【異郷日記】26/9/24 父が夢に出てきたことと昔の自分のキャリアイメージ

父が夢に出てきた。実家の部屋にいたら、二階に上がってきて、元気そうで癌になる前の姿だった。私は癌だと知っていたので、元気そうでよかったと伝えると、父もおう、と微笑。記憶が曖昧だが抱擁を交わした気がする。外で掃除や草取りなどの仕事をするという父と一緒に階下に降りて、車庫の前に出る。そこに、黒い墨色パールのミラージュという車が停まっていて、私はそこから満開の蓮の花を降ろす。茎などなく、本当に満開の巨大な花。お盆に地元でかなり寄って撮った写真を立体にした感じ。父はその車に乗って裏の用水まで行って、竹藪に入って何か仕事をしていた。それを私は2階に戻ってそこから見た。
そんな夢のせいか、前夜は夜9時にベッドに入ったのに起き上がれずにヨガは出なかった。朝9時過ぎにようやく起き上がる。あまり何かをする気にはならず、ぼんやりネットサーフィンをする。

母に誕生日の電話をして、家人が楽器演奏をして祝う。一人で孤独な誕生日を迎えているが、気丈に振る舞っている母。昔は強く明るい母のイメージだったが、感情的に自立しているようで依存的で、共感する言葉が減り、自分の話が多い。夫を亡くしたばかりで、慣れない土地で一人で頑張っている母が気がかりだが、本人はがんばっている。それを尊重し、本人が周囲からかわいそうだと思われているという方向にはしたくなく、程よい距離感とコミュニケーションの度合いはまだ手探りだ。それほど母と父は一体化していたのだと思う。

空腹だが朝食は取らずに、近所のカフェにベンガル風のモーニングセットを食べに行った。バングラデシュで生産したカバンを販売していたが、カバン販売は壁に沿って展示され、テーブル席がたくさん配置されていた。こういうビジネスを変化させ、向上させるバイタリティがすごいと思う。このオーナーは4年前は、べつのよく行くカフェで働く一従業員だったのに。ローカルビジネスと途上国支援とうまく合わせて、利益と雇用をつくり、発展にも貢献している。きっと楽しいだろうと想像した。家人はバーガーを食べていた。カフェには日本語を話す女性二人も食事をしていた。カレーはとても美味しかった。

帰宅して満腹でまた疲れがどっと出る。今朝はヨガをパスし、エクササイズもできそうもなくパスした。夕方から仕事へ行くので体力を温存したい。疲れの海に漂う感じで、何をする気にもならない。とにかくベッドで横になった。

ふと、何をしたいかでなく、どう生きるかが大切のんだと頭に浮かんだ。それはそうだ。しかし、本当に自分の人生、生き方に照らし合わせて考えているのか。今の仕事のしかた。子どもや家族の援助の仕事は、自分自身が人の親になる代わりにやっているのかもしれない。仕事で子育てをするという責任を果たしている気になっているのかもしれない。

さて、どうしたら自分の能力を使っていると感じられるのか。今の仕事は、過去の経験、職歴、学びを活かせるものではある。チームの中で働き、自分を常に律して育てている感覚もある。何より、社会に貢献できている手応えもある。しかし、私のごく幼少期の原始的な感覚を大切にすれば、また少し違う形の働き方が出てくるのではないかと思う。そういえば、子どもの頃の自分の将来のイメージは、薄紫色のファイルを小脇に抱え、スーツで地下鉄に乗るOLのイメージだった。また、地方の図書館や美術館のような静かな場所で、一つの小さなことに対して考えることをしたいようなイメージも中高生の頃にはあった。その両方とも実現されてはいないし、そんな感覚がどこからきたのかわからないが、おもしろいと思う。

ゆるゆる働いて、同僚とお茶を飲んで私生活の話などもする。ぼんやりしすぎて後半時間がなくなり慌ててクライアントの記録を書いた。こんなふうにゆるく働く日があっていい。

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