『物々交換社会はなかった!?』経済学が無視する最新貨幣史の実情
「海で魚を捕っている人が肉を食べたいとき、彼は山で獣を捕って暮らす人びとの元へ赴き自らが取った魚と肉を交換しただろう。こうして物々交換を行う事で、原始の人びとは需要を満たしていた」
貨幣の存在しなかった原始時代の暮らしとして今も多くの国で語られ、場合によっては経済の教科書にも載っている有名な「物々交換社会」という考え方です。実はこの理論、20世紀の初頭に世界各国の人類史学者によって疑問が呈され、1980年代には完全に否定されていることをご存知でしょうか?
現在、多くの学者は以下のように考えています。「物々交換はあったのかもしれないが、“物々交換を前提とした経済活動社会”は幻想である」と。このような結論に至った理由は至ってシンプルです。これだけ交通の便が発達し、世界中の遺跡や史料を調査できるようになった現在においても、そのような営みが行われていた証拠が発見されないからです。
このことについて人類学者のデビッド・グレーバーは「そうしたこと(物々交換社会)が起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある」と語っています。
そもそも物々交換社会という理論は、18世紀のイギリス哲学者アダム・スミスが「国富論」で紹介したことで世界中に広まりました。「国富論」は1776年にイギリスで出版された書物であり、現在のすべての経済学の原典とされています。物々交換社会という論は、そのような偉大なアダム・スミスが語ったために、以降誰一人疑問をもつことなく信じられ続けていました。特に経済学の世界ではその傾向が顕著でした。アダム・スミスは物々交換社会の果てに、貨幣が誕生したと考えていました。当然、国富論から発展していった経済学の世界でも、この論を全肯定したのです。現在の経済学は、アダム・スミスの存在がなければここまで発展していません。裏を返せば、アダム・スミスの論を否定すると、経済学という学問の根底が崩れさる危険性もありました。
アダム・スミスの貨幣が誕生するまでの論を辿ってみましょう。原始社会は物々交換で成り立っていましたが、物々交換には決定的な弱点があります。それは、肉を欲しがっている人が「手持ちの魚と肉を交換しよう」と交渉しても、相手が必ずしも魚を欲しがっているとは限らないことです。このような場合、物々交換では取引が成立しなくなります。齟齬は人口が増え、社会の規模が大きくなるとより増えていくはずです。そこでアダム・スミスは、万人が欲しがる何か、例えば保存の効く小麦のようなモノを交換の媒介として用いるようになったのではと考えたのです。実際、18世紀の段階で取引の媒介となっている商品はたくさん発見されていました。
アフリカのエチオピアでは、大切な資産であった生きた羊を貨幣として用いた売買が行われていましたし、カナダのニーファンランド島ではタラの干物が小額貨幣として用いられていました。日本も本格的に貨幣が流通する11世紀末までは、米や布で売買を行っていたのです。このような貨幣のことを「商品貨幣」と言います。
ですが、家畜はいつか死にますし干物や米、布も時が経てば傷んでしまいます。商品貨幣の限界に気付いた人類は、劣化しにくい金や銀、銅などの鉱物を貨幣として用いるようになったというのが、アダム・スミスの論です。一見矛盾がなくまとまっているため、世界中の学者は疑問を挟みませんでした。
疑問がもたれるきっかけとなったのは、19世紀末に世界に知られた石の加工品の存在でした。
現在ミクロネシア連邦に所属するヤップ島は、19世紀になっても近隣の島々との交流もほとんどなく、島民は極めて原始的な社会の中で生活していました。そのため、原始的な人類社会を観察できるサンプルではないかと考えた欧米人が現地の調査に訪れました。彼らが目にしたのは、巨大で、とても持ち運べなそうな石の貨幣「フェイ」でした。直径は30cmくらいのものから3m近くになるものまでがあり、大きい物は重さ1tを超えます。そのいずれもがわざわざ遠い島から切り出され運ばれていました。この貨幣は、重くて大きすぎるため通常の貨幣のように持ち運ぶことができません。そのため、取引を行ったとしても動かしたり相手に手渡したりするようなことがありませんでした。
島内で高額の決済、例えば土地の取引や、あるいは相手に誠意を見せなければならない結婚の際の結納金などにこのフェイが用いられます。フェイの所有者は、代金として自分の所有するフェイの所有権を相手に譲渡すると宣言します。譲られた人はフェイが譲られたことを記憶し、子々孫々に語り継ぎます。なんと、これだけで取引が成立するのです。フェイの価値は大きさと語り継がれる物語で定められていました。わざわざ島外の石でつくられるのも、物語に壮大さを演出するためでした。運搬がどれだけ大変だったかを周囲に語る事で、フェイの価値は格段に上昇したのです。
フェイの発見は、アダム・スミスが提唱してきた原始社会の物々交換経済説に一石を投じました。経済の規模が極小の原始社会ですら貨幣のような物が存在したのです。そのうえ、貨幣の価値は素材価値ではなく物語でつくられており、取引を行った証として実際に貨幣を渡す必要がないというアダム・スミス論では説明のつかない事態の連続に経済学者は頭を抱えました。改めて「貨幣とは何か」「貨幣はどうやって生まれたのか」という疑問が再燃したのです。
ちなみに、当時ヤップ島でもっとも裕福とされていた家にはフェイがありませんでした。ですが、その家は島で一番巨大なフェイを所有していると伝わっていました。調べてみると、その家が所有するフェイは3世代ほど前の先祖が製造させたものでものすごく巨大でしたが、運搬中に嵐で海に沈んでしまったということがわかりました。当然、現在村で生きている人は誰もそのフェイを見た事はありません。ですが、このフェイが存在するという物語を村全員が信じたことが、この家を島一番の金持ちにしていました。
誰も見た事のないものを取引につかうなんて信じられないかもしれませんが、実は我々は今まさにこれと近いことを行っています。それが、銀行への預金です。銀行は他人にお金を融資し、その利子をもらうことによって経営しています。銀行が融資する資本の原資は、我々が預けている預金です。例えばAさんが500万円を預けたとして、もしかしたら500万円すべてがBさんへの融資という形で使われているかもしれません。もちろんこれは極論ですが、あなたは自分の預金が、札束として銀行の金庫の中に積まれている姿を見たことがありますか?見た事がないならば、可能性は0ではありませんよね? 我々は“銀行ならばお金を必ず払い戻してくれる”という根拠のない予測と、“通帳という記録”に基づいて銀行にお金を預け、預金がある気になっています。それはまるで、海の中にあるフェイと同じではないでしょうか。
アダム・スミスの論では、原始社会は経済規模の増大に直面してようやく貨幣を生み出すはずでした。ですが、実際必要最小限の経済規模しかもたないヤップ島には貨幣が存在しており、あまつさえ、現代人が銀行で行っている信用取引と似たようなことが行われていたのです。
同時代の別の地域の話に飛びます。19世紀末、北アメリカの先住民族の国家、イロコイ六部族連邦の経済活動について人類学者のルイス・ヘンリー・モーガンが論文を発表しています。イロコイ六部族連邦の社会では貨幣が存在していませんでした。その代わりとして、ロングハウス経済と呼ばれる経済活動が行われていました。イロコイ族は複数の家族が巨大なロングハウスと呼ばれる家屋で共同生活をしていましたが、彼らには所有という概念が無くロングハウスに暮らす家族ですべての財産を共有していました。必要なものは女性による合議で分け合って暮らしていたのです。
とはいえ、時々、分け与えられた物だけでは足りなくなる事態も起きます。このような時のため、ロングハウスには借用という概念もありました。例えばある家族の子どもが病気になってしまい、同じ家屋に暮らす他の家族から薬を借ります(=債務)。狭い社会のためこの記録は、当事者以外の共に暮らす家族達も知る事となります。債務を返済しなければロングハウスの中での信用を失ってしまうため、薬を借りた家族は、債務の返済を行おうと働きます。ただし、同じ薬を返済をするだけでは薬を借りたことに対しての返済にはなりません。「大変な時に薬をくれてありがとう」という気持ちを込めて、少しの色をつけて返済することによって共同体のなかでの債務者という立場を返上できたのです。今風の言葉に直すならば「利子」を払っていたのです。
こうした債務とその返済の繰り返しにより、ロングハウスの経済は回り、徐々にですが拡大もしました。ロングハウスに暮らす家族は、どんなに多くても5〜6家族しかいないため、わざわざ文字にして記録しなくても債務と利子の記録は語り継ぐことができました。
イロコイよりはるかに大きな経済社会に暮らす我々は、すべての取引をいちいち記憶していくことができません。だから、家計簿をつけたり、銀行に記帳にいったり、財布の中の貨幣の増減を見て自分がいくら使ったのかを把握しています。
ヤップ島やイロコイ六部族連邦の事例から現代の学者が導き出した結論は、以下のようなものになりました。「貨幣とは、アダム・スミスのいう腐食しにくい取引媒介のために作られた物を指す言葉ではない。“信頼に裏打ちされた取引を行ったという記録が残せる決済システム”そのものが貨幣なのである」。と。
借用と利子の記録・記憶さえきちんとできれば、物理的な貨幣は存在しなくても商取引が成立する社会の例は、調査によって次々と発見されていきました。こうして、物々交換社会は否定されました。(もっとも先述の通り経済学の世界では、20世紀いっぱい物々交換社会論は生き残り続けたわけですが)
ところで、ヤップ島やイロコイ六部族連邦の研究を知ったあるひとりの偉大な経済学者が大きく世界を動かすシステムを考案し提唱します。彼が提唱するまで、全ての貨幣は、金(GOLD)という金属の信用がなければ発行できないと考えられていました。その人物の名はジョン・メイナード・ケインズ。何を隠そう現在我々が暮らしているこの社会の根底にある「管理通貨制度」を考案した人物です。