【異郷日記】8/10/24 アートアクティビティでの一言から考える
朝はいつも通り早朝にめが覚めて練習後、昨日聞かれた心のドロドロについて書く。自分で書きながら、そして読みながらしんどくなった。家族のことになってしまっていたが、書いている時は夢中で、読む時はうわっと思った。何が一番いやなのか自分でももうわからなかった。書いていたら、もう8時。7時くらいからもうやめようと思うが、昨夜家人が遅くに、眠り際に帰宅し、よく寝れずに腹が立っていたので、反抗心を示したくなった。
、、、書いててだめだ。と思う。が、そのあとも知らない親戚と昼前から夜遅くまで時間なんて長すぎるし、その遠縁者を紹介してきた家人のいとこもきらいだと勢いで言った。そのいとこは家族ではなくてただの親戚なのに、家族面でどかどか入ってくるからいやだと話した。家人にはあまりわからない様子だった。たくさんいる親戚やいとこから選んでその人とつるむほどの共通点は私と彼女の間にはない。一人ふらふらと国内を転々とし、友達の家に居候したり、友達のお店で働いたり、母を亡くしてからは、心の拠り所を血の繋がらない伯母である家人母に求めているし、何かと家人にも頼ってくる。しかし、彼女には実父と姉弟たちもいる。何となく隙をつかれている気がしている。
頭クラクラしていつものヨガは休み、睡眠時間を確保した。仕事に行くまでにとにかく少しでも眠りたかった。なんとか起きて、仕事でアートアクティビティを行う。五感を使うものを用意、少しでも作りやすくて、使いやすいものを選んでいた。感覚重視になると、どうしても見た目の完成度は限られてしまう。既製品のようにはいかないからだ。材料や準備の関係で限りがある中での完成度が鍵だと改めて思った。カウンセラー職の同僚は、小さな子供が好きそうねという感想を述べるのみだった。ここでいつもなら真っ正面から受けてどんどん悪い方へ考えるが、それは一意見だから、と流すことができた。ここで、付加価値的な意味をよくも悪くもつけると、自分がつらくなる。自分で考えて信じたことをそのまま信じていればいいのだ。しかし、その意見を、そのとおりだと感じることがあれば、そのまま受け取って内省の糧にすればよい。要は人の言葉を聞く時に、良いか悪いかジャッジして、受け取っているからしんどくなったり舞い上がったりするんだと思った。それは、いつでも起きるわけではない、自分で自信のある事項の時は、周りの意見が気にならない時もあるからだ。
一口に自分を信じるとか、相手の意見を受け入れるとかの動作を話しても、かなりいろんな細かな違いや心の動きやニュアンスがある。そういうことを改めて見ていこうと思う。
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