【異郷日記】17/9/24 にぎりしめているもの
明け方、不思議な夢を見た。某元総理大臣の孫とその妻である女優のアクロバットな二人組体操というかヨガポーズのようなパフォーマンスを見せられた。妻の方の顔は見えず、孫の方の座りながら脚を天に向けて垂直にあげ、かつ妻を抱えて保持するものすごい筋力と柔軟性に圧倒されて見惚れていた。これを可能にするのは信じることを大切にすることだと言われた。大切な人を大切にする。その孫の方が、妻は私の大切な女性なんだと言っていた。
起きて、魚に餌を与える。今日もまた寄ってきてくれて嬉しい。家人が朝、餌をあげながら長い間池を見つめているのがよくわかる気がした。急いで仕事へ。今日もtodoリストにチェックを入れてはかどるはずが、急な用事がたくさん入ってくる。マルチタスクは得意な方だと思っていたし、こなしたが、とても疲れた。特に、病欠の人員の補填、それに伴って起こり得る連絡や調整、などの細かい仕事が多い。時間に限りがあったため、追い込まれた感覚が強かった。車に乗ったらホッとして力が抜けた。
カウンセリングで、自分の中に溜まった怒りが凝り固まっていて、それが動かずに鎮座していたが、はじけて出てきたことで、なくなりつつあることを話した。怒りというよりも憤怒である。子どもの頃の記憶も掘り返して紐解いてみたところ見つかった、人生で溜めてきた怒りである。無自覚に怒りを溜めて放置していた時間が長いだけに、出しても出しても出てくる。大学生ぐらいから20代の間、自分の住んでいる一人暮らしの部屋に、実は自分も知らない隠し部屋のような部屋があった、という夢を時々みた。あれは怒りを溜める部屋だったのもしれないとふと思いだした。
洗濯をして昼食を取ったら、疲れて昼寝。吸い込まれるように気を失っていた。起きてヨガに参加。翌日にひかえた三者話し合いのことがどうしても気になって、話題になる。自分のしたことに集中する、も相手の話を聞くのと自分の意見をいうバランスをうまくとるの二つを軸に決める。いろいろ言いたいことはあるが、どちらが正しいかを決める争いではなく、今後をよくするための話合いだからだ。シナリオはない。軸の二つからぶれなければ出たところ勝負で大丈夫だろうと思った。自分の正しさを証明するのでなく、自分の過ちを認める、謙虚に真摯に振り返る、主張はアサーティブにする、とプランを作ったらほっとした。
三者話合いを伝えられてから一週間、ルーティンのまま淡々とやってきて、睡眠も問題なく取れた。さすがに前日は少し緊張している。
夜は、瞑想のクラス。自分が自分にとってよくないもしくは自身を傷つけると思っているのにやめられない、握りしめているものについての話だった。私はたくさん握りしめているものがある。怒り、家族へのコントロール、不満を解消しないままの関係、日本人として日本の常識や美徳にしがみついて誇示する自分。他にもあてどなくスマホを見る、疲れていても仕事に行くあまり休まない、など。もしこれらを完全に楽しんでやりつくすように没頭してやっているのならば、それは傷つけるものにはならないのだそうだ。私はしがみついているものを眺めてみると、最初に出てきた怒りを辿ると、自分自身に怒っていると気づく。たぶん子供の頃からずっと無意識にそうなっている。こういうことは前はみっともないと思って隠したかった。これも子供の頃の思い込みだろう。今はどんどん出していきたい。出せば出すほど出てきて、いつか出し終えるから。
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