種子法を失くして何をしようとしたのか?未来投資会議(規制改革推進会議)
多国籍企業がカナダ政府など、一国の政府を相手取り「正当な競争を阻害され、不利益を被った」として、あろうことかその国の「貿易規制」や「公的機関」そのものを多額の賠償金で訴える・・・そんなISDN条項等が含まれる自由貿易協定が、網の目のように世界を覆っています。
このような世界事情にあって、海老の泳ぎのような外交姿勢・・・訴えられる前から降参し、この要素を取り除くために国内の法律や公的機関を取り除く準備に奔走する日本政府の動きが、不気味かつ理解不能です。その一つが種子法の廃止でした。
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種子法廃止法は
2018年4月1日に施行された「種子法廃止法」の憲法違反を国に認めさせ、違憲無効とすることを訴える裁判です。現在10月7日の違憲陳述を経て、結審は12月の予定でしたが、これが3月まで伸びたと、公判で言い渡されました。前回6月8日の原告尋問・証人尋問を経て、今回の書類提出にあたり、裁判所が行政の側のプロセスに瑕疵がなかったかどうかを調べる必要性を感じた、と考えられ、若干ですが、希望兆しの灯る途中結果になりました。
当該「種子法」とは、
昭和27年5月に、戦後の食糧増産という国家的要請を背景に制定された法律で、主要農作物(稲・大麦・はだか麦・小麦及び大豆)の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産について、圃場審査、及びその他の措置を行うことを規定しています。さて、基本はご理解いただけたのでしょうか?
種子法は、その土地に合った、病気や冷害にも強い優良な種子をしっかり生産し、保管し、安価で農家に種子を行き渡らせる、という役割を担うためにありました。農家さんに意欲が沸くように、良い種が安い必要があったのです。今迄は国家から配分される予算があって、都道府県が圃場などの事業者にお金を支払う、管理・育成・検査等の業務が存在していたわけです。
2018年の廃止法では、その予算が取り払われ、それらの実施義務が無くなったと言うことです。心配なことに、国はそれらを間も無く、種子事業そのものを民間委託に移行させる予定だ、と公言しているようです。
一体どういった意図が働いていたのか?
これはTPPなど大国との「自由貿易協定」の細則に書かれた「非関税障壁の撤廃」に相当し、種子法により日本の農家の経営を守ってきたことそのものが咎められ、巨大アグリビジネス企業に、農地や農作ビジネスの権利を与える、というものです。
文字通り滅茶苦茶な話で「公益守備を無視して、商売にフェアであることを求める」という国境をこえた屁理屈は、自由貿易に名を借り、金の力で地上げを強行する侵略行為です。(国家間の戦争を用いない、資源や自治権奪取の手法)
しかも、最近のPFI拡大法案の内閣委員会(11月18日)質疑で見受けられたように「内容に秘密協定があり、企業名や収支状況等の内容は一切明かせない」として情報公開にも応じず、蓋を開けてみれば、全ての事業について、使用料が値上がりしているとのことです。委託先の収支状況が悪化しているかどうかも情報開示されないで、施設改修などに都合が良いだけ、と言うことになっておるようです。
数年前、クミチャンネルFBページでは、海外株主への配当を経費予算に含めずに経費内訳を掲載した議会資料で通過すると言う厚顔無恥で詐欺的な手法があることを報道してきました。水道法コンセッションによる水道代の値上がりは、軒並みこの手法によるもののようなのですが、施行後、3年経つPFI法の下では、このような実態がまかり通っているようなのです。
条約は現行法律の上位とされる
現行の法律より上位に来てしまう「条約」の内容を否定できるのは憲法だけです。自民党公明党には、築地市場の移転で明らかなように、新自由主義勢力か第三国からの金脈がきてしまっていますから「日本国憲法、経済植民地にするのに邪魔なので必ず変えてくれ!」という海外勢力の依頼に応じて、外注された内容を反映しようとしているはずです。今回、憲法を易々と改定する誘惑に、応じてはならないのは、究極にはこの為です。
欧米の貴族とその金庫番達、イスラエル大帝国を建国し、世界に共産主義圏を徹底しようとする蛮族達にとって、日本の法律はもう既に、簡単に捻じ曲げることが可能です。自由貿易協定を締結さえすればあとは邪魔なのは、現行の日本国憲法(国民の基本的人権を保障するため)のみ、なのです。
どう闘って、我々の生活や生産の権利を守れば良いのか
山田正彦弁護士(民主党政権下における前農水大臣)はTPP交渉の内容をオーストラリア・ニュージーランド経由で入手し、翻訳チームを編成して、今後どのようなことが起こり得るのかを調査しました。同時に違憲訴訟弁護団を編成し、農業だけでなく金融や士業の分野まで、できる限りの情報を開示し、国内の各機関や、国民への内容周知に務めてきました。
TPPやR-CEPなどの自由貿易は、表紙近くの「前書き」は、大義名分と美辞麗句に溢れていますが、その細部・細則が問題です。末端の実務担当者にしか状況のわからない記述で、権限の無いものにしか見抜けない内容で書かれており、交渉のテーブルにきちんと乗ったとは言い難いのです。
その実、民主的な貿易関係を後退させるアンフェアな内容です。金融権力と結びついた大企業の上意下達を利用したファシズムな内容ですのでわかりにくいのです。しかも秘密及びスピード交渉であり、実際は植民地施策としか呼べないものになっています。その結果として齎された代表的なものが、種子法の廃止でした。
バイオテクノロジーの産み落としたものは
皆さん、昨今はご存知かと思いますが、現在日本で栽培されている野菜や穀物の種子が、バイオテクノロジーで人間の手を加えることによって、雄性不稔、という子孫のできない種子にわざわざ置き換えられており、これによって自家採種ができない農家の元手が毎年高額にかかるようになり、一方で雄性不稔の種子を販売する巨大アグリ企業がひたすら毎年、巨額の富を得る構図が描かれています。
一般農家は不採算で独立を困難にされるだけではなく、現在までに積み重ねた知見と技術を、海外の巨大アグリ企業に無償提供するようにと勝手に義務付けが行われています。これについては、筆者は日本記者クラブにおける会員向け基調講演にて山田正彦先生の説明を具に聞きまして、本当に耳と目を疑ったものでした。日本の農家はただ一方的に奪われる運びなのです。
バイオテクノロジーって、まさか人類の科学の進歩が、世界の人々を幸せにするためではなく、世界の多くの農民を苦しめるために使われるとは思いませんでしたね。失望です。しかも、これらを食べることによって、我々の個体もまた、子孫を残せなくなって行くと言われてもいます。
行政がそんな酷いことをするはずがない?
ニュースも得ていない当の農家や私達は、あんぐりと口を開け、行政がそんな酷いことをするはずがないと首を捻るだけです。種子法の撤廃を、東大の鈴木教授が耳にした時も、本当に寝耳に水だったとのことです。しかし、これは架空のホラーでもなんでもなく、TPPやRーCEP、FTAやEPAが締結されるのと同時進行で、経済産業省の下の農水省が実際に法改正をしながら、各都道府県に手続きを進めているものですが、一方で誠実に頑張る生産者は、まるで知らされていないのでした。
漁業権などについても、突然漁師の営業権が突然、企業買収によって海域ごと奪われるようなことになっているのは、皆さん聞いたことがあるでしょう。(オリックスは海上発電のためと言って買っているようですが、本当でしょうか。)
築地市場の豊洲移転に再しては、元々、仲卸業者のいない世界を思い描いて設計されたもので、取引が縮小させてしてしまったり、併せて全国が対象となる卸売市場法の改悪も「TPPの準備だ」として強行されました。これを道州制への入り口だとして日本のあらゆる福祉が簡略に縮小されて行く前触れだとする学者もいます。
このように戦後、国民を飢えさせないための、日本の優れた官僚たちが国民のために編んできた法律や競争に寄らず国民の命を守ろうとする法律や公的機関が、海外の巨大企業にとっての「非関税障壁だ」ということで撤廃させられて行く、これが新自由主義であります。
PFIと言うわかりにくい構図も、ゆくゆくは海外の大手企業にM&Aで買収されれば、植民地と同じことになっていきます。
第二次世界大戦直後から40年間かけて、スイスのモンペルラン協会で36人の経済学者によって研究された「新自由主義経済学」というものは、何もご立派なものでは無く、世界の貴族のために各国の自治を侵し、善良な市民の税金を徐々に値上げし、彼らがすいあげてていく為の屁理屈なのです。
(TPP違憲訴訟 和田弁護士の解説)
新自由主義とは競争至上主義?ではない
世界的大企業にとっての自由主義であり、民主的社会の成り立ちとは対極にあり、私企業の利益利潤優先主義と上意下達の仕組みを利用したファシズム、自由であるはずの経済活動を利用してその国の自治を収奪する”一種の言い訳戦争”です。しかし気をつけなくてはならないのは相手は国家ではない、ということ。正確には、TPP憎しと言っても米国国民や米国政府を責めるわけにはいかないのです。
ダポス会議は世界の富裕層の会議であり、G7やG20と言った政治家の集まりではないので、その認識を誤ってはなりません。政治家は基本的に少なくとも自国の国民を幸せにする義務を追っていますが、経営者のマインドはいつも効率や合理性、生産性の果てに、商売の隆盛と「人々の幸せ」という机上の空論があります。政治は騙される側であり、逆に政治から彼らを制御する必要があります。
日本政府が、私達の生業や命を勝手に差し出す?
このように、我が国の政府が、我々の生業や命を大国の企業にタダで差し出してしまうような時代に差し掛かり、有志が、なんとか国民の命を繋げるよう謀ったり、着実に相手の牙を取り除いていかなくてはなりません。また、この時代、この原理を知らない政治家は、事象や問題の把握に全く歯が立たなくなっていくでしょう。
各都道府県や自治体が、農民と種子事業を守れ!
本訴訟は、国民の食糧確保と食の安全(実験台にされる)を考える上で、最も深刻な訴訟です。訴訟団は、全国の地方自治体(都道府県)に別途、条例としての種子法を導入させ、地元の農民と農業を守るよう、指導しています。大変な講演の量と、映画作成などの努力の結果、現在は全国の約半分が実施に応じたところです。しかし、条例は、完璧ではありません。もう既に綻びは見え始めているのです。
本訴訟の経緯
確認すると、2019年5月に第一次訴訟を提訴し、原告の意見陳述、2021年6月に第2次訴訟提訴で憲法学者の意見書提出、証拠DVDを法廷で上映、2022年4月に第3次訴訟を提訴、2022年6月に原告尋問がありました。
6月の原告尋問では、採種農家・栽培農家・消費者・農政の諮問委員である東大教授・憲法学者・元農業試験場職員に対しての「証人尋問」が行われ他のですが、大変に評判・感触共によかったようです。
証人らはそれぞれの現場から、早速その身に感じる変化と戸惑い、利益毀損だけではなく、公益に間違いなく及ぶ悪影響、法律名に反して、却ってこの国の農業が”結果的に競争力を失う事運び”、展開される農村の危機、等を切々と語りました。
農水省が本意で行なっていることではない?
現行の法律の重みを感じて欲しい
証言の数々を聞いて、憲法学者の土屋教授は、いくつかの指摘を行いました。
今回は、①食糧の安定供給②農業の多面的昨日の発揮③農業の持続的発展④農村の振興、を実現するために、農政の研究者・農業団体の代表・消費者団体の代表・企業経営者など各界の専門家達が審議員となって開かれる農村政策審議会を開かなかった(東大の鈴木教授の訴え)ということが、行政の違反行為として挙げられ、
政府が、立法の理由や今後についての方針を説明した内容が虚偽だった、と言う点も、立法過程における行政の違反行為です。具体的には「種子法が廃止されても都道府県の取り組みは変わらない」とした大臣答弁と「種苗法によって種子法に代わる手立てを取る、従前と同様に、種子事業の財源を確保する」とした後日回答書による答弁です。
実際には、種苗法が種子法に取って代わることは内容においてあり得ず、実際の予算は取られず、と言うことで、都道府県では財源の枯渇から事業を継続できなくなったという事実があります。政府は国会を軽視し、言い逃れをしたのです。
人権の概念における「後退措置」は命に関わる場合も
また、重要な観点として次の「後退措置」という概念を挙げました。
国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。
社会権規約と自由権規約は、1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効しました。日本は1979年に批准しました。(外務省HPより)
TPP等の自由貿易協定は条約で、国内法の上位に来ますが、国際人権規約もまた、条約なので、今回のことについて特に、有効性があると言うことです。
世界人権宣言の社会権規約の中にある「人権要綱の後退措置は禁じられている」という部分は、我々が日本国憲法に書かれた基本的人権を後退させないためにも、重要なキーワードであり、昨今の新自由主義的政治を批判するに当たり、大いに応用すべき言葉であることを、野党と市民は覚えておくべき、ではないでしょうか。
制度後退禁止原則・立法課程統制論
と、言うわけで、この訴訟では簡単に言うと、政府の話の進め方に瑕疵があったという指摘において、違憲を認めさせるような運びになっています。そこで持ち出されるのが、国際条約においての「制度後退禁止原則」に基づき、憲法上の「立法過程統制論」において違反であるとする考え方です。
後者は、考慮すべきを考慮しなかったり、必要な審査過程を勝手に省略したりと、判断過程の瑕疵が著しい場合は、立法裁量を逸脱するとして<憲法違反>と判断されるというものです。今後、現与党の功罪を糾していくに当たって厳しく追求するべき側面です。
私たちは、メクラ印の条約発効によって、みすみす自らの生活や食糧源、安全な食物を選択する権利を手放すなど、真っ平御免です。責任は国会と政府にありますが、国会を政府が騙した面がある限り、将来日本国民が飢えたり、不必要に命を短く奪われるのであれば、その責任は政府にのみある、と言うこともできるでしょう。
10月7日の公判
これに続く本人陳述という事で、原告代表、他、弁護士4名が「食糧への権利」「廃止に伴う被害」「廃止に伴う財政上の問題」「種子法廃止法の違憲性について」それぞれ、意見陳述を行いました。筆者はこの日は、裁判所の傍聴に間に合い(抽選にも通り)これを間近で見聞きすることができました。
こちらも陳述の書面をいただきましたので、これまで記した内容と被りますが、簡単に、わかりやすく、各弁護士の主張内容を、ご報告させていただきますね。
>原告、立教大学池住義憲(いけずみよしのり)教授
池住氏が3つの国際NGOに従事した頃、1996年の世界食糧サミットの開催に関与し、そこでローマ宣言「全ての人にとっての食糧安全保障」が採決されたことを引用し、「これは私自身の存在意義に関わることなのです」と、一人称を使ってゆっくりと裁判官たちに向かって話し始めました。
氏は、種子法廃止法が、国際的認識の流れに真っ向から逆行していることと、日本国民にとっての食糧安全保障を脅かすものである、という認識を説明しました。現在のクワトロショックに追い打ちをかけ、このままでは未来のまだ見ぬ日本人達が、確実に飢える事になる流れ、健康で無事な生活が損なわれるに違いない流れを発見し、これを見過ごせないのだ、と話しました。
そして強く、「どのような権力・圧力から影響を受けることなく、独立して公正な判断を下し、権利侵害、不安に苛まれる市民を救済する砦となるよう憲法に基づき良心に従い、公正な審議と判断をお願いする」と、司法府に申し渡しました。終始、年を押すようなゆっくりと言葉を扱いました。
まさに安倍一強時代、司法は骨抜きとなり、違憲訴訟の裁判官の判断もほぼ、官邸や内調(カルト公安)などに牛耳られ、違憲訴訟は軒並み却下され、憲法の威信が損なわれてきました。統一教会がお縄となりつつある現在、裁判官たちに顔色が戻ってきました。このまま、司法が息を吹き返すことを願ってやみません。
>原告ら訴訟代理人の田井勝(たいまさる)弁護士
田井氏は本件にて、憲法25条・13条・22条等が保障する「食料への権利」「種子の権利」「基本的人権」を侵害するとして、同廃止法の違憲無効を訴えています。そして「食料への権利」の保障のためには、食糧生産を行う農業者の権利が保障されなければならないと踏み込みました。
また、世界人権宣言の社会権規約に「十分な食糧への権利」「安全な食糧への権利」「十分な生活水準確保の権利」があることを引用し、我々が得るべき食料の量と質及び適切性を「締結国の法的義務」として捉え、達成に努力しなくてはならないことになっているのだ、ということを裁判官たちに伝えました。
また、安定的・持続可能な食料への権利が保障されるために、農業者が経済的にも物理的にも安定的に営農できることが保証される必要があり、農業者には憲法22条の「営業の自由」29条の「財産権」が保証されるべき、と主張しました。
種子法は、戦後の食糧の増産と安定供給を目的に、食料の根本である種(たね)の生産体制を整え、良好で安全な種子を安価で一般農家に提供し続けること、を目的として1952年に作られました。「もう戦後ではないから」と今回、政府は廃止に踏み切りました。しかし種子供給に関する事業の法的根拠が消え、予算が付かないので公的圃場審査・生産物審査をしなくなり、種子の安定供給や価格の安定性、種子の安全性、に影響がでる危険が出ることを覚悟しなくてはならなくなって来ました。
案の定、種子の育成費を補うため、既に原種の値段は3〜5倍に、種子価格平均も2〜3割程度の値上がりが始まっています。今後、採算の取れる形で農業を続けられるかどうかとなると、諸経費も増大しており増税もあり、ただでさえ後継者難になっているところ、国連の推奨する「農家」の経営に暗い影が差しています。
また、政府の方針では今後、種子事業を企業に委託するとなっていますが、民間では生産性に偏った物差しで淘汰されてしまう恐れもあり、多様性の保護がなされないと、食糧の安定供給に影響が生じる要素となり得るとの知見も存在するようです。
>原告ら訴訟代理人の岩月浩二(いわつきこうじ)弁護士
東大の鈴木教授の提言を受け「現在の状況は値上げどころではない、必要な食料が手に入らなくなる事態が目前に迫っている」と話し、種子法が成立した戦後間もない時期と同様の「飢餓のリスク」が迫っていると言うのに、梯子を外すとは何事かと、現状に見合わない政府の方針を裁判官に問いました。
種子法以上のことをしなくてはならないタイミングで、下支えの種子法を廃止するとは独立国家にとって自殺行為であり、理解に苦しむこと。今の日本の自給率は、1966年の統計開始以来、最低の水準である37%、しかも種子は9割が海外に依存しており、穀物自給率で言う28%と、これは1億人を超える国家としては決して成り立たない数字で、更に種子法廃止で種子事業を民間に委ねると、2035年には穀物自給率は11%という壊滅的な数字が予測されています。
岩月氏は、官邸が海外の投資家や大企業の都合を反映させていた「未来投資会議」からの「規制改革会議」のトップダウンにより、法で定められた民主的決定プロセスがことごとく破壊され、第一次産業分野において特にこれが軽く扱われ、取り返しの付かないことになっていると、告発しました。
竹中平蔵〜安倍元総理らの杜撰な国際政治は、これまでの減反や農林水産業冷遇政策に加え、内閣法制局の意見すら排除して物事を私物化し、諸処の交換条件として、海外企業に農林水産業の営業権さえも勝手に差し出し、多くの営農者と、国民の未来を裏切ったのです。
結果、国境や海域で我々が食糧を囲い込むことができず、国内で採れた食物が輸出用だと言って海外に持ち去られ、私達の元に残らないという事態さえ、考えなくてはならないのです。これでは米騒動以前への退化ではないでしょうか。
>原告ら訴訟代理人の平岡秀夫(ひらおかひでお)弁護士
「立法過程における、行政側の瑕疵」について、平岡弁護士は、政府が国会議員に対して嘘をついたという内容を裁判官に伝えました。
平成29年3月23日の大臣答弁を踏まえ、答弁書で次のような回答がなされました。
「種子法廃止後も、都道府県は、必要な種子の供給事務を継続している。同事務に要する財政需要についても種苗法及び農業競争力強化支援法に基づき、引き続き地方交付税による措置がされている。」
結論から言うと、ここには2点の虚偽事項がありました。種苗法や農業競走力強化支援法では種子事業はなされませんし、地方交付税に計上はなく、予算はもう無いので、都道府県によっては事務を継続できなくなっている所もありました。
原告らは公表情報である「地方交付税制度解説」(単位費用編 平成29年度〜令和2年度版)という発行物に於いてこれを調査し、財源需要も金額も、明確に示したものが残されていない事を突き止めました。また、後半の二法で継続を措置したと書かれていましたが、農業行政費を見る限り、計上は何一つ、ありませんでした。
また、行政事務細目の「生産流通振興費」という、今まで種子供給事務が含まれていた予算が実際、大幅に減額されていた事も突き止めました。そして職員の言説で、「種子法が廃止になったので、そのお金はもう来ていない」との証言も得ました。「引き続き地方交付税による措置がなされる」とは、真っ赤な嘘だったのでした。
種子法廃止で国からの財政的手当が減少或いは抹消していることで、採種農家はマイナスを採取した種子の値上げで補おうとし、今度は種子を買う一般農家に経済的負担がかかっています。そのような苦しい状況を作って、食糧の減収を食い止めるなど、できるはずがありません。
国は、食料自給率の上昇のための施策を打つどころか、真逆の、農家を痛めつけて、減らすような施策を遂行しています。平岡弁護士はこのような現実と、国民を見つめない、行政の不誠実な態度を裁判官に、伝えました。
>憲法学者、古川健三(こがわけんぞう)弁護士
殆どが既述事項ではありますが、土屋教授の代弁者として、種子法廃止に対する違憲審査の観点を羅列された、と言うことになります。古川弁護士はまず、種子法廃止の違憲性の一つの面は「農家などの経済的自由に関する規制緩和立法である」と言うことで、もう一つは、「社会権保障の制度の後退禁止原則に触れる」と言う側面である、と、まとめました。
種子法は戦後の「食糧増産という国家的要請」と言う立法事実を持ちました。今回の廃止法の立法事実は何でしょうか?大きな疑問を禁じえません。
種子法の元、奨励品種制度により、公によって品質が保障された種を、農家は安価に仕入れて作付することができました。就農者に安心と余裕を与え、安全安心な食糧を増産してもらってきたのです。これを廃止すると言うことは、小規模農家の農業経営を支援してきた制度の撤廃であり、下支えの後退が咎められる所です。
更にこの制度は日本を「消費者誰もがお墨付きの安全な食料を安く入手できる国」とするための政策でしたから、<政府には、国民のための食糧を保障する気がなくなったのだ>と言う大きな問題として捉える必要があります。まさに、主権国家の役割の一部を放り出した、と同義です。愛国だったはずの故・安倍晋三君の未来投資会議とは、日本が「植民地」となることを良しとしたのでしょうか?
古川弁護士は、既に6月の証言にて触れた制度後退禁止原則についてより詳しく「社会権の内容を形成する制度について、その制度が一旦具現化されている以上、当該制度を正当な理由なく後退・撤退することは、憲法上の人権を不当に制限・剥奪するもので許されない行為というべきだ」と、解説しました。・・・驚くなかれ、我々は「剥奪される」という状況を思い描く必要に迫られているようです。
種子法無き後、当面は種苗農家や、種苗を買う農家が困窮しますが、続けられなくなれば「営業権の剥奪」、日本の基本的な食糧が不足した上に、食物輸入に制限がかけられれば「食糧へのアクセス権の剥奪」、そして日本が飢餓状態に陥り多数の死者が出れば「生存権の剥奪」です。東大鈴木教授はその危険は目前と言います。
例えば、政府が言うように今後、種子・種苗事業を下手に民営化して、M&A買収などで外資の手に渡れば、私たちが主食とする米の種までもが、枯葉剤のモンサントの製造した人為操作のものに置き換えられる可能性があります。F1というだけで自家採種禁止と相まって、個人農家はほとんど強制的に倒産させられます。
遺伝子組み換え種子を拒めなくなると、作付け義務となる種子は農薬の使用がセットになった企画で、癌や脳神経・アレルギー等の病気を誘発しますので、インドでは特に子供の問題になっています。遺伝子操作やゲノム編集が行われた種子により、私たちの細胞にも傷や変化が齎される可能性が否定できない場合、私たちは種子法によって安全で美味しい自然の恵みを食べていた時代を懐かしく思いながら、奇形や内分泌の不調に悩んだり、何となく皆が早死にして行くようになるのでは。
食品の安全性の欠如は後に広範囲に重大な被害をもたらす一方、因果関係の立証は難しく損害賠償による事後的な救済も困難です。では、そういったことが起こらないための審査のシステムをみすみす失おうと言うのは、一体誰のためでしょうか?
このような、国の態度の豹変に対し、国民を代表して立ち向かうべく、古川弁護士は、司法を厳しく見据えて次のように言い渡しました。
「司法審査の役割は、政府の行為の帰結を統制するものではなく、政府の行為の理由を統制するものとして捉えるべきである。」
「熟慮と討議のプロセスの産物として立法事実がなければならない。誰の利益になり、誰の不利益になるのか?十分な情報はあるか?」
「司法には審議過程についての審査を行うべき役割ないし機能がある。今回の審議と決定のプロセスに行政側の瑕疵がなかったか、どうか注目する必要がある。」
行政の瑕疵としては、既述の通り、審議会を飛ばしたことは勿論、間違った情報の国会への提供や、その場の言い逃れ、中身や実効性のない宣誓等、答弁としても虚偽がありました。これも司法が審査の観点にすべき点であります。
「どれだけ立派な憲法をいただこうと、安心して食べられるものがなければ国は滅びますよ。憲法を絵に描いた餅にしてはいけない」