【異郷日記】19/11/24 すくすく育つりんごの木

朝に一週間の集中ヨガに出たが、途中で力つきた。朝練はもう途中まで、9月に習った分しかできなかった。
あまりに疲れていたので、そのあとベッドに戻って寝た。

頭も体も重いが、起きてカウンセリング。気持ちを話すのが苦手だが、少し思い切って話すことができた。
Todoリストに重く鎮座している項目がとても気になる。

ご飯をようやく食べたのは午後1:30だった。1食目は残りのスープカレー。おやつにはブルーチーズバゲットを作って食べた。最近またブルーチーズにはまっている。バゲットも、サワードウのものか、ターキッシュのセサミの風味のものだととても香りがよくて嬉しい。

その後もいろいろ片付けを行った。昔から書いている日記やメモ、ノートなどを整理した。見直すことは今のところないか、なんとなく捨てられないものたち。2019年に両親が来た時に、父が忘れていった薬ケースがあるが、なぜか見つからなかった。捨てた記憶はないので、どこかにあるだろう。

今日は13年前に亡くなった祖父の誕生日。そのことを誰かと話したいと思ったが、母と電話しながら言うタイミングを逃して、話せなかった。そんな母は、少しのサポートで、音楽パフォーマンスのチケットを自分で取れて、自信につながったようで嬉しい。自立してがんばっている母をたくさん誉めた。

家人は今夜、音楽パフォーマンスにでる。5年前の両親訪問時にも開催され、母だけは一緒にきて鑑賞したが、父は首を痛めて、ベッドで休んでいてこられなかったパフォーマンスだ。音楽が大好きな父が来られなかった。その時に話した男の子が、大人になって、来年からプロミュージシャンになる。そんな話を母にしながら、父と分かち合えず、父の不在を感じる。お父さんがいなくなって、と言いかけて、いや、お父さんはいるんだけど、肉体の存在がなくなって、と言い直したら、母がわかるよ、と言いながら鼻をすすっていた。私もじんわりと涙がでる。お父さんどこかにいっちゃってるだけな気がするね、ひょっこり帰ってきそうだよね、といいつつ、本当に父はどこにいったんだろうと呆然として思う。こうして残された者同士の気持ちをかわす瞬間がやはり喪の途上に必要だと思う。母とこう言う風に話せたことに感謝した。

外に出たら、りんごの木が育っている!このりんごの木は、去年りんごをかじったら発芽している種があり、土に植えて成長を見てみたりんごだ。冬の間は枯れてどうなるかと思っていた。父にも話して、写真を送った。父は、母の友人のりんご農家さんに聞いたらいいと言って、育ててみなよと励ましてくれた。若い時は稲作も畑作も農作業をいやがっていたが、祖父亡き後、近所の方にならい、晩年は野菜や果物を細々育てることに夢中になっていた父に見せたいなと思う。おう、けっこう育ったね、楽しみだね、と言ってくれる気がする。りんごのみならず、水やりして夕方の光と風を楽しんだ。

スマホに大量にためているメモの整理をした。カテゴリー分けしてわかりやすく、探しやすくした。しかし、父の最期の時期はよく見れなくて、カテゴリーもどうしていいかわからず、カテゴリー分けの基準がどんどん変わった。それもそれでよしとして、今はそのままにした。

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