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魔術師と修験道

魔術(アルケミスト)探求を始め、ヘルメス7つの原理やそれに伴う構造について言語化できるようになってから、とある人物との出会いがありました。

共通の知人(その方は、非常に真っ当)を通しての互いを紹介された時の言葉が、タイトルの言葉です。「ハイ。こちら魔術師」「ハイ。こちら修験道」で「こんにちはー」的な(笑)

こんな紹介のされ方があって良いのだろうか?と思いつつも、お互い特になにも突っ込まず。そのまま何となく話題は占いなどについての話に。

そこでの共通の見解として、いわゆるスピリチュアル で言われている「悟り」や「空」を「願望実現の為に目指すのは意味がない」ということ話し。もしかしたら・・・と思ったら案の定。彼女はタオイズム系の探求者でした。

構造について探求を続けていくと、東洋、西洋、入口は様々あれど、結果的には、同じ見解へと向かいます。

道の途中では、なにが正解でなにが不正解か?となったり。善悪や優劣に囚われたりすることもありますが、そのこと自体は「その位置では」真実です。なのでそれで良いのです。そして囚われも、意識的にやるのであれば、それはこだわりであり、素晴らしいことです。

誰かと、こだわりの世界を共有することは、自分の世界の彩りを増やすことです。私自身もそうすることで、チョコチョコと様々な世界を楽しませていただいています。まぁ、私が好む世界というのは、一般的な趣味とはなかなかにかけ離れているかもしれませんが・・・(笑)

構造探求とは、彩りを増やすというよりは、彩りを含み呑み込み無効化していくようなものなので「願望実現」の効果は全く望めません。(「願望実現」というのもこだわりであり、彩りなのです。)もしも、効果があるとしたら「願望実現」に興味がなくなる。という効果でしょうか(笑)

まぁ、本当は「願望実現」に拘らなくなると、そこからその人の個性や人生のテーマに則った、より「自然」な願望へ向かい人生が好転したりもするんですがね。あまり人気ないですね(笑)

「拘らない」というのは「拘る」を知らないと認識できません。

なので「拘る」も「拘らない」も、「拘る」に「拘らない」も、「拘らない」に「拘る」も、色々やってはじめて「拘る」を含み無効化し超えることができるのです。

なので、拘るときはしっかり拘ると良いと思います。それが自分の世界を彩ることにもつながりますしね。

「修験道」と呼ばれる探求者との出会いは、私にとって非常にラッキーなことでした。彼女は同じ探求者であるだけではなく、私とは真反対のタイプだったからです。

彼女は、「私が静なら、彼女は動」「私が沼なら、彼女は花火」というくらい陰陽レベルの正反対でありつつ、話が通じるという貴重な人です。

タイプが違うので、探求の道自体も正反対の道を辿りつつ、結果的に、同じ見解に至っていました。彼女と出会うことによって私の探求は加速的に深まっていきました。

コレはなんというか、計算でいう検算をしている感じに似ています(笑)彼女とは、今でも毎日のように、構造について膨大な量のやり取りをしています。

自分1人でコツコツと探求するのも、大変面白いことではありますが。やり取りというカタチをとることで、ふとした瞬間に、自分だけでは届かない深い領域へと足を踏み入れることも多いのです。

いつか、彼女との膨大なやりとりをまとめることが出来たらイイなぁ。と思ってはいますが。とてつもなく大変だろうなぁとなかなか腰があがりません(笑)その前に構造についても、もう少しまとめていこうと思っています。

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