【異郷日記】1/9/24 自然と都市のバランス
今日から九月。数日前から今年も残り四ヶ月と気づいていたが、今日になってみれば昨日の労働と夜の社交のツケを払いきれていない。
それでも、なんとか起き上がると、昨夜ぼんやりしながら日本で買ったマニキュアでごく淡いレモンイエロー色に塗った両手の爪が目に入って、気分はあがった。片手で足りないぐらいの年数を数えるほど久しぶりにマニキュアを使ったが、塗りやすく速乾性も高く、感動した。このさりげなくパールが交じる色には待ち合わせという名前がついていて、新鮮な気持ちや、誰でもが少し持つであろう緊張やキュンとするイメージなのかとぼんやり考えた。東京の真ん中のファッションビルで買った製品に、この南半球の地方都市で励まされる現実の交差のおもしろさを感じた。
今日は朝からヨガざんまいの一日。本当にヨガとは自分のすべてが表れる怖さと、自分のすべてを受け入れて理解していくおもしろさがある。気合いが必要で、ご飯を食べたかった。しかし朝ごはんになるものは何もなく、仕方なく大切に食べているコシヒカリを炊いた。この爪で米を研ぐのは憚られたが、道具を使えばなんてことはない。肉団子の煮込みもたくさん作って、昼にも食べられるようにして一安心。しかし、携帯が充電されていない。ケーブルの不具合のようだ。ヨガの開始まで時間もない。仕方なく、1時間弱の昼休みに近所のスーパーに充電ケーブルを買いに行った。運転しながら、目の前に広がる曇天が目に入った。それを見ながら、自然の多い地方に住むのが好きだな、そしてそれは自然は思索や想像を自由に広げられる余白をたくさん与えてくれるからだと思った。
現在住んでいる地は自然が豊かである。いってみれば荒野の入り口にあるオアシスのような都市である。日本の自然とは違う特徴で、海、川、丘陵地、荒野、岩、崖、森林、果樹畑、牧草地などの形体があるが、この組み合わせがなんとも日本の自分が育った故郷の自然とはかなり違う。いや、日本にそんな組み合わせの場所は北海道にあるかないかなのではないか。私に馴染みがあるのは、山、山脈、海、川、どこまでも広がる稲作の田圃、杉林、畑、藪、谷、といったものである。この違いに触発されて気づくことやとめどなく広がる想像もある。
故郷では自然の中に人間が入り込んで生活を営み、自然の一部として生きている。自然の脅威と生きることが普通だ。自然災害がおこらなくとも、冬には雪が降り、天候に左右される稲作をはじめ農業や漁業が盛んであり、杉林と田圃に囲まれた実家はまさに自然の中の一部のようだった。あまりにも都市の要素が少ない。都市とは、ビジネス機能はもちろん、多い人口が楽しめるような経済活動ができるような多種多様なエンターテイメントが多く存在しているものである。故郷は都市とは言い難い、地方の小さな町なので、エンターテイメントはおろか、店さえ近所にはなかった。
これまで住んだ東京の西の地域と関西の大都市では、住宅地と繁華街を往復することが多く、自然に触れる機会は限られていた。自発的に大きな公園や川に行くこともあったが、日常は家々の木々や草花を見たり、ビルで視界が遮られた空を見上げること、自転車に乗りながら雨に降られたりすることが主な自然との触れ合いだった。都会はあくまでも都会としてのビジネス機能を中心としているが、その中で自然を共生させる努力がなされている、東京の中心には驚くほど公園がたくさんあるし、大小の規模に関わらず公園や庭園、寺社仏閣などの周りにある自然の美しさや潤いにはまた独特の魅力がある。限られた空間の中で管理されて扱いやすくなっている自然。
今も都市の住宅街に住んではいるが、日本の都市とはかなり違っていて、簡単にいうと田舎だ。半キロも歩けば川がありその両脇に木々の繁みがあり、その中にある小道を歩いて海まで行ける。その繁みでタヌキやキツネを見たこともある。希少種の野生ネズミ庭に紛れ込んできて保護したこともある。今いる場所は、自然の中に都市を作って、間借りのように成立させてもらっているような印象だ。故郷の自然のあり方をもっと大きな規模にしていくとこうなるのであろうといったところである。東京ほどの刺激や楽しさはないが、エンターテイメントにもアクセスはできる。日本のある程度の都市、政令指定都市のような規模感なので、都市部と自然のバランスがちょうどよいのだろう。日本では、大学ででた関西でも、その後行った首都東京でも、そこに腰を落ち着けて永住する決意に至ることなく、ついに果てのここまで流れ着いた。関西でも東京でも、遠いこの地にきても、いつもどこかで故郷に帰ることが大前提としてあるような感覚である。そしてどの町に住んでも、故郷にあるスーパーを行きつけにしたり、故郷の山の形と近い風景を好み、実家みたいだからと畳の部屋を選んだりする、あくまでも故郷が私の中に揺るがなくあった。なので、東京でも西の方を選んで住んでいた。今回の日本で、故郷では草取り以外は本当に何もせず、自然の中でゆっくり流れる時間を楽しんだ。東京では反動のように消費活動、食、美術館、博物館、とエンターテイメントにいそしんだが、その中で都市部の中の自然を感じ、東京の東の方に住むのもよいなと思った。
今のこの地が他のいろんな要素の問題をおいておいても心地よいのは、自然と都市のバランス、自然との距離がちょうどいいのだろう。私の中にあるこれまで訪れたり住んだりした様々な都市の記憶や印象はとてもありがたい財産である。
今は、交通の発達で、長距離移動も簡単に気軽になり、国境さえ軽々と超えていける。二拠点、多拠点、半年ごとの移動などをしている人もたくさんいる。インターネットの発達も大きい。そのおかげで、自然や都市との付き合い方も千差万別で個人で選べる。
私の理想はまさに自然の中で自然の一部として山で生まれ昨年100間近で亡くなった祖母の生き方だ。しかし、現実には、都市で長く暮らし、エンターテイメントや刺激が好きな現代人の私。しかし今のこの地では、自然とほどよい都会と読書、そしてインターネットで十分だ。このインターネットが曲者である気もするがこれはもう不可欠である。
私は自然とどう付き合いたいのか。どう生きたいかとも通ずるこの問いを自分に繰り返していきたい。
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