なぜサッカーのコーチじゃなくて自己分析を選んだか。
みなさんこんにちは。
今回も間を空けずに書けています。
今回はビノベーションレポートの基本特性について詳しく書いていこうと思いましたがやめました。
理由は初回より反応がなかったからです。笑
そしてその前になんでこの職業をやってみようと思ったというきっかけになるエピソードを一つ話してみようと思います。
正直サッカーやってた中で一番辛くて、結構センシティブな内容なので迷いましたが、Jリーグを離れて5年になりますし。自分なりに整理して話してみようと思います。
まずは2018年のシーズンスタート確かにキャンプは僕自身スロースタートでコンディションは徐々に上がっているかなという感じでした。
前年度にやっと怪我から復活していい感じにシーズンを終えたので自分としてはとても楽しみにしていたシーズンでした。
ですが気が付いたのはキャンプの最終日の練習試合に4本目のラスト10分左サイドで試合に出て時でした。
あ。これ俺評価されてないんだと。
静岡に戻り試合に向けた練習が始まるとウォーミングアップが終わると僕は高卒ルーキー達とグランドの脇に行きシュート練習や3vs3などやって2時間が終わると言う生活が1ヶ月ほど続きました。
本当に蚊帳の外という状態でした。
サッカー選手でこの状態でいることは本当に存在価値を全否定されたような気持ちになります。
僕自身も18の時に経験して以来でした。高卒の時はついていくのに必死でしたが試合に出るようになってからこの経験は初めてでした。
正直、あまり練習では態度には出さないようにしてませんでしたが終わってから文句を言ってしまっていたことがありました。
だいぶしんどかったのを覚えています。
シーズンが始まっても同じ状況が続きました。
ある日試合のミーティングの時に監督が強く要求していました。
FWはボールを守ってキープしろと、なので練習が終わってから監督に聞きに行ってみました。
ボールを収めることは自分の特徴であったので思い切って聞きました。
「自分はなぜ練習に入れませんか?足りないことがあるならそれをトライするので教えてほしと」
すると
「お前はコウヤよりスピードがなく、テセよりパワーがない、クリスランより高さがなくて、デュークよりハードワークがない」
という意見でした。
僕は何も言えませんでした。
もはやサッカーのことではなかったからです。
ボールを収めることを求めていたんじゃないのかなあとか思いつつ帰ったのを覚えてます。
そして立て続けに
「お前にはシーズンオフから〇〇からオファーが届いてると聞いたが。そちらに行った方がいいんじゃないか?」
頭が真っ白になりました。
確かにオファーはきましたし、1番習ってみたかった監督でした。
ただ清水で出れるようになってシーズンが終わったので何かを残したいと思って残ったのにこのようなことになると思ってませんでした。
しかも春の移籍シーズンは次の日で終わりという日に言われたので絶望に襲われたのを覚えています。
ここまでの流れですと僕が酷い仕打ちを受けただけの愚痴ストーリーになるんですがそんなことはありません。
ここで助けてくれたのがメンタルコーチの存在です。
数年前からコーチとトレーニングをして怪我からの復活、ストレスの対処法を学んでいきました。
ここでもコーチと話をずっとしていましたが最初はなかなか状況を受け入れず、文句ばかりを言ってきました。
その時にコーチに言われたのは
『変えれないもの、コントロールできないものには捉われない、そうなると今何ができますか?」
すぐには答えが出せませんでしたが面談、トレーニングを続けました。
コンディションもいいしなー何できるかな。。と
一緒に練習してた新井にハセさんめちゃくちゃ調子いいのにこの扱いでイライラとかしたりしないんですか?って聞かれるほどでした。
出した答えは「そもそも自分の練習パフォーマンスは見られていないから自主トレなどでアピールすることではなく、調子いいけどもっと良くするためにあえて言えば気になる足首とかハムストリングのケアしに行こうと。
なので練習後はすぐ練習から上がり鍼してもらったり、筋トレ、週に1回は東京の治療院、オフの日には徳島の治療院へいきました。
ヨガもこの時期から始めました。
練習態度もとにかく明るく、落ち込んで練習をしても何もいいことないということを意識して練習に取り組みました。
2ヶ月間毎日続けました。
とにかく自分のことに集中して。
そしてルヴァンカップの磐田戦があったのですが、ターンオーバーでギリギリベンチ入りの予定でしたが。FWの選手のコンディション不良か何かでスタメンで出ることができました。
全く試合にここ半年出てなかった割にはスムーズに試合に入ることができなんと後半にゴールを取ることができました。
今でも忘れられません。
自分がやってきたことが少し報われたと思ったのと同時に仲間達がみんなもみくちゃにして喜んでくれました。
みんな見ててくれてたんだ、という気持ちとやっと仲間に入れたような気持ちになりました。
一目散にベンチから飛び出してきてくれた植草君の姿が今でも忘れられません。
そこから次の試合でもゴールを決めることになりました。
シラにいじられながら一緒に喜んだのも覚えてます。
ここから練習に加わることができ夏にはスタメンで
出ることができました。
その試合は前半で変えられてしまい、僕の実力不足が出てしましましたが
これが僕のプロ生活で一番の苦しい体験であり、成功体験であります。
この年で人生初めての満了の通知を受け取るのですが転機となる1年になりました。
何が言いたいかというともちろん信頼できる仲間やスタッフがチームにいることはとても大切であるしスポーツの一番の魅力である。
ただチームや家族の他に自分の話ができて頭を整理したり次のアクションができる人がそばにいることは重要じゃないかと。それがちゃんと勉強しているプロじゃないかと。
そして意識で人は変われるということ。時間をかけて環境や一緒にいる人、考え方を習慣させていくことで変われる。
人は成長するということ。
引退してコーチをしてる仲間達と話すとやっぱりいいなと思うことがある。
でも自分はこの道で自分の人生を自分で決めれる人間になりたいと思う。
もし今悩んでる。選手、コーチ、指導者の方がいたらぜひ話を聞かせてもらいたいなと思う。
次はその中でなぜビノベーションレポートを選んだのかということを書きたいと思います。
Jリーグを離れてから、ましては引退してから昔の写真を引っ張り出してSNS
にあげるのは未練たらしく見えるし早く元サッカー選手から脱却したい自分としてはあまりしないようにしていることでしたが、今回は写真使いました。
撮ってくれた方ありがとうございました。
また清水のクラブハウスにも挨拶に行きたいなと思いました。
長くなりましたが読んでくれてありがとう。
長谷川悠