時給安ぅ。
外から警察のサイレンが聴こえる。多分あのパトカーは自分を迎えに来ている。一体何の容疑をかけられるのか…。
置いてあったマルボロの煙草を吸う。低賃金労働の中で芽生えた愛を思い出しながらフィルターをぎりぎりまで灰にした。
時計を見る。そろそろ時間が来たよ、現実へ逃げ込みなさい、と勝手な解釈をし、颯爽と工場長と旦那を見捨て、この夢から覚めることにした。
ぱちん。
目を覚まして直ぐ起きて脳裏に過った。
ごめんなさい。
なんて薄情な女だ、とは思ったけれど、夢の中でならそう振る舞っていいじゃない夢なんだから。そして、ほぐした一味唐辛子はそもそも消費者はいたのだろうか。
今朝の寝起きの一服とコーヒーは、いつもより少しだけ、ほんのりとから〜い味がした。
さあ今日も一日。
ガンバのサンバのルンバの千葉バのバババ〜!