ごあいさつ
はじめてnoteに投稿します。ノートの1ページ目って学生の時から苦手で、いつも開けていた。表紙を開けて1ページ目はまず白紙。本題は、いつもその次のページから。プロが作った本だって、一ページ目から本題に入らない。私はそういう余韻が好きだ。端から端まで隙間なく積みあがったものは苦手。ドミノとか、完璧なレンガの建物とかすごく苦手。本棚にだって花を飾るくらいのゆとりがあってほしいと思ってしまう。
昨日、一つ手前の駅で降りて、ドーナツチェーン店のドーナツを買って帰った。一人で暮らしているのに3つも買った。本当はそんなに食べたくなかったけど、ドーナツって2つ以上並んでいたほうが幸せに見えるから。ころころと丸くてかわいいし。ハニーディップ、チョコレート、チョコリング。色合いはいまいちだけれど。
一つは、帰ってきてすぐに食べた。夕飯を用意するのにもお腹がすいていたから。もう一つはその日の夜に、ホラー映画を見ながら食べた。80年代にアメリカで作られたのホラー映画は何もかも古臭くて、いっそ賑やかなコメディのよう。人のいろんな表情を映像に収められる!っていう、無邪気さを感じた。そうだよね、動画って楽しいよね。
映画とドーナツっていう特集を、以前POPEYEがやっていたのを思い出して、どうしてもドーナツを食べながら映画を見たくなったのだ。(いや、映画を見ながらドーナツを食べたくなった?どっちだろう)
私はその雑誌を読んではいないけど、その組み合わせはいいなと思った。別に映画を見ながらドーナツを食べるっていう特集でもなかったとは思うけど。
最後の一つは翌朝。ぱさぱさに固まったドーナツは全然おいしくなくてびっくりした。そこで私は当たり前のことにをつくづくかみしめた。なんにでも食べごろというものがある。人間関係にも、ドーナツにも。それは避けがたい時間の変化に伴って、運命のように私たちの前に立ちはだかっている。
noteは日記だ。私が昨日買ったドーナツみたいに甘い甘い日記だ。
私の好きなこと。まず第一に、人を好きになること。noteを、惚気話でいっぱいにしたい。人を好きになることで悩むこともあるし、傷つくことも不安で眠れないことも。こんなことになるなら、一生好きな人なんかいらないとも毎日思う。だけどやっぱり、好きな人がいなくては、起きられない。それは別に、恋人とかじゃなくていい。好きな小説家でもいいし、ロックスターでもいいのだけれど。
第二に、快楽を探求すること、それは主には性愛である。それはもう果てしない世界で、3年前私が初めてその入口に立ったとき(つまり処女消失)には、すべて知るにはあまりに危なく、絶望的に思えた。同時に、できる限り多くのことを知りたいという欲望にかられた。今だって思う、もっと楽しいことがあるんじゃないか、もっと気持ちのいいことができるのではないか、と。
セックスは、あらゆる小説や絵画、映画のテーマとなる。哲学や社会学ですら、性愛というテーマを選んだら多分一生抜け出せない。
それを生涯無視して暮らすことは、存外簡単かもしれないけれど、私には見て見ぬふりはできなかった。人によってはビッチだとかヤリマンだとか、はしたない女だとか思うだろうけれど、わたしは自分の身体に突きつけられて、そしてずっと付きまとうこのテーマから、多分ずっと逃れられないのだと思う。
第三に、きちんと暮らすこと。上述のテーマと全く相反することなんだけど、きちんと暮らすことを大事に思うことで、そのめちゃくちゃさと釣り合いを取ろうとしている節がある。
好きな男と散々飲み歩いて二日酔いでめちゃくちゃになる日もあれば、その反動で、お天道様が見ているところで清く正しく生きたくて、突然手の込んだ料理を作り始めたり、ヨガをし始めたりする。そういう振り子のように落ち着かない生活が、今の私を作っているのだ。
「 琳 」は、わたしに子どもが生まれたらつけようと思っていた名前だ。
美しい玉(ぎょく)、またはその玉が接して鳴る音の様を表しており、琳派と呼ばれる日本絵画にもその字が使われている。もっともその流派の名は、大きな功績を遺した画家「尾形光琳」の名前からとったものであるが、金をふんだんに使って描かれるその絵画たちに当てる字として、「琳」はこの上なくふさわしいと思う。
「琳」。
この名前を、別の誰かにあげるまで、このnoteは続く。
ちなみに、同時に飼う大きな犬の名前は「律」と決めている。