第3の農業を目指して
娘が生まれてもうすぐ9ヶ月になろうとしています。前回これから必要な教育とは?という問いを立てて、世界7第教育方法から学ばさせてもらいました。
これまではテストで高得点を出す人間が評価されてきた時代でした。
・大量の課題をこなす処理能力
・出された課題に疑問を持たない
・忍耐力
としてこれから必要な教育を
「思想哲学」を通して自分で問いを立てる力と社会を観察する力を養いながら自ら社会問題を発見し、「対話」を通して自分と他の人と一緒に理解を深め、「協働」する力で社会問題を解決出来る人々を育てる事がこれから必要な「教育」
としました。
今回は教育の事について勉強する中で、炭谷 俊樹著「第3の教育 突き抜けた才能は、ここから産まれる」を読んでこれは色々な分野でも当てはまるのではないかと思いました。そこで今回は「教育」「経済」最後に「農業」の3つの分野で考察していきたいと思います。とくに第2の教育についての考え方にハッとさせられるものがありました。
1、第3の教育とは?
炭谷先生はデンマークでモンテッソーリ教育を娘が受けて劇的に変化した事がキッカケで教育について考え始めます。そして学校運営を始めます。炭谷先生の学校の特徴として「第3の教育」を挙げました。
第1の教育こう表現しています。
いまの日本の教育は基本的には文部省が時間割もカリキュラムも全部決め、それに従いなさい、従わなかったら、あなたはペケです、従えばマルですという教育方法です。
この考え方は前回も紹介した「教育」というよりも都合の良い「人材育成」のようなものです。
ここからの考え方がとても興味深いのですが、第2の教育についてはこのように解説しています。
第2の教育は、第1の教育に反発した人がそこから自由になりたいというもので、権威に従わない、自由な生き方をするというものです。多くのフリースクールがこれにあたります。・・・結局は第1の教育の価値観というのを強く意識していて、そこから逃げているだけだと思います。そういう意味では第1も第2も、実は同じ価値観の裏返しだと思っています。
「自由」という言葉に置き換わった「放任」ではないかと指摘しています。
そして第3の教育として
自分自身が何かを作り出す。自分自身が価値観とか哲学を持って、自分はこういうことを学びたいから、こういうカリキュラムでやりたい。あるいは、自分自身が社会参画することで社会は変えられると思える生き方が出来る人を育てる、そういう教育を第3の教育と読んでいます。
としています。自分もこの第3の教育にとても共感していますし、そのような教育が広まって行く事を強く願います。
2、経済
ここで経済についても同様の事が言えるのではないでしょうか?
自由主義と社会主義も先ほど紹介した第1と第2のような側面があると思います。カール・ポラニー著「新訳 大転換:市場社会の形成と崩壊」の中で
自由主義経済はわれわれの理想を誤った方向に導いた。それは本質的にユートピア的な期待が実現出来るかのように思わせたのである。しかしいかなる社会も、権力と共生がなければ存在できないし、力が威力を発揮しないような世界もありえない。人間の意思と希望だけで形成された社会を想定することは幻想であった。ーカール・ポラニー著「新訳 大転換:市場社会の形成と崩壊」
結局は「自由」を追い求めすぎると「自由」を放棄する結果につながるという事です。
これは第2の教育の考え方に似ているなと感じました。
第3の経済思想として宇沢弘文著「社会的共通資本」を挙げます。
「社会的共通資本」とは?
社会的共通資本とは、経済学者の宇沢弘文氏(1928-2014年)が提唱した概念で、すべての人びとが、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会の安定的な維持を可能にする自然環境と社会的装置のことで、これを社会共通の財産とする考え方です。
社会的共通資本は、自然環境(大気、水、森林、河川など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道など)、制度資本(教育、医療、金融など)という3つの範疇にわけて考えることができます。大気、道路など具体的に何を含むかは、それぞれの地域や国の自然的、歴史的な要因などによって異なります。
こうした社会的共通資本は、社会の共通の財産として、社会的な基準に従って管理されなければならないと宇沢氏は言います。たとえば教育は、子どもたちが持っている資質を伸ばすことを、また医療は病気やけがの人を助けるものです。どちらも一人一人の市民が、人間らしい生活を営むために重要な役割を果たすものなので、国家によって官僚的に支配されたり、市場の基準によって利潤追求の対象にされるべきではない、というのが宇沢氏の考え方です。
また社会的共通資本は、分権的な市場経済制度が円滑に機能し、実質的な所得分配が安定的となるような条件でもあります。ー宇沢弘文, 2013, 『経済学は人びとを幸福にできるか』, 東洋経済新報社
これは「第3の教育」のように資本主義と社会主義のバランスを上手くとれた思想ではないかと考えます。
3、農業
この流れは農業にも当てはまると考えます。
第1は栽培暦やJAの言った通りに栽培して主体性の欠けた農業
第2はその反動でフリースクールのような放任栽培状態の農業
第3は主体性や、自分の思想哲学を持って科学的な視点で栽培に取り組めている農業
この違いで大きく変わってくるのではないでしょうか。
これからも思考する事を放棄せず色んな分野から今の農業を考えていきたいです。
ありがとうございました。