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真実はいつもひとつ

名探偵コナンの決め台詞「真実はいつもひとつ」。
いや、いつもそうあってほしいと思うのが校正という仕事に関してだ。

校正は原稿と制作物を照らし合わせて誤りを見つける作業。ということで、比較的簡単な仕事と思われがちだ。しかし、実はそうでもない。
原稿が完全であればそうかもしれないが、原稿だって人の手によって作成されているわけだから、誤りはあるし書き手の方も気が変わったりする。校正の度に原稿にはない訂正を加えられて、原形を留めないなんてこともある。

もちろん、最近はデジタル化によって原稿との差異は発生しなくなって、校正の負担は減った。
それでも油断大敵だ。原稿作成側の勘違いや文字変換ミスは日常茶飯事。意外と以外、決裁と決済など同音異義語は多い。ま、この位は大したことないけど。
危険なのは固有名詞や数字。価格の変更はよく発生するので、打ち直した際に一桁間違えることはよくある。価格の桁を間違えたら損害賠償ものだ。

難度が高いのは、法的な規制や社会的な状況変化によって使えない言葉が増えていることだ。法的規制というのは誇大表示や薬効に関すること。広告を作る立場としてはギリギリまで攻めたいが年々規制は厳しくなる。
さらに近年は差別に関わる部分での変化が大きい。例えば女性の役割を固定化する呼称は使いにくくなっている。一方で今までなかった呼称(看護師、キャビンアテンダントなど)が定着しつつある。何が正しいかは、常に揺れ動いているのだ。
これらは、原稿を制作する側に基本的な責任はある。
しかし、我々制作や印刷をする側にも責任があると私は思っている。

私の会社ではある大手クライアントから長年大きなカタログの仕事を任されているが、ここのルールがとんでもなかった。
「私たちが間違った原稿を出しても、正しいものを作ってください」。
理不尽な、と思ったが仕事したかったからその条件を飲んだ。社内の体制を変えて対応した。最初は苦労したが、その内にミスはなくなった。逆に顧客が我々に確認をするようになった。最先端デジタルシステムでミスのない制作体制を売り込んで来る競合もあったが、上記のように「誤り」というのは一筋縄ではいかないのだ。自分たちの仕事が社会的にどのような意味を持っているかをしっかり自覚することが先で、仕組はその後だ。

そういう意味では、仕事の真実(真理)はいつもひとつ、かもしれない。

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