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「振り子」の恐ろし気持ち悪さがよくわかる箇所を引用します 触手があるんですって


「一筆?入魂」のときと「間に合わせ記事」とでは反応が違うのです


 こうしてブログの毎日継続を続けておりますと、
「どうしてもこのことが書きたかったの!」という書く気モリモリのテーマの時と、
書きたい記事が煮詰まって進まなかったり、時間がなかったりで、
「ま、今日は間に合わせで別記事書いとこ。」のときがあるのですが、

おもしろいことに、前者と後者ではちゃんと反応が、
視聴数やいいね数が違うのです。

別に「今日のは手を抜いています!」とか書いてないのに、
やはり思いによって、筆(いや、キーボード)にノルものが違うのでしょうか。


振り子


「振り子の法則」シリーズで述べられている、「リアリティ・トランサーフィンことの概略がわかる部分」として、以前シリーズ第2巻のまえがき等をまとめて引用しました。

 あら。上のサムネだけをみたら、なんかyoutuberの気功師さんをディスっているように見えますが、ちがいますよ。
youtubeの解説もわかりやすいですし、ワークも大盤振る舞いで、貴重で実践的な情報を無料動画で提供してくださっています。

若くてもすごい方がいらっしゃいますね。


さて、
ヴァジム・ゼランド氏の「振り子の法則」シリーズ第3巻は、1巻2巻とは毛色が違って、理論ではなくもっと具体的な、実生活でうまくやっていく方法について書かれていたりします。
以前紹介した「エネルギー体操」もそうですし、円滑な人間関係をすすめる方法、また、読者からの質問とその回答など。
 
そして巻末の方に、イギリスでの翻訳本出版に当たってなされたゼラント氏へのインタビューの記事が掲載されているのですが、
これが「振り子の法則トランサーフィン」と「振り子」の全容がわかりやすいと思いますので、引用したいと思います。

※便宜上Qに番号を振りました。実際は番号はふられていません。
Q15:トランサーフィンの本によって、どのようなメッセージを届けたいと思いますか?に、「振り子」についての詳しい解説があります。

私がよく「振り子にエネルギーを取られないように」とか
「心を揺らしてはならん」
などと言っているのがなぜかお判りいただけると思います。

Q1:ヴァジム・ゼランドって誰?

「ヴァジム・ゼランドさん、あなたはいったい誰なのですか?」という読者からのご質問に対しては、「大したものではありません」とお答えすることにしています。私の生い立ちを語っても、誰の関心も引くこともあり得ないし、また、あってはならないことです。なぜなら私は「トランサーフィン」の創始者ではなく、単なる「中継局」にすぎないからです。不可能が可能になる世界への扉を開けるという太古の知が、「中継局」となる者の個人的要素によって歪曲しないようにするには、まったく何の取り柄も無いような空っぽの器が必要なのでしょう。リアリティは、もし一定の決まりに従うと、もはや外部になる独立したものではなくなり、操縦可能なものとなります。その秘密は、分かりやすいところにあることでかえって見つけにくくなっているのですが、非常に壮大なもので、秘密の仲介役自身は意味を持たなくなるのです、私にその秘密を伝えてくれた秘密の持ち主たちに対しては、心からの関心が寄せられるかもしれませんが、彼らはやはり素性を明かしたくないようです。
 私の年齢は四十五歳です(注:2008年時)。ソ連邦が崩壊するまでは、量子物理学分野の研究に携わってきましたが、その後、コンピューターテクノロジーの研究に移り、現在は執筆活動を行っています。ロシア在住です。私に関しては、これ以上述べても何の意味もないでしょう。というよりも、私のことはすべて関係ないのです。

Q2:どのようにしてトランサーフィンの考え方があなたの心に浮かんだのですか?

 トランサーフィンは思想ではなく、それは数千年の昔から受け継がれてきた知識なのです。その知識が私に伝えられたということなのですが、今も人知の及ばない方法によって伝達が続けられています。それは誰かから教わったものでもなく、どこかで読んだものでもありません。情報そのものが私の頭に届けられたのです。どのようにしてそれが起こったのか、私には説明できません。私はごく普通の人間であって、宇宙人や例と交信したりはしません。私が自分の師と呼べる唯一の人物は、監視員の老人です。彼は太古の知の持ち主の一人で、ある日私の夢の中に現れたのでした。それ以来、大量の情報が送り込まれるようになったというわけです。その老人との出会いは、『リアリティ・トランサーフィン』の一貫目の冒頭に書いてあります。老人と出会ってから、私の人生は急展開しました。特にこれと言って取り柄の無い元物理学者が、突如として本を執筆し始めたのですから・・・

Q3:このシリーズ本を書こうという気持ちになったのはなぜですか?

私は自分の人生で愚にもつかないことを散々しでかし、限界状態にあり、おそらく転換期に達していたのでしょう。『リアリティ・トランサーフィン』という本は私が書いたわけですが、それを二十五年前に読んでいたらよかったのになと思います。そうしていたら、私の人生は全く違った、ずっと心安らかでまともなものになっていたことでしょう。しかし、そうなると、私はこのシリーズ本を書いていなかったことになるわけですから・・・。私が辛い体験をした後に、何らかのチャンネルが開かれ、そこを経由して情報が押し寄せてきたと考えるべきでしょう。
 昔の私は、いうなればアンチ・トランサーフィンを地で行っていたようなもので、つまりあらゆることを見事に正反対にやっていたのです。賢人は他者の過ちから学びますが、愚人は自分の過ちから学びます。その意味で、私は間違いなく愚人でした。けれども、自分の過ちと他人の過ちとで、どちらがよりよい教訓となるでしょうか?賢人は、正しいこととそうではないことについて、よく知っているだけなのです。言い換えると、賢人は情報を持ってはいますが、わきまえるまでには至っていません。一方、賢人と違い、愚人は自分のたんこぶ一つひとつのお陰で、自分が犯した失敗の本質そのものを骨身にしみて理解しています。つまり本物の知識を身に付けていることになるのです。きっと愚人だけが太古の知への道案内になれるのでしょう。

Q4:このシリーズ本はどのような読者層向けですか?

読者のみなさんから寄せられたお手紙から判断しますと、住所、年齢、階層による隔たりは見受けられません。そうはいうものの、トランサーフィンの知識はすべての人々のためではないということを断っておかなくてはなりません。トランサーフィンは通常の世界観の枠に収まらないため、誰もがそれを受け入れられるわけではないと思います。人々は、自分が眠っているという自覚はないのに、目を覚ましたまま深い夢見状態にあり続けます。そこで目を覚ますことのできる人だけがトランサーフィンを受け入れられるということは、すでに実証済みです。通常、本というのは、一部読者の間で熱狂的なもてはやされ方をしますが、他の人々からはきっぱりと拒否反応を示されるものです。けれども、トランサーフィンの本の場合は、感謝の手紙をたくさんいただきますので、拒否反応を示している人はごく限られた少数派だと思われます。

Q5:「バリアント・モデル」とは何なのでしょうか?

リアリティは二つの形態を持っています。ひとつは手で触ることのできる物的形態であり、もうひとつは知覚の向こう側になる形而上学的形態ですが、これはそれなりの客観性を持っているものです。ある意味、世界は二つの部分からなる果てしない二元鏡(dual mirror)であり、一方に物質宇宙があり、他方にバリアントの空間と言う形而上空間が広がっているわけです。バリアントの空間とは、ありとあらゆる可能な事象のシナリオが保管されている情報構造です。バリアントの数は、座標平面上の点の許容位置の数が無限であるのと同様に、無数に存在します。そこには過去、現在、未来が記されており、私たちが見る夢、千里眼、直観的な知、ひらめきなどは、そこからやってくるのです。一定の条件下で、人間の思考エネルギーはバリアントの空間にある任意のセクターを現実化させることができます。トランサーフィンで言うところの魂と理性の一致という状態になれば、秘められた力ーー外的意図が発生します。もし一定の条件を守ると、この外的意図という力が「注文」を履行する、つまり、あなたが受け取りたいと思ったことを実現させるのです。

Q6:この本の内容は自己修養テクニックの一つということですか?

トランサーフィンは、自己完成のための方法論ではなく、望むものを受け取るために思考し行動する方法です。獲得するのではなくて、まさしく受け取るのです。自分を変える必要はないどころか、自分自身に回帰するわけです。
 すべてはとても簡単です。世界は、鏡のように、世界に対するあなたの接し方を反射させます。あなたが世界に不満を抱いていると、世界はあなたから背を背けます。あなたが世界と闘うと、世界もあなたと闘います。あなたが自分の闘いを中止すると、世界はあなたを迎えてくれるのです。
 もし、あなたが思ったことをそうあろう(所有しよう)と自分にただ認めたら、外的意図があなたにそれを与える方法を見つけてくることでしょう。すると、いつの日にか人々から奇跡と呼ばれるようなことが実現するのです。あなたは必死になって目的を達成しようとしていませんか?願望は不要です。そんなことをしなくてもあなたは目的を達成することでしょう。自分が目的を達成するところをただ思い描いてみてください。要求せず、固執せず、穏やかな気持ちで目的を達成するのです。「だって私はそれを欲しいのだから、そうなってどこが悪い?私はそれを受け取ることになっているのだ」というようにです。
 世の中はあなたにまったく別のシナリオを押し付けてきます。あなたは目的達成のために戦わざるを得なくなります。そのために、あなたは、自分自身と世界に対して宣戦布告しなければなりません。あなたは不完全なのだから、自分を変えないうちは、目的を達成できない、と吹き込まれます。自分を変えたあなたは、日の当たる場所を求めての闘いに参加しなくてはなりません。こうしたシナリオ全体は、たった一つの目的を追求するためにあります。それは、あなたからエネルギーを奪い、マトリックスの容器に追い込むということです。自分自身と闘うことで、あなたはマトリックスにエネルギーを引き渡しているのです。世界との戦いに参加することでも、あなたは同じことを行っているのです。
 そんな闘いからあなたは多くのことを手に入れることができたでしょうか?ほら、いまもあなたは嫌で嫌でたまらない職場や学校に、まるで苦役にでも服するかのように、足を運ばざるを得ない状況にあります。その同じ時間に、スキーのできる保養施設で骨休めしたり、南国の浜辺で日光浴を楽しんだりしている人もいます。たぶん彼らは自分の闘いに勝利したからこそ、今、人生を謳歌しているということなのでしょうか?闘いに参加したものの大部分は、どんなに努力したとしても、スキーのできる保養施設や南国の浜辺で一生遊び暮らせるほどのお金を蓄えることなどできません。
 トランサーフィンは根本的に別のやり方を提案しています。日の当たる場所を求めての闘いを中止し、戦列を離れ、自分の道を進むーーーただそうある(所有する)ことを自分自身に認めてあげればよいのです。それをどうやって行うのかについて、あなたはシリーズ本「リアリティ・トランサーフィン」から会得されることでしょう。

Q7:ほかの願望実現書は効き目がないのに、あなたの本が効き目を持っているのはなぜでしょうか?

 たとえば、トランサーフィンはよくカルロス・カスタネダの著作と比較されます。きっと用語の面で部分的に似通っているからだと思います。しかし、カルロス・カスタネダ(Carlos Castaneda)やテウン・マレス(Theun Mares)の本で有名な「戦士の道」は、トランサーフィンと程遠いものであり、根本のところで対立するトルテック(訳注:古代メキシコのトルテック族)の教義です。もし誰かがこれら二つの教えを比べてみようとしても、どちらの教えもさっぱり理解できないと思います。どちらも同じ目的、すなわち、「あなたが世界に屈していなければ、世界はあなたに従う」という自由に導こうとしているにもかかわらず、そうした自由へと続く道は様々な方向に延びているわけです。トルテックの教えの信奉者は、世界が屈するように強いるのですが、トランサーフィンの信奉者は、世界がそうなるのを認めるわけです。どうやら目的達成の方法が根本的に異なっているようです。

Q8:あなたの本は「ザ・シークレット」とどう違うのですか?

 違いは、同じ知識を異なる角度から考察しているところだけです。一般的に言って、ある教えを別の教えと比較し始めると、ウパニシャッド(訳注:古代インドの宗教哲学書)までたどり着くことができます。しかし、そうすることにどんな意味があるのでしょう?こうしたすべての知識は同じ源泉から発しているのです。同じ理由から、しばしば同一の発見が、互いに関わりを持たない複数の人々によってなされますし、たくさんの新思想の流れが地球上の様々な地域で起こるのです。
 他の教義と全く共通性のないような教えを探してみたらよいでしょう。もしそうした教えが見つかったとしても、それは別のリアリティ(異界)に関するものでしょう。人間の理性には、私たちの住む世界と全く関係しないようなものを作り出す能力がありません。空想小説でさえ、遅かれ早かれ実現することになります。空想作家は(おそらく目下のところは)現実化されていないリアリティを描いているわけです。本当は、そのようなアイデアやイメージはすべて、睡眠中に見る夢と同様に、理性による産物ではありません。アイデアやイメージは、共通の情報フィールドに静止状態で客観性を持って存在しています。そして「師」と仰がれる人々も一般の人々も、誰もがこの共通のデータ・バンクに等しくアクセスしているのです。
 すべては極めて単純です。図書館へ行くようにして、そこを訪れ、好きな書類から気に入った本を持ち出してくると言うだけのことです。唯一の条件は、自分の能力を信じ、地への自分のアクセス権を行使し、知を受け取ろうと意図することです。自分自身に質問を出して、それに自分自身で答えようとしてください。敢えてそれを行った人が、発見をしたり、音楽を作ったり、本を書いたり、様々な分野で傑作を作り上げたりします。それらを手に取ろうとする意図を表明した人によって、知は発見されるのです。

Q9:トランサーフィンの法則はあなたにどのように働きましたか?

言うまでもなく、私がトランサーフィンを自分で確かめなかったら、その実践方法を人々に説明することができません。この技法は申し分なく作用します。そして、たいていは、結果もほとんどの期待を凌ぎます。通常の経験の枠にはどうしても収まりきらないということがしばしば起こります。奇跡とも呼べるそのようなことは、トランサーフィンの観点から十分に説明がつくのですが、それでも私は今もそういったことに慣れていません。「これって本当にあり得るのかい?」というように、毎回驚いています。自分の意図の力でリアリティを操ろうとしてみた誰もが驚愕と歓喜と言う同じ感情を味わいます。日常の理性は、リアリティというものを、私たちの意志からは独立した外部の存在だと受け止めることに慣れているから、私たちは驚愕するのです。自分を、状況に支配されているちっぽけな人間だと思うことを辞め、自分で自分の世界を作り上げていこうと思うようになるから、私たちは喚起するのです。

Q10:トランサーフィン理論を開発するのにどのくらい時間がかかりましたか?

トランサーフィン理論は私が考え出したものではなく、バリアントの空間に過去から存在し続け、現在も存在している者です。私に課せられた役目は、そのデータを間違いなく引き出してくることです。
(’中略)
そんなわけで、私にはトランサーフィン理論を考えつく能力はないのです。

Q11:この理論を理解するのは難しいですか?

トランサーフィンは、何ら特別な能力を持たない平均的な人を対象にした、リアリティを操縦するための単純かつ効果的な技法です。読者から私宛にたくさんのお手紙をいただきますが、トランサーフィンが生活の質を具体的な面で著しく向上させてくれたと、どの手紙にも異口同音のことが書いてあります。結果は人それぞれですが、各人が仕事、高給、自動車、マンションを手に入れたり、結婚相手を見つけたり、コンプレックスや問題などから解放されたりしたということです。

Q12:単に「欲するものを受け取る」ということは、どうすれば可能なのですか?

トランサーフィンの本質を概説するならば、あなたの世界は、あなたが世界について思っている通りである、ということになります。世界は鏡のように世界に対するあなたの接し方を反射させてきます。もしある人が、この世で最高のものはすべて売り払われてしまったと確信したのなら、彼に残されているのは本当にどれも中身のないものばかりとなります。もしその人が、よい商品を手に入れるには、長い列に並び、大金を支払う必要があると思っているのなら、やはりそのとおりになります。また、もし悲観的な予感や疑念を持っているのであれば、それは間違いなく実現します。そして、もしあなたが周囲の人々との出会いを敵意に満ちたものになると思っていると、その予感は本当に当たるのです。
ところが、世界は自分のために一番良いものを取っておいてくれると純真な気持ちを抱くや否や、そうした思いもなぜかそのとおりになるのです。ものごとは一筋縄ではいかないものだなどとは考えたこともない変わり者は、ある日、まるで自分のために特別に商品が運び込まれたかのようなショーケースの前になぜか偶然居合わせるわけです。そこでは最初のお客さんは何でもタダでもらえることになっています。その人の背後には、「自分の現実は暗澹としていて、ツキがあるのはおバカさんだけ」とういうことを信じて疑わない人々による長蛇の列ができています。その後、もし幸運に恵まれていたその変わり者が、「人生の現実」というものに突き当り、世界に対する自分の態度を買えたとすると、リアリティはそれに呼応して変化し、先見の明があったはずの変わり者は列の最後尾に放り投げられることになるのです。
トランサーフィンは外の世界についての思い違いに対して目を見開かせてくれます。主な思い違いとは、リアリティそのものがあなたから独立して存在し、操縦可能なものではないという点です。本当は、人は自分のリアリティをかっちづくる能力を持っているのです。しかし、そのためには一定の決まりを守らなくてはなりません。これについては『リアリティ・トランサーフィン』のシリーズ本の中で詳しく述べてあります。

Q13:あなたは本の中で、私たちには選択の自由があると述べ、そして、似通ったバリアントについて語っています。もし、私が間違った人生ラインや「酷似した」バリアントを選んでしまったら、どうすればよいのでしょうか?
 
このインタビューの範囲内では、意図の調整(コーディネーション)と名付けられている有益な法則をお勧めしておきましょう。
 人間の人生は他の任意の物質運動と同じように原因と結果の鎖です。バリアントの空間における結果の位置は、常にその原因の位置の近くにあります。ある出来事が別の出来事から発生すると、そんな風にして知覚にあるセクターが次々に行列を作り、人生ラインを構成します。人生ライン上の各事象には、好ましい方と好ましくないほうの二つの分かれ道があります。何らかの出来事に遭遇すると、その都度、あなたはその出来事にどのように接するべきかの選択を行います。もしあなたがその出来事をポジティブにとらえるとすると、人生ライン上の好ましいほうの分かれ道に入ります。ところが、物事をネガティブに捉える傾向を持っていると、不満を表してしまい、好ましくないほうの分かれ道を選択してしまうことになります。あなたが何かに腹を立てると、新たな深い毎が続いて起こるのです。こうして、「災いは決してひとつだけではやってこない(一難去ってまた一難)」ということになります。要するに、相次ぐ不快事は、災い自体の後に続いて起こるのではなく、災いへのあなたの態度の後に続きます。分岐点であなたがおこなっった選択によって、法則性が働くのです。
 意図のコーディネーションの法則とは、もしあなたがネガティブに思われる出来事をポジティブなものに見なそうと意図すれば、すべてはまさしくその通りになるだろう、ということです。今がどんなにひどい状態であろうとも、この瞬間のあなたが調整(コーディネーション)を心掛けるのであれば、この先には何かとても心躍る思いがけない出来事が待ち受けている、ということを覚えておいてください。どんな試験の前であっても、「うまく行ったらご喝采、だめであってもご喝采」という具合に自分に言い聞かせてください。もし何かがうまくいかなかったとしても、それによってまだ見ぬ更なる問題を抱え込むことから救われたのだと思ってください。このようにのんきで穏やかな気分で、運命との出会いに臨みましょう。その機会はあなた自身が作るのです。今後は、何が起ころうとも、万事うまくいきます。

Q14:ということは、あなたの本はポジティブ・シンキングについて書かれているということですか?

トランサーフィンはありふれた楽観論ではなく、リアリティを意図的に操縦するための技法です。もしあなたが人一倍の楽観論者で精神状態が正常であろうとも、心の快活さをいかなる状況でも保てるというわけではありません。楽観論者はすべてがうまくいくことをただ望んでいるだけなのですが、それが生まれついての性格のため、無意識にそう望むのです。しかし、もし私が悲観論者ならば、私はどうすればよいのでしょうか?「すべてはうまくいくだろう」という陳腐なフレーズで、果たして私を納得させることができるでしょうか?それだけでは私には不十分です。なぜうまくいくと思えるのでしょうか?
そんなわけで、私個人を例にとると、悲観論者です。現実への自分の接し方によって意識的にリアリティを操縦し始めるようになるまで、私のこの性格は人生を台無しにしてきました。でも今の私に忌々しい出来事が起こると、「愉快。愉快」とうそぶき、意識的にすべてをひっくり返してやります。こうしたふるまいは百パーセントの効果を発揮し、結局、すべては成功裏に終わるのです。なぜなら、こうした接し方をすれば、出来事の展開は常に成功が待っている人生ラインへと向かうからです。今の私は、リアリティを操縦しているのであって、リアリティが私を操縦しているのではありません。

Q15:トランサーフィンの本によって、どのようなメッセージを届けたいと思いますか?

 二言、三言で説明するとなると、十分に理解してはいただけないでしょう。そうなると、各文章の見出しを述べるだけになってしまいます。そんなわけで、私の答えは広範囲に及ぶ長いものとなります。
 まず最初に、本書は読者に衝撃的な事実を突きつけます。誰もがその恐怖を認識して受容できるわけではありません。なにしろ、恐ろしくてウソ偽りのない現実よりも、たとえ幻想であっても、もっと快適に気楽に暮らしていたいと思う者なのですから。人間の動機と行動があたかも本人の意識のコントロール下にあるように思われるのは、幻想にすぎません。現実の生活では、動機と行動が本人のコントロール下にあることはあまりありません。というよりは、むしろまったくないというべきでしょう。学者たちは精神心理を、独立した対象として、また人間理性の特質として実りのない研究を行っています。問題は、人間の精神心理がどのようにして出来上がっているかではなく、理性が自由意志を持たず、外部から操られていることにあります。そして、それを行っているのは、教育者でも教師でもなければ、役人でも上司でもありません。それを行っているのは、波動てエネルギー的な世界にある本質的な要素なのです。
 ご承知のように、思考エネルギーは跡形もなく消えてしまうのではありません。人間集団が一つの方向に向かって思考し始めると、彼らによる「思考の波」が互いに重なり合い、エネルギーの海の中で目には見えないけれど実存するエネルギー情報構造を作り上げます。これが振り子です。
 生まれ落ちた振り子たちは、ひとりでに成長し始めます。彼らは構造の構成員である人間たちを自分たちの意志に従わせようとしますが、無意識にそうしたことを行います。なぜなら振り子は理性を持たないからです。振り子が何か悪意を持った力だとは言えません。彼らは寄生植物のほうにもっと似ています。あるいは、疑似生命プログラムのようなものといえます。それが振り子の構造に組み込まれていて、構造の行動を決定するわけです。振り子は、家族であろうと、学校、会社、国家であろうと、各人間集団の上部構造として、波動エネルギー的な世界に存在します。信じられないかもしれませんが、人々は振り子たちの利益のために無意識に行動していることを自覚していません。とはいえ、これは事実なのです。
 どのような構造も生存・発展しますが、それは構造の構成員である人間たちの意図的行動の結果として、というわけではありません。構造は振り子によって操られますが、そのやり方はアルゴリズムによって操縦される自動装置の働きに似ています。構造に所属するメンバーたちは、自由気ままに行動できますが、自分たちの動機づけにおいては自由にならず、通常、構造の利益のために無意識に行動させられています。
 振り子たちは人々のエネルギーを摂取します。あなたが何かで悔しい思いをし、激しい怒りを表すと、振り子にエネルギーを与えていることになります。あなたのネガティブな強い感情を潜在的に引き起こしかねないすべてのことは、振り子たちによって誘発されます。ネガティブなエネルギーは、振り子たちの大好物なのです。
 たとえば、サッカーの試合が始まると、スタジアムの上空には、小ぶりの球体のようなものができあがります。この球体は目には見えません。なぜならそれは波動エネルギー空間にあるからです。この球体が振り子です。球体からは触手のような形をしたリアルなエネルギーの光がサッカーファン一人ひとりに向かって伸びてきます。試合に対する感情がヒートアップするにつれ、振り子はエネルギーを充填されて成長します。すぐに振り子は巨大なサイズにまで達します。試合が終了すると、振り子は再び小さく縮んでいき、どこかへと消え去ります。
 恐ろしいことに、振り子はエネルギーを飲み込むだけでは飽き足らず、何らかの方法でもっと多くのエネルギーを分け与えてくれるような行動に人々を駆り立てるのです。
 もしあなたが何かで不安や緊張を感じていると、周囲の人々は、あなたがいら立つようなことをしてくれます。それも、あなたがそっとしておいてほしいと望んでいるまさにそのタイミングにです。
 さっきまでおとなしくしていた子供たちは、とんでもないいたずらに取り掛かります。近くにいる誰かは何かのことであなたをいらだて始めます。様々な人々があなたにしつこく付きまとい、自分たちの問題についてうるさく聞いてきます。至る所で、執拗に何らかの邪魔が入ります。待ち人はなかなか現れません。逆に、招かれざる客は不意にやってきます。こんなことが次々に起こるのです。
 世界はしばしば神経に障るようなことをやってくれるものだと、あなた自身が請け負ってくれるでしょう。もちろん、人によってその度合いとやり口は様々です。しかしながら、総じて言えることは、もしその瞬間に何かが起こると、あなたは平静を失いかねないまさにその時、なぜか面当てのようにそれは起こる、ということです。
 (中略)
このように外部から加わる圧力は、いら立ちが増すにつれて一層強まってきます。緊張が高まれば高まるほど、周りの人々はあなたをもっと激しくいら立たせてくれます。ところで、興味深いことに、周囲の人々は決してわざとそのようにふるまっているわけではありません。そうふるまうことが誰かの邪魔になっているということなど、彼らにとっては思いも寄りません。無意識に行動に駆り立てている原動力は、人間の精神心理の内部にあるのではなく、外部にあるのです。
振り子からの影響にどうやって抵抗すべきか、という疑問が残ります。そのためには、どんな刺激にもネガティブに反応するカキ貝のようになることをやめる必要が出てきます。言い換えると、高い意識性を維持し、挑発に乗ってはならないということです。刺激に対して反応することは、意識してやめましょう。そうすれば、周囲の人々があなたをいらだたせることはなくなるでしょう。
しかし、これですべてではありません。世界には、振り子が原因となっているずっと大規模で恐ろしいことが起こっています。戦争、革命、原料市場は販売市場の争奪戦、戦争、テロなどは、氷山の一角にすぎません。これらは私たちの目に見える部分です。こうした現象において、私たちの目には見えない波動エネルギー的世界では、絶えることのない振り子同士の闘いが繰り広げられています。まさしく振り子たちこそが、ほぼすべての紛争状況を煽り立てているのです。なぜなら、振り子たちは紛争のエネルギーを栄養源としているからです。二元鏡の向こう側になる波動エネルギー空間では、このようなことが行われているのです。多くの人々はそんなことなど知らないほうがよかったと思うかもしれません。
 あなたはこんな質問をされることでしょう。「どうしてそんなことがあり得るのか?だって、人間同士が互いに自らの発意で闘おうとしているのだから」と。しかし、それでも、実際の首謀者であるのは振り子なのです。原始的な構造を持つアリ塚を例にとりましょう。どのようにしてコロニーが運営されているのかについて、科学は納得のいく答えを出すことができません、なぜなら、驚くべきことに、アリ塚では義務の明確な分担があるのに、階層組織は存在しないからです。いったいどうしてすべての昆虫は、中央統制された組織のように毅然と行動するのでしょうか?
 アリたちは、強いにおいを発するフェロモンを分泌することによって、相互に交信しています。道に匂いが残っているため、巣やえさへの生き方がわかります。しかし、情報はどのようにしてコロニーの全員に同時に伝わるのでしょうか?アリたちが相互に情報交換できる高度に発達した手段などあろうはずがないのです。もし高度な情報伝達手段があるのなら、においなどと言う原始的なデータの組み合わせを用いるはずがないからです。
 では、アリ一匹一匹を組織化されたコロニーにまとめ上げているのは、いったい何なのでしょう?
 それが振り子なのです。構造が組織され、発達すると同時に、エネルギー情報体が形成されます。これは構造の運営と安定化の機能を担うものです。振り子と構造の構成員(この場合はアリたち)との間は、直接つながっていて、フィードバックもされます。振り子は自分の構成員からのエネルギーによって生存し、構成員の活動を同期化させつつ、組織化された集団にまとめ上げます。
 人間集団でも同様に、すべてのプロセスはこうした波動エネルギー的世界のコントロール下で展開されます。世界はマトリックスを目指してまっしぐらに変貌を遂げているのですが、それは決して空想小説だけの話ではありません。もちろん、人間たちが吸盤のついた容器の中で育て上げられ、彼らの生涯はバーチャルな幻想にすぎないという内容の有名な映画『マトリックス』と比べると、全体は幾分異なります。けれども、現実の状況はそれと非常に近いのです。
 大雑把に言いますと、人間をマトリックスに追い込むためには、依存症でできている網によってがんじがらめにする必要があります。最近は、依存性を引き起こすものが新たにたくさん現れました。食物は肥満に苦しむことになる餌と化しました。仮想のコンピューター・リアリティは、ゲーム中毒やインターネット依存症を産み出しました。今や人々は携帯電話無しで居ると、憂鬱感や孤独感の発作に襲われます。最も恐ろしいのは、システムの奴隷と化した人がただ単に選択の自由を失うだけではなく、システムに都合のよいものを欲しがるようになってしまうことなのです。
 現在、こうしたプロセスが世界中で進展しています。ですから、私たちがやるべき課題は、マトリックスの容器の中で目覚めたりする日がやってこないように、意識性を保ち続けることにあります。ひょっとしたら、私たちというのは、振り子たちが自らの目的のために特別に育てているある種の食用作物なのかもしれません。人間社会とは、振り子無しでは存在できないようにできています。しかしながら、振り子たちにとっても人間が必要です。高い意識性を持った人は、自分の目的のために振り子たちを利用することができます。そうなると、非常に大きな可能性が開けてきます。ですが、その話については、また別の機会にいたしましょう。

Q16:あなたは、トランサーフィンについて三冊のシリーズ本をかかれました、理論を理解して人生ラインを修正するためには、三冊すべてを読まなくてはいけませんか?

 トランサーフィンシリーズは、(ロシア国内で)九巻まで出版されました。新たな巻が更なる新たなニュアンスを付け加えています。また、私がここで触れなかったたくさんの事柄も盛り込んであります。しかし、手始めとしては、最初に書いた三巻を読んでいただくことで十分でしょう。大事なのは、ただ読むのではなく、得られた知識を実践してみることにあります。そうすれば、あなた自身で驚くような発見をするでしょう。トランサーフィンはリアリティを操る協力な技術であり、それは、別世界へと続く扉を開けてくれます。そこでのあなたはもう操り人形ではなく、自分の運命の支配者なのです。

ヴァジム・ゼランド著振り子の法則トランサーフィン 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法
インタビューP339-P362


 長い引用をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

「振り子の法則トランサーフィン」シリーズの全容が、
そして「振り子」の恐ろし気持ち悪さが、このインタビュー記事がまとまっていてわかりやすかったので引用しました。

「振り子」の描写や存在はなんとも不気味ですが、

けれどもシリーズの「本文」中で、何度もゼランド氏は、
「2,3度かわせば、振り子は放っておいてくれるだろう」
「空になってつかみかかることができなければ振り子は諦めるだろう」
「あなたが振り子のゲームの本質を認識し、振り子の決まりに屈しない限りは、振り子は粘土の人形なのである」

などと、「対処可能」であることが述べられており、そればかりか、

「振り子があなたを挑発しても、あなたがそれに屈しなければ、挑発に向けられた振り子のエネルギーはあなたに移り、あなたをもっと強くする

とのことで、
腹を立てたりせず、重要性を引き下げ、振り子の挑発をかわすことで、
振り子からエネルギーを奪うことすらできるという記述すらあります。


またこの辺りの「振り子との闘い」については、
私の「なんで食べないの~?」のやり取りと絡めていずれ書きたいと思いますが、
そうね、そう考えると、どうしてなかなか職場をやめさせてもらえなかったのかわかる。
相手にしたら、「勝ち逃げスンナ!」って感じだったのでしょう。


ともかく、今、選挙も目前で、
昨今ネットでも唖然とするようなニュースが多くて、

いろいろ驚くようなこと、驚きあきれ、腹が立つこともあるかもしれませんが、
そんなときは、
波動エネルギー空間から触手を伸ばしてエネルギーを奪おうとしている「振り子」を思い浮かべ(ううう、気持ち悪い)、

「やらせはせん、やらせはせんぞ!」の心で、
・・・いや、
意識性を高めて、スルースキルを上げて、
少なくとも、感情を波立たせることなく淡々と対応するよう
心掛けていきたいと思います。

エネルギーを奪われるのではなく、いただけるように。

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