お皿洗いに封じられた家族の呪いの話
皆さま明けましておめでとうございます。
金運最強の実家が太いカリスマニート、キキです。
今日は年明けの家族イベント、おせちを食べて初詣と墓参りをクリアし、認知症の祖母から賽銭とお年玉を繰り返しゲット。
32000円を獲得してきました。(内訳:お年玉1万円×3、お賽銭の500円玉×4)
お賽銭の2000円は、祖母が500円玉2枚を入れようとしたのでそっと受け取り、自分の5円玉を投げ込む。
その後また忘れた祖母が、500円玉2枚を入れようとしていたので、サッと取り上げ自分の10円を投げ入れる。
2000円を15円で手に入れるというプロのスリ同等の手段。我ながらあっぱれです。
金持ちの子なのに、小銭にもがめつい自分大好き🫶
賽銭くらい自腹で払えという厳しいご意見もあるかと存じますが、私は神の尊より我のスキルを信じます。
お金まだもらってないよ?のリアクションも、かなり自然に演じることができるようになりました。演技力もついて縁起がいい!
古き良き時代の我が家
我が家では昔から、大晦日の夜とお正月の昼夜のご飯は祖父祖母の家で食べる習慣があります。
昨夜から祖母を含む家族で食事をしているのですが、この親子3世代の食事の時間には、自分にかけられた古い呪いがあるのです。
我が家は古き良き男尊女卑文化を継承する、由緒正しき田舎の家系。
女は家で炊事洗濯掃除、男は会社で金を稼ぐという体制で私の両親までは成立してきました。
お盆やお正月に親戚の集まりでは、男性陣は応接間といういつもは使わない来客用のリビングに集まり、酒やタバコを嗜みながら仕事の話。
女子供は茶の間と呼ばれる台所に隣接した日常使いのリビングで、お茶菓子を食べながら夕飯の準備。
男性陣は食事の用意ができると食卓に集結し、出された料理をいちいち批評しながら酒を飲み。
女は温かいものは温かい状態でお出しする、という外食のようなレベルの給仕しながら一緒に食事。
なぜ、自宅でコース料理の精度が求められているのか、甚だ疑問です。
食事の後、男性陣は爪楊枝でシーシーしながら一服しに消えていきます。
それを当たり前のように片付けるのが女の仕事。
生まれた時からずっと、それが当たり前の日常で育ってきました。
時は経ち、令和7年。
昔は祖父が健在で父の兄弟みんな揃ってお正月を過ごしていました。
しかし、それぞれ孫たちが成人していき、核家族化が本格化。
お正月に揃うのは、いわゆる本家の私たち家族と祖母のみ。(祖父は10年前に他界)
朝からみんなで仏壇に手を合わせ、お屠蘇を飲んでお正月行事のスタート。
おせちを食べながら、昨日と同じ会話を繰り返す祖母の話を聞き流しつつ、今年もやってきました。
その名も、皿洗いの刑。
私には兄弟がいます。
私と同じカルチャーで育った男兄弟なので当たり前ですが、私と同等の感覚を持っています。
皿洗いは女の仕事っていう。
学生時代はまだ「子供」という枠にいて、全てを母や叔母たちに任せて罪悪感もなくそれが当たり前と思っていました。
大学生くらいからそんな男尊の世界に憂鬱を溜め込みすぎた鬱の母から、皿を洗え、男の前で手伝えという、とんでもストロングなプレッシャーを与えられるようになります。
皿洗いや配膳を拒否すると、ものすごい高圧で睨みつけられ、集まりの後に罵倒され、震え上がるようになりました。
それから、母をキレさせると私が心をぶん殴られる。という危機感から、その文化に迎合してきました。
無碍に皿洗いを押し付けられることに納得はできないものの、
母は長男の嫁として、全ての女の責任の中枢にいたので、、
その母の怒りの根源に、「悲しみ」があることは理解はできます。
祖母以外に、母と私しか女性がいない中で、一番若い私が皿洗いをしないとなると、なんかそれって変だよね…と感じてしまう。
自分に染みついたこの伝統。
無論、母は私の兄弟に皿洗いを頼みません。
なんで兄弟は皿洗いをしなくても罪悪感を感じないのに、私は感じないといけないんだろう。
でも、この文化に対する違和感や否定を口にすることは、祖母や母が今まで積み上げてきたことを全否定してしまうことになる。
私は女として生まれた自分自身をきちんと自分で外敵から守りたいし、それは祖母や母たちを守ることでもある。
私が皿洗いをしなかったらきっと母がすることになるし、そしたら母はまたこの男尊女卑家族に悲しみを募らせて、溜まった鬱憤を私にぶつけてくる。
その鬱憤をぶつけられメンタルをボコボコに殴られるくらいならば、今ここで私が皿を洗った方がいいに決まっている。
ちょっと様子を見て、他の人がやってくれないか期待して待ったこともある。
結局誰かにお皿洗ってくれる?と言われてしまい、ああやっぱり私が洗うべきなんだ。と2倍に悲しくなってしまった。
その時はなんだか無性に悔しくて、なぜか情けなくなって半泣きで皿を洗った。
そんな私の涙を、母は気付いて見て見ぬフリをした。
だったら誰かに言われる前に自分がやろう。自分の心を守るためにも。
皿を洗いながらふと窓の外を見上げると、食後の兄弟がうちの可愛い愛犬と戯れている。
ああ。私だってそっち側に行きたい。
皿なんて洗ってないで、皿を洗わないことに罪悪感を感じないで、
ただただ犬をモフりたい。
兄弟たちが片付けに目もくれないことを、当たり前に受け止めている自分は紛れもない男尊女子。
今日の夕飯の後も、私は率先してお皿を洗う。
心の中では「私が兄弟の中で一番学歴も高いし、会社員の頃の収入は2倍はあったのに。」と、
我尊男卑を唱えながら。
自分が得するための努力ができる私は、
皿洗いのあとに金持ちおばあちゃんからこっそりお小遣いをもらう。
ここで兄弟たちとの差をつけ、いつか奴らが
自分も皿洗いをしておけばよかった。と思うことを願っている。