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【発症】急成長の代償〜選手生活時代①〜

こんにちは。門 東花(もん はるか)です。
このブログは、摂食障害(過食嘔吐)を18年経験した私の体験談を伝えるブログです。

以前、プロフィール記事で「私の摂食障害歴には第1期・第2期・第3期がある」とお伝えしましたが、ここに伝えるのは『第1期』発症した当時のお話です。

高校卒業後、私は思い描いていた通りの進路へ。
実家を出て、故郷も離れて、新生活がスタート。

傍から見れば、夢に向かって華やかそうな人生。
私もそう思っていました。

しかし、順調に見えた生活の陰で、私は摂食障害へと猛スピードで突き進んでいました。

この記事では、社会人となり過食嘔吐の発症に至るまでをお伝えします。

※以下、過食嘔吐のことは「症状」と表現します。

※3項の「急成長のうらで発症した摂食障害」には、少しだけ嘔吐に関する内容が含まれます。苦手な方は飛ばしてください。



憧れの新天地で選手生活がスタート

高校卒業後、私は企業に所属する陸上選手となりました。しかも、中学生の頃から憧れていた実業団チーム。

卒業した春から、実家を出て、故郷も離れて、憧れのチームで寮生活が始まりました。

寮はチームが借り上げた普通のアパート。
ひとり暮らしと変わらない住環境でした。

朝食と夕食は食堂で用意されていて、好きなタイミングで一緒になったチームメイトと楽しく食べます。

プライベート空間はしっかりあって、ひとり暮らしの寂しさもない。すごく丁度よい住環境でした。

1日の流れは、
朝練をしてから朝食。
昼間は休息をとって、昼食は各自。
昼過ぎから夕練習。
練習後は、入浴後に夕食。
マッサージなど受けて就寝。

まさに走るための生活環境。

最初は、慣れない環境や、高校とは比べ物にならない練習量に「私やっていけないかも…」と不安な毎日でした。

しかし、幸運にも良き同期たちに恵まれ、励まし合いながら、だんだんと体も心も順応していきました。

 

より強化された体重の徹底管理

私には同期が5人いました。
入社当時、私を含めた新人6人は揃いも揃って、冬の間にしっかり肥えていました。

その新人たちの体型を見た監督は愕然。
「とにかく早く体重を落とすように」と毎日厳しく言われました。

体が絞れるまで新人の体重はコーチが管理します。

体重は1日3回計測。
朝練後、夕練前、夕練後。
“休日明けに体重が1kg以上増えてたら罰金”という、ちょっとジョークめいたペナルティなんかもありました。

私は、監督から「体重を早く落とせ」と言われたり、コーチから体重管理される毎日がすごく嫌でした。

早くこの状況がら抜け出そうと、高校時代に厳しい食事制限をしていた私が復活。
しかも、よりパワーアップして。

夕食は、カロリーがほとんど無さそうなものしか食べない。
お昼も自作した寒天やゼリーだけ。
朝食は、おかずは食べるけど、お米はほとんど食べない。

食事をかなり減らしたおかげで、体重は急速に減少。
1ヶ月ほどで、私はゲッソリと痩せられました。

一時は貧血状態になり、ひどい倦怠感や立ち眩みを抱えもしましたが…。

貧血が回復すると、体が軽くなった分ぐんぐん走れるようになりました。

監督からも体が絞れたことを褒められ、私はどんどん調子を上げていきました。

しかし、ほとんど食べないで走って手に入れた軽さ。
私は、もう普通の食事量をとることが恐くなっていました

実際、満足に食べるとすぐ増える。

運動量に見合わない食事量により、私の体は省エネモードになっていたはずです。

私は、リバウンドが恐くて、もう普通の食事には戻れなくなっていました。


急成長のうらで発症した摂食障害

1年目は、陸上選手としてかなり順調でした。

春は落ちこぼれだった私も、体重を落とし、今までにない練習量をこなしたら、走力がいっきにアップ。

夏には監督の目に止まり、アメリカへの合宿にも選抜されました。
約1ヶ月のアメリカ合宿により、走力がさらにアップ。

大会では記録が大幅に伸び
駅伝でも重要区間でそこそこ良い順位をとり
自分でも想像していなかったほどの急成長でした。

しかし、絶好調の裏で私の食への心のバランスは完全に崩壊していました。

どんどん強くなっていく食べ物への執着。

1年目の冬あたりから、食べたい欲求を抑えられない日が出てきます。

いつもより食べると、強烈な罪悪感と危機感に襲われました。
「やってしまった、どうしよう…」と。

食べ過ぎたと後悔が強過ぎて、無かったことにしたい衝動が湧き上がります。

「どうにかしなきゃ…吐いてしまいたい」

でも、指を喉の奥まで入れるのは恐くてどうしても出来ない。

そこで私は、過去に炭酸を飲みすぎて吐きそうになった記憶を思い出しました。

これなら吐けるかも…と、大量に炭酸を飲んでお腹に力を入れてみたら、少しだけ吐き出す事ができました。

これが、私の症状のはじまり。

「少しなら大丈夫…」とちょこちょこやり始めた行為は、知らぬ間にどんどんエスカレート。

いつの頃からか、完全にすべて吐き出ようになっていました。

簡単に出せることを覚えると、もう食欲の抑制がききません

好きなものを好きなだけ食べて吐き出すことが日常になっていきました。


まとめ:急ぎすぎることへの代償

幼少期から種を撒き、学生時代には芽を出していた摂食障害。

夢だった陸上選手になったことで、完全にトリガーは引かれました。

この頃の私の急成長は、今考えても奇跡的だったと思います。しかし、その代償は大きかった。

急激にいっきに体重を落とした体型は定着せず、ずっと不安定。

同期の子の中で、食事量を少し落として、休日には食べたいものを食べて、ゆっくりと体重を落としていった子は、その後もしっかり体型が安定していました。

記録も同じ。私は急速に記録を伸ばしましたが、その後は停滞。

当時のことを思い出すと、急激なことには代償があることを実感させられます。

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